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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第四章 吹き荒れる新風 ―小松爛漫篇―
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第二十八話 驚愕の恋文

 戦場を見るのが好きなのは、強い男達を見るのが好きだから。吐き気を催す様な凄惨さ、家族のためにそれに立ち向かう姿が美しいから。そして自分も、いつかそこで父の様な日本ひのもと一の男と馬を並べ、戦場を駆けまわるのだ。そう夢見て稽古に勤しむ毎日だった。

 だが自らと同世代の男達は、自分を見ず、父を見ていた。父の姿に怯え、あまつさえ自分にまで平伏する。父の様な男は自分の前には現れないと、半ば諦めていた小松だったが……。


――真田信幸、かぁ……。


「痛ッ!?」


 大多喜城。家康の養女となったとはいえそれは形だけ。小松姫は未だ本多家で暮らしていた。何やら縫い物をしている様子を、忠勝の長男・本多忠政と次男・二郎は襖の隙間から覗いていた。

 小松は針を指に刺してしまったらしく、ちゅうちゅうと指の血を吸っている……かと思うと、天井を見てボーっとしだす始末。明らかに様子がおかしかった。


「姉上、江戸城に行ってから毎日あの様子だが……」

「何かあったのでしょうが、聞いても殴られるだけでございました」

「うーむ?父上は毎朝やたら満足そうだし、本当に婿が見つかったのやも」

「姉上は、いなくなってしまわれるのですか?」


 二郎が情けない声を出す。まだ十歳にも満たない幼子は、日常が変わってしまうのが恐ろしいのだ。

 呆れた忠政が襖から背を向け、肩を掴んで諭す。


「あのなぁ二郎。それが武家の女の役目なのじゃ。人外とはいえ、姉上も例外では無い」

「あ、兄上!後ろでござる!」

「後ろ?」


 忠政が振り返ると、明王の形相をした小松が立っていた。


「た~だ~ま~さ~。貴様、誰が人外だと?」

「うあっ!?お、お助けを!」


 二郎は一目散に逃げて行く。忠政にお仕置きを終えると気が晴れたのか、小松は迷いを断ち切り凛とした忠勝の部屋へ歩いて行く。


「父上。覚悟を決め申した。私、真田に文を書きまする」


 その言葉を聴くと、白湯を飲んでいた忠勝が吹き出し、腹を抱え始めた。その反応に小松は再び明王となって怒り、生涯何度目かも分からない親子喧嘩が勃発する。


「お、久しぶりに小松様がお怒りじゃ」

「小松様が元気だと、儂らも元気になるのぉ」


 城下町の朝は、小松の怒声によって始まった。


                 ******


―――――――――――――――

治部少輔三成殿へ


 九月某日、私はとんでもない事を致してしまい申した。内容はあまりにお粗末なので伏せるが、主たる徳川家康様、重臣・本多忠勝殿にとんでもない恥をかかせてしまった次第。


 しかし、私は間違った事をしたとは思っておらぬ。何故ならあの女は武家の男に対し髷を掴むという、最大級の侮辱を行ったのだ。いくら主家筋の養女でも、士として黙っているわけにはいかぬ。貴殿もそう思うであろう?そこで私は一喝してやっただけの事。彼女の事を思ってやったことなのだ。


 そもそもあの女、あれほど美しい容姿をしていながら礼儀を知らぬ。確かに東国無双の娘故の苦労も見受けられた。が、あの振る舞いは有り得ぬ。如何に容姿端麗と言えど、やって良い事と悪い事があるとは思わぬか?

 まぁ、あれが真の姿とは限らぬし、私も少々言い過ぎた分もあるのだが。腹を割って話をしに行ったのに、会話らしい会話も出来なかった。かくいう私も、本当は楽しみにしていたのだ。ともかく、あの無礼者を嫁に貰うのは今現在をもっては御免である。女は容姿で選ぶものでは無いのだ。


 恥ずかしながら感情的になってしまい申した。この手紙は読み終わったら燃やして下され。決して誰にも見せぬ様に。


                            真田源三郎信幸より

                            ―――――――――――――――


「三成、何を読んでいるのだ」


 所変わって会津。隠れて書庫で手紙を読んでいた三成は、大谷吉継の声に跳ね起きた。


「ああ、吉継殿。いらっしゃっておりましたか」

「何を呑気な。貴殿の分の政務は終わっていまい。はよう片付けねば東北の治安は悪くなる一方であるぞ」

「いえ、沼田から斯様に面白き文が」

「信繁からか?」

「いえ、兄の信幸でござる」

「『信濃の獅子』か。そう言えば、友の契りを交したと言っておったな。面白いとは?」


 三成は吉継に手紙を見せると、二人は揃ってケラケラと笑い始めた。


「フフッ。この二人、お、お似合いではなかろうか?」

「くふっ、お、俺もそう思いまする!ヒィ、ヒィ」


 二人は余りの可笑しさに呼吸もままならない。それもその筈、外面は小松姫を非難する文なのに、信幸はしっかりと彼女の内外を把握して帰ってきているのだ。褒めるところは褒めている。しかも内容は伏せると書いておきながらしっかりと詳細を書いているあたり、若干の動揺も見て取れた。

 信幸の性格を知っている三成は尚更可笑しさを噛み締めた。親しい人物、好いている人物は決して否定できない男なのだ。必ずどこかに良いところを見出すのである。三成は確信に至った。


――結ばれるな、これは。


「ふー、笑うた笑うた。さて、そろそろ行くぞ三成」

「分かっておりまする。我らは我らの仕事をせねば」


 三成は心の中で信幸を祝福し、政務に戻って行った。


                    ****** 


 十日後。沼田に本多忠勝が訪問するとの文が届き、上田城から昌幸が駆けつけた。


「源三郎、貴様本多の娘とは婚姻を結ばぬと申したではないか」

「忠勝殿が来ると言うのです。無碍には出来ますまい。徳川との関係を悪くする理由はござらぬ」

「ふむ……如何なる意図なのやら」


 昌幸は次期当主の座が確実となっている信幸が、徳川家に必要以上に引き込まれる事を恐れた。名目上は人質として徳川家臣となっている信幸だが、飽く迄名目である。家康さえ死去すれば、今のところはどうという事もない関係である。

 が、親類となると話は別である。徳川との繋がりが強くなるのは結構だが、いざと言う時の行動は全て徳川に筒抜け、制約がかかる。相手を出し抜く事が昌幸の真骨頂である。できればこの縁組は避けたかった。


 何しろ信幸に沼田は賜った者の、昌幸と信繁には労いの言葉しか掛けられていない。いずれ信幸の全盛期が訪れ、昌幸は自分が用無しになる未来がありありと見えて仕方がなかった。

 そして現れた忠勝は、昌幸の恐れていた事をあっさりと口に出す。


「信幸殿。男忠勝、一世一代の頼みだ。我が娘、小松を嫁に貰い受けて欲しい」

「……理由をお聞かせ下さるか、本多殿」


 信幸を制して昌幸が主導権を握る。彼にとっては(信幸にとってもだが)死活問題なので必死である。


「小松が信幸殿を見初めた。それだけのこった」

「政治の話をしているのだ。真田にとっての利点をお話あれ」

「父上、それは」


 信幸の制止を無視し、昌幸は忠勝を睨み付ける。


「本多家と縁戚になれる。しかも小松は既に我が殿・家康様の養女だ。この条件、いけませんかねぇ?」

「娘を通じて真田の動きを探ろうとしているのではないのか」

「父上!」


 それを聞いた忠勝は大いに笑いながら、昌幸に逆に問う。


「左様な狭量な事、この忠勝には必要ないな。力のある者は力のある者らしく、どっしりと岩の如く。余計な事はせぬものよぉ」

「……」

「其方は、そこの所如何なものか?真田安房守昌幸殿」


 二人は視線をぶつけ合う。この瞬間に昌幸は忠勝の圧を始めて感じ取る。この男と縁戚になるのなら、真田も悪い方向へは行かないかもしれない。それほどの力を持っている事は、(恐らく)家康に無断でこの沼田に現れた事からも察せられた。

 つまり、こちらには本多家に対し人質をとったも同然。広い視野でみれば、大多喜十万石は上手くすれば乗っ取れる可能性もある。だが、当然逆も考えられる。要するに、どちらが正解かは今決めることは出来ないのだ。

 昌幸は数十秒唸った後、腹を決めた。


「源三郎」

「はっ」

「お前が決めろ」

「……よろしいので?」

「お前の婚姻だ、好きにするがいい」


 昌幸はここ一番の信幸の勝負勘に頼った。手子生で、上田で、小田原で。悉く外さなかったその勝負勘に婚姻の可否を任せた。そしてそれは、奇しくも忠勝が望んでいた事でもあった。


「然らば、この書状をご覧くだされ」

「これは?」

「小松からの書状でござる」

「姫からの?」


 信幸は意外だった。武家の娘らしく父親に婚姻の全権を任せるのかと思いきや、ここでも身を乗り出してくるとは。内心呆れながらその手紙を受け取る。


「別室で読んで参ります。おい、御二方に茶菓子を持って参れ」

「畏まりました、若殿」


 待女に指示を出すと、信幸は別室に消える。信幸の快諾を確信した忠勝はニヤリと笑った。


――我が娘が一所懸命に書いたのだ。伝わらぬ筈がねぇ!


 忠勝にとっても死活問題であった。何しろ真田と縁戚となる事は、実は家康から与えられた宿題なのだ。それほどまでに信幸の上州・信濃での存在は大きかったのである。


                  ******


「姉上、沼田への書状は如何なる内容にて?」


 二郎は小松の縫い物を手伝いながら尋ねる。するとすかさず鉄拳が飛んで来た。


「痛っ!」

「阿呆、野暮な事を聞くな」

「しかし気になりまする。おかしな内容ならば、姉上は大多喜に残りますれば」

「何故、私が残ると嬉しいのだ?」

「む……」


 小松も身近な人間からの好意に対しては、信幸に負けず劣らず鈍かった。


「まぁ良い、お前にだけ話してやろう。この間は我ながら無礼だったと反省した。であるからして、まずは謝罪から書きはじめたのさ」

「い、意外にも大人でござりまするな」


 罵倒には罵倒で返すと思っていた二郎は、小松の適切な対応に感心した。


「ふふ、私も父上の外交を近くで見て来たからな。その後、彼の機嫌をとっておいた。そして最後は戦果報告だ。戦果を書けば味方の士気も上がるからな」

「むぅ、完璧でござりまするな」

「うむ。これで信幸殿も私がただの無礼者ではない事を分かってくれよう。返事が楽しみであるの」


 気分は上々、と言った様子の小松を見て、二郎は少し寂しい気持ちになった。


                  ******


―――――――――――――――

真田源三郎信幸殿へ


 お久しぶりでございます。ご機嫌は如何でございましょうか。

 九月某日、あの祝宴の席で私はとんでもない事をしたと痛感しております。私が愚かでございました。今では、信幸殿と戦の事など楽しく語り合えれば良かった、と深く反省している次第にございます。


 時に信幸殿は、鷹狩はお好きでしょうか。私は大好きです。宜しければ、良い狩場を知っておりますのでご一緒致しませんか?家康様も鷹狩がお好きであらせられるとか。


 ところで私はこの間、狂い猪を退治致しました。というのも、私は乳飲み子を救出するため、勇敢にも猪に立ち向かい、紙一重で退けたのでございます。仕留めたのは大きさ六尺ほどの大物でござりました。ただ、その際に破れてしまった着物を裁縫にて修繕している際に、間違えて指に針を刺してしまいました。この失態、実はあなた様に会ってから頻繁に繰り返しています。如何すればよろしいでしょうか。


 ともかく、もう一度お会いしとうございます。今度こそ、話をしたく存じます。


                            本多忠勝娘・小松より

                            ―――――――――――――――


――これは一体……!?


 信幸は絶句した。反省している、という事は伝わる。だが、それ以下の分は一体何を伝えたいのであろうか。鷹狩の誘い……も、百歩譲って好意的になっていると取れる。だが、最後の『狂い猪』とは何なのか、これが甚だ謎である。何を隠そう、信幸は小松の逸話を知らない。知らなければこの文章、どれだけ難解な物となるのかという事を小松は想像できていなかった。


――何かの隠語であろうか。風流に覚えがあるかどうか、試されているのだろうか。次に会ったら、針を指に刺される……暗殺されるのか?それともまさか、本当に猪を退治して着物が破れた?否、そんな筈は……。


 信幸は混乱した。が、深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、冷静になってその手紙を見直す。


「ふっ、達筆だが伝達は不器用らしいな」


 信幸が着目したのは、前回の小松の姿からは想像もできない遜り方……つまり礼節である。文の最初に謝罪を持ってくるところに小松の必死さ、誠意を垣間見た。多少難解にはなっているが、この手紙を一所懸命に書いている『あの』小松の姿を思い浮かべるにあたり、信幸はこの手紙に作為的な狙いが全くない事を見抜いた。

 伝達が上手くないという事は、裏を返せば嘘が吐けない、真っ直ぐな人間という事である。言うなれば、昌幸が信繁に求めている事でもある。

 つまり小松が信繁同様、規格外の人間である事は疑いがない。容姿に合わせこの点において、信幸は小松を気に入った。


――父上と真逆、裏表のない娘。どうせ、普通の嫁では真田の役には立たぬのだ。ならば!


 信幸は襖を勢いよく開けた。


「信幸殿!どうだ?返答を聞かせてくれ」

「父上。私は小松殿と夫婦めおとになり申す」

「……」


 忠勝が立ち上がって狂喜乱舞する一方、瞑想をしていた昌幸は息子の言葉を聴いた後、ゆっくりと目を開け、大きく息を吐く。


「左様か。では祝言の日時を本多殿と決めよ」

「……はっ」


 そう言うと昌幸は客間を去って行く。信幸は父がこの婚姻の行く末を考えている事を察した。

 

 かくして信幸と小松の婚約は成った。

 この判断が昌幸にとって正解であるかどうか判明するのは……十年後の事である。そしてこの夫婦の契りは、同様に『彼』にも仇なす結果となるのであった。

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