第六十二話 矛盾激突 ―宗茂と信幸―
「殿、松尾山城は如何致します!?」
「間違いなく伏兵が潜んでいる。背後をがら空きにしたと見せかけて反転し、我らを挟撃にする策だ」
「然らば」
「恐らく、通過した後打って出る筈。狼煙も上がるだろう。その時、我らも反転する」
「おおっ!?裏をかくわけでござるな」
末森城の戦いなど、背後を突かれた事が敗因になった戦は多い。しかしそれは背後に急に敵が現れた事による混乱が原因である。『予定通り』と兵卒に認識させれば、大崩れは起こらない。
宗茂達は、関ヶ原からの喧騒と蝉の鳴き声の合成音の中で、蛻の空に見えるほど人の気配のない松尾山城を通過する……。と、その直後。背後から狼煙が上る。
「来た!者ども、あれは『味方の合図』だ。 反転し敵を討つ!」
「え、味方が松尾山に?」
「よくわからぬが、殿には策がおありの様だ。 よっし、手柄をあげっぞ!」
騒めく兵卒たちだが、『味方の』とつけられれば予定通りと思わざるを得ない。実直な立花兵達は直ぐに行動に移った。まず一つ、混乱に乗じて挟撃するという信幸の目論見は崩れ去った。
しかし、挟撃は挟撃。立花軍の背後はがら空きである。宗茂にとって不利な陣形には変わりない。
「後方部隊の将を討ち、真田に衝撃を与えるぞ。混乱するのは、あ奴らの方だ!」
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「来た! 狼煙を上げよ!」
松尾山城に散り散りになって潜んでいた頼康の軍1000は、息を殺して宗茂の通過を待った。気づく素振りも見せず、数里ほど通り過ぎたところで狼煙を上げる。信幸への挟撃の合図である。
「よし、皆の者! 城から打って出る。立花を挟撃するぞ!」
「はっ!」
信幸の策が的中したと、喜び勇んで門外へ飛び出した頼康と手勢達。しかし、その目に飛び込んで来た物は……。
「いたぞ! あれに見えるは上田合戦の猛将・矢沢但馬守! 奴を討ち取り、伊豆守への土産とせん!」
「た、立花!?」
頼康と兵は、その光景に面喰った。当然、こちらが立花の背後を突く形になると思っていたからである。その相手が、逆に猛然とこちらに向かってきているではないか。
――不覚。読まれていたか!
大友家臣でもあった立花家は、島津が度々使用したこの手の伏兵には慣れていた。隠れられる地形――この場合は松尾山城――があるならば、当然兵を潜ませていると読むのである。
だが、それでも頼康は冷静さを欠かない。兵の動揺を最小限に抑えるため、自ら陣頭に立つ。
「殿は必ず、宗茂の背後を突く。それまで我らで立花を相手せん!」
「ははぁっ!」
「かかれぇっ!」
頼康は父・矢沢頼綱の影に隠れてはいるが、若い頃から沼田や他の支城を北条から守って来た、謂わば防衛戦の専門家である。猛進を続ける立花軍に対しても、信幸の到着まで防ぎきる自信があった。だが宗茂は、その頼康を嘲笑うかの様な手並みを見せる。突然、真っ直ぐ進んで来た立花の兵達が右へ逸れる。槍を持っている兵なのに、突撃を止めてしまったため、真田兵に白けた空気が流れた……と思われたその時。
――ヒュン、ヒュン。ズバッ!
「ぐはっ」
「痛ぇッ!?」
「肩がやられた、畜生!!」
頼康は何が起きたかを理解するのに数瞬かかった。横に整列した敵先陣は、確かに槍部隊の筈なのに……整列が完了した瞬間、弓矢が飛んで来た。それも放物線を描かない、水平に放たれた速射である。宗茂は槍隊の影に弓兵を潜ませ、その肩上から槍を射させたのである。頼康隊の前衛は、呆気なく崩された。その隙を逃さず、宗茂の槍部隊が迫る。
「但馬守様を守れ!」
頼康の親衛隊は必死の抵抗を見せるが、3000が1万に匹敵すると言われた立花軍である。数の差まであっては防ぎきれない。万事休すと思われたその時、頼康は立花軍を挟んだ北側に救世主を見る。
「殿が来た! 皆の者、もう一踏ん張りじゃ! この死線、一歩も譲るな!」
「応!」
宗茂は関心した。信幸が来たという事実だけで、自分達の窮地が例え継続していても士気は折れない。これが真田の、北条・上杉・徳川を相手に生き残った小国の結束力であった。
信幸はもう、五里程で立花軍に接触する。即ち頼康との挟撃が実現する。今度は宗茂が万事休すである。筈なのに……。宗茂の額には、一粒の汗も見られなかった。
******
「不味い、伏兵が読まれておったか!」
もっと早く接触するはずの立花が向かって来ない。その事に気づいた信幸は進軍速度をグングン上げる。下手をすれば寡兵の頼康は撃破されてしまう。
「各個撃破されれば終わりだぞ、孫弾正」
「分かっておるわ! 忠政、※鋒矢の陣を敷く。前衛は俺が行く」
「義兄上は後衛を! 我が本多は強兵なれば」
「俺が行くと言っている!!」
信幸の剣幕に、忠政は圧された。
「……すまぬ。お主は右翼を頼む。周防は左翼……いや、お前も右翼だ、厚くせよ。左翼は薄くて良い」
「な、何故?」
「時が無いゆえ、異論は聞かぬ!」
信幸は馬を叩き、親衛隊を前衛に持ってくる。突破力に長けた鋒矢の陣を選んだ理由は、一撃で背を向けた立花を崩し、頼康を救出するためである。
「っかぁぁぁぁ!!」
敵を威圧するための雄叫びを上げながら、信幸軍1000を中心とした矢の様な軍勢が突っ込む。
「うわ、背後から真田が来た!」
反応し、軍勢のベクトルを反転させる立花軍。しかし頼康の奮戦のおかげで、前衛に回った射撃部隊は完全に出遅れていた。これでは、信幸の足は止められない。
――喰らえ、宗茂!
勝負を決する一撃を背後から加えんとした、その時である。信幸は自らの目が捉えた情報に違和感を覚える。
――立花の数が……少ない……ッ!!!!!????
気づいた時にはもう手遅れであった。松尾山西側から、信幸の行軍速度に合わせるようにしてもう一つの軍……立花直次隊1000が猛然と信幸軍の横っ腹を突こうとしていた。宗茂は信幸の用兵、援軍のタイミングを完全に読み、兵力を割いてまで弟・直次に援軍の指示をしていたのである。
「しまったぁぁぁぁ!!」
「側面に、兵を両翼に回せ!」
「駄目だ間に合わぬ、うわぁぁ!!?」
絶叫溢れる信幸・周防・忠政軍2500に対し、宗茂は頼康の抑えに500程残し、迎撃態勢を完全に整えた。そして信幸軍の側面は、直次による会心の一撃を喰らった。
「討ち取れぇぇぇ!!」
「待っ……ぎゃぁぁああ!?」
――終わりだな、伊豆守!
確かな戦果を感じた宗茂。後は弱り切った信幸軍を、直次と挟んで料理するだけ。その筈であった。しかし、馬の蹄が生み出す地鳴りが、未だ砂埃と共に宗茂の体に届いていた。信幸は……止まっていない!
「何ッ!?」
宗茂は目を疑った。なんと鋒矢の陣の弱点である側面を完全に突かれたにも関わらず、先頭を行く信幸軍1000の行軍速度は全く落ちていなかった。宗茂はその卓越した視力で後方を見極めた。本多・北条の軍が、直次の猛攻を食い止めている。
――恐ろしい奴め……鋒矢の陣を弄っておったのか!!
そう、信幸は宗茂が南西から近づく場面を見ていた。よって別働隊が来るなら西からと考え、西側=鋒矢の陣の右翼を、人垣で厚く塗り固めておいたのだ。そのおかげで、直次の刃はギリギリ食い止められ、信幸までは届かなかった。真田信幸の変形鋒矢により、今度は立花軍に衝撃が走る。
「宗茂、覚悟ぉぉぉ!!」
「しゃらくせぇ!来いやぁ、伊豆守信幸!!」
宗茂軍2500に、尖った陣形の信幸軍1000が激突する。加速度のついた信幸軍の槍部隊は、立花軍を大きく揺るがした。
「ぬぬう!!」
「後衛総員、抜刀! 前衛槍部隊、退く事を禁ず! 頼康の所まで圧しきれ!」
頼康の救出・合流に迷いの無い信幸の用兵は、立花軍すらもたじろがせた。だが宗茂と、立花四天王の面々は動じない。
――我らに槍で挑むとは……片腹痛し。 失策だったな、この位置では自慢の鉄砲も使えまい。
信幸も、この関ヶ原参加大名の中では生涯無敗の戦歴を持っている。しかし、宗茂のそれは、余りにもスケールが違いすぎた。真田は飽く迄、用兵で勝つ。しかし宗茂は……用兵と強兵。二つの力を兼ね備えている。
二人の用兵、及び先の読み合いは互角であった。その時点で、この勝負は決していたのかもしれない。
「立花の強兵よ! 真田に我らの力、存分に見せつけよ!」
「むっ!?」
信幸は、前衛が押し下げられて行くのを感じ取った。討死は少ないが、圧していたはずの自分達の加速が止まっている。どころか、後退させられていた。
「馬鹿な!? 唐入りを経ているとはいえ、人には違いない。なのに……こんなにも差が出るものなのか!?」
「遅いぞ、弱いぞ弱兵どもがぁ! そこのけそこのけ、立花を通せぇ!」
数の差もあった。だが、それは自らの用兵で何とかできる自信があった。事実、宗茂の喉元まで刃を突き付けたのだ。しかし、真田の兵は鍛え上げられた精鋭を除けば、半分はかき集められた烏合の衆に過ぎないのだ。
――大物……否、怪物め!
宗茂は、地力で真田を圧倒していた。分かってはいたが、測り知れない程に強大すぎる。上田城の兵が……信繁がここにいれば、まだ結果は変わっていたかもしれない。だが、そんなタラればなど今の信幸は考える暇もない。
「親衛隊、行くぞ」
「はっ!」
信幸は自分の近くに侍らせておいた、自身の親衛隊に指示を出す。そして、自ら鉄砲を担ぐと、戦場に響く大声で言い放つ。
「宗茂を狙うぞぉー!」
「何だとぉ!?」
「宗茂だ!宗茂を狙え!」
「ここからなら当たるぞ!大将首を射抜け!」
そう言うと、信幸と二十名の新鋭隊は、立花軍目がけて火縄銃を撃ちこんだ。宗茂は動かず、目を瞑って腕を組んでいる。兜に弾が掠ったかもしれないが、微動だにしなかった。狙撃は失敗かに見えた。だが、目的は狙撃ではない。この流言策の目的は、立花の兵を一か所に集める事であった。宗茂がその事に気づいたのは、自分の周りに兵が集まって来た時である。
「馬鹿者! 儂に壁などいらぬ、脇を開けるな!」
「もう遅いわ! 今だ、頼康!抜けろ!」
「うおぉぉ!」
長年の付き合い故か、はたまた真田の血のなせる業か、二人の呼吸が合った。頼康は騎馬に乗って片手で自慢の長刀を振り回し、数人の士を吹っ飛ばした。包囲していた立花軍が退いた一瞬の隙をついて、頼康の軍800……減って500余りが包囲を突破。信幸の策でがら空きとなった立花本隊の左脇を突っ走って、何とか信幸の本隊に合流した。
――良かった。これで、頼康は助かるな……。
信幸は、最後に宗茂を出し抜けた事に満足し、銃を足元に捨てると……自ら槍をとった。その姿を見た配下が、頼康を呼び止める。
「頼康様!と、殿が!」
「なっ、殿! お止め下さい、左様な事は大将のする事では」
「頼康、もう遅いのだ」
「えっ……」
頼康が振り返ると、背後から『対い蝶』=大谷吉継の旗が見えた。脇坂ら4000の兵は、死兵となった彼らに僅か数刻で蹴散らされたらしい。百戦錬磨の頼康の背筋ですら、その事態に凍りついた。
「流石、我が弟の義父であるな。こうなってはもう助からぬ。この勝負、俺の負けだ。刑部少輔が来る前に、立花を撃退できるはずだった」
「まだ、まだ終わってはおりませぬ!」
「楽しかった。奴のお蔭で最後に戦人として、良い夢を見させて貰った」
「それが大将の口にする事か! 貴方が死んだら儂は昌幸様、信繁様にどうお詫びすれば良い!亡き父・頼綱に、あの世でどうお詫びすれば良いのです!」
信幸はグイ、と筒に入った水を飲むと、ニコリと笑って頼康の肩を抱いた。
「お前は生きろ。小松と、二人の子供を頼む」
「源三郎様!」
「俺はな。情けないかもしれないが、生き残った先の地獄を見なくて済むなら、それもまた……」
「いいや。お主には見てもらうぞ」
「何?」
振り返ると、美しいまでの白髪が靡いていた。多目周防と、北条の黒備え500が勢揃いしている。
「周防!? 別働隊の指揮は……」
「忠政殿と氏盛様に任せて参った。これよこれ。私は、この瞬間を待っておった。無様よのう、孫弾正。やはりお前は失策だらけだ」
「何?」
「あの策を、小早川でなく治部少輔に対して使っておったら、今頃この戦は楽に終わっておった。なのにお主は旧友に情をかけよった。自分の手で討つ事を嫌った。その結果がこれよ」
「……小早川は、一刻も早く討たねばならなかった」
「脇坂らが裏切るのは時間の問題じゃった。後からでも小早川は押さえこめた」
「……何が言いたい!?」
周防は近づき、信幸に耳打ちする。
「お主は、私が助ける」
「何だと?」
「忘れるな。お前の命があるは、私のおかげである事を。一度破った相手に助けられる。その屈辱を、貴様は一生忘れる事は出来ぬのよ」
「周防、まさか」
「これは救済ではない。復讐だ。私から貴様へのな」
周防は信幸を突き飛ばすと、馬に跨って叫ぶ。
「黒備えよ! 長らく待たせたな……今より我らは、御館様の元へ参るぞ!」
「オオオオッ!!」
その士気の高さは、生への執着がまるで無い事を表していた。自分が死ぬつもりであった信幸は焦りを隠せない。
「周防、待て!」
「無駄死にさせれば、お主はもう戦人ではないと思え」
周防は十五年の付き合いになる宿敵との別れ際に、有名な言葉を選んだ。
「『平時は兵を赤子の如く慈しみ。戦時は塵芥の如く使い捨てるべし』。知っておろう」
「止せ……」
「願わくば、北条の再興が成らんことを……。さらばだ、弾正幸隆殿の孫よ」
「周防ォォォ!!」
北条氏康の軍師。河越夜戦の英雄・多目周防守元忠は、北条氏康以来の黒備隊500人と共に、大谷吉継軍2000に突っ込んで行った。
寝ても醒めなかった信幸への憎悪・執念は、僅かながら愛着も生んでいた。
※鋒矢の陣……八陣形の一つ。矢印状に軍を展開し、前衛を中心とした突破力が特徴。ただし側面を突かれると非常に弱い。




