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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第六章 関ヶ原、二人の博徒 ―義将昇天篇―
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第四十六話 西進開始

「わ、若様……ら、来客にございます!」

「何だ、こんな夜更けに……誰じゃ」


 上田と小諸の中間点に本陣を構えた、徳川家の御曹司・徳川秀忠の眠りを、突然の来訪者が妨げた。ただでさえ、悪夢の様な信濃の日々。秀忠は鬱々としていた気分を快眠によって晴らそうとしていたのに、良い迷惑であった。


「真田伊豆守様でございます」

「何、伊豆守からの使者だと?」

「いえ、伊豆守様本人で」

「何だと?」


 飛び起きざるを得ない。先の奇襲から命を救ってもらった張本人が、今自陣に来ている。信濃別働隊の総大将として、会って労いの言葉の一つもかけねばならない。


「直ぐに会う。通せ」

「お、お待ちを!何やら、様子がおかしいのでござります」

「どの様に?」

「何と言うか、雰囲気が……従者が何やら仰々しい包みを抱えており……そう、顔が!顔が恐ろしいのでございます」

「あの能面の様な伊豆がか?」

「はっ。それに、若様とお二人で話したい、と……これは、暗殺もありえるのでは」

「大名自ら暗殺だと?馬鹿馬鹿しい……」


 が、秀忠も不安が無いわけではなかった。援護してくれたとはいえ、『あの』真田の一族である。ここで油断させて護衛を減らし、秀忠を討つ。そこまでが昌幸の策略だったなら……。

 だが、従者と二人で来たという事は、何かしらの意味を持つに違いなかった。やはり、危険を伴っても会わないわけにはいかない。


「幕の外に親衛隊を配置せよ。その状態で会う」

「はっ!」


                    ******


 一方、遂に美濃・赤坂へ出発した家康は、吉報を聞いていた。


「大津城は、未だ落城せず。京極高次様、持ちこたえておられまする」

「そうか……城兵の士気は如何ほど?」

「未だ旺盛にて。少なくともあと五日は持つものと、見聞役は申しておりました」


 顔には出さないまでも、家康は安堵した。大津城には、西軍の『最強部隊』の一角が向かっているのだ。これを釘づけにしたまま西軍主力と……できれば野戦、短期戦で雌雄を決したい。家康の命運の一欠けらを、間違いなく高次が握っていた。

 本来なら援軍を送りたいところであるが、当然今は兵力を分散できない。恩賞は約束する代わりに、高次は見殺しにするしかない。


――高次……あの世で儂を恨め。


「現在三成及び西国諸大名は、大垣城に布陣しておるのだな?」

「はっ。本来、岐阜に入る事を想定していたかもしれませんが……」

「分かった。下がれ」


 家康は城攻めをしたくはなかった。倍以上の人数を割かなければならないにも関わらず、戦功は城一つと少数の兵卒の首。いつまでたっても、圧倒的優位には立てない。それどころか、城攻めをする度にこちらの兵数は減っていく事となる。

 もう家康は若くは無い。時間をかけて、じっくりと。そんな戦をするわけにはいかないのだ。だから岐阜と大垣の間……直政と忠勝、そして藤堂高虎といった信頼できる将が陣取る、赤坂付近での野戦が望みである。

 大津城が落ちる前に、この目的を達しなければならなかった。 


 自軍の大名の士気は、岐阜城を落としただけあって旺盛。毛利家を始めとする諸大名への調略も好感触。戦況は五分、もしくは一分の利があると言えた。とにかく今は、大津城。そして秀忠の到着を祈るばかりであった。


                    ******


 秀忠の陣の一角で……信幸は頭を下げていた。秀忠は、人は頭を下げていても、これほどまでに威厳を出せるのかと感心した。それほどまでに雰囲気が澱んでいる。

 

「……先刻の援軍、誠に大義であった。そなたがあの多目を召し抱えているとはな」

「勿体なきお言葉。周防にもしかと伝えまする」

「それで、この様な夜更けに如何したのか?」


 秀忠は、信幸が自分を糾弾しに来たのかと思った。敵対する武将の一族衆というだけで、砥石城に籠りっきりにさせるという愚。その采配を責めに来たのかと思った。

 だが、その背後……従者としてついてきた才蔵が持っている、頭ほどの大きさのある包みが気になった。献上品……西瓜スイカか何かだろうかと、精々その位にしか思っていなかった。


「秀忠様、時間は幾ばくも残されておりませぬ。確約を頂きたく、この信幸。参上仕りました」

「時間?確約?」

「ここに、書状がございまする。上方から、秀忠様にとって致命的とも言える情報を載せた書状でございます」


 信幸は取引を始めた。秀忠は、当然状況が掴めない。信幸がそうなる様に、不安になる様に話しているからだ。

書状を確かめるため、秀忠は近づこうとしたが……信幸は手で制した。


「申し訳ございませんが、まだ書状を見せるわけには参りませぬ」

「何だと!?伊豆守お主、何を言っているのか分かっているのか?」

「某はいたって正気……書状はお見せいたしまする。ただし、確約して頂きたい事がございます」

「……」


 秀忠は、陣幕の外の殺気をヒシヒシと感じていた。先走りさせないためにも、信幸の願いを一先ず聞くことにした。


「申せ」

「はっ。我が義弟である本多忠政……かの者の部隊を、丸ごと某の指揮下に加えて頂きたい」

「何?石高の勝る相手を、自らの指揮下にだと?」

「親しい忠政ならば、某の軍略の一部になり得まする」

「話にならぬ。そちの兵力はせいぜい1500、忠政は負傷者を除いても2000近いぞ」

「承知の上。それほどの功を、今私は持っているのでございます」

「……」


 それほどまでに重要な文なのか。戯言しか書いていない様であれば、最悪叩き切れば良い……とまではいかないが、所詮は口約束である。反故に出来ない事も無い。


「良いだろう。忠政さえ納得すれば、な」

「有難き幸せ……然らば、この書状をご覧くだりませ」


 信幸は何のためらいもなく、三成からの書状を秀忠に見せた。場合によっては、自らの裏切りを相手に思わせる暴挙である。秀忠の反応は当然、驚愕であった。


「何だ、これは!伊豆守、お前は三成に通じておったのか!?」

「父の計略にございます。私の心は最初はなから内府様に」

「ならば、三成のこの信用っぷりは何だ!懇意にしている証拠ではないか!」


 信幸は、三つ目の書状……友人関係を示す書類は持ってこなかった。それでも文の内容のあまりの細かさは、三成と信幸の信頼の深さを伺わせるに十分すぎた。秀忠が信用できないのも無理はなかった。

 だが、秀忠は思い当たる。何故、黙っておけばよいのにこの文を自分に見せに来たか、である。もう一度文に目を通した時、秀忠は夥しい冷や汗を流し出した。


「く……九月十日を目途に!?」

「左様にございます。我ら中山道隊の本来の目的は、中央での本戦の主力として参加する事……もしその本戦に間に合わなかったとしたら?」

「め、面目が……丸潰れではないか!」


 信幸は、目的の達成を確信した。しかし、顔は笑わない。笑えない。そんな気分は、今の信幸には毛ほども起こらなかった。


「まさしく一刻の猶予もございません。この雷雨を利用すれば、父上に気づかれず西進を開始できまする。お急ぎを!」

「しかし、先の戦いの負傷兵は如何する。動けるものを残して……」

「捨て置かれませ!今がどういう時であるか、分からぬ秀忠様ではございますまい!」

「うっ……」


 信幸の雷鳴が如き喝は、その気になれば信幸一人を処分するなどわけは無い筈の権力者・徳川秀忠を委縮させた。信幸は三万八千の軍の全てを動かせと言っているのではない。動ける兵士だけを身軽にして、豊臣秀吉が如く大返しをしろと言っているのだ。例え兵数が多かろうと、本戦に間に合わなければ何の意味も無い。だがそれは、負傷兵のみを上田の備えに残していくという事であり、正真正銘、彼らを見捨てるという事である。


「心配ならば、仙石越前(秀久)殿に文を出されませ。秀忠様付きの諸将の中で、最も信州・上野に御詳しい方でございまする。城攻めは百戦錬磨、あの方なら何とか出来ましょう」


 説得のために信幸は、仙石秀久を持ち上げ、上田攻めの総大将に仕立て上げる事を選んだ。それでも秀忠の心は、信幸を完全に信頼できない。

 そこへ、陣幕を潜って入って来る男が現れた。


「誰だ!誰も入るなと言ったはず!」

「若様。某にございます」

「や、康政か……今の会話、聴いておったのか」

「少しばかり。某は伊豆守殿の言葉、信用致しまする」

「何だと!?何故に」

「根拠はございませぬ。ですが戦略的に、今は信用せざるを得ない。そうではござりませぬか?」

「ぬぬ……」


 徳川四天王・榊原康政の言は重かった。秀忠は、確証さえあれば信幸を信じることにした。


「そなたが石田と、手を切っているという証が欲しい。それさえあれば信用する」

「証、でございますか?」

「そうだ。覚悟を、示せるものがあるか?」


 その言葉を聴いて、信幸は無表情のまま指を鳴らす。才蔵は前に出て、包みを解いた。中からは……見るにも悍ましい、紛れもない人の首が現れた。


「う、うわっ!?」

「石田家の使者にござります。身柄を示す物も、この様に印にて確認しておりますれば」


 確かに、石田家の家臣であった。だが秀忠はその事実を認識するどころではない。二十一歳の若者には、余りに衝撃的な光景。人生に影響を与える絵であった。足がガクガクと震えそうなのを、やっとの思いで堪える。家康の跡継ぎとして、小大名の前で、父の重臣の前で、それだけは避けねばならない。いざと言う時に、矜恃を示せなくなるから。

 だが、もしかすると既に戦死した者の首を差し出しただけかもしれない。それらを確かめるために、恐る恐る、半ば目を閉じて首根っこを触る。すると、仄かな体温と固まり切っていない血液を確認した。


「うぷ……」


 感触を確かめた瞬間、秀忠を激しい吐き気が襲った。判明した事実としては、砥石で斬られてからこの陣に来るまでの片道分の時間しか立っていないという事である。よく見れば、才蔵の持っている包みからは赤い流動物が滴っている。

 

――しかし、ここまでするのか!?この乱世の大名は、否……真田は狂っておる!!


 吐き気をこらえる秀忠。そう、確かに狂っていると見られてもおかしくはない。だが逆に言えば、狂った行いをしてまで信頼を見せたかったと言える。つまり震えをこらえさせた時点で、信幸は秀忠に味方と認識させる事に成功したのである。



「殿!」

「秀忠様。ご決断を」

「……康政。出陣の支度じゃ」

「では!」

「ああ。我らは今より……中山道を西進。木曽路を越える。出発直前に、仙石越前に文を出す。一万の兵を残す故、上田攻めの総大将に任ずるとな」

「ははっ!畏まってございまする!」


 信幸は陣を出ると、砥石城へ急ごうとした。頼康に全てを話し、準備をさせているものの、雨が止めば昌幸に動きを悟られる。不穏な動きを見せる可能性のある周防にも、一応伝えなければならない。

 その信幸を、康政が引き止めた。


「榊原殿。先程は打ち合わせ通りの名演、かたじけない」

「ふん。平八殿の娘婿、それに利害が一致していたから手伝ったまで」

「これで十万石の力、ついに中央に思い知らせられまするな」


 康政は支度を急ぐため、去って行った。根回しは、まず外堀から。信幸の外交戦略もまた、信繁の武略に負けず伸びていた。

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