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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第四章 吹き荒れる新風 ―小松爛漫篇―
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第三十一話 渡る将、残る将

「せい!」

「やぁぁ!」


――カツン、カツン。


 一ヵ月後、信幸と信繁は沼田へ帰って来ていた。帰って来るや否や、元気の有り余っている小松は信繁と槍の稽古を始めてしまった。信幸は室内にて、無事着いた旨を三成と忠勝に伝えるため文を書いている。


「隙あり!」


――スパン!


「うおっ!?」


 信繁が踏み込んだ右足で小松の足を払う。体重差もあって軽々宙に浮かされた小松は、お尻から地面に落ちてしまう。すかさず信繁が顔面に槍を寸止めしたところで、勝負が決した。


「くぅっ、また負けた!弟達には一度たりとも負けた事はないのに」

「ですが五戦で二分三敗しかしておらぬのです。義姉上も十分に化物では」

「誰が化け物か!」


 婚儀の席でのいざこざはどこへやら、二人はすっかり組手仲間になってしまっている。


「小松、その辺にしておけ。怪我をされたらかなわん」

「ダンナも如何ですか?私と一勝負」

「遠慮する。何十里移動して帰って来たと思うているのだ」


 小松は手ぬぐいで汗を拭う。太陽光に反射する水滴を纏う十七歳は、七つ年上の成人には眩しかった。


「ところでダンナ、面白い男に出会ったと信繁殿に聞きましたよ」


 信幸はようやくこの呼び名に慣れて来たところである。好きに呼べ、とは言ったがこの呼ばれ方は非常に安っぽく聴こえる反面、小松を身近に感じる不思議な感覚であった。


統虎むねとらの事か?」

「そう、その男。『剛勇鎮西一』の異名を持つ大名でござりますね。父上から話は聞いておりまする」


 ぐい、と小松が顔を近づけると、信幸は逆に一歩下がる。


「どの様な男でござりましたか?信繁殿は、『兄上に聞いた方が良い』と申すだけで」

「どの様な、と申されてものう……」


 信幸はしばし唸ると、説明を始めた。


「身の丈は俺とそう変わらぬ。六尺(約180センチ)ぐらいではないか?相撲が得意だと言うだけあって、骨格はがしり、としておった。まぁ、熊の様な男だ」

「馬鹿にして。左様な事を聞きたいのではござりませぬ」


 小松は頬を膨らませる。聞きたいのは内面、気性、そして人物の様だと信幸は察した。


「そうさなぁ……一つ言えるのは、果てしない器量の持ち主だという事だ」

「それは?」

「大抵の人物に対して、許そうと思えば許す事ができるし、殺そうと思えば殺す事が出来る。左様な印象だ」

「例えば親を殺されても、許せると?」

「時と場合だがな。あやつは復讐、恩讐に駆られる様な狭量ではないという事よ」


 信幸は遠く山を飛ぶとんびを見つめる。統虎ならば、あの鳶にさえ例えても良いかもしれぬと、心のどこかで思っている。信繁と同い年という事もまた、信幸に統虎を意識させていた。


「ならばダンナと同じでござるな」

「俺と?ハッ、笑わせる」

「何故?ダンナも復讐になど決して心を囚われぬではありませぬか」

「俺は心に、怨恨を残してしまっているのだ」

「怨恨?」

「……この話はもうよかろう?統虎は俺と違い、主君に忠義揺るぎない『誠の』義将だ。それだけだ」


 そう言うと、信幸は台所へ行ってしまった。自分は信幸の全てを知っているわけではない。小松はその事実に歯噛みした。


                   ******


「太閤殿下。立花統虎たちばなむねとら、ただいま参りましてござります」

「おう、待っておったぞ……近う寄れ」


 同じ頃、大坂に留まっていた統虎は三成の立ち会いのもと、秀吉に謁見していた。


「何の用で呼んだか、分かっておるか?まぁ其の方なら、分かるであろうな……」

「『唐入り』と存じまする」

「名答」

「恐縮にござります」


 秀吉は上座を降り、平服している統虎の近くへ床を軋ませて歩み寄る。流石の統虎も、その至近距離においては計り知れぬ緊張を覚えた。何しろ天下人が目と鼻の先である。横に控える三成にすら、緊張は伝染していた。

 秀吉は大胆にも統虎の肩を掴む。


「九州勢には働いて貰わねばならん。その中でも儂は島津より、そちを信用しておるのよぉ」

「勿体なきお言葉」

「小早川隆景には話をつけてあるでよ。そちと隆景、そして秀包ひでかねで一隊を組み、唐国を蹴散らしてきやぁ」

「御意に」


 満足した秀吉は上座に戻ると、扇子を開き顔を仰ぎ始めた。大坂の夏は暑い。


「殿下、徳川家康様が起こしにございます」

「統虎、下がって良い。吉報を待っておるぞ」

「はっ、必ずや」


 統虎が下がると、入れ替わりに家康が入室してきた。三成は横に控えたままである。


「何様でござる、大納言だいなごん殿」

「『唐入り』の件にございます。我ら徳川の兵なのでござるが、伊達政宗を始めとする奥州の荒くれ、甚だ不穏なれば……これに備えたく」

「要するに、儂の兵として唐国に渡る気は毛頭ない、と?」

「左様な事は。殿下の兵として、北に備えたく存ずる」

「……」


 秀吉は再び上座から降りると、統虎と同じ様に家康の肩を掴んだ。ただし今度は、渾身の力が込められていた。


「ぐっ……」

「本当はぬしが、政宗と謀ろう……などと考えてはおらぬだろうの?」

「滅相も無き事!」

「三成。如何致そうかのう」

「某には、何とも……」


 三成は家康に対し、何の感情も持とうとはしなかった。家康は豊家を上回る石高を持つ大名である。救済を思考の楽しみとする三成にとって、『強き者』は助けるに値しない。


――この男は、牙を隠しているだけだ。いっそ、ここで牙が折れれば……。


「か、重ねてお願い仕る!」

「強欲な男よ、何じゃ?」

「信濃・上州……即ち、真田の事にござりまする」

「……ッ!!」


 三成の目の色が変わった。


                  ******


 翌月、信幸は家康からの書状を受け、江戸城へ参上した。小松も一緒である。


「何故ついて来たのだ」

「私は大納言様の養女むすめ。親に会いたいと願うのは自然でござる」

「お蔭で費用が嵩んだぞ」


 そうはいう物の、小松の普段の倹約のお蔭で、沼田の財政は良好である。服は質素な物(と言うより動きやすい物)を好むため待女や家臣もそれを真似ざるを得なくなり、家全体の懐に余裕が出来るという好循環を作り出した。口では言わないものの、信幸は小松に感謝すらしていた。


「おお、小松!久しぶりであるの、近う寄れ」

「大納言様!」


 小松は同じく倹約家・武人である義父・家康とは波長が合っていた。ひしと抱き合う二人を見るとどう見ても親子なのであるが、それでも下座に控える信幸は、ほんの少しだけ家康に嫉妬した。


「沼田での様子など詳しく聞きたいが……今は婿殿と大事な話があるでな」

「私も聞きとうござります」

「小松!」

「む、ダンナが言うならば……失礼いたします、大納言様」

「うむ」


 小松も武家の女である。今からの話が戦に関する事、家の存亡に関わる事は容易に察知出来た。話を聞きたいのは本当であるが、信幸の顔を保つ事を優先し、礼儀正しくその場を外した。


「よく出来た養女むすめであろう?」

「誠に、気性以外は本当によく出来た嫁でござる」

「時に、其の方を呼び出したのは、何か頼みたい事があるのではないかと思うてな」

「!?」


 信幸は戦慄した。この家康と言う男、先の統虎とはまた別の恐ろしさを持っていた。先を読む力である。


「しかし……」

「許す。申せ」

「し、然らば……さ、真田家の唐入りの際の出兵を、め、免除して頂くよう……太閤殿下に、し、し、進言を……」


 信幸の喉は命令通りに動かない。当然である。全国の諸将が強制送還される中、徳川家康という重鎮に取り入って自分の家を守ろうとしている。傍から見れば厚顔無恥とも言える行いであった。

 だが、それでも信幸は言わねばならない。黙っていれば信繁が……あの好戦的な弟が自ら手柄を求めて渡海しかねない。そうなれば信繁の死を覚悟しなければならない。それだけは避けねばならなかった。

 後は家康がどう出るか。その一点であったのだが……。


「ふ、やはりな」

「聞き入れては……下さりませぬか、大納言様」

「しておいた」

「は?」

「もう嘆願はしておいたと申しておる。書状で無く、大坂で直接な」

「……はぁ!?」


 信幸は再び驚愕する。家康は信幸の頼みごとを読んでいただけでなく、実行まで果たしていたのである。信幸は、統虎と戦えば五分と五分だと考えていた。だが、家康と戦ったなら……。


――勝てない。絶対に!


 信幸の性格、信繁の気性、真田家の財政、信濃・上州の実情……全てを論理的に組み上げ、家康は結論を下している。これは戦の軍議と全く同じ行程である。徳川家康。三方ヶ原で武田信玄に敗れて以来、久しく負けを知らない男。小牧・長久手では太閤秀吉すら破ってのけた男……。信幸は家康の大きさに体を震撼させた。


「儂一人のお蔭……と申したいところだがな。太閤殿下は最初、お怒りになったのよ」

「では、嘆願は通らず終いで?」

「否。聞き入れて下さった。治部少輔のお蔭でな」

「みつな……治部少輔殿の?」


 家康の話によると、秀吉は当初、真田を先兵として使うつもりだったらしい。


『権兵衛(仙石)もおる。奴は頭は不得手じゃが、荒くれを纏めるにはもってこいの人材ぞ。むしろ豊臣譜代こそが勝手知ったる土地だぎゃあ!』

『それは錯覚にござりまする。滝川一益が盟主であった頃の信濃は、真田以外には付き従いませなんだ。真田がいなくなればタガが外れませするぞ!』

『えぇい三成!おみゃあの意見を聞かせ!』

 

 血の昇った秀吉は尾張訛りが現れるらしく、家康が言うには三成もその怒気を感じ取っていた筈らしい。だが、家康の口から出た三成の言葉は、信幸の涙腺を緩ませた。


『大納言様の申す通りかと存じまする。信濃を繋ぎとめるは、真田をおいて他に無し』

『※佐吉ぃぃ!?今何と申したぁぁ!?』

『真田昌幸殿は、某の※合婿でもござりますれば。連携も取り易く、信濃における殿下の懐刀になり得ましょう』

『お、お、おみゃあらあぁぁぁぁ!』

『何卒!』『殿下!』

『ぐぬぅ……分かったわい。信繁は元は人質でもあるしの……奴に免じて留めおこう。ただし、名護屋の築城には加わって貰う。これは譲れぬ、厳命じゃ!』

『『ははっ』』


 一連の言動を説明し終えた家康は上座から降り、平服から直らない信幸を無理やり起き上がらせた。あの信幸の鷲の様な眼力はどこへやら、頬には涙がつたっている。


「あ、ありがたく……ありがたく存じまする」

「礼には及ばぬ。順序は逆になったが、結果としてそちの頼みを聞いた形になったな」

「ははぁっ!」

「だが、そちの為だけにやったわけではない。よく聞け、信幸」


 家康は上座に戻ると、神妙な面持ちになる。信幸もようやく持ち直すと、視線を交して聴講の準備を終えた旨を伝えた。


「儂は此度の出兵、何の益もなく……どころか、損失を生んで終わると踏んでおる」

「御意にございます」

「唐国は文官の治る国。恐らく武力という点では、我らの百年後ろを歩んでいるだろうよ。だが恐いのは」

「疫病」

「左様。恐らく武士らしく死ぬことは叶うまい。そして、その損失こそ豊家の天下に軋みを生む」

「……大納言様?」


 先程まで優しげだった家康の目が笑っていない。言葉に出すな、察しろ、という意思が眼光に乗っていた。信幸は言葉を飲み込む。


「であるからして、徳川の兵は絶対に渡海はさせぬ。が、これにはもう一つの意味がある」

「もう一つ……あっ」


 信幸が察した事に、家康は満足した様子だった。


「お主の視野も、なかなか広いようだのぉ」

「交易の復活……」

「その通りじゃ。『すげ代わった』後でなら、望みはある。かなり薄い望みではあるがな」

「御見それいたしました。大納言様は……太閤殿下とは違う視点で、海の先を見ていらっしゃる」


 信幸は再び平服しながら思う。例え秀吉が亡くなっても、天下はやがて円滑に回るだろう。この家康と、あの三成が居さえすれば……。

 と思ったその時である。信幸は家康を取り巻く雰囲気が、正負反転した事を即座に察した。


――何だ?これは……詰問の時の雰囲気ではないか!?


 かつて春日山にて景勝・兼続主従に詰問された、あの時の空気であった。家康は一転して信幸を睨みながら、ゆっくりと上座を降りて来た。


「さて、信幸よ……実はな、ここからが本題なのだ」

「……如何されたので」


 家康は信幸の首に、開いていない扇子を押し当てた。


「先程のお主の涙は……儂と治部少輔、一体どちらの為に流したものかのう?」


 その言葉に涙腺は引き締まり、流す涙も消え失せる。鳥肌が全身に広がった。この流れを予想していなかった信幸は、一瞬回答に窮した。家康は信頼を測っているのだ。


――果たしてお前は儂の婿か?それとも三成の友か?


 そう、先程家康が言った『徳川の兵』に、信幸が入るかどうか。場合によっては意見を翻し、『唐入り』に加わる事もあり得る。


――ならば、迷う事は妙手ならず。


 信幸は決断した。この家康を前にして、完全な正直も、完全な嘘も身を亡ぼすに違いない。


「源三郎信幸は、大納言様の婿でござる。が、一つお心に留めて頂きたい」

「ほう?」

「治部少輔は、天下に無くてはならぬ男。かの者は決して大納言様に弓引かず」

「引いたらば、如何する?」

「もしこの言葉違えれば」

「違えれば?」

「この婿が、豊家に反旗を翻してでも治部少輔を討ちまする」

「……」「……」


 家康は首に当てた扇子で、信幸の嘘を見抜こうとしている。だが、信幸は嘘と本気を半分ずつ言上したため、その体に動揺の兆しは見られなかった。

 家康は扇子を懐に収める。


「ふっ、よくぞ申したの。その胆力に免じて、真田の渡海は阻止してやろうぞ」

「有難き、幸せにて……」


 言の葉と震え一つ起こさない胆力で持って、信幸は家康の信頼を勝ち得た。

 信幸は沼田へ帰還した後、三成への感謝の手紙を書き、誠意を示した。が……三成との友誼に一片の危うさもまた、感じざるを得なかったのである。

 

                 ******


1592年(天正20年=文禄元年)三月。唐入りの為に編成された軍、数にして十万以上の兵が名護屋に集っていた。築城の名人・加藤清正の指揮の元に築かれた前線基地・名護屋城では壮大な見送りが行われていた。


 当然、真田家もこの基地に召集された。信幸と信繁は、戦線に赴こうとする顔見知りを見つけ、歩み寄る。統虎と秀包である。


「これは、真田兄弟殿ではござりませぬか」

「ご多忙の中、失礼致す」

「何、少しばかり波風に当たって来るだけの事」

「ふっ、流石の強気にございますな」


 秀包は肝が据わっていた。信繁と秀包が話し込んでいる間、信幸は約半年ぶりに統虎と対峙した。


「お久しゅうござるな」

「信幸殿か、そなたとは一度、ゆっくりと話す機会が欲しゅうござった」

「何を弱気な。其方ならば唐国にても躍動し、帰って来れようぞ」

「……弱気?何を勘違いしておられるのです」

「え?」


 信幸はその言葉によって強められた、統虎の圧に一歩下がった。


「弱気とは、貴殿の事でございましょう。分かっているのです。あなたは自ら暗躍して、真田の出兵を阻止した」

「……」

「否定しない潔さはあるらしい。ですが、立花は命も惜しまず名を惜しむ。真田あなたと違い、疫病も戦場も恐れはしない」


 嫌味であるのに、兼続の様な嫌悪感を感じさせない雰囲気が統虎にはあった。つまり、心底残念がっているのである。真田信幸が、立花統虎とは違う人種であった事に。

 統虎は、滅亡を恐れてはいない。父・高橋紹運の壮絶な玉砕を聞き及び、『自分もそうありたい』と思う男。どこまで行っても、敵は己なのである。


「某は退きませぬ。そして、必ず帰って参りまする。その時こそ、我が立花の武勇は日ノ本一とならん。その時の真田に、立花が止められるかどうか。機会があれば矛盾を突き止めたい」

「……ご武運を」

「かたじけない」


 統虎は、自らの気性に背かず生きている。正真正銘の大物であった。 

 こうして秀包と統虎は、唐国へと旅立って行った。己との戦をするために……。



※佐吉……三成の幼名。

※合婿……対象二人の嫁同士が姉妹である関係の事。昌幸の正室(信幸・信繁・村松の母)・山手殿と、三成の正室は姉妹(諸説あるがここでは両人とも宇多頼忠娘)。

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