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「それにしても、随分とうちの娘は我慢強かったのだな」
リーファの相談のあと、側近のダンが瞬く間に集めてきたカークの素行に関する調査記録を読んで、ダストン侯爵は唸った。
1日の仕事を終えて、妻のティファとダンと共にサロンで寛ぎながら、侯爵はワインの満たされたグラスをクルリと回す。
ダストン侯爵は、娘の話を聞いたあと、すぐにカークの調査を開始した。
リーファの話を信じない訳ではないが、その話を簡単に鵜呑みにはしなかった。
貴族の一員とはいえ、リーファはまだ16歳。若い娘らしい潔癖さから、カークの女遊びを必要以上に断じている可能性もある。
侯爵はリーファ付きの護衛と侍女からカークの話を聞き、そのあまりの酷評っぷりに、逆にリーファに長年付き従っているための贔屓目が働いているのではと勘ぐったほどであった。
そこで学園に通うリーファの護衛に、簡単な変装をしたダンが成り済まし、数日カークの様子を観察してみることになった。
しかしものの1日で、ダンの「ありゃクズですね、ダメです、アウトです」という言葉とともに観察は中止になった。
それからあっという間に、カークとリーファの婚約は解消されたのだった。
「それにしても、リーファの婚約者を早く決めねばなぁ」
カークとの婚約が解消されて以来、ダストン侯爵家には山のような縁談が舞い込んでいた。
家付娘の結婚相手である。貴族の次男、三男には、喉から手が出るほど欲しい地位である。
リーファも学園でやたらと貴族の令息に声を掛けられるようになり、このままでは守りきれないと、侍女や護衛から側仕えの人数を増やして欲しいと嘆願されていた。
「釣書を見ても、なかなか中身までは分からんからなぁ」
リーファの婚約は一度解消している。相手に非があるのは明白だが、ケチが付いたことに間違いはない。2回目の婚約解消などあってはならないことだ。
「お悩みですか、旦那様」
妻のティファが微笑みながら、侯爵に声をかける。
「うん?誰か良い相手に心当たりがあるのか?」
「はい。ダンさまのご子息のユークリフ様はいかがでしょう」
「は?私の愚息のことですか?」
ティファの言葉に、ダンが弾かれたように顔を上げる。
「はい。王城で文官としてお働きで、その優秀さは他の奥様方の茶会でも評判です。王太子さまにも頼りにされていらっしゃるとお聞きおよびしています。
それに。まだ決まった方もおられなかったと存じますが」
「は、はぁ。先日会った時には、仕事が忙しく相手が見つからないと嘆いておりましたが」
ダンは突然の話に、しどろもどろになりながらも懸命に答えた。
そんな側近の珍しくも取り乱した様子に笑いながら、侯爵は告げた。
「ふむ。久しぶりにユークリフに会ってみたいな。ダン、都合をつけてくれるか?」
「は、はいっ!では朝一で、愚息に手紙を届けます!本日はこれにて失礼いたします」
ダンは一礼すると、風のようにサロンを後にした。
「ティファ、最初からユークリフを推すつもりだったのか?」
侯爵が面白そうに妻を見ると、ティファは頷く。
「はい。ユークリフ様は優秀な方ではございますが、身分的なことで王太子様も表立って重用することが出来ず、歯痒く思っていらっしゃると王太子妃様より伺っておりましたので」
ダンは伯爵家の次男。その息子のユークリフは伯爵家に身分を連ねるものであるが、継げる家がある訳ではないのでどうしても身分的に弱い。
それが、ダストン侯爵家の後継となれば、将来的には王太子の右腕、宰相の地位も夢ではない。
「幼い時から見ておりますが、性格も穏やかですが意志も強く、信頼のおける方です」
微笑みとともに冷静にユークリフを評する妻に、そういえば前の婚約者であるカークについて、妻は何も意見を言ったことがないな、と侯爵は思った。
評価することが何もなかったということなんだろう。
「あんな男を選んでしまったために、リーファには長い間、させなくていい苦労をさせてしまったな」
リーファの受けてきた扱いを思い、侯爵は胸を痛めた。
そんな侯爵に、ティファは首を振る。
「旦那様のなさることで、わたくしたちの為にならないことなど、何一つございません」
ふわりと穏やかに、ティファは続けた。
「あの子も夫婦がお互いに思いやれることがどれほど貴重で大事なことなのか、今回の事で学べたでしょう。
ユークリフ様と夫婦になったら、この上なくあの方にお仕えすることが出来ると思います」
それに、とティファは悪戯っぽく笑った。
「ユークリフ様はリーファの初恋の方ですから。喜ぶと思いますよ?」
「何っ?そうなのか?」
何故か娘の初恋の相手と聞いて、侯爵の中に訳の分からない怒りが込み上げた。
クスクス笑いながら、ティファは侯爵に寄り添う。
「女性はやはり、好いた方と添えるのが一番の幸せでございます。
わたくしがそうでございましたから、間違いございません」
妻の甘やかな言葉に、年甲斐もなく侯爵は顔を赤らめた。
「ですから旦那様。可愛い娘の初恋を応援して下さいませ」
侯爵は思う。
妻は常に自分を立てて尊重してくれるが、一度も勝てたためしがないと。




