第八話 駆け巡る朗報と疑念
「頼綱様!若様がご到着です!」
「何!?源三郎じゃと?」
沼田城では、信幸の祖父・真田幸隆の弟、矢沢但馬守頼綱が臨戦態勢を整えていた。彼にもまた手子丸城落城の報は届いていた。にも関わらず信幸が数十名の手勢を連れて奪回の報告を兼ねた援軍として現れたため、驚きを隠せなかった。
「なんじゃと?源三郎、貴様が一人で城を奪い返したと申すか」
「家臣団の助け合ってのことだがな。何とか首は繋がっているぞ、爺様」
「ふ、ふははは!」
頼綱にしても、消耗戦を強いられ首の皮一枚で繋がっていたところであった。しかし目の前の、弱冠十八歳の甥が状況を覆したと言う。
玉砕を覚悟していた頼綱にも、生きる理由が出来た。甥の昌幸が、この報告をどのような顔で聞くのか。それが楽しみでたまらない。
「手子生城は玄蕃と才蔵に任せて来た。爺様、俺も戦局に加わろう。下知を頼む」
「ふぉふぉ。では、真田の軍略で生き延びるとしようかのぉ」
結局、沼田城での戦いにおいても真田軍は十倍以上の兵力差を覆し、勝利する。勢いは、真田の生き残りの方向へ傾きつつあった。
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――弁丸を元服させるのを遅らせて、本当に良かった。
砥石城の真田昌幸はつくづくそう思った。
もし元服が済んでいたならば、嫡男の信幸は岩櫃に残し、この弁丸を出陣させなければならなかった。
出来た嫡男・信幸が死ぬのは惜しい。だが弁丸には、他の誰にも劣らぬ武略の才がある。この大器を失う事の方が、今の真田にとって一番の損失に思える。
弁丸を真田の嫡子とし、昌幸が裏で糸を引く。それが今の真田の理想とする型であると、昌幸は考えていた。
――そのためにも、徳川の助力は必要だ。今を生き延びるため何としても、家康から兵を引き出さねばならぬ。
「殿!」
「如何した」
「手子丸城が落城致しました」
「何?源三郎は、間に合わなかったと申すか」
「はっ」
「むむ。やはりあ奴には荷が重かったか……」
ということは、信幸は生きているという事である。傍らに控える弁丸は安堵した。
「で、ですが」
「如何した?」
「既に信幸様自身の手によって、奪還したとのこと」
「……何?」
「与えられた手勢のみで、五千の兵が籠城する手子丸城を奪い返したとのこと」
「……八百で、五千の城をか」
「左様で」
「馬鹿な!」
昌幸は喜ぶよりも先に驚愕した。
――たった一日で落とした?それではまるで砥石崩れの後の我が父・真田幸隆の手際ではないか!
「さすが兄上じゃ!報告ご苦労であった!」
「はっ!失礼いたしまする」
弁丸の喜び顔とは裏腹に、昌幸の顔色はどこかすぐれない。実子の成長、喜ぶべきことである。真田家に名将と呼べる一門衆が出現したのだ、喜ぶべきことである。
それは、昌幸にも分かってはいた。しかし、どこか腹の底に潰しきれない不安を抱え始めていた。
「父上!私も早く初陣を果たしとうございます!兄上と共に」
「うるさい!」
弁丸の頭をはたく昌幸。ふと、弁丸に付けようと思っていた名誉ある名前、『信繁』が頭をよぎる。
弁丸が『信繁』なら、源三郎は……。
――源三郎の才は弁丸はおろか、儂をも凌ぐのか?……儂は、武田信虎公になるのではあるまいな?
こうして上野・信濃において、手子丸城の英傑・真田信幸の名は瞬く間に知られることとなったのである。
そして、他国の猛者・大名にも知れ渡って行くことになる。
関東の支配者・北条氏政にも。
越後の強者・上杉景勝にも。
さらには秀吉と並ぶ天下人候補筆頭――三河の徳川家康にも彼の名は届いたのである。
そして、生き残りのために蝙蝠の如く主を変える真田に対し、次の大戦が迫っていた。




