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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第四章 吹き荒れる新風 ―小松爛漫篇―
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第三十四話 信幸を照らす者

「権中納言・上杉景勝殿。現在の領地である越後から、旧蒲生領である会津への国替えを命ず。殿下の命にござりまする」

「あ……会津だと!?」


 使者としてやってきた三成の報を受け、上杉景勝・兼続主従は絶句した。会津九十二万石・蒲生氏郷が死去した際、実子は年端もいかない青二才であった。よって減封し、蒲生家を縮小する事は容易に想像ができたのだが……。

 まさかその皺寄せが自分達に来るとは思ってもいなかったのである。


「り、理由は!我らが先祖伝来の地、越後を追われる理由を述べよ、治部少輔!」

「会津の統治、蒲生氏郷を除く諸将にはままならず。荷が重すぎますれば」

「こちらの利はあるのかと聞いておる!」


 景勝は震えが止まらなかった。上杉謙信の養子として、どの様な処罰を受けてもこの越後だけは、絶対に手放さないと心に決めていたからである。


「召すのは越後・川中島の領地のみにござる。されば、佐渡・庄内に加え会津九十二万石の領地を得、上杉は百二十万石、譜代の蒲生家・前田家以上の大大名となる事に」

「そんな石高は空の升で測ったもの!実収は越後が勝るに決まっておろうが!」

「それは、中納言様の内政手腕にて御解決頂く」

「おのれ、抜け抜けと!」


 三成は、横に控える兼続からの殺気をひしひしと感じていた。越後ら九十万石から会津他百二十万石への転封。加増とはいえ、京から離れるという事が大きかった。秀吉亡き後の天下は、上杉にとっても大いに興味のある事である。

 この処置により、それら野望の達成は一気に難しくなった。会津を与えられた時、蒲生氏郷も同じ懸念をした事を二人は知っている。秀吉は譜代の家臣で畿内から北陸までを固めたのである。


「ご理解、頂けますな?『上杉殿と違い』、伊達の野心は目に見えてござる。されば、その伊達の監視役と共に領地を治るるは、中納言様以外におられますまい」

「チッ……まぁ良い。この景勝、承知致した、と殿下に伝えよ」


 元より選択の余地などない。国替えに文句をつければ即、改易である。上っ面の理由をいけしゃあしゃあと説明する豊臣に対し、上杉は黙って従うしかなかった。三成が帰った後、主従は無念そうに春日山の一室で酒を交した。


「殿、無念でござりまするな」

「言ったところで詮無き事よ、兼続。しかし、今回の事で確信が持てたな」

「御意。秀吉の死期は迫っておりまするな」

「お主には米沢三十万石を与える、と書状にある。治部少輔の進言もあろうが……重臣の懐柔、いざと言う時のための恩を売ったつもりであろう」

「ふっ……殿。ならば売られついでに、一つ手を打とうと思いまする」


 兼続は驚天動地の策を景勝に言上した。 


                      ******


 秀吉の命である伏見城の普請を終えた信幸は、信繁と共に久しぶりに沼田へ帰って来ていた。


「ダンナ!お帰りなさいませ」

「ああ、出迎えご苦労。……少し休もう。待女に茶を出すよう申してくれるか?あ、いや、自分で申すから良い」

「御爺様は……」

「峠、か?」

「はい」


 理由は大叔父・矢沢頼綱の容態が急変したとの報告を受けたからである。真田兄弟にとって、親である昌幸の次……もしくはそれ以上の世話をしてくれた、尊敬する大恩人である。死に際には絶対に立ち会わねばならないと、山中を駆け抜けて参上したのである。


「間に合ってよかった。やはり茶は後だ。信繁を呼んで直ぐにでも屋敷に参ろう」

「はっ」


 二人と信繁が屋敷へ駆けつけると、既に昌幸と山手殿、村松殿に頼綱の息子・頼康が付き添っていた。二人は静かに、それでいて早足で布団の横に近づいた。


「爺、分かるか。俺だ、源三郎だ」

「源次郎……弁丸にござりまする」


 頼綱は薄らと目を開けると、信幸の手を握る。が、その衰えた握力は『握る』を不可能としていた。北条家から沼田を切り取り、その武勇を持って侵攻から守り抜いてきた頼綱が、である。

 かつての剛腕は見る影も無かった・


――これが、老い……。


 小松明を片手に猛威を振るった頼綱。その姿を思い浮かべ、信幸と信繁、二人の胸に様々な思いが去来する。片やその死に方を幸せに思い、片やその死に方を非常に恐ろしく思った。


「源……三郎か。お主には、苦労をかけさせられた……儂は、そなたに何かを残せたかのう……」

「当然だ。爺なくして今の俺は無い。真田の計略は父上から、実の武勇は爺から教えて貰った。小松明も頂いて、俺は果報者だったぞ」

「ふふ……兄・幸隆の代から……戦い続けた儂が、畳の上で死ぬとは、分からぬものよ。のう、源五郎(昌幸)」

「叔父上。頼康は立派な重臣に育ち申した」

「ならば、思い残す事はない……真田が割れず、絶えず矢沢家が仕えられる事。それが儂の唯一の望みよ……小松殿」

「ここに」


 頼綱は小松の頬を摩った。小松は体温の低さを感じ、涙腺を緩ませる。


「其方は……真田家の松明たいまつ……ただの室ではなく、其方に信幸の……行く末がかかっておる。そんな……気がいたすのだ」

「松明……」

「重ね重ね、お頼み申す。源三郎を、どうか源三郎を……」


 頼綱もまた、過去の体験から来る信幸の剃刀の様な一部分を、危うんでいた。自分を殺し、家を守る強さが頼もしくもあり、反面その心を蝕んでいく。照らせるのは、小松しかいないのだ。


「ご安心を……愛しておりまするから」

「ありがたや……出来るなら、そなたの息子……真田の嫡男を見てみとうござった。生まれてくる和子わこを、大切にな」


 そう言うと、嫡男頼康と二人きりにする事を望んだ。その二日後、『攻め弾正』真田幸隆の実弟であり、真田の窮地を悉く覆した剛腕・矢沢頼綱はこの世を去った。享年八十。幸隆・昌幸・そして信幸と、真田三代と共に戦い続けた生涯であった。


                     *****


 理解者である頼綱の死は、信幸の心に陰を残した事を小松は察していた。


「死に際に会えたのだ。それだけで幸せだ」


 口ではそう言っても葬儀の後、明らかな落ち込みを見せていた。戦場での死であったら、あるいは悲しむ暇も無かったかもしれない。どさくさに紛れて、悲しみが四散していたかもしれなかった。

 畳の上の死は、じっくりと、深々と脳裏に刻まれる。それこそ、一生を左右する事象になるかもしれなかった。


――私が、照らさなければ。


「ダンナ、源太郎を抱いてくれませぬか」

「ああ……後でな」

「今!」

「な、何なのだいきなり……」


 迫力に押し負け、二歳になった側室の子・源太郎を信幸は抱いた。ヨチヨチ歩きまで出来る様になっていたため、信幸はこの頃放任気味になっていたのだ。久しぶりにその体重を感じると、能面の様な信幸の頬が和らいだ。


「この子が生まれた時は、ダンナは破顔しておりました」

「そうであったか?」

「はい。『爺に見せて参る!』と言って屋敷に駆けて行こうとした事も」

「ああ……そうであったな」

「私の子でないのが悔しい反面、嬉しかった。あの時のダンナは、心底から行動してくれていた」


 小松は源太郎を抱く信幸を、上から覆いかぶさる様に抱いた。


「たまには、ああ言うダンナになって欲しいよ」

「無茶を申すな。城主がそんなでは家中がしまらぬ」

「問題ありませぬ。太閤や内府様(家康)のおかげで、戦はもう無いのだから。源太郎と、私と遊んで欲しい」

「……」

「私は子供の頃、父上の戦を二郎と何度も見聞に行った。男達が戦う姿は美しい」

「物騒な事だ」

「だから戦が無いのは退屈だけれど、今の私にはダンナがいれば良い。毎晩、私に戦の話をして欲しい。毎晩、頭を撫でて欲しい」

「小松……」

「嫁いで来て、良かった。明日は一緒に槍の稽古でも致しましょう」

「阿呆。妊婦だという事を自覚しろ」


 小松はこの時、待望の嫡男を胎内に宿していた。


 その夜は、二人で寄り添って寝た。信幸は小松のおかげで、久しぶりに幸せな気分であった。唐入りや国替えで殺伐とした伏見にいた頃には、到底味わえなかった安息である。

 信幸は小松に本当の事を言わなかった。側室を先に孕ませてしまった事、本当はずっと申し訳なく思っていた。だが同時にホッとしている自分もいた。お産では母体の安全は保障されない、もし小松だったらと思うと……。

 家族を失うという事は、即ち滅亡の兆しである。次々に身内を失っていった主君を間近で見て来た信幸は、それが何よりも恐ろしい。


 だから数か月後生まれた嫡男を抱いている小松を見る時、信幸は心底からホッとするのである。


 寝息を立てる小松を見やる。この先、自分は何度この女に救われるだろう。最初は容姿以外、滅茶苦茶な印象しか抱かなかった。しかし実際は(まだどちらかは分からないが)跡継ぎを産めて、節制も出来て、いざと言う時の戦の心構えも知っている。出来過ぎた嫁であった。今となっては大叔父・頼綱が命とも言える小松明を授けたのも納得である。頼綱はこれらを見抜いていたのかもしれない。


――武家の嫁としては、日ノ本一かも知れぬな。


 最近の国替えから見ても、太閤秀吉の死期は恐らく近い。ともすれば『唐入り』も間もなく終わるだろう。太平がやってくる。信幸は念じた。政務は、家康が後見で仕切れば上手くいく。家康が代表なら、諸外国との和平も可能性がある。そしてありがたい事に三成は、大好きな小松を人質に取らないでいてくれる。小松とも、我が子とも、そして信繁とも。ずっと一緒にいられる。宗茂の様な男と戦をして、武名や領地も確かに欲しい気持ちはある。だが戦が無ければ家族も、家臣も失わずに済む。大坂に帰った信繁をも想いながら、信幸は久々の安眠についた。


 だが、本当は分かっていた。まだ太平は訪れない事を。自分に野望を仄めかした、あの家康が政務を司る、その事自体が火種だという事を。そして更なる火種は、同時進行で着実に撒かれていたのである……。



                    ******


「五大老?」


 三成は秀吉に謁見し、構造改革の草案を聞いていた。


「そうだ。秀頼は未だ若年。これを支える掟が必要である。じゃが、家康一人に権力は持たせられん。あ奴は有能で、頭も低い。じゃが、未だ牙を研いでおる……」

「同感、にござりまする」

「上杉の牙は抜いた。毛利は輝元なら、その気は起こすまい。宇喜多は儂が擁立した、儂の養子だからの。犬千代(前田利家)は家康の対抗馬足り得る上、北陸を気に入っておる。天下を狙う気概は無し」

「なるほど……」


 納得した素振りを見せた物の、三成には不安しかなかった。上杉は見た目は臣従しているが、伊達への壁役だけで満足する器ではない。その証拠に、兼続は不自然に配下を※帰農させ、春日山に残してきてしまったと聞く。無茶な国替えをした手前黙認したが、何を狙っているかは薄らと分かる。

 前田にしても、利家は賤ヶ岳の再現を秀吉の死後、見せる可能性が僅かに残っている。


「さらに、今少し権力を分散させたく」

「案があるのか」

「奉行に権限を与えるは如何でしょうや?」

「奉行……なるほどのう」


 奉行に担当の政治を左右する権限を持たせる。大老の一存だけで政をさせないための制度を設けるという案。つまり三成は、自分が大老を監視すると言っているのである。この案が採用され、目立たない様に三成の他、四人の奉行を任命する事となった。選出は三成に一任されたのだが……。


「まず某。次いで長束、大谷刑部。上杉の直江山城。最後に真田伊豆守……以上の五名がよろしいかと」


 秀吉は苦笑いを浮かべた。同時に、いつもなら憎たらしいほどに不遜な三成に対し、珍しく可愛らしさを感じていた。


「治部よ。それではお主の仲良し派閥ではないか」

「え?」

「刑部は病で政治には関われぬ。直江や真田に中央の政治は無理じゃ。荷が重すぎる」

「両人は有能にござりますれば、御心配には」

「上杉の牙を抜いたのに入れ歯を与えてどうする。伊豆守とそちは友人だそうだが、奴は家康の娘婿であるぞ」

「あ……」


 何の事は無い、三成は大役を一人で務めることに不安を覚えているのだ。故に、心知れた五人で政を行おうとしてしまった。秀吉は笑い飛ばすと、自ら人選を行い直す。

 結局、勘定奉行に長束正家、寺社奉行に前田玄以、建築奉行に増田長盛、行政に三成。秀吉の義弟・浅野長政

がこれらを補佐する形となった。


「まったく、そちには困ったものじゃの」

「申し訳ございませぬ」

「まぁ良い。下がれ……うっ!?」

「殿下?」


 太閤秀吉が病に倒れたのはその直後、1598年の事であった。大坂・伏見の民達の動揺を避けるため、新たに定まった三成ら五奉行と前田利家・徳川家康は情報を秘匿することを決める。

 秀吉は死期を悟ると、自ら打っておくべき妙手を全て打つを決意した。五大老・五奉行を枕元に呼び、誓紙を提出させた後、ある人物だけ、例外的に呼び寄せる事を決めた。


「治部……」

「ここにおりまする」

「……呼べ」

「だ、誰をでござりましょう?」

「あ奴を……」



「真田信繁を、呼べ」 



※帰農……ここでは武士が農民になる事の意。家臣を全員会津へ移住させる命を出したが、兼続は家臣を農民と言い張る事で強引に春日山に留まらせた。

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