第二話 加賀の巨漢と危うい弁丸
「久しぶりであるな。前田殿」
「そこの御仁は?」
『前田殿』が弁丸を一瞥して信幸に尋ねた。
「俺の愚弟だ。弁丸と申す」
「そうか」
「兄上、この方は?」
弁丸は信幸の顔を見て、ハッとした。客に自分を紹介する。自分に客を紹介する。二度手間だ。自分がついてこなければすぐに本題に入れたのに。そんな顔を信幸はしている。
「滝川一益殿の客将、前田慶次郎利益殿だ」
信幸は滝川傘下にいた時に慶次郎と誼を通じていた。が、弁丸はその場にいなかったのである。
「お初にお目にかかり申す。真田昌幸が次男、真田弁丸……弁丸……」
「……続きは?」
「恥ずかしながら、こやつはまだ元服しておらぬのだ」
弁丸の顔面が沸騰する。その歳でまだ?という顔を前田慶次郎が、そして信幸がしていた様に見えたからだ。
弁丸の歳は数えて十六。信幸と一つしか違わないのに、元服は圧倒的に兄よりも遅いのである。
「かっかっか!それは可哀想な小僧じゃのう!」
「それで、如何な用にて?」
弁丸を放って本題に入る信幸。弁丸は劣等感から一言も発することができない。
「同盟志願じゃ。以前滝川家の配下であった誼での」
慶次郎は単刀直入に告げる。
「まさか!滝川の使者として参ったなら父上に告げるべきであろうが」
こんな大事な事を当主でなく嫡男の自分に言わたため、慌てふためく信幸。
「これは一益殿の意にあらず。儂の言葉じゃ」
信幸はホッとすると、それでもなお厳しい面持で慶次郎に向き直り言う。
「ならば話すことはない。帰れ」
「おいおい、儂は善意からわざわざ赴いてやったのだぞ」
「何?」
「今の要請はな、後々必ず、正式に昌幸殿へ届く。今の内に援軍出すか突っぱねるか、よく考えておくんじゃな」
信幸はハッとして慶次郎の胸倉を掴む。
「ぶつかるのか?羽柴と柴田が!」
「そういう事じゃ。痛いから離してくれ」
数瞬遅れて、弁丸もハッとして慶次郎の襟を掴む。
「では、対上杉の拘束が弱まるという事ではないか!」
「そういう事……苦しいから離さぬかッ!小僧!」
体躯で劣る弁丸は強引に体から引っ剥がされた。
「上杉景勝に対する備えは越中の佐々成政だけじゃ。両者の開戦の可能性は極めて低い」
そうなれば、下手をすると上杉は旧武田領を切り取りに来るかもしれない。
「貴殿はどうするんだ?」
「儂か?当面は滝川傘下だが」
「いざとなれば前田家に戻るのか?」
「さぁのぉ」
弁丸は二人が何を話しているか分からなかった。滝川家と前田家は両方柴田勝家との同盟家である。どちらにつこうが同じ事に思えた。
だが二人には弁丸には見えない、その先が見えていた。前田利家と羽柴秀吉が懇意である事を、信幸は以前慶次郎から伝え聞いて知っていた。
「ではこれで。せいぜい悔いのない方を選べ」
「有難い忠告、感謝致す」
散々無礼を働いたわりには、去りゆく慶次郎へ向かって信幸は深々と礼をした。それほど貴重な情報を得たという事であり、それを鵜呑みに出来るほど慶次郎が信頼できる男だったということだ。
「待たれよ」
その声の主は弁丸。慶次郎に向かって、持参した木槍を放り投げた。慌てて掴む慶次郎に弁丸は不敵な表情で言い放つ。
「思い出したのです。前田慶次郎利益殿。織田、滝川家中でも相当な槍の使い手であると聞いたことがあり申す」
「弁丸!やめぬか!」
「喝!」
「なっ……」
信幸が弁丸に気圧される。
槍を持った時の弁丸は押しが強い。先ほどの紹介で、元服が済んでいないことを馬鹿にされた気持ちもあり、ここは絶対に譲らないという気迫が垣間見えた。
はぁ、と溜息を一つついた信幸は慶次郎に向き直り、
「愚弟に一手、ご指南をお願いしたく」
「う~ん……まぁ、よかろう」
「よし!然らば、いざッ!」
弁丸は身の丈の倍余りの槍を素早く中段に構える。対して慶次郎は下段に構えて、見事なまでに脱力している。
弁丸はすり足で、一歩ずつ。ゆっくりと間合いを詰める。
「せいッ!」
弁丸が仕掛ける。放たれた槍先の軌道を、慶次郎は下段から僅かな力を加えて逸らす。
「ほあッ!」
攻守交替、今度は慶次郎が攻める。弁丸は左右に体を揺らし、的を絞らせない。
「むむッ」
弁丸が慶次郎の足元に狙いを変える。それに反応して慶次郎の槍先が下がったその時、
「でぇッ」
罠であった。弁丸は一気に間合いに踏み込み、飛んだ。狙いはがら空きの頭部だ。この重い槍で、思い切りぶん殴る!
「阿呆!飛ぶ奴があるか!」
――ドンッ!
信幸の忠告はあまりに遅かった。胸部に強い衝撃を感じた次の瞬間、弁丸の体は吹っ飛んでいた。慶次郎の槍先が命中したのだ。空中への迎撃など、この男にかかれば余裕で間に合うという物である。
信幸は顔を覆いながら、慶次郎に言う。
「申しておくが、殺したらまともに関所は通れぬからな」
「手加減はしたぞ。恐らく生きておるじゃろう。恐らく」
ゆっくりと弁丸に近づく慶次郎。
「おう、生きとる、生きとる」
心臓の脈を確認したらしい。安堵の声をあげる。信幸はそれを見て呆れ顔である。
「危うい爺だ。相変わらず」
「失礼な。儂はまだそんな年ではないわ」
「どちらにしろその年でそれは型破りだ。仮にも俺の弟をどれだけ吹っ飛ばすのだ」
「そういうな。この小僧、相当な武将になるであろうぞ。ではな」
そう言うと、慶次郎は槍を捨てて足早に去って行った。
信幸は失神している弁丸を肩に担ぎながら呟く。
「そうなると、良いのだがな」
やはり、弁丸は危うい。その武の資質故に、いつか悲劇に見舞われる。そんな予感を抱く信幸であった。




