第四十三話 砥石城、交わらぬ兄弟
「重臣・鳥居元忠を二条城で討死させて、何のお返しもせぬでは面目が立たぬではないか!」
「し、しかし若様。真田は神算鬼謀、何をしてくるかわかりませぬ。ご再考を」
「何を弱気な、数で持って攻めれば良いのだ!」
「それで敗北した五年前を忘れたか!?何も学んでおらんようだな、お主らは」
「何ぃ!?」
「もう良い。伊豆守を降伏の使者として遣わせ!」
小諸に陣を構えた秀忠一行は、上田城を攻め落とすか否かで揉めていた。信幸はこの議論には加われず、只管使者としての指示を待っていた。結論として、まずは降伏勧告をしてみるという妥協案に至る。
「伊豆守と忠政に交渉を任す。頼んだぞ」
「はっ。義兄上とならば、必ずや」
「……」
信幸は義弟・本多忠政と共に、父弟の待つ上田城へ向かった。
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「信幸よ。……ありゃあ一体何事だ?一体お主ら、何万の大軍を連れて参ったのだ」
「三万八千、にござりまする」
「さんまんんん!?」
「もはや抵抗は無駄にござりますぞ、安房守殿」
信幸と忠政は使者として城に入り、さっそく降伏勧告を行った。さすがの昌幸も目の前の大軍を目の当たりにして意気消沈している様で、信幸はホッとした。反面、あの反骨心溢れる父の姿が陰り、少し残念にも思った。
「上田の人数は約三千。準備も怠っておらぬ様ですが、ここは折れて下され。聡明な父上ならば」
「分かっておるわ。先の合戦ではこの上田城、三倍以上の敵を跳ね返したものだが……。今度は十倍、これは理不尽な数だぞ、信幸」
「はっ」
「せめて、お主がこちらについてくれれば戦えたものを」
「御戯れを。どうにかなるものでもございますまい」
昌幸は、どう見ても諦めをつけていた。脇に控える信繁も手で顔を覆っている。忠政は降伏を確信した。が、信幸は半信半疑と言った面持である。
「城兵や民を解放するのに三日かかる。そう秀忠公に伝えよ」
「畏まって御座る。……父上」
「何だ」
「お違えなさらぬよう」
「阿呆、当たり前だ。この戦力差、逆らえば死ぬしか無かろう」
分かっている。十倍の数の敵に向かって行くなんて、河越夜戦の北条氏康でもするまい。しかし……信幸は昌幸なら或は、という気持ちから、釘を刺さずにはいられなかったのだ。
「義兄上、さすがにこの戦力差では向かって来ぬでしょう」
「確かに、父上は玉砕を覚悟して戦う男ではない……が、何をするか分からん男だからな」
「実の父なのに、信用の無い事でございますね」
「信用しているか否かと言ったら、しているのだがな……やはり、もう一度釘を刺して来る」
信幸は去った後の昌幸と信繁は密かに会話をかわす。
「佐助。配下に命じ、石を集めておけ。投石部隊は籠城戦にて有効だ」
「御意に」
「信繁、お主は砥石へ戻れ。信幸に表情を読まれておらぬだろうな」
「ご心配なく。顔は隠しておりましたゆえ」
「……しっ!静かにせよ」
――ドンドンドン。
廊下を物凄い速さで、足音を立てて信幸が引き返してきた。昌幸は慌てて上座へ戻る。
「なんじゃ!まだ何かあるのか」
「先程、三日と申されましたな?一日でお願いいたす」
「三日じゃ」
「お聞き入れして下さらねば、今すぐ攻め上りますぞ」
「チッ……二日。二日で手を打て」
「……良いでしょう」
そう言って去って行った信幸だが、廊下を歩いているうちにやはり不安になり、戻って来た。
「一日で」
「二日じゃ!ここは譲らん!」
信繁はそのやり取りを見て、三人が仲良く暮らしていた子供時代を思い出し、頬を緩ませた。
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「じ、治部少輔、三成様へ、真田安房守様からの、ご、御注進……」
「真田の使者か!かたじけない、ゆっくり休め。誰かある!この者に水を持て」
同じ頃、三成の元へ昌幸からの書状が届いていた。信幸も賛同した事、上田城に籠城を開始する事、布陣図が欲しい事、最低でも九月十日までは持たせて見せるという事……昌幸らしい、細かい手紙に三成は苦笑する。その三成の元へ、ヨロヨロと歩く大谷吉継がやって来た。
「布陣図が欲しいとの事」
「布陣と言えば、小早川秀秋が後方、後詰役への布陣を強く希望しておる。戦力となってもらうためにも、ここは希望を叶えてやるか」
「小早川は内応の危険があるが……」
「なら、そちらにも備えておけばよい。所詮は十九の小僧、何もできぬわ」
「まず、美濃に誘い込めるかどうか。それが出来てからの」
そう言うと、三成は昌幸への返答を書きはじめた。昌幸が今、徳川三万の兵を機能不全にしてくれている。甲斐・信濃を与えないわけにはいかない武功である。
「これで人質の失敗を補えた……とは言えぬなぁ」
「同意しまする……あの失敗は不味い。」
大坂の三成は、またしても計算外の事態に頭を悩ませていた。三成側の強みは大坂・伏見に諸大名の人質を取っているという事である。そのため徳川方についた諸将も、上手く調略すれば大坂方に寝返る、という可能性も僅かに存在していた。
だが、徳川方についた諸将の中でも知勇兼備の将として知られる細川忠興。その奥方である玉(細川ガラシャ)を、人質要請に赴いた奉行達が勢い余って自害まで追い込んでしまったのである。
「武家の娘としての見本を見せおった。これは他の人質達も見習って自害するやも」
「そうなると徳川方は何のしがらみも無くなるな……三成よ、拘束を監視に切り替えぬか」
「……致し方ありませぬな」
と、失意の三成に届いたのが先程の文である。三成は、ようやく事が思い通りに進んだと喜んだ。
「伊豆守殿も上田に入城した!以前に徳川を返り討ちにしたあの親子がいるとなれば徳川め、上田を攻めずにはいられないと見まする」
「私も同感だ。信幸殿、妻子がおるのによくぞ決断して下された。これも友情のなせる業か」
「つくづく、あ奴には感謝し切れぬ。これで取り敢えずは五分の状況に持ち込めまするな」
三成は文の続きに目をやる。予想布陣図……この要求にどう答えるか、三成は迷った。
「欲しいと言われてものう」
「美濃の平野に誘い出すという策はあるが、流石に布陣までは……如何様に書きましょう?」
「こういう文は、あくまでも味方の士気を上げるためのものだ。徳川軍を諸将で囲み切った布陣でも描いて送ればよい」
「では、石田・大谷勢と毛利勢で挟撃をしている図でも描いておきましょう」
三成は慣れた手つきで筆を取った。一刻後に書き終えると、複数の使者を呼び複写させ、そのまま文を持たせた。災害などに使者が巻き込まれても、無事に届く様にする策である。
「この文を、真田へ届けよ」
「安房守様へ、でございますか」
「う……」
三成は一瞬、文を昌幸宛とする事を躊躇した。自らが名付けた『表裏比興』という仇名が、脳裏を掠めたのである。合婿にも関わらず、悩んだ。更に一刻、悩んだ末。
――どうせならば……。
三成は意を決して使者に告げる。
「宛名は……」
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そして二日後。当然の様に昌幸は使者に抗戦を宣言した。ここに信幸の面目は丸つぶれとなったのである。
「父上……まさか本当にやるとはな……」
「仕方有りませぬ。昌幸様でございますから」
「仕方ない事があるか!」
頭を抱える信幸を、必死に才蔵が宥める。
「秀忠公の指示を待ちまするか」
「そんな事を待っていては無能の証だ。頼康(矢沢)!出陣の支度を急げ!」
「どちらへ?」
「決まっている。砥石城だ」
「え!?しかし、砥石は」
「そうだ。信繁の城だ」
秀吉の死去からしばらくして、信繁は砥石城主に任命されていた。しかし、城主となってから今の今迄、信繁は防衛戦の経験すらないのだ。上田城の連携の要・支城である砥石を落とせば、上田落城までの手間はグッと省ける。
信幸でなくとも、いずれそこに目をつける。ならば言われる前にやってしまうのが戦国武将である。
「源次郎様と、争うとおっしゃられるので!?」
「ああ」
「ああって……殿、よろしいので?」
「まぁ見ていろ。砥石までは、俺の思った通りになる」
「はぁ……」
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砥石城。信繁は櫓の上で、只管に瞑想をして物見の報告を待った。
「信繁様ぁっ!」
「……来たか」
「はい。『紺青の六文銭』、伊豆守信幸様でございます!」
「予想外に早かったな。撤退の準備だ」
「え?」
肩すかしを喰らった部下達は、信繁を二度見する。そこに佐助がやって来て、身を乗り出して尋ねる。
「若様!ここで一当りもせずに退くのは、味方の士気に……」
「佐助ッ!」
「はっ……」
信繁の目が据わっている。その威圧感を、佐助は幾度となく経験していた。それは……兄・信幸が関わった時のみ、発せられるものであった。
兄弟愛であった。
「この源次郎に、兄を討てと申すか?」
「い、いえ!滅相もございません!」
「なら黙って退け!この信繁、兄にだけは、生涯ただの一度も弓引かぬと誓ったのだ!」
「ははあっ」
「それに勝てはせぬ。兄が本気になれば、もしかすると父上だとしても……」
「……」
「安心せよ。この撤退は、そうならぬ為の父上の策じゃ」
信繁は、手筈通りに撤退し、砥石城はもぬけの殻となった。
「殿!信繁様が撤退なされた様子」
「やはりな」
「わ、分かっておられたので?」
「皆のもの、ようやってくれた。戦はこれで終いじゃ」
「はぁ!?殿、何を仰られるのです」
才蔵が慌てるのを無視するかの様に信幸は歩を進める。砥石城に入城を果たすと、具足を全て脱ぎ捨て、腰兵糧を頬張り始めた。
「才蔵、お主もくつろげ。もうここに留まっておれば良いのだ」
「殿!まだ上田城は無傷にございまするぞ。直ぐに出陣の御触れが出ましょう!戦支度を解かれては……」
「面倒な奴だなぁ。頼康、説明してやれ」
信幸は扇子で頼康と才蔵を指さす。一族衆である頼康は、状況を全て飲み込んでいるらしく、才蔵に淡々と説明を始めた。
「良いか才蔵。昌幸様が上田で時を稼いだ時点で、信幸様……殿の面目は丸つぶれだ」
「はぁ」
「そこで昌幸様は、信幸様が名誉挽回の為に支城を落とすと読んだわけだ。主力はほとんど上田に集まっているから、攻略は容易い。これを落とさせる事で手柄を立てさせようとした」
「ならなぜ、信繁様は城に?」
「無人の城を落して、手柄になると思うか?」
「……なるほど」
才蔵は一度、理解した様な素振りを見せたが、数秒後にはまた唸りだした。
「しかし、砥石が落ちれば城同士の連携が消えるのでは?それこそ、昌幸様の真骨頂ではございませぬか」
「そう、これで連携は取れなくなった。だが、それをするだけの価値のある戦果を生み出しているではないか」
「え……?」
「信幸様だ」
頼康は誇らしげに答えた。才蔵は、その回答にようやく納得した様子であった。
「そうか……大殿にとって一番の強敵は、城の勝手知ったる殿に他ならない」
「そうだ。この砥石に入城させてしまえばよい」
「しかし、ここで補給を済ませて再出陣すれば……」
「それはない。絶対にな」
「な、何故?」
信幸と頼康は、寝転がって答える。
「まぁ、見ておればよい」
才蔵がその言葉の真意を知るのは、徳川軍による上田城攻めが始まってからの事であった……。




