6
次の日。
父親から至急!とダストン侯爵家に呼び出されたユークリフは、大慌てで仕事の調整を行い、ダストン侯爵家に駆けつけた。
そして何故か少し不機嫌なダストン侯爵とその妻のティファと会い、あれよあれよという間にユークリフとリーファの婚約が整ってしまった。
父親のダンは目元をハンカチで拭いながら「光栄な事でございます」「この身が骨に変わるまで、ダストン家にお仕えいたします」と壊れたレコードのように繰り返している。
リーファとは彼女の一度目の婚約が整う前までは、父の職場であるダストン家で、結構頻繁に顔を合わせていた。
年が5つも離れていたこともあって、妹の様に可愛いがっていたが、リーファの婚約が決まった際、婚約者以外の男が出入りするのは外聞が悪いと、父親からダストン家に行くことを控える様に言われ、それ以来会っていなかった。
ダストン家を最後に訪れた時、もう今までのように会えないと知ったリーファが、目に涙を溜めて「ユークリフお兄様、さようなら」と言った声を、ユークリフは今でも覚えている。
リーファの元婚約者の悪評を聞くたびに、心配をしてそれとなく父にさぐりを入れていたが、父親は「まだ若いので生活は落ち着かんが、能力のある男だ」と言っていたため、リーファが幸せな結婚生活を送れるように願うばかりだった。
それが婚約解消からのユークリフとの婚約話である。
こんな女性にモテたことのない男でいいのかとか、妹みたいに思っていた子を妻に出来るのかとか、ダストン侯爵家の後継なんて務まるのかとかグルグル考えている間に、学園に行っていたリーファが帰宅した。
そして対面した途端。
潤んだ青い瞳で見上げられ、幼い頃の面影を残しつつも美しく成長したリーファに、
「ユークリフお兄様、お嫁にもらってください……」
と、消え入りそうな声で真っ赤な顔で言われ、ユークリフの頭は一瞬で沸騰した。
思わず父親に、
「なんであんなに可愛くなってるんだ!俺はどうしたらいいんだ!可愛すぎてヤバイだろう!」
と掴みかかってしまい、まだ涙目のダンに思いっきり頭を叩かれて、ようやく冷静になれた。
「失礼いたしました、取り乱しました」
侯爵の呆れ顔と、侯爵夫人のクスクス笑う声と、父親のゴミを見るような目に心を折られながら、ユークリフは傍のリーファに目をやる。
恥ずかしそうに顔を赤らめたリーファに癒される。可愛い。
「急なことで驚いたと思うが、君には期待しているよ。リーファをよろしく頼む」
「はい、若輩者でありますが、リーファ嬢を幸せにいたします」
「覚えることは山とあるからな。精一杯努めろよ」
父親のダンが、指をバキボキ鳴らして獰猛な笑みを浮かべた。
前の婚約者に騙されていたせいか、実の息子だと言うのに当たりが強い気がする。
「王太子殿下より、正式に側近に取り立てるとの仰せがあった。次期宰相としても期待されているぞ、頑張れよ」
侯爵までも同じような笑みを浮かべている。ユークリフの背に嫌な汗が流れた。
「わたくしも、精一杯お兄様にお仕えします」
未来の嫁のリーファが、ユークリフを見上げて頼もしく宣言する。とりあえずお兄様呼びを直させなくては。
不安は残るが、リーファの為なら頑張れる気がするユークリフだった。
それから一年後。ユークリフとリーファは、リーファが学園を卒業すると同時に結婚した。
元々有能だったユークリフだったが、正式にダストン侯爵家の跡取となることによって、王太子殿下の補佐として存分に働き出し、頭角をメキメキと現していった。
忙しい仕事と侯爵と父親からの膨大な課題をこなしながらも、リーファとの時間を捻出し、ユークリフはリーファを溺愛していた。
花やちょっとしたプレゼントを贈るだけで、涙を浮かべて喜ぶリーファは、時々「幸せ過ぎて怖いです」と呟くが、その度にユークリフはリーファの前の婚約者に対して殺意が湧いた。
聞けば花やプレゼントを贈られたことは一度もなく、夜会のエスコートをしても一曲も踊らずリーファを放ったらかしていたと。
新妻となったリーファは陰になり日向になりユークリフを支え、優しく夫を気遣い、婿養子とは思えないほど彼を立ててくれる。
前の婚約者は、こんなに可愛いリーファになんの不満があったのか、ユークリフは疑問だった。
まぁ手放してくれたので、ユークリフがリーファを手に入れることが出来たので、そこだけは感謝しているが。
前の婚約者であるカークは、婚約解消のあと、絵に描いたような転落人生である。
まだ学園に在学中にも関わらず、付き合っていた男爵令嬢の妊娠が発覚。それがとうとうラガット伯爵の逆鱗に触れ、勘当されたのだ。
男爵令嬢に泣きすがられたカークは、嫌々ながら彼女と結婚し、学園にも居られず中退。どうにか騎士団に入り、末端兵士として働き始めた。
騎士団副隊長を務めた父親や兄と違い、騎士としての訓練などサボりまくっていたカークは、騎士団で揉まれに揉まれ、毎日ヘロヘロになって働いているらしい。
そしてカークの妻となったラナは、子どもを産んだ後はその面倒も見ず、より良い条件の相手に乗り換えようと、目をギラつかせて、男から男へ渡り歩いているという。
お陰で夫婦仲は最悪であり、見かねたラガット伯爵家が、放置された子どもを引き取ったのだった。
時折、カークからリーファへ復縁を求める手紙が届くが、それはリーファの目に入る前にユークリフへ報告され、すごい迫力のある笑顔でリーファ付きの侍女が、手紙を細切れにして暖炉にくべる。
「どのツラ下げてこんなこと言ってるんでしょうか」とか、「あの金髪がハゲ散らかせばいい」とニコニコ笑いながら手紙を引き裂く侍女は怖い。そこに時々加わる護衛も、無言だが怖い。
もちろん、一番恐ろしいのは、新妻にちょっかいをかけられているユークリフである。そのあまりに容赦ない対応に、護衛と侍女には『サルニーナの悪魔』と評されている。
こうして、時々鬱陶しい手紙が届く以外は、平和で幸せなダストン侯爵家だった。
「いいですか、リーファ」
まだリーファが幼い頃から、母親のティファに言い聞かされていた。
「我が家にお迎えする旦那様に、逆らってはなりません」
刺繍をしながら。お茶をしながら。マナーを学びながら。
「旦那様にお仕えし、旦那様を常に立て、お支えするのです」
いつも凪いだ湖のような穏やかさで。
「周囲を見て、耳を傾け、情報を集めて、旦那様のお役に立ちなさい」
そして最後に、こう続くのだ。
「そうすれば旦那様は、貴女の望み通りに動いてくださいます」
母は美しい笑みを浮かべて言う。
「それがダストン侯爵家の妻の心得なのです」
ふくらみ始めたお腹を撫で、リーファは笑みを浮かべる。
娘にも、もちろん教えていくつもりだ。
《 完 》




