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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第六章 関ヶ原、二人の博徒 ―義将昇天篇―
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第五十六話 二人でならば

「撃ちこめ」

「は?」


 正純は家康の言葉に耳を疑った。


「大筒が用意してあるはず。撃ちこめ」

「い、何処へでございましょうか?」

「小早川だ。恫喝して、動かせ。大谷軍の背後を突く様、催促せよ!」

「されど、被害が出たら」

「やれ!正純。あのガキは、それぐらいせねば動かぬ。上からの命令ならば動くのだ」

「は、ははぁっ!」


 小早川が動きさえすれば、この戦の勝利が決まる。目の前にある一番手柄をやると言っているのに、動かない。家康はその戦国大名らしからぬ消極さに、遂に辛抱を切らした。


「放てぇーっ!」


――ドンッ、ドン!


 鬼が出るか、蛇が出るか。この一撃は、家康にとっても賭けであった。


                    ******



「一体、小早川はいつまで待たせるのか!我が殿、黒田甲斐守に恥をかかす心積もりでございましょうや!?」


 内応を約束された筈の黒田家の使者は、松尾山に留まり秀秋の監視を続けて来た。しかし機を見ても敏とならない秀秋に対し、痺れを切らし催促を続ける。


「さに非ず、決してさに非ず!殿の御心はとうの昔に徳川方、ひいては黒田様に」

「ならば何故大谷の背後を突き申さぬ!このまま日が暮れるのを待つおつもりか?まさか日和見ではございますまいな?」

「さに非ず、さに……」


 平岡頼勝が何とか使者を諌める。しかし頼勝にしても秀秋の煮え切らない態度にイラついていた。迷っているというより、ただ決断を下す事を恐れている様に見えたからだ。


――やはり十九歳ガキには苦しい決断か。無理もない。畳の上では、儂ら家老の意見に只管従って来た殿だからな……。


 使者を追い返すと、今度は三成からの急使が来る。黒田家の使者と同じ様な事を言うため、今は決定機を待っているというと、意外にも去って行く。頼勝は三成の態度が甘い事を不信がりながらも、ほっとしていた。徳川方への内応は無警戒フリーパス。あとは徳川有利になった時を見計らって、裏切れば良い。それなのに……。


「正成殿!殿はまだご決断なさらないのか!」

「ああ……三成について関白職に就くのも良いと考えているのやも」

「何と言う……!確かに、我らも十万石を得られるが、それは勝てばの話よ!」


 頼勝と正成は再三、秀秋に催促に向かう。そこには頭を抱えて地面と睨み合っている若き主君がいた。ブツブツと題目を唱えながら、時が過ぎるのをただ待っているその姿を、二人は一喝した。


「殿!」

「秀秋様、ご決断を!」

「……くがわ」

「え!?」

「徳川が、良いかのう?」

「徳川でござるか?徳川につくのでござるか!?」


 そこへ、志賀親次がやって来て戦況を告げる。


「大谷隊と宇喜多隊、盛り返してございまする。この状況で徳川につくのでござるか?」

「ち、親次殿!余計な事を申すな!」

「殿、徳川へ加担致しましょう!胸のつっかえも取れまするぞ!そう致しましょう、さぁ!」

「うぅ……」


 小早川家全体、どころか大坂・徳川方両方の命運を背負っているのだ。危険だ、と言われて早々にその言に逆らう事は出来ない。またしても考え込んでしまった秀秋に対し親次は跪き、囁く。


「ごゆっくり、お考え下さい……どうぞ、時間をたっぷりお使いなさりませ」


 秀秋は親次を見る。配下にしてから一年以上経つが、何故かこの男の考えは読めなかった。保守派、過激派、家中には様々な気性を持った者たちがいるが、皆秀秋にも分かる性格をしていた。ある程度考えが読めた。だが、この親次は分からなかった。


                    ******


「ぐぅわ!?」


 秀秋が判断を迷っている間に、宇喜多軍・明石全登が被弾してしまう。劣勢を覆してきたのは彼が精神的支柱となっていた事が大きい。その彼の流血を見て、宇喜多軍の士気はガタ落ちとなった。焦ったのは秀家である。


「くっ、全登を一旦陣へ下げよ!前線には……儂が行く!」

「と、殿!なりませぬ、それこそ討死の危険が」

「我は全軍の副大将ぞ!ここで行かずして軍が崩れては、なんのための五大老か!」


 秀家が前線に自らの体を押し出し、決死の指揮によりなんとか瓦解を防ぐ。とはいえ、元々お家騒動で意思統一が崩れた宇喜多家である。たった一人の将がいなくなるだけで、ここまで戦闘能力が下がるとは思っていなかった。


――まだか、金吾!儂も、大谷刑部ももう限界じゃ!


 大谷軍も戸田勝成が手傷を負い、徐々に右翼が崩れつつあった。温存しておいた鉄砲隊によりなんとか包囲を避けるものの、兵の疲労は明らかである。


――こうなったら、脇坂を参戦させるしか……!?


「あれは!?」


 吉継は目を疑った。徳川方から、砲弾が松尾山に飛んでいった様に見えたからである。恐らく見間違いだろうと、目を擦ってすぐさま戦場に目線を戻した。


                    ******


「大谷・宇喜多が押しやられ始めました!徳川方、有利にございます」

「殿!もう決めましょうぞ。徳川にございます、徳川ならば恩賞も……」

「……わ、わかった。徳川に……」


 と、次の瞬間である。


――ドッ、ボゥン。


 鈍い音がしたかと思うと、前衛部隊から報せが飛んで来た。


「ほ、砲弾が飛んで……味方兵が一名、重傷にござる!」

「砲弾だと!?三成め、何と言う事を」

「否、方角からして、桃配山方面……徳川軍からの砲撃にござる」

「何だとぉ!?」


 稲葉正成が悲鳴にも似た驚嘆の声をあげる。その砲弾が本当に徳川が放った物ならば、単純に考えれば宣戦布告を意味するからである。それは東軍寄りの正成達にとっても由々しき出来事である。途端に近臣達の目の色が変わる。


「面白い、徳川め……目にもの見せてやろうぞ!」

「待て、者共!こちらに撃ちこんで来るのはおかしい、徳川の使者も黒田の使者もこの松尾山にいるのだぞ!?何か意図があるはずだ」

「ならばその使者に言づければ良いでござろう!何故大筒を打つ必要がござる」

「そ、それはそうだが……」


 一つの砲弾によって巻き起こる、小早川家中の混乱。それを見かねた徳川の使者・奥平貞治が馬を飛ばしてやってくる。


「方々、何を心得違いしておられるか!かの砲弾は、内府様の催促でござる。我が殿は、中納言様の背中を叩いておられるのです!」


 確かに、考え方によっては一理ある意見であった。だが、味方の一人が傷を負ったのだ。こんな催促の仕方は、古今東西聞いたことが無い。

 

 正成は家康の意図を測りかねた。


――まさか、本当に見限ったのか、我らを!?


 何しろ、直に家康に会ったことなど無い。どんな人間か、どの様な風貌で物を言っているのかも分からない。政治屋を本領とする正成にとって、あまりにも情報不足であった。そしてそれは、頼勝も同じであった。

 ここで家老二人も、本当に家康を信用して良いか。そこに迷いが生じた。


――いや!違う、内府様ではない。甲州(黒田長政)様を信用する、という話ではないか。それに、奥平殿の言う通りに思えない事も無い……。


 それでも、東軍に依存する姿勢は変わらない。だが思い切ってそれを秀秋に勧める事が出来なくなってしまった。何しろ、この決断は家の存亡がかかっている。家老の意見で石高が下がったとあっては、家中で白い目で見られる上、なんらかの処分は避けられない。

 結果、自らの意見を発する事。それを誰一人しなくなってしまった。


「殿。決断の時にござる」

「我ら、殿のご決断に従いまする」

「殿、お急ぎを!徳川が攻めてくるやも」「いや、脇坂らが痺れを切らすやも」「殿!」「殿!」「殿!殿!殿!殿!殿!」


 堀田正吉と志賀親次は、何も言わず南を眺めていた。秀秋が一人、その責務を家臣に強要され続ける。眩暈がする。頭痛がする。吐き気がする。家臣全員が、敵兵に見える。


――皆、叩き切ってやろうか……。


 精神不安定になってしまった秀秋は、自らの武勇に物を言わせたくなった。が、直ぐにその熱は冷める。柄から手を放すと、義父・小早川隆景に昔言われた言葉を思い出す。


『戦に不利益はつきものじゃけん。若輩だからと、何の言い訳にもならぬぞ。儂は十六で初陣、その時に城を落した。お主はもうそれ以上の齢じゃ。努々、小早川の名を汚してはならぬ』


――義父上、それは貴方が元就公の御子だからでございましょう……。


 秀秋は、隆景とは似ても似つかない平凡な武家の子であった。隆景の言う様な大業は、とても無理な様に感じる家柄。

 確かに、それ以下の身分、下賤の者だったもう一人の義父・秀吉は天下人になりおおせた。だがそんな特例に自分はなれない。若くから戦漬けだったと聞く信濃の真田信幸や、九州の立花宗茂であってもそうである。誰もが上手くやれるわけではない。上手く出来ない方が普通なのだ。


――儂は秀吉公の子でもなければ、元就公の子でもない……。天下分け目で、家の存亡を賭けた決断など……。


「殿!」「殿!」「殿!」「殿!」「殿!」「殿!」「殿!殿!殿!殿!殿!殿!殿!殿!」


「金吾様」


 あの時、叩き斬られるとしても断っておけば。秀包から家督を簒奪せずにいたら。こんな事にはならなかった。脳内で反響エコーが大きくなっていく。もう、逃げられない。恐らく、自分の決断は小早川を滅ぼす。


「金吾様!」


 誰かが役職名で催促をしている。だが、それも運命の流れなのだ。自虐を続け、観念した秀秋が、涙目になりながら顔を上げたその時であった。






「金吾様。よくぞ、よくぞ御無事で……!」


 秀秋は目を疑った。いるはずの無い人物が、目の前にいる。夢にまで見た義兄であった。


「あに……うえ?」

「よくぞ待って下された。貴方様の御判断のお蔭でこの秀包、間に合う事が出来申した」


 秀秋は秀包にしがみ付く。声を裏返らせながら、本来当主であるべき秀包に詫びる。


「もっ、申し訳、誠に申し訳ござりませぬ!某の、つっ、拙さの為に、小早川に、うっ、裏切りの汚名を……」

「些細な事にござる!」


 秀包は秀秋の両肩をガッシリと掴むと、歯を覗かせて笑って見せた。


「左様な事は、これから挙げる我らの戦果に比べれば、些細な事。出陣致しましょう」

「ど、どちらへ!?」

「我らの主は、大坂城におわす秀頼君。輝元様と、秀頼様でございます」

「大坂城……」

「そう、金吾様は初めから迷ってなどおられなかった。そうでございましょう?」

「大坂、秀頼様を……」


 精神がボロボロになった秀秋の脳に、スルスルと入り込む秀包の言葉。秀包の目的は、西軍を勝たせる事。だがもう一つ、この哀れな青年を苦境から助け上げたいという思いから、二千の兵と共に馬を飛ばしてきたのである。この苦境、判断を一手に引き受けてくれる、父の様な存在が、天から降って湧いたのだ。まだ何も解決していないにも関わらず、秀秋は夢心地であった。


「この判断は、我ら二人のもの。誰しも、一人での判断など出来ぬものでございます。しかし、我ら二人ならば能いまする。この戦を勝利に導く事すらも」

「義兄上と、二人なら……」

「仮に負けたとしても心配ご無用。金吾様は、強引な秀包の言に止むを得ず。そういう事に致しましょう」

「あ、義兄上!それでは義兄上が徳川方から!」

「金吾様。兄とは、そういう存在ものにございまする」

「あ、ああ……」

「方々。今より小早川は、大坂方に御味方致す。異論無くば、出撃の支度を急げ!」

「オオオッ!」


 まさかの元嫡子、名将秀包の登場により小早川の老兵達は歓喜する。が、待ったをかけるのは当然、現家老の正成達である。


「お待ちを!今大坂方に与すれば、黒田の面目を潰す事に!」

「おっとそうであったな。徳川方の使者を逃がすな。徳川も、黒田も拘束せよ。抵抗するならば斬って良い」

「馬鹿な!秀包様は当主ではございませぬ!左様な決定権など……」


 詰め寄る正成を押しのけて、秀包に膝をつく小早川家臣がいた。


「秀包様、お待ちしておりました」

「遅くなり、すまぬ。よく金吾様を堪えさせてくれた、正吉」

「ほ、堀田殿……!貴殿は、いったい!?」


 正吉は隆景と秀包に仕えていた旧臣である。連絡網が生きていてもおかしくは無かった。だが、軍の掌握はまた別である。正成はまだ、軍事決定権は秀秋にあるはず、挽回は可能なはずだと考えていた。しかし。

 

「遅うござったな、秀包殿」

「久しいな親次、そなたにも苦労をかけた。軍備はどうか」

「心配無用、整ってござる。松野主馬他、部将に話はつけてある。主馬と某が先鋒を務めよう」

「期待していおるぞ。しかと頼む」

「ちっ、親次殿!?突然何を!」


 正成は仰天する。まるで簡単に軍が乗っ取られたではないか。というより、最初から秀包の物であったかの様な流れであった。正成と頼勝は親次に詰め寄る。


「お主、どういうつもりだ!?福島家の密偵ならば、徳川方につかねばならぬだろうが!」

「ふむ?御家老殿は勘違いをなされているご様子。某は『福島家の密偵』などとは一言も申しておりませぬぞ」

「何ぃ!?」

「まぁ密偵には違いござりませぬが。正則殿に小早川へ遣わされた時は、どうなるかと思いましたぞ」

「い、一体誰が!?」

「某は我が友、『立花宗茂』の密偵にございまする」

「むね……?」 

 

 その名前を聞くや、正成と頼勝はヘタリこんだ。親次は、旧大友家臣。宗茂と繋がっていると考えなかった自分を呪った。そして宗茂と秀包は五分の義兄弟。情報を共有していてもおかしくは無い。つまり親次は、秀包の密偵でもあったのである。


――軍勢が……筑後守秀包に完全に奪われたというのかぁ!?


「稲葉殿と平岡殿、でござったな。戦支度を急がれよ」


 秀包は着々と準備を終えていく。そしてそれは秀秋も同じであった。その姿を見て、二人の家老も仕方なく覚悟を決める。


「事ここに至っては、致し方なし。正成殿、治部少輔に味方せん」

「……ああ。分かっておる。我らが与した一方が優位に立つは明白。何としても、勝たせるしかなかろうな」


 一通りの支度が済むと、秀包は配下に準備させていた旗印をありったけ配る。


「義兄上、それは?」

「某の用意した博打。一か八か、南宮山の軍を刺激しまする。動けば……この戦、我らの勝ちにございます」  


 その有名すぎる旗に、兵達の熱が上って行く。何が起こるか、下々にまで認識させる雄弁な策であった。『一文字に三つ星』。毛利家の旗印は全国の諸将の、誰一人として知らない者はいない。


「行きましょう、金吾様。蔚山城うるさんじょうの再現をしましょうぞ。血湧き、肉踊りますな」

「蔚山城……は、はいっ!もう迷いは致しませぬ」


 秀包は生気を取り戻した秀秋を見て優しげに微笑むと、高々と旗を掲げさせ、全軍に名乗りを上げた。


「我らは官軍!敵は秀頼君に仇なす内府……徳川家康!」

「オオオォ!」

「全軍、抜かってはならぬぞ。毛利元就が九男、毛利藤四郎秀包、参る!」


 秀包の二千を加えた、小早川一万余の参戦。その行軍は、徳川軍、そして南宮山の毛利軍に衝撃を与えた。そしてこの小早川の参戦により、西軍の勝利は決定づけられた……。


 はずであった。

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