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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第六章 関ヶ原、二人の博徒 ―義将昇天篇―
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第五十七話 西軍、圧倒

「こ、小早川……何故、藤堂を攻めておる!?」


 焦ったのは、大砲を放った家康である。大谷吉継を潰す様にけしかけた筈が、小早川は逆に東軍である藤堂・京極軍に攻撃を仕掛けている。百八十度逆の展開であった。

 しかも、伝令の告げた報せが更なる衝撃を生む。


「何だあれは!貞治(奥平)は何をしておるのだ!内応の確約はどうした!」

「な、何もかもご破算になったものと……それに、指揮をとっておるのは、中納言(秀秋)殿ではなく、筑後守(秀包)との事……」

「ひ、秀包だと!?」

「しかも、旗印が……毛利家の物にございます!」


――不味い!


 家康は長政の父・黒田如水が、※山崎の戦いの際に毛利軍の旗印を使い士気を下げたという逸話を思い出した。その話の信憑性はともかく、古今東西詐術によって敵の士気を下げるという手法は「何度引っかかるのか!」と呆れるほどに有効であった。

 何しろ、黒田長政は東軍諸侯に軍略を披露していた。つまり、ほぼ全員の味方が、毛利が東軍であると認識している。そこへ毛利の旗を持った秀包軍が攻めてでも来たら……。


「いかん!南宮山の動きを探るのじゃ!今すぐに!」

「しかし、南宮山は動かぬという約定では?」

「分からぬのか正純!秀包が毛利として動いた今、吉川広家は約定が破綻したと考える!されば、残される道は一つしかなかろう!」

「え?……あっ!?」


 間髪入れずに、物見櫓からの伝令がやって来る。


「御注進、御注進!も、毛利勢が……南宮山の毛利勢、西進を開始した模様!」

「くぅぅ……遅かったか!畜生、吉川は動いておるか!?」

「はっ、吉川の旗印が先頭。しかし行軍速度は酷くゆったりしており申す」

「よし、関ヶ原到着までに小早川を潰せれば、広家は思い直す。古田・金森らに藤堂を支援させよ!」


 が、忠勝からの伝令でその計算も破綻した。


「御注進、本多忠勝様より」

「こ、今度は何じゃ!」

「南より、新たな毛利勢数千が……恐らく毛利元康の部隊と思われるそうにござる!」

「チィィ!」


 恐れていた事が現実になってしまった。大津城からの援軍が来れば、数の差が開く。更にせっかく取り付けた内応の約束も次々に反故にされていく。

 家康にとって最悪の展開であった。

 

――まだだ、まだ秀忠がおる!それに、長宗我部の抑えも呼んである……いける筈だ!


「これ以上の東進は控える。一旦、直政と忠吉を呼び戻せ!」

「はっ!」


 家康は、最後の希望を捨てていなかった。


                    ******


「出合え、出合えい!」


 松尾山を降りた秀包は、軍を二つに分けた。志賀親次と松野重元に7000を預け、大谷・宇喜多隊の救援に向かわせる。そして自らの手勢と秀秋の軍七千弱を率いて、藤堂・京極隊の救援にぶつかったのである。

 これは兵の機動力を損なわないための策であった。一万五千の兵全てを一つに固めては、この乱戦では何れかの軍に背後を突かれる上、苦戦を強いられている大谷・宇喜多の救援が間に合わない。それほどまでに状況は切迫していた。


「やはり間者を放っておったか、秀包!見事な智謀なり!」

「金吾中納言め、ヒヤヒヤさせよって」


 吉継と秀家は、この援軍に奮起する。乳酸の溜まった足に鞭打って、士気の上がった雑兵が駆け回って槍を揮う。「もう少しで終わる」「もう少しで楽になる」。まるでマラソンを走っている様な思考で、福島隊へ駆けて行く。


「何故、何故小早川がこちらを攻めるのだ!?志賀親次め、寝返りよったか!」


 怒りの福島軍も、流石に体力満タンの援軍7000にはどうしようもない。それに引き換え、自分達は午前中から戦いっ放しなのだ。戦いにならず、次々に討ち取られていく。

 

「くそっ!退け、退くのだ!壊滅前に黒田・細川、それに徳川本隊と合流しなければ」

「承知。殿は、某にお任せあれい!」

「むっ!?」

 

 戦場一帯の空気が凍る。殿に立ったのはやはり豪傑・可児才蔵であった。


「あれに見えるは可児才蔵ぞ。鉄砲隊、狙撃じゃ!構えい!」


 才蔵が殿の先頭に立つのを確認するや、松野主馬は鉄砲隊での狙撃を図る。が、整列して弾を込めようとした瞬間である。


「そう来ると思ったわ、馬鹿が!」


 才蔵が身を引くと、なんと福島の鉄砲隊が既に弾を込め、火をつけて構えている。つまり、小早川の鉄砲隊より二動作先を行っていた。


「しまっ……」

「放てぇ!」


 鉄砲隊長の合図で斉射。それを受けた松野隊は、弾を込めながら被弾していく。浮き足だつ松野隊を見て、才蔵がせせら笑う。時系列を読んだ上での、見事な才蔵の『すかし』であった。そして間髪入れずに才蔵の槍部隊が突っ込んできた。殿であるにも関わらず突っ込んで来るのである。


「フッハ!討ち取り放題じゃぁあ!」


 才蔵は長槍を振り回して小早川隊に突っ込んでいく。そしてそれを迎撃するのは……。


「可児殿か!『天正の楠木正成』の名に懸けて、好きにはさせぬ!」

「ほざけ裏切り者がぁ!志賀親次、この儂が直々に討ち取ってくれるわ!」


 元同僚対決である。が、流石の可児才蔵も親次の鍛えた精鋭達数千と勝負は出来ない。暴れるだけ暴れた後、包囲される前に後退していく。その間に、見事に福島正則軍は逃げおおせた。


「やるのう、『笹の才蔵』。福島は放っておけ。他家へかかるぞ!」

「オオオッ!」


 東軍崩壊を防ぐため比較的元気な生駒一正・織田有楽斎らが参戦するも、今の小早川の前では焼け石に水であった。東軍はまさに防戦一方となったのである。


                      ******


 そして藤堂・京極軍も窮地に追い込まれていた。つい先程まで大谷軍に対して攻勢だったにも関わらず、小早川本隊七千に対しては疲労の差が歴然。歯が立たない。


「包囲される前に後退だ。良政、殿を務めよ」

「御意。鉄砲隊、前へ」


 鬨の声を上げながら、秀包の軍が突っ込んで来る。その勢いを止めるためには、まず鉄砲による脅しが不可欠であった。精度の低さから弾薬を温存しておいた藤堂軍。今が使い鬨であった。


「殿。武運をお祈りいたしまする」

「お前もな。本隊、良政が時間を稼ぐ。後退じゃ!」

「ありったけだ!ってぇー!」


 第一射。敵の接近はまだ浅いためほとんど命中しない。だが、馬が恐れおののきある程度の混乱を生む。弾薬を最後の一弾まで有効に使う為、敵を引き付けている余裕は無かった。


「次!構えい!」


 次の弾薬を込める間、鬨の声が大きくなる。その音量が、ただでさえ手の震える鉄砲隊の手元を狂わせる。


「放てぇ!」


 第二射。呻き声を上げながら落馬、あるいは地に這う兵士が見える。それなりの戦果を確認できた。いよいよ最後の一撃である。


「構え終わっても撃つな。寸でまで引き付けるのじゃ」


――オオ。オオオ。オオオオオオオオ!!


「まだだ、まだ撃つな!」


 音量が更に上って行く。その最大値に達する瞬間が、良政にとって最良の発射合図となった。


「第三射、命を賭けて叩きこめ!」


――パァン!


 死に際の集中力を持ってして放たれた一撃は、十数騎の戦果を叩き出した。だがそれでも、秀包は止まらない。


「藤堂!覚悟せよ!」

「全員、抜剣せよ。ここが命の捨て所ぞ!やぁやぁ、我こそは藤堂与右衛門高虎なり!小早川の勇ある士よ、我が巨体に挑まれい!」


 良政と高虎は従兄弟というだけあって、高虎程ではないまでも良政も巨体であった。小早川の雑兵がこぞって良政に群がる。


「貴様ら如き、一捻りよぉ!藤堂隊、意地を見せよ!」

  

 良政は奮戦するが、秀包の兵も秀秋の兵も唐入りを乗り越えた強兵である。藤堂にしてもそうであるが……悲しいかな、もう体が限界に来ていた。良政は百名あまりの雑兵に囲まれた。良政を守るために、藤堂兵が集まっては斬られ、刺され、蹂躙されていく。


「義兄上、あれは高虎ではなく……」

「分かっておりまする。鉄砲隊、前へ」

「義兄上?」

「ご覧なされ金吾様。もう……上半身しか動いてはおらぬ。あのような奮戦の士、せめて苦しまずに逝かせてやりましょう」


――パァン。


 群がっていた雑兵が下がると、十数丁の銃口が良政に向けられた。観念した良政は半身を捻り、後退を終えた高虎の方を見やりながら、お辞儀をするように地に伏した。享年四十二。


                     ******


「小早川秀包様率いる松尾山勢、藤堂・福島隊を後退せしめた由!御味方有利にございまする!」

「うむ。大儀である」


 顔では喜んでいた。しかし心は……真逆の心情。


――何という事!これでは、毛利家生き残りのための内応は破算!筑後守め、愚かな事を……!


 密かに嘆き叫んでいたのは黒田長政と内通していた吉川広家である。南宮山の麓では、家康への接近を止めるため池田輝政・浅野幸長の10000の兵が、毛利・長宗我部の26000と対峙していた。

 吉川広家はわざと行軍速度を下げ、衝突を避けていた。だが小早川の決起に呼応して仕掛けた毛利の将がいたのだ。密かに行軍した大津城勢・毛利元康であった。


「家康様のところへは行かせぬ!山内軍、毛利を止めるぞ!」

「おのれ、内応の確約を反故にしよってぇ!毛利許すまじ、有馬豊氏、参る!」


 元康の軍4000は山内一豊・有馬豊氏軍3000と激突。家康への突撃は止められたが、これで広家の日和見策は崩れる。報せを聞いた安国寺恵瓊あんこくじえけい軍、その先鋒を請け負った男が池田軍に突っ込む。


「先鋒は毛利豊前守勝永が引き受けた!池田軍、覚悟召されよ」

「何、も、毛利だとぉ!?」


 小早川決起の報せは池田まで届いていなかった。そしてたまたま毛利の名を冠していた(中国地方の毛利本家とは関係のない)尾張出身の豊前一万石・毛利勝永の登場により、池田・浅野軍は混乱を極めた。


「毛利が裏切った!?黒田の話と違うではないか!」

「待て待て、豊前守と言えば中国の毛利ではないはず……?」

「知った事か、毛利は毛利であろう!奴ら約束を反故にしおったのよ!」

「おのれ吉川軍、覚悟せよ!」


 もはや完全に敵と認識された広家に対し、浅野軍が攻撃を仕掛ける。もはや日和見は不可能であった。


「畜生めがぁ!」


 半ばヤケになって応戦する広家。勇んで仕掛けた浅野軍であったが、唐入りで功のある広家の統率は的確であった。


「高地を手放すな。鉄砲・弓隊を丘に登らせ斉射するのだ。こうなったら、何としても三成を勝たせるぞ!」


 南宮山の地の利を活かした広家の戦法に、近づけない浅野軍は被害を増していく。池田隊は猛将・勝永の勢いにかき乱され、5000弱の兵数にも関わらず安国寺軍2000と互角の展開となってしまっている。

 そして、毛利秀元の本隊、15000の合流により、東軍の士気が一気に下がる。


「ぬぅぅ、みっともないが止むを得ぬ!池田軍、西進するぞ!徳川軍に援護して貰うしかあるまい!」

「浅野軍、徳川に接近するぞ!もはや内府様を巻き込むしかない!」


 池田輝政と浅野幸長は、徳川本隊30000を戦線に参加させる策をとろうとした。しかし西進しようとする事、それ即ち敵に背を向けるという事である。全軍の半数近い被害は覚悟しなければならない。


「勝永、参る!」

「う、うわ!騎馬隊が突っ込んでくるぞぉ!?」


 騎馬隊の速度は容易に敗走軍に追いついた。勝永は自身を先頭に、後ろから次々に首を薙いで行く。動いているとはいえ、無造作に真っ直ぐに走って行く標的である。蔚山城でも活躍した勝永にとっては容易な掃討技術であった。


「ひ、ひぃぃぃ!!」

「鬼じゃ、鬼が来るぞぉ!」

「毛利に恐ろしい将がおるぅぅ!!」


 血飛沫を顔に塗りながら近づく勝永の様に、池田軍は混迷の極みへ追い込まれた。


                     ******


「福島隊、藤堂隊がこちらに後退!藤堂良政殿、お討死!」

「山内・有馬隊の奮戦により毛利元康を足止め!しかし池田・浅野軍は毛利本家の大軍に攻められている由にございます!」

「何という事か……!南宮山も戦闘に参加してしまったのか!」


 家康は軍配を地面に叩きつける。直ぐに自軍の三万の兵を援軍に出さなければ、東軍は瓦解する。しかし、西の福島・藤堂だけではない。東の池田・浅野も考慮しなければならない事は、流石に計算違いであった。

 家康は、判断を一瞬迷った。その時、周辺にいた筈の多目周防の存在を思い出した。


「周防殿をここへ。伝説の軍師の意見を伺おう」

「多目殿でございまするか?そういえば、先程から姿が見えませぬが……」

「……何だと?」


 家康は正純の言葉に絶句する。


「よもやとは思いまするが」

「あ、あ奴め!に、逃げおったのかぁ!?」


 家康が秀忠を待ったのは、周防の助言が原因である。その責めを逃れるために、または敗着濃厚の戦場を離れるために、周防が逃げ出したと考えて間違いなかった。


「あの狸爺が!探せ、探して斬れ!」

「は、はいぃぃ!」


 と、乱心しそうになった家康であったが、正純の取り乱し様を見て逆に落ち着いた。


――落ち着け。斯様な事はまだ序の口。三方ヶ原や、伊賀越えを思い出せ、※次郎三郎……。


 冷静になり、今の状況を頭に反芻させる。直政と忠吉はまだ十分に動ける。これを西の援軍にやり、徳川は毛利本隊を桃配山に誘い込む。もうこれしか残されていなかった。


「まだだ。まだ『南にも』援軍がおる。諦める時ではない!」

「『南に』?誰が、でございますか?」

「……直政に福島・藤堂軍を支援させよ!忠勝も出せ!」

「ははぁっ!」

「勘兵衛(渡辺)!本隊を動かす。支度をさせよ!」

「はっ!」


 素早く指示を出す家康。畳の上ではともかく、戦場では迷えば迷うだけ状況は悪くなる。冷静になった家康の頭の回転は早い。


――南無三。秀忠が来ないならば、後は運を天に任せるのみ……。


「全軍、出撃!敵は南宮山、毛利本家じゃあ!」

「オオオオオッ!」


                    ******


「よし、勝った!秀包、見事。信じておったぞ、友よ!」


 笹尾山の三成は西軍が圧倒する戦場を見下ろし、歓喜する。先程まで細川・黒田・加藤に押し返され万事休すであった戦況が、今では明暗が真逆である。


「家康は決起した南宮山・毛利本隊へ向かった模様!」

「よし!ゆくゆくは毛利と挟撃策を取る。まずは黒田・細川じゃ!」


 東海一の弓取り、遂に立つ。この報せは三成だけでなく、東軍にも届いて諸侯を揮い立たせた。が、最後の望みであった三万の援軍が、西ではなく東へ向かったという事実に、福島・藤堂らの兵はすぐさま絶望した。直政らには悪いが、本隊が自分達の方へ来ることを期待したのである。

 体力は回復しない。じきに逃げ帰る力すら、足には残らなくなる。井伊直政、松平忠吉、本多忠勝、田中吉政、寺沢広高、生駒一正ら、まだ動ける軍の奮戦により何とか踏みとどまってはいたが……。


――ここまでなのか。


――俺は死ぬのか。


――無造作に首を刈り取られて死ぬのか……!


 死への恐怖と、倦怠感に支配された体は尚更動かない。小便を漏らしていない者などいない。妻や、母の名前を叫んでいる者達までいる。


――ブスッ。


「ぐああッ」

「亀吉ーっ!」


 弓矢が雑兵に刺さる。重症を負った彼と仲間の会話も、どこか諦観したものであった


「なぁ、もう終わりだなぁ」

「馬鹿野郎、喋るんじゃねぇ!今止血してやる、諦めるな!」


――ドドド……。


「あれ……何か変なものまで見えらぁ。三途の川、渡ってるのかなぁ」

「何言ってやがる、縁起でもない!」


――ドドドドド……。


「渡し銭……だっけ。ほら、お前も見てみろよ」

「だから何を……」


――ドドドドドドド。


 雑兵が顔を上げると、地鳴りと共に『黒字に金』の冥銭、三途の川の渡し賃。


 六文銭の旗が近づいてきた。



※次郎三郎……家康の通称。

※山崎の戦い……本能寺の変の直後、明智光秀と羽柴秀吉の間で勃発した信長の弔い合戦。

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