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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第四章 吹き荒れる新風 ―小松爛漫篇―
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第三十二話 羨ましい生き方

「兄上、我らにはいつ出陣命令が下るのでございましょうなぁ」

「……」


 1592年四月。季節は春。今いる場所は常夏の名護屋だと言うのに、信繁の一言は信幸にヒンヤリとした空気を提供してくれた。


「さぁな。先兵だけで済めば用無しであろう。島津や立花、小早川に加藤を含んだ軍団が負けるとは到底思えぬ」

「むぅ、確かに」


 問題はそこではないのだが、信繁を納得させるためである。信幸は敢えて他家の武勇を讃えた。何も知らない信繁はうんうん、と首を縦に振る。

 信繁は武功を立てる機会が回って来て、はしゃいでいるのだ。このままだと本当に秀吉に直訴しかねない。信幸にしてみれば、どうにかして気勢を削いで阻止しなければ、家康にも三成にも面目が立たないので必死である。


「兄上は……まーた義姉上へ手紙でござりまするか?仲睦まじいのはよろしうござるが、少々書き過ぎでは?」

「阿呆、何か月会っていないと思っている。お前も妻を娶れば分かるわ」

「父上は上杉の陣へ、武勇伝を聞きに行っておられるとか。我らも行きませぬか?」

「……お前一人で行けばよい」


 上杉と聞くと、信幸はすぐにへそを曲げる。兼続と反りが合わない事は知っているが、それだけとは信繁には思えなかった。


「兄上、まだあの事を?」

「あのって、何の事だ」

「……いえ、やはり某だけ行ってまいりまする」


 信繁は逃げるように上杉の陣へ駆けて行った。それを見計らったかの様に信幸が呟く。


「おるのだろう。出て来れば良い」

「ふっ、お主の勘は恐ろしく鋭いのぉ」

「老いぼれてもその存在感。其方は絶対に忍にはなれぬな」


 陣幕の隙間から、慶次郎が現れた。一連の様子を見ていたらしい。デカい図体と他を圧倒する圧は、彼に身を隠す事を許さない。


「お主はやはり過保護なのではないか?」

「信繁を唐入りさせろと申すのか」

「させろとは言っていない。好きな様にさせるのも良いと」

「お前も統虎むねとらの様な事を言う」

「統虎?立花のか?」

「奴は厳しく生きている。それでいて、お前の様に自分に正直だ」


 慶次郎はフッ、と微笑すると、優しく信幸の肩を揉む。


「家名を残す事。それに必死なのは分かる。前田うちの叔父御もそうじゃからな」

「当たり前だ。滅びの美学など、残った者が勝手に賞賛しているに過ぎぬ」

「だがなぁ、友情・忠義・士道……それらに殉死した人間を幾百と見て来たが、皆幸せそうに死んでいったものよ」

「……」

「『主君』の言葉をクソ真面目に守るのはいいがな。お主、いつか生きながらにして死ぬのではないか?」

「余計なお世話だ。……消えろ、クソ爺」


 慶次郎は言われる間もなく出て行こうとすると、入れ替わりに三成がやってきた。慶次郎は会釈をして陣幕を潜った。


「信幸、今の男がくだんの傾き者か?」

「然りだ。自分こそフラフラしている癖に、説教をたれに来おった。で、貴殿は何の用事が?」

「機嫌が悪いらしいな。用事が無ければ来てはダメか?」


 三成は御座に腰掛けた。イライラしていた信幸だが三成にまで粗相はできないと、深呼吸して気を無理やり鎮める。


「実は、別れを言っておきたくてな」

「別れ?」

「俺と吉継殿も、唐国へ渡る事になった」

「……そうか。とうとう、か」

「ああ。分かっていた事よ」


 三成は豊臣軍において、連絡線や補給線の確保にいなくてはならない存在であり、また一武将としても槍働きを期待される。さらに先日の秀吉への諌言により、自ら唐国へ行かざるを得ない状況になってしまっていた。

 信幸は、責任を感じた。


「済まぬ。真田のせいで」

「何を言うやら。俺が好きでやった事だ。それに、俺は嬉しい」

「嬉しい?」

「人に必要とされて、自らの能力で人を救う。こんなに幸せな事が他にあろうか?」

「……」


 信幸は、最初三成を可哀想に思った。しかし、本当に可哀想なのは自分なのではないか。そう思い始めていた。


「三成殿。俺はお主に感謝してもしきれぬ。天下に必要な人材だ。死ぬなよ」

「疫病で死んだら、その時はその時だ。ではな」


 三成を見送る信幸の目は、濁っていた。あの三成も、自らの欲望に忠実に生きている一人であったのだ。統虎も、慶次郎も、三成も、兼続も、そして信繁も。皆が自分の満足できる道を探し、目指し続けているのではないか。


 信幸はかつて夢にまで現れた、『主君』の言葉を反芻する。雪降る新府しんぷ、あの日の逃避行を。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『ふっ……寒い事だな。何もかもを失った儂には、まさしく相応しい季節という事か』

『御戯れを。所詮は時の運にござりまする』

『運などではない。上杉が正しいという事、今となっては分かる。他家などな、利用できるだけ利用した後、犬猫の様に捨てるのが真の戦国大名よ。我が父の様にな。儂には先を見通す目が無かった』

『左様な事!』

『源三郎、お主はその目を持っておる。家臣の心に気を配れ。臣との信頼を築けなければ、お主の未来さきは今の儂ぞ』

『信頼、でござりまするか』

『源三郎。儂の姿を努々《ゆめゆめ》、忘れるな。よいか、滅亡だけはならぬ。ならぬぞ!』

『御館様……!』

『さらばだ、真田の嫡男よ。安房守にすまぬと言うておけ。運が良ければ……あの世で会おうぞ』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 上杉に、身内に、そして家臣に見捨てられた、今は亡き主君。それは度重なる失策から、信頼を失ったから。

 人質であった自分を、父・昌幸への義理として最後には返してくれた主君。幼い頃の自分が、日ノ本一の弓取りであると信じて疑わなかったその男が、幽霊の様に痩せ細った哀れな姿。それは今も、信幸の瞼に焼き付いている。

 その姿こそ、今の信幸の行動の指針となっていた。『滅亡ほど惨めな物は無し』。そのためには、同盟国を過信せぬ事。家臣の気持ちを常に汲取り、裏切りを避ける事。何があっても家名を守る事。別れ際にそう教わった。


 そして父・昌幸の形振り構わない外交が成功した時、そのやり方に疑問も反発も持った。が、やはりそれは正しいと今では確信している。小国故の苦労、理解できぬ者は捨て置いた。周りに何と思われようと、家名だけは絶対に残す……。自分を殺しても、滅亡だけは絶対に避ける。それだけを考えて戦って来た。

 だが、統虎の言葉に触発された自分もまた、確かにいるのだ。存亡を投げ打って大会戦にその身だけを投じられたなら、武将としてどんなに幸せだろうと。


「勝頼様……」


 信繁は絶対に渡海させない。その決意に揺るぎは無かった。真田はいつでも風前の灯火である。今更、この生き方を曲げるわけにはいかない。いかないが……。

 信幸は無性に、小松に会いたかった。


                    ******


 三成が唐国へ渡って約半年余り、1593年2月。朝鮮軍は日本軍によって蹴散らされ、主たるみん国の軍隊が遂に出張って来ていた。しかも一軍の将たる大友吉統おおともよしむねが、占拠していたはずの平壌ピョンヤンを、何と誤報に踊らされ無条件で手放してしまうという失態をおかす。これにて日本軍は多大な兵糧と拠点を失った。

 三成が救おうとした遠征軍だが、もはや三成一人ではどうにもならない状況に追い込まれていた。同時に渡海していた大谷吉継と策を練るも、結論は出ない。


「参ったな、これでは日本に帰って信繁と娘の婚姻が結べぬわ」

「よ、吉継殿!今はそれどころでは……漢城に籠城するか、それとも決死の野戦を挑むか決めませぬと……宇喜多中将様、如何でござる?」

「籠城をするにしても、完全に引き籠っては意味が無い。清正から援軍が来るなら別だが、奴らとて動けまい」

「儂もその意見に賛同じゃ。ここは総力を挙げた一点突破。短期決戦を行うべきであろう」


 総大将宇喜多秀家、そして実質的な指揮官である小早川隆景の意見によって、野戦を挑む事が決まった。


「先陣は誰に?」

「既に決まっちょるわ。我が小早川隊、その中でも最も武勇に長けとる男よ」


 既に男は万全の態勢で出陣の合図を待っていた。二万の相手に対して、三千の兵。しかもそれを三方に分けるという無謀極まりない作戦を取ろうとしていた。


「統虎!先陣はお主じゃあ」

「隆景様、この統虎。準備は万端にござる」

「ふっ、今度は文官の軍とは一味違うでの。如何なお主でもこの数の差、覆し切れるかいのう?」


 そう言うと隆景は突然統虎の股間を掴み、縮み上がっていない事を確認する。だが、隆景の心配は全くの杞憂であった。統虎はナニを掴まれたまま、一歩前へ出る。逆に隆景が引いてしまうぐらいであった。


「同数の島津相手に、父上は七百で戦い申した。なればこの数の差、高橋・立花が負ける道理はござらぬ」

「……ふっ」

「お任せを!※主君の汚名は某が雪ぎまする」

「いよしっ!後の事はこの老いぼれに任せえ。まずは先陣、おどれの若さで勝って参れ!」


 二人は親子盃を交した義理の親子である。三人の偉大に過ぎる父親を持つ男。剛勇鎮西一・立花統虎は先陣の役目に歓喜した。急ぎ作戦を重臣・十時惟由に伝えた。


惟由これよしは五百の兵で正面から当たれ。今は少ないが、お前が奮戦するにつれて万の数の軍勢に変わる」

「なるほど。死んで来れば良かですな」

「そうじゃ!ばってん、生き延びれば褒美をやろう。死ねばその褒美はお主の家族のものとなろう!」

ほまれは」

「後世までじゃ!俺が必ず伝えるぞ」

「応!行って参りまする!」 


 士気の上がった惟由軍五百は、鬨の声を上げながら奮戦、正面の明軍三千を蹴散らしていく。


「立花の武勇、ここにあり!明の強兵ども、かかって参られよ」


 無論、言葉は通じない。だがその玉砕覚悟の意志だけは、言葉の壁を乗り越える。礼節として全力ですり潰すため、明の主力は惟由軍へと集中する。


「殿!惟由が、惟由の軍がすり潰されて……!援軍を、援軍をぉ!」

「馬鹿が!敵が集まる前に出て行けば、惟由の決死の覚悟が全て無駄になるわ!お主は惟由を愚弄するか!」

「しかし、しかし……」


 部下の不安は的中していた。惟由の軍は徐々に、徐々に討ち取られ、その数を減らしていく。それでも、統虎は動かない。そして遂に万の数に達した時である。


「今じゃあ!主力の右を突けぇぇぇ!」


 満を持して、明軍の右翼に回り込んだ統虎軍二千が、惟由軍と連携して明軍を追い立てて行く。惟由の圧殺に躍起になっていた明軍は、この戦法に反応できるわけもなく。数の上では明軍の圧勝なのにも関わらず、一人、また一人と討ち取られ、追い立てられて行ったのである。


「何をしている!たかが三千の兵相手に!」

「奴ら一人で、二人を相手に出来る武勇を持っています!撤退、撤退を!」


 横槍を入れられた上に、相手は強兵立花の軍である。堪らず明軍一万は撤退。戦果は武将首約一千。負傷した敵兵は三倍以上に及ぶ大勝利であった。

 が、惟由の救出はならなかった。百余名の遺体の中から惟由を見つけた統虎は、遺体を漢城に持ち帰り隆景に告げる。


「惟由の功にござる」

「承知した。あとは、儂らが始末してやるけぇの。おどれは援護に回れ」

「はっ」

「おおし、行くぞ!秀包、広家」

「御意に、兄上」

「馬鹿たれ!※父上と呼ばんか!」


 しかし立花の剛腕っぷりに士気を削られた明軍は、小早川隊の相手では無かった。


「侮ったな、明軍め。立花の三千を、ただの三千と思ったのが間違いじゃあ。三倍以上、一万の軍勢に匹敵するけんのぉ。左近将監さこんしょうげん統虎の軍勢は!」


 後に碧蹄館せきていかんの戦いと呼ばれるこの一戦は、小早川隊の圧倒的勝利に終わる。士気を挫かれた明軍は、遂には三成との和平交渉に臨む事となったのである。これは兵糧を始めとする兵站の維持が限界に来ていた日本軍にとっても渡りに船であった。


 こうして第一次唐国遠征……後の『文禄の役』は終戦を迎えたのである。まったくの無益な戦い。しかし立花統虎の武勇に磨きをかけた事に関して、ほんの少し価値のある遠征であったかもしれない。


――信幸殿。戦こそ、某の生きる道にござる!


 生粋の戦人であるはずの二人。真田信幸と立花統虎の生き方は、ますます対照的になっていくのである。


※主君……大友吉統は統虎の元主君

※父上……小早川秀包は毛利元就の九男、即ち三男である隆景の弟であるが、実子のない隆景の養子となった。

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