第二十四話 昌幸のお膳立て
「まったく、貴様は軍の制御もできぬのか?」
「面目次第もございませぬ……」
兼続は信繁に嫌味を放っていた。結局兼続隊と信繁隊は退却したのだが、その際に信繁は退却の合図を決めておらず、二つの隊が混ざって大混乱に陥ってしまったのだ。少なからず被害を生んでしまった。
その事に兼続は腹を立てているのである。
「まぁその辺で良いではないか兼続」
「良くはないわ三成、貴様はどこまでも甘い!信繁、貴様は槍働きしかできんのか!だったら牛にでも括り付けて突進させてやろうか、あ!?」
「兼続!その辺にしておけ」
三成が白湯を差し出して兼続を諌める。
「ふん、兎に角。佐竹軍の到着まで待つしかあるまい」
「そうだな。上杉軍の士気は酷いことになっておる。真田は平気の様だが」
「石田隊も負傷者が酷いではないか。まともに動けるのは千と言ったところか」
上杉=兼続隊の死傷者は百程度でありまだまだ動けるのだが、毒矢が恐怖心を煽り士気が下がってしまっている。攻城戦において士気が下がるという事は致命的である。何しろ籠城中の相手は死兵、人生最大の気力を持って向かってくる猛牛の様な兵なのだ。彼我の兵一人一人に、数の差では補いきれない戦力差がある。よって、上杉軍は戦力に入れづらい状況であった。
佐竹義宣の軍・三千の兵が到着するまで待たなければならなかった。
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「昌幸殿、貴殿の意見を伺いたい」
七月二日。ようやく他の支城を片付けた佐竹義宣の軍が到着すると、三成は諸侯を集め早速軍議を始めた。
まずは軍監である昌幸の意見からである。
「水攻めは治部殿の申す通り、時間と労力がかかりすぎる。計略を掛けたいところだが、三の丸にすら入れないのではどうしようもないな」
「如何すべきでしょうか?」
「うむ。儂に任せて下され。信繁、来い」
「はっ?」
軍議になっていなかった。昌幸は軍監という立場を利用して、方針の主導権と先鋒を奪い取った。
「昌幸殿、お待ちを!策が決まっておりませぬ」
「策は無い。後は用兵の巧みさでござる。何となくだが、相手が誰かも想像がついておる」
「え?」
「明日、我らが出る。先鋒は貰いますぞ」
昌幸は信繁を連れて、自陣に帰ってしまった。三成は頭を掻きむしりながら、義宣と兼続に隊列を整えて待機する様伝えた。と、その時である。
「三成よ、私も先鋒に加わりたいのだが」
「よ、吉継殿!?何を仰られるか」
声の主は三成の兄貴分、大谷刑部少輔吉継。豊臣政権では三成と同様に中枢に座る文官でありつつ、関白秀吉にその指揮能力を絶賛されている男であった。
三成とは賤ヶ岳で『三振の太刀』と呼ばれる、同等の戦功を誇った仲である。
「貴殿の役目は※輜重でござる。ここは機を待って頂きたい」
「我儘なのだが、真田昌幸が本当に信用できるかどうか。この目で見ておかねばと思うてな。娘をやる約束をしてしまったしなぁ」
「あ……」
豊臣の人質である信繁と豊臣家臣である吉継は、度々交流をしていた。三成を加えたこの三者の友誼は今や深い物になっており、ある日酒に酔った吉継が十一歳年下の信繁に対し、『愛い若僧め、私の娘をくれてやるわ!』と勢いで言い放ってしまったのである。
相当出来上がっていた状態の発言である。三成も、信繁でさえも冗談だと思っていたのだが、
『私は、何という事を言ってしまったのだぁ!?あぁ可愛い娘よ、阿呆な父上を許してくれぇぇ!』
酔いが醒めた後でも吉継は撤回をしなかった。何度三成が諌めても『二言は無い』の一点張りであった。それこそが、三成が惚れ込んだ吉継の魅力である。
――この男は、絶対に契りを破らない。
だからこそ、『表裏比興』真田昌幸の存在が気にならないと言えば嘘になるのであろう。事情を察した三成は輜重の役目を長束正家に依頼し、吉継を先鋒に加えた。
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「父上、何故先鋒を?今の忍城は慎重に攻めねば危険では……」
「源次郎、気づいておらぬのか?これは最後の機会なのだぞ」
「最後?」
「この戦を持って、関白の天下統一は成るのだ。さすればどうなると思っている」
「どう、とは?」
「金輪際、戦は無くなるということだ」
「こっ!?」
信繁は、今の今迄この戦の重大さに気づいていなかった。何故ならこれは自分の初陣であり、華々しく続く自らの武勇伝の序章に過ぎないと思っていたからである。
だが、関白秀吉の『惣無事令』がある限り、馬鹿の反乱が無い限り戦は発生しえない事になる。
「分かるな?ここで手柄を立てねば、お前は生涯、信幸の風下じゃ」
「か、風下で結構にござります」
「大雑把なお前が、政で信幸の役に立てるとは到底思えぬ」
「……」
「お前自身、分かっておるはずだ。戦でこそ自分が映えると」
信繁は焦った。昌幸の言う通り、自分は統治の経験など無い。三成や吉継の話を聞いても、民や多大名の機微に注目しながらの細かな統治は、どう考えても自分の分野ではなかった。
自分は、戦でしか役に立たない兵士。その戦が、無くなってしまう?存在価値が、無くなってしまう?
――冗談では無い!自分はまだまだ、これからの男なのだ。殿下に、兄上に某の武才を分かって貰わなければ!
「ここで手柄を立てろ。お前が大名となって、関白から信濃を貰うのだ」
「某が、信濃を?」
「お前が信濃の象徴となり、統治は信幸が行う。でなければ、お前の存在価値は無に帰する」
「無に……」
信繁は、足元が浮くような気持であった。
昌幸の理想とする形であった。当主は信繁。家老が信幸。そしてそれらを自ら裏で操る……。
「お膳立ては儂がやる。最後は、貴様が城を奪うのだ」
「某は」「口答え無用、返答をせぬかっ!」
「は、はっ!」
初陣を果たした自信から兄への依存が薄まり、自分の足で歩き始めた筈の信繁は、ここで再び父の制御下に戻らざるを得なかったのである。
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七月三日。真田・大谷隊四千は再び忍城へ侵入を開始した。まずは昌幸の指示で三の丸を目指す。
「良いか、倒れ行く者の親兄弟、嫁に家族も暮らしを安堵してやる!その代わり毒矢に怯える様な者に払ってやる禄は、我が真田には無い。心せよ!」
「オオッ!」
演説を終えると、昌幸隊は三の丸に進軍する。門に敵兵が張り付いている事は前回の戦闘で明らかになっているため、今度は最初から攻城用具を準備している。それが破城槌と竹束なのだが……。
「よし、説明した陣形を組め!」
「オオシッ」
昌幸の指示で、真田兵は一斉に動き出した。何も説明されていない吉継はその陣形を見て、頭の中に雷を落とされた感覚になる。
「こ、この陣形は!?」
両脇に高さの長い竹束の列。真ん中に異様に長い破城槌。斬新な陣形であったが、吉継はその利点を悟った。竹束は本来銃弾を防ぐための物だが、弓矢も防ぐ事ができる。破城槌の長さが邪魔をして、これなら……。
――槌の持ち手に弓矢が届かない!
「理解したか、刑部殿!信繁と共に援護を頼む」
「応!」
吉継と昌幸は阿吽の呼吸で攻城戦を開始する。昌幸隊が破城槌で城門を壊し、大谷隊が後方から弓矢で援護する。
――真田昌幸。恐ろしく機転の利く男め!
吉継はその智謀に感嘆符を打った。北条軍は前回と同じ様に毒の混じった弓矢を乱発するが、陣形の効果により命中率は格段に下がっている。百発に一発が精々である。
まさにドンピシャリの策であった。
「いけますぞ、吉継殿」
「ああ、信繁。お前の父親は凄い男だな」
「へへっ」
と、並び立って指揮を執る二人が軽口を交わした時であった。何を思ったか、守兵達が後退を始めたのである。
「退け、退けい!」
「ちっ、気づいたか」
昌幸は舌打ちする。敵方の軍師に狙いが露見した事が口惜しかったからである。
籠城を選んだ北条兵は、食料はおろか武器の補給も受けることが出来ない。武器さえなくなれば、自然と開城への道は開けると昌幸は考えた。つまり、城門を壊すのではなく、ここで敵の弓矢を尽きさせる事が昌幸の本当の狙いだったのだ。
だが易々それを許すほど、北条の軍師は甘くはないのである。昌幸は自分を上回る老獪さを、相手の軍師から感じ取っていた。それもそのはず、相手は武田信玄、上杉謙信、北条氏康……三大巨頭の時代の軍師なのだから。
昌幸は歯噛みした。そして誰も、やたらと地面がぬかるんでいる事に気づいていなかった。
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「ククッ、来たな、真田。遂に自ら出てきよったか」
本丸の天守から戦況を見つめる周防が高笑いする。出てきたのは信幸ではない。だが、もはや周防の頭の中は信幸への復讐で満ちていた。
百戦錬磨だったはずの自分を、城を少数で奪い返されるという屈辱へ追い込んでくれた男。真田信幸を倒して寿命を迎える事を、この老兵は強く望んでいた。
だが、その真田と相対する事で、体中に漲る力がある事もまた、事実なのである。周防はそれが不思議だった。
「長親殿、其方が二の丸の指揮を執りなされ。鉄砲の使用を許可致す」
「はっ!」
「なに、落ちても本丸がござる。そうなったら私の騎兵に任せればよい。気楽にやりなされ、のう」
「お任せあれ、死守して見せまする!」
気弱だった長親の目にも生気が戻ってきている。周防も長親を頼もしく感じた。
――だが、二の丸は落ちるだろう。後は、『時間切れ』の前に信幸を殺せれば……。
周防の目は邪悪に光っていた。狙う人物が不在と知っていれば、これほどの生気は出せなかったに違いなかった。
そしてその憎しみの矛先は、自然と弟・信繁へと繋がるのであった。
※輜重……補給用の軍需品。食料、弓矢、弾薬等。これらを保守しておく軍隊が戦争には必要。




