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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第六十九話 剛勇封じ

 家康の動きは迅速であった。自らの健康体を知ってか知らずか、関ヶ原から三年後、遂に源氏の頂点・征夷大将軍の官位を朝廷から引き出すことに成功。この報せは全国の豊臣譜代大名に衝撃を与えた。


「内府め、とうとう江戸に幕府を開きおった……しかも尊氏の様に曖昧ではなく、唯一朝廷から認められた将軍じゃ」

「……」

「兼続よ。上杉は如何動く。明らかな豊臣に対する下剋上、黙って見ておるしかなかろうか?」

「殿。情けない話ではござりまするが、上杉は動けませぬ」


 米沢の景勝と兼続は、戦になった場合豊徳どちらに味方をするか。その方針を決めていた。秀頼は関白になる可能性を秘めているし、その噂もある。が、家康は江戸に堅城を築き上げたうえ武家の棟梁たる将軍に就任、婚姻関係も盤石。動員力の差は明らかである。


「謙信公以来の義の精神ならば、豊臣に頼まれれば味方をしてやりたいが……」

「上杉は動けませぬ」

「分かっておる」


 牙の抜けた兼続に、景勝は違和感を覚えていた。普段は死に体の様であるのに、この話をする時に限っては眼に力がある様に思える。弱気な発言は相変わらずだが……。


「『上杉は』、動けませぬ」

「……」


 この時、兼続は恐ろしい事を考えていたのである。


                     ******


「ようやっと、信濃の領民達の反発ものうなった様じゃの。これもお主の働きのおかげよ」

「勿体なきお言葉」


 1604年。新年の挨拶のため、信之は江戸城の家康の元へ来ていた。信之だけではない。伊達・最上を始めとする東北の諸侯、更に西国からも山内、黒田等の豊臣恩顧の大名が参上していた。


「弾正殿、信濃は如何でござる」


 参議となった細川忠興が話しかける。慶次郎を始め、浪人衆を多く召し抱えたと話すと羨ましそうな表情を見せる。


「しかし、上杉がよく手放し申したなぁ」

「誠に。もっともトウの立った老人にござりますれば、厄介払いのつもりかもしれませぬ」

「儂も、関ヶ原で戦うた志賀親次などを狙っておるのだが……いかんせん行方が掴めぬ」

「見つけたとて、福島殿が許しますまい」

「ごもっとも」


 関ヶ原から五年。忠興も玉姫の壮絶死からようやく立ち直った様で、信之も安堵した。もっとも、信之自身は未だ精神が優れないのだが。

 忠興が離れると、意外な人物が擦り寄って来た。


「久しぶりであるのう。伊豆守殿……今は弾正大弼殿か」

「右近衛権少将殿……か。珍しい事だ。文以外で話すのは」

「近頃、そなたの顔を見ておらなんだ。領地も上野から離れた故、どうしておるかと思うてな」


 伊達政宗。言わずと知れた奥州最大勢力、伊達家の当主である。信之とは沼田時代からの付き合いで、度々文で連絡を取っている仲であった。


「お邪魔であったかな」

「構わぬ。何か御用で」

「用事という程ではないがな……立花宗茂を知っているか」

「知らぬわけがない。松尾山でやりおうた相手よ」


 政宗の口からは意外な名が出て来た。九州の宗茂と奥州の政宗では、まるで接点が無い筈である。信之は眉をしかめた。


――まさか、召し抱えるつもりか?


「宗茂が如何したのか」

「なんじゃ、お主も狙っておるのか?」

「さに非ず!」

「残念であったな。奴は近々、江戸務めになる」

「何だと!?」


 信之は驚愕した。それはつまり、宗茂が家康の家臣となるという事である。家康なら考えそうなことだが、驚いたのは宗茂にその気があるという事であった。


「将軍も考えたものよ。宗茂は義理人情に熱い、無駄に熱い気性じゃと聞いておる。お主には、この意味が分かろうな?」

「……宗茂に恩を着せるという事か」

「近習勤め程度で牙を抜かれる男なら、拍子抜けだがな。まぁ、儂にとってはどうでもよい。気になるなら、将軍に進言してみてはどうだ?」

「どこからそれを?」

「人質に送った倅からよ。だが、仕掛け人は其方の義父だと聞いたが?」


 それを聞くや否や信之は、忠勝の姿を探し駆けて行った。


「せわしないのぉ」


 政宗は、すぐさま他大名との話を始めた。新年会は、もはや情報交換の場と化していた。


                   ******


「某が宗茂を?」


 信之が家康、忠勝に呼び出されたのは、諸侯が帰った後の話である。


「そちの考えは、恐らく儂と同じくであろう」

「……」

「宗茂を封じ込めるには、こちらから宗茂の領地を与える。さすれば奴の牙は差し歯と化す」

「御意。しかし、奴は好意を受け取りますまい。義父上、如何?」

「それよ。何度俺が誘っても、牢人で結構、捨扶持だけもらえれば良いとぬかしやがる」


 宗茂は自分の気性を理解している。一度徳川に領地を……まして大名復帰などをさせて貰えれば、もう豊臣に対する恩義は捨てなくてはならない。自らの義理堅さ、気難しさを分かっているからこそ、慎重になっているのだ。

 そこで、関ヶ原で対決した信之から話、反応を見るという策が浮上したのである。


「奴は某の話は……某だからこそ、聞きませぬぞ」

「しかし加藤家に頼るわけにもいかぬからな。豊臣の先鋒といっても過言でもない清正が、立花を徳川傘下に入れたいはずがない」

「信之、頼まれてくれ」

「……然らば、最善を尽くしまする」


 信之は宗茂の待つ忠勝の屋敷に案内された。その日の内にである。領国でなく江戸に呼んでいるところが、忠勝と家康の手際の良さの証明であった。信之も呆れてしまう。


――早い話が、戦をするつもりなのではないか……。


 襖を開ける。宗茂は先に座って茶を飲んでいた。


「久しうござる、信之殿」

「ああ。四年ぶり、松尾山以来か」

「ふっ……松尾山か」


 茶道に精通している宗茂は、手慣れた様子で柄杓を扱う。茶碗を差し出された信之も一応作法通りに動いては見るものの、礼節ではとても宗茂には敵わなかった。宗茂は満面の笑みである。


「我ながら無様なものだ。作法も戦も、お主には敵わぬ」

「世間では立花が真田を破ったと、あの戦を評しておる様で」

「事実であろう」

「たわけた事を。某の戦術は貴殿に通じ申した。が、所詮某は掌の上で転がされただけの事」

「……」


 宗茂は、信之に勝った。勝ったがために、三成の救出が出来なかった。つまりは負けたのである。


「あの戦は、貴殿の思い通りに展開したというわけですな」

「……午後だけだ。午前は完全に圧されていたと聞く」

「貴殿が来た途端に、か。なるほど、流石は忠勝殿の見込んだお方よ」


 宗茂はもう一杯、信之に茶を立てる。


「徳川の臣下となるつもりはないのか」

「……太閤の恩を忘れる事は出来ぬよ。それに」

「秀包を殺したのは将軍ではない。俺だ」

「……」

「ここで首を刎ねるか? 別に真田の当主は儂でなくてもよい。構わぬぞ」


 信之は腰刀を外し、目の前に置いた。なにせ忠勝と家康に説得を頼まれたのだ。とことん下手に出る覚悟である。


「貴殿が左様な大根役者とは知らなんだ」

「演じているのではない。本心からだ」

「某が降る事で、真田に利益があるとは思えませんな」

「弟の事だ」


 茶筅をシャカシャカと掻き回していた宗茂はピタリ、と手を止める。近畿の九度山に信繁が流されたのは知っている。それが自分と何の関係があるのか、信之の考えが読めない。


「信繁殿が如何したのか」

「奴は故・太閤殿下のお気に入りだった。大坂方が合戦を望めば、奴は監視を振り切って参加しかねない」

「それで?」

「その機運が高まるか否か。それは貴様にかかっているという事だ」


 信之は茶碗を腕で払い飛ばすと、宗茂に平伏した。


「頼む宗茂。徳川からの領地を受け取ってくれ」

「悪いが、もう領地に興味はないのでござる。誾千代がもうおらぬ故」

「旧領回復が、立花の悲願ではないのか。家臣に冷や飯を食わせて満足する貴様ではないはず」

「……」

「今は無理だが、いずれ柳川に帰すと家康様に約束して頂いた。故に頼む。大坂にはつかないでくれ」


 宗茂は溜め息を漏らす。畳の上でも、常に戦と政の事を考えている。信之という人間の思慮深さに、こちらが平伏したい程であった。


「大坂方につかぬと、そう約束する事は出来ぬ。誰に忠を尽くすかは、儂自らが決め申す。だが」


 宗茂は頭を垂れた。


「好敵手たる貴殿の顔を潰すわけには参らぬ。有難く頂戴いたすと、徳川殿にお伝え下され」

「……かたじけない」

「なに。家臣に冷や飯は、食わせられぬ故」


 遂に宗茂は折れた。家臣と奥方、領地を失った苦しみを知った宗茂を、信之が折らせたのであった。

 これにより徳川家は、剛勇鎮西一、立花宗茂を封じ込める事に成功したのである。


「宗茂」

「何か」

「秀包は最後に言うておった。心を健やかに、と」

「聞き申した。金吾殿、某、そして貴殿への言葉にござろう」

「俺を恨むか?」


 信之の質問を、鼻で笑う大きな男がそこにいた。


「友と、妻を失い申した。されど某の心は、常に健やかにござる。今迄も、これより先も。それが友の願いにござりますれば」


 人は負の感情によって小さくなっていく。宗茂は、恨みつらみを引き摺らない。秀包を殺した自分でさえも、必要とあらば許しどんどん先に進んでいく。立ち止まる事を愚とし、動く事を是とする男。

 信之は、再び自分の小ささを思い知らされた。宗茂、そして秀包はどこまでも大きい。


――信繁、お前もこの宗茂の様に健やかだと信ずる。今の俺には、そうする事しか出来ぬ……。


 宗茂は一月後、家康から五千石の領地を与えられた。

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