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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第六十七話 助命嘆願

「何卒、何卒命だけは!」

「お主には悪いが、あの安房守だけは無理じゃ。弟だけならばまだしものう」

「然るべき場所へ流しまする故、何卒!」


 毛利家は周防一国へ、上杉家が米沢一国へ減俸。福島正則が毛利に代わり安芸四十九万石、調略失敗を佐和山城攻めで挽回した黒田長政が小早川に代わり筑前三十万石、細川忠興が豊前・筑前五十二万石など、次々に栄転・減封が決まる中、真田家は一向に身の振り方が決まらなかった。

 家康は断固として昌幸を死罪、信繁を流罪という姿勢を崩さない。これでも十分、信幸に対して譲歩はしているのだが……。


「島津の所領は安堵なさった内府様ならば、某の願い聞き届けて下さいませ!」

「薩摩は話が違う。琉球との外交を考えれば、他の者には務まらぬ故、許したのだ」

「戦功第一を賜った某の戦功、全てを投げ出しても構いませぬ! 何卒、何卒!」

「……のう信幸よ。お主本当はあの父に、死んで欲しいのではないのか?」


 信幸は噛み合わない会話の正体を悟った。家康は信幸のこの嘆願が、ポーズだと思っているのだ。思えば今まで信幸は昌幸を、昌幸は信幸を互いに恐ろしいと思い、牽制しながら生きて来た。此度の関ヶ原も、元はと言えば秀忠が間に合ったのは二人の謀略合戦からであった。

 そして信幸は、三成の決起も昌幸が嗾けたのではないかと疑っている。手柄を立てられたのも、友が死んだのも父のお蔭というわけだ。


「あ奴は結局、権兵衛(仙石)の軍を壊滅させ、川中島まで占拠してしまいおった。このままでは森家にも申し訳なかろう」

「ですから、流罪を。せめて流罪に減刑くださりませ!」

「くどいぞ! 如何に戦功第一の其方とはいえ、此度は聞き入れられぬ」


 しかし、数日後に昌幸と信繁の流罪が決まった。決め手は忠勝である。


『婿殿の願いを聞き入れて頂けなけりゃあ、俺ぁ殿と一戦仕る』


 そう家康に言ったうえ、城内を歩いて回ったのだ。慌てたのは重臣一同である。榊原康政、大久保忠隣、本多正信、そして重症により虫の息の筈の井伊直政までもが、家康に昌幸助命を申し出た。忠勝の剛腕……もとい策略の結果である。


「はぁ……仕方がない。罪を減じ、九度山に流罪。ただし諸大名への面目も考え、伊豆守の功も減じさせて貰う」

「有難き……有難き幸せに存じ奉る! さっそく、上田城へ自ら参り開城させまする。御免!」


 家康は溜め息をつきながら、昌幸の助命を言い渡した。信幸は粘り勝ちを収めた。友を捨ててまでもあげた功で、小松・信繁・昌幸……家族を全員守ったのである。全ては、当初の計算通りに事を運ばせた。だが。


「忠勝よ」

「はっ」

「あ奴、言葉の抑揚と裏腹に……笑っておらなんだの」

「……左様ですなぁ」


                     ******


「九度山か」

「はっ。父上と信繁の罪は減じられ、九度山にて蟄居を」

「……逆の立場になるはずであった」

「父上……まさか仙石殿をノしてしまわれるとは、思いませなんだ。森家にも攻め込んだせいで、助命には骨が折れ申した」

「お主が儂を、舐めておった故な」

「左様な……」


 上田城の開城要求に来た信幸に対し、昌幸は不機嫌だった。自分は徳川軍に負けてはいない。三千の兵で三万八千を足止めし、それらが消えた後も仙石兵一万を蹴散らした。なのに領地が無くなるとは、納得がいかなくても仕方がない。戦って負けたなら、ともかくである。


「じゃが、お主を関ヶ原に行かせた時点で、儂の負けも同然か」

「滅相も無い……父上には、この上田では手も足も出ませなんだ」

「謙遜致すな。いつかのう、この日が来るのではないかと……儂はいつも恐ろしく思うておったのよ」

「この日?」

「儂が、信虎公になる日じゃ。やはりお主にとって代わられたの」

「御冗談を! どちらが勝っても生き延びる策を講じたのは、父上ではござりませぬか! それが功を奏し……」


 信幸は黙った。昌幸の眼が、自分と信繁が勝つつもりだったと言っていた。信幸を押しのけ、信濃の支配者になるはずだったのだと。


「父上。私が、そこまでお嫌いでございましたか」


 信幸は直球を投げつけた。昌幸はしばし腕を組んで、目を閉じた後……ゆっくりと口を開く。


「自慢の倅よ。儂が、儂と伍する器量人と初めて見えたのは……お主が手子生城より戻りし時よ」

「過分なお言葉……」

「長かったの。そちのお蔭で、最後に思う存分、真田の戦が出来たわ。礼を申す」

「父上!」

「せっかく倅が救ってくれた命じゃ。後はのんびり、碁でも打って過ごすわい。そうじゃ、どうだ? 最後に一局」


 昌幸は碁盤を出して信幸と打ち始めた。信幸は、父と碁を指す時は考えの全てを読まれている気がしてならなかった。そして、こちらは昌幸の考えが読めない。そこに、という所に打ち込まれる。そこは勘弁、という所に打ち込まれる。思えば、そこを見て軍略を教わっていたのかもしれない。

 父は多くを語らず、教えなかった。だから自ら教わったのだ。いつか父を出し抜こうと切磋琢磨したのだ。


――信繁も、そうだったのだろうか。いや、あ奴はそんな小さなタマではないな。


「参りました」

「ふっ、冥土の土産に、花を持たせたか?」

「正真正銘、力量及ばず。父上」

「ん……」

「見事にございました」


 賛辞を受け取った昌幸は碁盤を片付け、去って行く。信幸は平伏していた。昌幸の姿が見えなくなるまで。

 最大級の敬意と、恐れの現れであった。父は息子に、息子は父に。同じ感情を抱いていたのである。


                   ******


「三成殿は、さぞ、無念でございましたろうな」

「発起した時点で、覚悟の……うえであろう」


 その夜。信幸は、上田の信繁の屋敷で一泊する事となった。犬伏以来、久しぶりと言うほどの時間は経っていない。戦場でも砥石で会っている。なのにとても懐かしく感じられた。二人は、悔いのない様に心をぶつけ合う事を決めていた。


「兄上はご無理をなさっている。本心のまま、三成殿に味方をすればよかったのです」

「阿呆が。何度も言う様に、内府様についたからお前と父上の首が繋がったのだ」

「兄上が秀忠を連れて行かねば、我らが勝っており申した。そうでございましょう」

「……」


 信繁はあの戦の戦略目的を理解していた。秀忠を上田城に釘づけしさえすれば、大金星の可能性が増す。三千の兵で一万を。三日間という十分な足止めはしたにも関わらず、信幸の機転によって遅れは帳消し、間に合ってしまった。間に合わなかったら、あの戦場は小早川秀包・立花宗茂両名に支配されていただろう。


「兄上が、家康を勝たせた。憎き家康を」

「言葉を慎め。俺にとっては主君だ」

「申し訳ございませぬ、賞賛のつもりが」


 信繁はグイ、と酒を飲むと、言いたかった事がスラスラと口から滑り落ちた。


「兄上……某は此度の戦で、万の兵を打ち倒し申した」

「聞いておる。あの小童が、どうやったのかのう」

「詐術も兵法も、存分に使い申した。大手門に兵を集めると見せかけて、北門から挟み討つ。まるで自分で絵を描くかのように上手くいったのでござる」

「凄いのう。お主にはやはり武の才があったのだ」

「自ら槍も振るい申した。首取りは配下に任せ、十字槍を思う存分。仙石殿の兵は堪らず逃げて行き、更にそれを追い立てるのでござる」

「まるで毘沙門天の如くだな」

「川中島へも出兵致し、あの鬼武蔵以来の兵と戦い申した。ここでも数千の敵を、これでもかという程蹴散らし」

「信繁……もうよい」

「それから、それから……」


 信繁は報告する戦果がなくなると、項垂れた。小さな頃からずっと、こうやって兄に自慢をしたかった。されど、戦場に立つ機会が訪れない。自慢をする戦果がない……。

 そしてやっと、兄に誇れる武功を立てる事が出来た。出来たのに、もうこれ以降は九度山に幽閉され、二度と戦場に立つ事が出来ないのである。そしてそれを強制したのは、他でもない信幸なのだ。


「某から戦をとったら、何が出来る事がありましょうや……」

「生を全うする。それだけで良いのだ」

「嫌でござりまする! 某は、太閤殿下とも約束したのじゃ! 必ず秀頼君を」

「豊臣は忘れよ。今後様々な大名が豊徳合体に動く。だがな、絶対に上手くはいかぬ」

「何故!」


 こんなつもりではなかった。ただただ、兄に褒められたいだけであったのに、口論に発展してしまった。


「未来永劫の太平のため。 戦は不要となる」

「戦がなければ、武士など何の価値がありましょう!」

「政をすればよい」

「人の本質を無視してでもでござるか!? 武者働きに想いを馳せるのが、武士という生き物にござる!」

「……」


 信幸も、怒るつもりはなかった。ただしばらくは会えなくなる弟と、ゆっくり話したいだけだった。だが、あまりにも愚かな考えが信幸の怒声を生み出した。


「信繁……大人しくしてくれ。頼む」

「……もはや詮なき事。分かり申した。最後の戦で納得のいく働きが出来たのが、せめてもの救いにござる」

「そうだな。俺も鼻が高い」

「でも、どうせ最後なら、せめて兄上の……」

「何だ」

「……いえ」


――兄上の配下として、戦いたかった。


 それを恥ずかしげもなく口に出してしまうほど、もう信繁は若くはなかった。


「兄上は、人に好かれるという事を自覚なされよ。三成殿とも、某が先に知りおうたのに、兄上の方が仲良くなっていた」

「左様な事はない」

「三成殿は反骨心の持ち主でござった。昔、書物を読ませて頂いた事がござる。軍記物も多くござった」

「何の事だ」

「『太平記』も読み申した。その中で、『彼ら』について考えた事があるのです」


 信幸は何の事を言っているのか、直ぐには分からなかった。だが、信繁の表情がヒントとなり察した。


「あの兄弟は、互いに優れ、互いに違い過ぎた。それで奇跡的に、悉くすれ違い……」

「止めろ。冗談でも止めろ」

「兄上……最近某は思うのです。我らは幾度、すれ違い申した?」


 信幸は言葉を失くす。


――そんなもの……数えきれるわけがない。


                    ******


 その夜、信幸は佐助を呼んだ。佐助は何気なく寝室を訪れたが、既に空気はビシビシと緊張している。息を飲んだ。


「お久しゅうござります、源三郎様」

「息災であったか」

「はっ、お蔭様で……」

「そちに聞いておく事がある」


 佐助は、思わず後ずさりしそうになった。何故ならそれは、まごう事無き詰問の雰囲気だったからである。佐助に思い当たる節など、一つしかなかった。


「其の方、佐和山に行ったな」

「……」

「答えよ。父上の名代として、佐和山に忍び込んだのはお主であろう」

「……はい。左様でございます。真田一族全員、治部少輔様に御味方する。そう伝え申した」

「そうか」


 佐助に罪はない。やはり三成決起の後押しをしたのは、昌幸であった。そして三成は、信幸を裏切り物として恨みながら逝った……。


『俺はお前が六文を持って三途の川を渡りし後、鬼となって待っておる』

『聴こえたのか!』

 

 あの言葉が怨念となり、耳から離れない。恐らく一生、三成に脅かされながら生きることになる。この苦しみから逃れられるなら、そのために戦をしてもおかしくはない……それほどのものであった。

 だが信幸には、まだ守るべきものがある。


「佐助。肝に命じておけ」

「は?」


 信幸は佐助の胸倉を掴むと、脇差を抜いて頸動脈に押し当てた。


「何をなさるッ!?」

「二度と、信繁を九度山から出すな。何があってもだ」

「お、お放し下され……」

「一歩でも外へ出してみろ。忍びの里ごと、必ずお前の一族を根絶やしにする」

「わ、若様……」

「必ずだ……努々、忘れるな」


 佐助は解放されると、平伏して去って行った。信幸は一人、後ろを振り返る。三成に見られているわけはないのに。


「『太平記』……『太平記』だと……糞、縁起でもない!」


                   ******


 翌月、昌幸と信繁は、信幸の見送りを受けて九度山に旅立とうとしていた。


「仕送りは惜しみませぬゆえ」

「寂しくなるのう……」

「父上」

「何じゃ」


 信幸は地面に着座すると、昌幸を仰ぎながら、最後の敬意を伝えた。


「古今東西、真田昌幸ほどの軍略家はいなかった。そう後世に伝える所存にて」

「勝手に致せ」

「お達者で」


 信幸は立ち上がると、信繁に手を伸ばす。


「もう、すれ違う事もない」

「左様にございますな」

「達者でな」


 二人が固い握手を交わすと、九度山への移動が始まった。上田に残る信幸は、これから訪れる重圧に一人備えていた。国人衆、古株の家来衆の反発、一揆。昌幸無しで、これらをまとめ上げなければならないのだ。しかも、もっと広大な領地で、である。改易されないためにも、やるしかなかった。


 一方で、信幸の姿が見えなくなったところで、昌幸は信繁に語り掛ける。


「源次郎。九度山で休んでいる暇はない」

「承知しており申す」

「儂の軍略を、全てお前に伝える。あの怪物は……お前が倒せ」

「…………」


 一月後、信幸の論功行賞が正式に行われた。

 信濃四十万石。従四位下、弾正大弼。それは、三成の言った通りの結果であった。

 その恩を、信幸は明確に示すため名を変える。真田信之。真田家伝統の誉高き字を、自ら捨て去る事で徳川に忠誠を示したのである。

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