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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第五章 決裂、上田城 ―三成発起篇―
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第四十四話 軍神・真田昌幸

「砥石が落ちて城同士の連携は取れぬ。美濃への出発を考え、狙うは一網打尽だ。稲を刈り取り、兵を誘き出せ!」


 秀忠の号令で、牧野康成らの指揮に従い徳川の兵達は収穫前の稲を刈り始めた。一年間手塩にかけて育てて来た稲は、民兵達にとって命よりも大事な物。怒り勇んで、城から出てこないはずがなかった。


「畜生めらぁぁぁ!!その稲刈りを今すぐやめろぉぉぉ!」

「秀忠様!牧野勢が民兵を誘い出し申した」

「ようやった。取り囲んですり潰せ!確実に数を減らすのだ」


 鳥居元忠の率いた第一次上田合戦は、信幸の先鋒隊によって城に誘い出されて失敗した。そう秀忠は伝聞していた。ならばこちらから城に攻め入らず、逆に誘い出せば相手は寡兵、しかも民兵で水増しされた軍勢である。こちらが負ける道理は無かった。

 そこで燃えたのがこの男である。


「東国無双・本多忠勝が嫡男!本多忠政、参る!」


 忠政は強敵・真田を相手取り手柄を立てようと躍起になっていた。牧野康成の稲刈りの間、ずっと茂みに潜んで機を伺っていたのである。姉の嫁ぎ先である事も頭から外し、民兵に横合いから突撃をかける。

 

「そりゃあああ!」

「い、いかん!徳川の、本多の奇襲ぞー!」


 練度の低い民兵達は、本多・牧野の軍に太刀打ち出来るはずもなく。瞬く間に十数人が討ち取られ、城へ逃げ帰って行く。ここまで、秀忠の采配は完璧とも言える見事な物であった。

 が、血気に逸るこの二人の将は、短期決戦の命を拡大解釈してしまう。


「速攻で決める!上田城まで攻め上れぇぇ!」


 康成は戦を流れで判断する武将であった。康成に限らず、相手の敗走を見れば追わずにはいられない。戦国武将の本能である。

 だが、ここでは完全に裏目に出た。


「フハハハ!来よったな、阿呆めが。城門、開けぇ!」


 昌幸の鶴の一声で上田東門の扉が開く。勇んで突入しようとした牧野隊が見た物は……。


「信繁、練兵通り動かせ!手柄を立てて来い!」

「応!」

 

 ズラリと整列した信繁の鉄砲隊である。その光景を見た康成は、一瞬で自分達が死地に飛び込んだ事を悟った。


「と、止まれ!散開し……」

「鉄砲隊、ってぇー!」

 

 散開して回避させる間を、練度の高い兵達と信繁は与えない。瞬く間に牧野隊は死傷者を出していく。


「忠政殿!来てはならぬ!」

「ぐおっ!?」


 叫んだところで、軍勢が雪崩れ込む勢いは止められない。牧野隊に続き本多隊、大久保隊と次々に東門に突入してしまう。信繁にとっては、忍城での周防の策の逆を行った事となる。鉄砲隊による被害は時間に比例して増えていった。


――フフッ、何と言う爽快感よ!


 天性の武才を持つ信繁は、昌幸の指導のもとで行った練兵通りの動きを次々にこなしていく。火縄銃による射撃が一通り済むと、次は後方に控える弓部隊の指揮である。


「放て、放てぇい!これだけの乱戦じゃ、射ればどこかに当たってくれるわ!」


――ヒュン、ヒュヒュン!


 弓隊がありったけの矢を放つ。鏃が空気を切り裂く音は、武将にとって銃声の次に恐ろしい。この乱射により、門前、門内にごった返している徳川兵は討死の大バーゲンセールとなってしまった。それが終われば、メインディッシュはいつの間にか騎馬隊の指揮に転身した、信繁率いる突撃部隊である。


「かかれ!首は捨て置け、後で拾える。まずは生き残るために敵の数を減らすのだ!」

「オオオッ!」

「よくも精魂込めて育てた稲を刈ってくれたなぁぁ!許さぬ、許さぬぞ!」


 突撃兵は民兵と正規軍の混成であったが、先頭を駆ける信繁の姿が士気を引き上げた。その勇みを確認すると、信繁は後方に下がって指揮を執る。

 忍城の反省を活かした、見事な戦いっぷりである。確実に、信繁は成長を遂げていた。


――いける!某の采配は、徳川にも通用するぞ!


 だが、一つだけ思う所があった。


「兄上ならば、某をどう活かすだろうか……」


 もはや指揮が関係ないぐらい優勢になると、そんな雑念が信繁の口から零れる。ブンブン、と頭を振ると、声を張り上げて指揮を振るう。気づけば、徳川軍の兵士達の後姿が信繁の網膜に飛び込んでいた。


「見よ!我らは徳川兵を返り討ちにしてやったのだ。勝鬨を上げよ!」

「エイ、エイ、オォォォ!」

「よし佐助。父上の隊と合流するぞ。追い打ちをかけ、本陣まで迫る!」

「ははっ」


 信繁の心は躍った。考えてみれば、自身が将として勝ち取った初めての勝利である。今迄兄の陰で燻っていた弟が、武将に最も必要となる貴重品……大いなる自信を手に入れようとしていた。

 真田方の大声は、徳川本陣にまで木霊こだまして届いた。その鬨の声を聴いた秀忠は動揺した。


「な、何故勝鬨が?我が軍か?」

「申し上げます!真田昌幸、信繁親子の連携により、牧野隊は壊滅!本多、大久保隊も逃散してございます!」

「なっ……あれほど城には攻め上るなと言ったではないかぁぁ!」


 秀忠の戦略は一見正答なのだが、昌幸はその先の展開(民兵の敗走後の流れ)まで読み切っている。その場の流れだけで戦ってしまっている諸将達では、指揮の差が浮き彫りとなり勝てる道理が無い。しかも、これだけでは終わらせる昌幸ではない。


「真田隊、牧野・本多・大久保連合軍を追撃中!次々に討たれている様子にございます!」

「何故固まって逃げるのだ!四散して本陣で合流させろ!」

「そ、それが……連絡路が、真田の忍によって上手く機能しておりませぬ!」

「はぁぁ!?」


 昌幸の作戦が当たる。配下の出浦盛清による情報遮断が効いて来ていた。秀忠が驚いている間にも、着々と数が減っていく。すぐに援軍を送って立て直す必要があるのだが、昌幸はその間を与えない。既に次の一手を打ってあるのだった。


「若様!砥石城の真田様から伝令が!」

「さ、真田だとぉぉぉ!?砥石にも真田がおるのか!?」

「お、落ち着いて下され。真田といっても、伊豆守様でございます」

「あ、ああ……そ、そうであったな」


 敵味方の区別もつかぬほど動揺している、初陣の秀忠へ信幸からの助言が届く。


「何でも、神川付近の兵を今すぐにどかされるべし。とのことです」

「神川……?何故?」

「不自然に水位が下がっている事を確認済みだとか」

「水位……あっ!?」


 気づいた時にはもう遅かった。第一次上田合戦で昌幸と信幸が使った『濁流の計』が、既に百以上の徳川兵を飲み込んでいた。


「若様!好機です、伊豆守様へ援軍を要請しましょう」

「駄目だ!絶対にならぬ!」

「え、何故……」

「馬鹿かお前は!伊豆守が昌幸・信繁と内通していないとどうして言い切れる!そもそもあ奴が交渉したせいで、無駄に時を費やしたうえ、万全の態勢を整えられてこのザマではないか!いいか、絶対に砥石から奴を出すな!絶対にだ!」


 そう、この状態で昌幸の一族衆を信頼できる訳がなかった。だが、それこそが正に昌幸の狙い……信幸に無料タダで砥石城を明け渡した理由であった。それに気づかない秀忠に対し、更に更に、昌幸の策は留まらず襲い掛かる。


「染谷台(上田城付近の丘)近くの雑木林より敵兵が出現!奇襲をかけられてございます!」

「なにぃ!?どこへだ」

「ここへ!!」

「!!!!!??????」


 連絡路が機能しない今、援軍は呼べない。三万の兵に囲まれた安全圏にいたはずの二代目・秀忠は、まさかまさかの絶対絶命の危機に晒された。


                   ******


 一方、江戸城に留まっていた徳川家康は五男・信吉らに留守居役を命じ、美濃へ急いでいた。理由は一通の書状が美濃の井伊直政から届いたためである。

 内容は福島正則・池田輝政らが岐阜城を一日で落城させたという戦勝報告が主であった。つまり正則ら豊臣恩顧の大名が完全に三成方に反旗を翻した、こちらの味方となる事が完全確定したという事である。それは喜ばしい事だった。


 が、もう一つの内容が良くなかった。岐阜城の落城三日後……八月二十七日に、京極高次が大坂方を裏切った。大津城に籠城し、『毛利元康』『小早川秀包』『立花宗茂』ら二万の軍勢が大津城攻めに向かった、と書かれていた。


――早すぎる!儂が美濃に参陣するまで、何故待てなんだか、高次!


 高次から寝返りを示唆する内容の書状は、弟の京極高知(すでに徳川方に加担)から幾度となく受け取っていた。その裏切りを戦略に組み込むため、高次には自分が美濃につくまで待つ様に、という旨を書状で伝えていた。

 だが高次は待てなかった。その理由は岐阜城で、正則らが多大な戦功を立ててしまったからだと想像できる。大勢が決してから裏切ったのでは遅い。一刻も早く旗色をハッキリさせなければ、戦後に処分されかねない。そう高次は判断したのだ。


 このままでは大津城は、来る『本戦』の開戦前に落ちる。何とか野戦に持ち込み勝利する。そのために策を練っていた家康にとって、大津城攻撃へ参加している二万が野放しになる事は非常に不味かった。


                   ******


「信幸様、何故援軍要請が来ぬのです?徳川方は大混乱ですぞ、我らが出なくては……」

「これで良い。親子間で争わずに済んだではないか」

「なっ、まさかこれを見越していたと……!?」

「権力者というのは血縁を最も警戒する。この場合、俺と父上の血縁だな」


 砥石城の信幸は甲冑を脱ぎ捨てて、何と呑気にも湯漬けを啜っている。信繁が兵糧を残して行ってくれたおかげで、兵達の心身の補給は十分に済んでいる。だが、援軍要請が無ければ兵隊など無用の長物である。ただくつろいでいるしかない。


「父上と俺が結託しているという警戒。それは正しい事だが、俺が援軍が今すぐ送れればこの場合は助かるかもしれん。秀忠公は判断を誤ったな」

「まぁそう言われますな。秀忠公のおかげで、殿は仲違いせずに済んだ」

「まぁな。才蔵よ。頼康の言う通り、俺は元々父上や信繁と争う気など無い」

「ええっ!?」


 驚いたのは才蔵である。そこへ茶碗を持った信幸の乳兄弟・根津志摩が入って来てまたしても寛ぎ出す。


「志摩様まで!」

「志摩よ、お前から才蔵に説明してやれ」

「はい。まぁ何というか、殿が内府様に謁見した時から、この流れは決まっておったのよ」

「そこからでございますか?」


 神妙にする才蔵に、志摩は茶を差し出しながら話す。


「先導・先鋒といったら、北ノ庄の前田利家、小田原の大道寺政繁……その土地や地方に居住している人物を遣わせるのが習い。その点で言えば中山道軍では、殿が適任だ」

「それは分かり申す」

「だが戦が始まってみればどうだ。失礼ながら殿は昌幸様の説得に失敗。勇み挑んだ砥石城は、信繁様が無抵抗で撤退……どこからどう見ても怪しい。儂が敵でも内通しているとみるわ」

「それで援軍要請が来ぬという事でございますか?」

「ああ。神川の氾濫も、殿が戦場に出ていれば防げていた。それでも決行したという事は、昌幸様は殿が出てこぬと確信しておる。つまり儂らは」

「砥石城に閉じ込められた、と?」


 横でやり取りを見ていた信幸がニヤリと笑う。どうやらそうした昌幸の動きも、信幸は全て読んでいたらしい。


「そう、家康公、秀忠公、父上の作ったこの流れのおかげで俺達は美濃へ行かずに済む」

「済む、とは」

「俺は友とは……三成と戦いたくは無かった。父上が寝返ったと言えば、家康殿は上田に遣わしてくれる。だが俺は父上とも闘いたくは無かった」

「……」

「父上なら、もしかすると反抗し、秀忠公を食い止めるかもしれない思っていた。そして俺は砥石に閉じ込められる……これで、後はこの砥石で戦が終わるまで待てば良い。これで小松の名誉も、三成との友情も、父や弟の命も助けられる」

「恐るべきは昌幸様の采配でございますな。三千の兵で、三万の敵を止めるのだから」

「違いない。さっきは助けられるかも知れぬと言ったが、もはや俺達が参戦してもどうにもなるまい。五年前も思ったものだが上田城に入った真田昌幸は、軍神と呼ぶに相応しいな。いやぁ、上田攻めに行かずに済んでよかったのう。下手をすれば我が軍も全滅するところだ。全て上手くいってくれたわ」


 頼康と信幸は、敵となった昌幸の功績にも関わらず誇らしげに笑っていた。不謹慎ではあるのだが、無理もなかった。笑ってしまうほど物凄い、まるで作り話の様な戦果なのである。が、そんな幸せそうな二人の空間を、才蔵の言葉が切り裂いた。



「……殿は、それで良いのでござりますか」

「何?」


 才蔵は戦慄いている。信幸にはその震えが、何から来るものか分からなかった。


「美濃では大戦が始まるのですぞ!間違いなく天下を決する日ノ本最大の戦が」

「それが?」

「殿はそこにいたいとは思わぬのでござりますか!功が、名誉が欲しいとは思わぬのでございますか」

「……思わぬ。家名を残すので精一杯よ」

「御眼を背けなされるな!」

「才蔵!」

 

 志摩が才蔵を思い切り足蹴にする。才蔵は正気に戻ると、すぐさま平伏した。信幸の目は、既に笑っていない。


「と、とんだご無礼を!」

「才蔵……。忍の仕事は、主君を諌める事か?」

「決して!しかし、殿に……殿には……後悔だけは、していただきたくありませぬ」

「後悔などしない。真田はひっそりと生きておればよいのだ。これまでも、これからも。派手さ、ほまれを求めて散るなど、阿呆のすることぞ」

「殿……」

「見逃してやるが、次は首を刎ねるぞ。俺の忍は任を与えぬとお喋りになるらしい。染谷台の見張りを命ずる。頭を冷やしてこい」

「はっ……」


 才蔵は逃げるように去って行った。頼康は信幸の表情を伺う。


「忍の癖に、いらぬ気を回しよって……才蔵めが」

「愚かなで稚拙な言とはいえ、才蔵も殿を思っての事らしい。ご容赦を」

「分かっておる!」


 信幸は明らかにイラついていた。頼康は、昔に父・矢沢頼綱に言われた事を思い出す。


『言の葉に憤るのは、思い当たる節があるからだ』


 父の言を信じるならば、才蔵の言葉は的を得ている事になる。


――つまり信幸様は……。


 信幸は、三成や家族とは戦いたくはない。それは本心である。しかし、ただ一人……雌雄を決したいと思っている武将の存在が、家名を第一と考える信幸の心を美濃へと駆り立てていた。

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