第五十一話 伝説の地へ
「流石、左近殿と宇喜多兵じゃあ!我らは大義と共に、この盛況ぶり。今戦えば勝利は間違いなし!」
「待て待て、大津城と田辺城の援軍を忘れてはならんぞ!もっとも、それさえ待てばもう負ける理由はないがなぁ」
「ガッハッハ!」
もはや西軍の士気ははち切れんばかりであった。二日連続の奇襲成功とあれば、当然である。
「流石は左近。有言実行の士じゃ!」
「勿体なきお言葉。これは某を信じて下さった、殿の功にござる」
三成も左近を労う。三成は思う。当時はその当てつけの様なやり口に顰蹙を買ったりもしたが、自らの禄を擲ってでも左近や新之丞を雇っておいた事は、紛れもない正解であった。
――俺は正しい。どこまでも正義なのだ。故に秀頼君のため……絶対に勝つ。勝つ事になっておるのだ。今、流れは我にあり!
気合いも新たに入れ直したところに、見た覚えの無い使者が現れる。
「治部少輔三成様、御注進でございます!」
「何ぞ、其方は誰の使者か?」
「伊藤盛正殿からにございます」
「おお、※この城の主殿か」
後詰部隊に使用させるため、三成に荒れ果てた松尾山城の補修を依頼されていたのが大垣三万石・伊藤盛正である。その彼から使者が送られる理由は一つ、改修が終わったという事しかないのだが……。
「ようやっと工事が終わったか。それならば野戦も可能であるな」
「いえ、それが……」
「なんじゃ、苦しうない。申せ」
「奪われました」
「は?」
聞き間違いであろう、と三成は断じもう一度耳を傾ける。
「奪われました」
一度目と同じ言葉が耳に届く。そんなわけはないと、もう一度耳を傾けると、遂に使者が怒号を発した。
「我が主が補修せしめた松尾山城は!金吾中納言様の手により奪われたのでございます!治部少輔様、一体これはどの様な仕儀でございましょうや!?」
使者は憤っていた。彼も被害者の一人なのだから当然である。何故補修を終えた功労者が、寒空の中に放り出されねばならないのか。そう詰問してくるよう、盛正に言われて来たのである。
「治部少輔様!茫然とされず、どうなっておるのか説明して下さいませ!」
「し、知らぬ!何故、左様な事に……皆目見当がつかぬ」
「曇ったか、その両目。見当なら私がつけている」
皆が一斉に振り返る。そこにはいない筈の人物、刑部少輔・大谷吉継がフラついていた。
「吉継殿!後詰に回っていた筈では!?」
「その後詰に使う松尾山城が奪われたのだ。だからお主に確認を取りに来たのだろうが」
「では、本当に!?」
「三成……呑気なものだな。良いか、この事態はある一つの事を示しておる。金吾中納言は、徳川方と内通しておるのだ!」
その断定的口調に、三成は落胆した。今まで積み上げて来た積木を、一振りの木槌でぶち壊された子供の気分になった。
「し、しかし吉継殿とは盟約を結んだのでは!?」
「詭弁よ、詭弁!あの家老衆ならそのぐらいの腹芸はするわい」
「では、かねての噂通り黒田家と……」
「それよ。味方の城を奪うなど、徳川方に内応の意志を示したとしか考えられぬわ!」
「まさか……あの金吾殿が、左様な事……」
「阿呆!金吾では無い、全ては家老衆のやった事よ!あの物を知らぬ子供に、そんな気概があるわけが無かろう。あ奴らめ……獅子身中の虫とはこの事なり!」
吉継は自由の利かない体で猛り狂っている。一番の怒りの矛先は、警戒していながらしくじった自分に対してである。
「田辺城からの援軍と挟撃すれば、高地の利があるとはいえ小早川は一溜りも無い。数日待ってから、一人も残さず料理してやるが良かろう」
えげつない提案をしたのは宇喜多秀家である。一応、太閤秀吉の養子であった秀秋とは義理の兄弟であるはずなのに、ここまでの発言が出来るのは流石に宇喜多直家の血がなせる業であった。
「待たれよ。その間に中山道から徳川秀忠の軍が到着するやも知れぬぞ」
「左様な報せは無い。心配無用、各個撃破すべし」
「何を馬鹿な。今の士気を保って赤坂を攻めるが妙手であろうが!」
「小早川が本格的に徳川方につき、背後を狙ったら如何する!?」
「そんな物、南宮山の毛利・長宗我部に相手をさせればよい!」
「南宮山の兵無しで赤坂を攻めるだと?無謀この上無し!」
「何をぉ!?」
軍議は熾烈を極めた。兵卒の士気は高いのだが、やはり烏合の衆なのか、各将の意志疎通はままならずぶつかり合うらしい。総大将(代理)の三成が、鶴の一声で方針を決めるしかなかった。
「方々、もう良い。仮に小早川が内応しようがしまいが、関係ない様に布陣をすれば良いのだ」
「何じゃと?」
「三成の申す通りにござる。まずこの刑部、平塚、戸田ら六千が松尾山の麓。脇坂、赤座ら五千をその脇に配置し、松尾山を囲み申す」
「背後が残っているではないか」
「背後には、大津城の面々がおり申す」
オオッ、と声が上がった。確かに松尾山は大津城方面からだと直通に近い。仮に裏切ったとして、その時に宗茂らが到着していたなら、即座に背後を突かれるだろう。
だが、大津城からの援軍が間に合わなかったら、小早川の裏切りは即、麓にいる軍の壊滅を意味する。これは賭けの様に諸将には思えた。つまり吉継は、その危険な役目を自ら買って出ると言っているのである。
「お任せあれ。大谷刑部、上手くやり申す」
「よくぞ言った、刑部殿!」
「徳川何するものぞ!この布陣なら、野戦でも負けはせぬ!」
吉継の言葉で諸将も活気づいた。三成は吉継を引き入れていなかったら、この場を御しきれなかった事を悟る。『三成に過ぎたる物』は、佐和山城と左近だけではなかった。
「治部少輔殿!出陣の下知を!」
「大将!」
「勝ちに行きましょうぞ!」
あれほど荒ぶっていた烏合の衆が、何とも頼もしく見える。義弘が、新之丞が、左近が、そして吉継が。繋げてくれた結束であった。
三成は丹田に力を込め、運命の言の葉を吐き出した。
「決戦の場は……西美濃・関ヶ原!大坂方、出陣じゃ!」
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同じ頃、東軍のいる赤坂にも、同様の報が届いていた。ざわつく諸侯の中で、一人不敵な笑みを浮かべていたのは黒田長政であった。
「我が策、ご覧になられたか」
「長政殿、これが其方の策だと?」
「然り。小早川に、返り忠の証拠として松尾山城を奪う様、申し伝えておき申した」
「何故に?確かに、味方の城を奪うのは何よりの証となろうが……」
さしあたって、特に意味の無い行動だと考える諸将もいた。だが、家康や福島正則、藤堂高虎などの歴戦の将は、その利点に気づき目を見開いている。
「方々、分からぬか?小早川が松尾山を乗っ取れば、あの三成は必ず保険を掛ける」
「保険?」
「裏切られた時の保険……つまり裏切りをする事が、そのまま小早川の壊滅に繋がる陣形を敷くという事にござる」
「それは、そうだろうが……」
「まだ分からぬか?布陣は松尾山と、毛利の位置する南宮山を起点とせざるを得ぬ。つまり否応なしに野戦になるであろうが。奴ら大垣城から出ざるを得んのだ」
「あっ!?」
ようやく意味に気づいた諸将の脳に衝撃が打ち込まれた。智将・黒田長政は、ものの見事に西軍を大垣城から引っ張り出したのである。大垣城に籠られれば、悪戯に攻めてもこちらの数を減らすだけで、兵糧攻めしか手が無くなるところであった。しかも、田辺城・大津城から後詰が発進するという危険もある。その城攻めが無くなったという点だけでも、諸侯の肩の荷は幾分か下りた。それに加え、この形は短期決着を望む家康の希望通りでもあった。
「如何でござる、内府殿」
「見事也、黒田殿。流石は黒田官兵衛の子であり、竹中半兵衛の知略を得た将よ」
「過分なお言葉、痛み入りまする」
ここまでの東軍の戦功第一は、岐阜城を落とした福島正則かと思われていたが、既に長政も十分な功を挙げていた。小早川・吉川の内応が成功すれば、間違いなく長政が第一となるだろう。
「となると、関ヶ原ですな」
「関ヶ原……」
その名前は、旧織田諸将を始め、誰もが聞き覚えのある名前であった。日本史において、壬申の乱――先帝の弟・大海人皇子と先帝の子・大友皇子による、天下分け目の合戦――の一部が行われた、伝説の地である。
「これも、運命でしょうな」
「ああ、これは秀頼君を守るための聖戦なり。ならば君を大坂から取り戻すため!我らが、必ず勝ちましょうぞ!」
「オオオッ!」
周防は聖戦、という言葉に吐き気を覚えた。
――抜け抜けと何を言う、ただの見苦しい豊臣内部抗争ではないか。お前達が喜べば喜ぶほど、豊臣の権威は失墜するというのに……。
周防の関心は、もはや決戦の勝敗には無かった。決戦で自分がどの様な役回りになるか、どの様に戦をかき乱すか。その様を『あの男』に見せる。ただそれだけにしか、興味が無かったのである。
「フッ、私の復讐……しかと奴の目に焼き付けてくれるわ」
周防は信幸に書を認め始めた。
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軍勢に先んじて松尾山に駆けつけた三成は、大谷吉継と共に松尾山へ赴いた。今度は家老の立ち会いの元、すんなり秀秋本人に目通りが叶った。
「金吾中納言殿。安土へ向かう約束ではございませんでしたかな?」
「わ、私も……天下分け目の戦、太閤の養子として戦力になりとうござった」
「……なるほど。その心意気に免じて、秀頼君ご成人召されるまで、関白職をお願いしたく存ずる」
「か、関白?」
「それには、この合戦の勝利が必要にござる。金吾様の御助成で勝利を掴めば、天下の誰もが資格ありと認めましょうぞ!」
関白任官。三成としては、精一杯の誠意を見せた。だが秀秋にとっては、それが自分を西軍に繋ぎとめるための口実でしかない事。つまり自分が本当に関白の器と認められているわけでは無い事が、悲しいくらいに理解できた。
だが、西軍の戦力としては、期待されている事は分かる。こうして繋ぎとめるほどに、重要な位置に自分は要る。にも関わらず、黒田長政の悪魔の助言に従ってしまった自分もいる……。
「家老衆にも、十万石の領地を約束いたす。治部少輔、刑部少輔以下、奉行三人に加え小西行長、極めつけは大老・宇喜多秀家様の連署付にござる。断じて、空手形ではござらぬ」
家老衆も、その大盤振る舞いっぷりには戸惑った。結局、秀秋は成されるがままに誓紙を出してしまう。この時点で、どちらに味方をしようが秀秋は裏切者である。
「では、しかと頼み申す」
「何かあれば、麓の大谷刑部へご相談あれ」
三成にも、吉継にも恨みは無い。だが徳川へ味方しようとした矢先、大坂に一方的に接収され、わけもわからず手先として使われる。状況を理解できないまま家老の言に従い行動した挙句、不義理の誹りを受ける未来は確実となった……。
こんな事なら、接収された時点で大坂方に忠誠を誓うか、振り切ってでも会津へ向かえば良かった。今なら心からそう思える。しかし、時の針はもう戻せない。唐国で自分を守ってくれた秀包や宗茂は、今はここにはいない。もう、敵しかいないのだ。
「秀秋様。返り忠は反故にはできませぬぞ」
「あの様な書物、敗戦後には紙切れでござる。お気になさいますな」
「分かっておる……」
家老も結局、一番荷の重い最後の決断は秀秋に任せるしかない。その顔は心なしか、困惑しているように見える。好待遇を三成から突きつけられて、家老たちも迷っているのかもしれなかった。
酷く腹が立った。三成も、長政も、二人の家老も。畳の上の戦を知らない、十九歳の青年に、構わず重い荷を載せてくる。だが、その荷を下ろす術は若年大名である彼にはないのだ。
――もう、私には何がどうなるのか、皆目分からぬ。もう、流されるがままになる。それしかないのだ……。
状況に流され続けた秀秋は、絶望と共に思考を停止しつつあった。
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翌9月14日。川の氾濫が弱まり、架橋も完了したため、信幸ら中山道軍は行軍を再開した。信幸が先導、後ろに本多忠政が続く。物見から合流した才蔵が、信幸隊の差している旗印の色が変わっている事に気づく。美しいまでに映える『群青の六文銭』が、打って変わって黒く染まっていた。
「殿、旗印が」
「気づいたか才蔵。『群青の六文銭』は封印じゃ。黒地に金、雅であろう。黒備えの意見を採用してやった。周防へのせめてもの礼だ」
「しかし、長年使って参りましたのに」
「……旗印は、変えなくてはならない。でなければ、俺達も飛躍できぬのだ。これは策であると共に、決意でもある」
「殿……」
そう言うと信幸は後列、義弟の本多忠政の方へ逃げるように下がって行った。正直言って、才蔵はその旗印があまり好きになれなかった。今までと同じ、六文銭の旗印には違いない。しかしその布一面に広がる黒色は、友を捨て二者択一の覚悟を決めた主の、心の闇を表している様だったからである。
※城の主……伊藤盛正は本来大垣城主だが、岐阜城との連携の要となる大垣城を使いたいという三成らの要請に応え、居城を西軍本隊に貸す事を了承した(一時は拒絶)。
今日(5/3)から明後日(5/5)は休養のため更新を休止します。楽しみにしていた読者の方々、申し訳ございません。ご了承下さい。




