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 ダストン侯爵家での会食の後。


 その日からカーク・ラガットの生活は一変した。


 夜会の後、慇懃無礼にダストン侯爵家を追い出され、覚束ない足取りでカークが家に戻ると、父であるラガット伯爵と兄のオーロフが鬼のような形相で待っていた。


 ラガット伯爵の手にはダストン侯爵家により作成された婚約解消の書類とともに、カークの詳細な素行報告書が握られていた。


 そこには、既婚、未婚の複数の女性と関係を持っていること、カーク主催で開かれた如何わしいパーティー、仲間内で侯爵家を乗っ取る等の発言、リーファに対する暴言に対する複数の証言等、侯爵家に婿入りするには致命的な失態が書き連ねられていた。


 報告書を読んだラガット伯爵は、嫡男のオーロフを伴い、すぐにダストン侯爵家を訪れ、婚約解消の書類にサインした。


 謹厳実直なラガット伯爵とその生写しの様な嫡男は、次男の所業に膝をついて謝罪し、血がにじまんばかりに拳を握りしめ、怒り狂っていたという。

 

 サルニーナ王国騎士団の元副団長である父と、現副団長の兄に、ボコボコに叩きのめされたカークは、辛うじて勘当は免れたものの、伯爵家内での立場は、未来の侯爵家当主から穀潰しへ転落してしまった。

 

 家族のゴミを見る様な目や、使用人たちの腫物扱いに耐えきれず、翌日カークは痛む体を引きずって、早々に学園に出かけた。


 しかしそこでも彼への扱いは激変していた。

 

 カークとリーファの婚約解消の噂が、一夜のうちに学園全体に広まっていたのだ。


 彼にまとわりついていた取り巻きたちは、カークのことを無いもののように扱うばかりか、カークの転落で自分の未来も真っ暗だと怒りをぶつけてくる者までいた。


 カークが一声かければ頬を染めていた御令嬢たちも、眉をひそめてそそくさと離れていく。


 彼の元に集まり、彼を褒め称え、貴賓のように扱ってくれたのは全て、カークが侯爵家の後継だったから。


 それがなければカークは、伯爵家の穀潰しの次男。なんの利用価値もない男なのだ。

 

 そんな当たり前のことを今更ながら理解したカークは、本当に今更ながら、リーファの価値を思い知った。



「リーファ!」


 学園内のテラスで、優雅にお茶を楽しんでいたリーファは、聞き慣れたその声を耳にして、顔を顰めた。


「探したぞ!」


 顔をあちこち腫らし、髪も服も薄汚れた元婚約者は、必死の形相でリーファに近づいてくる。


 その進路を遮るように、リーファの専属護衛が身体を割り込ませた。


「ラガット様、何か御用でしょうか」


 長年リーファ付きの護衛として見知ってはいたが、カークが彼の声を聞いたのはこの時が初めてだった。

 

 カークはこれまで、この護衛に行動を遮られた事は一度もない。


 それはカークがリーファの婚約者だったからである。もうなんの関係もない伯爵家の令息が、侯爵家の令嬢に不躾に声を掛けようとすれば、護衛が止める事は当たり前のことなのだ。


「なんだお前、無礼だぞ!」


 だが、まだリーファとの婚約解消を受け入れられないカークは、そのことが理解できずに護衛へ噛み付く。


 その様子を見て、リーファ付きの侍女はさり気なくカークの視界からリーファが隠れるように移動した。


「いいのよ」


 リーファは護衛に声をかける。不満そうな護衛と侍女を宥め、リーファはカークに声をかける。


()()()()()、どうぞ」


 着席を促す声はいつも通り平坦だが、呼び方は今までとは違うファミリーネーム呼びだ。


 その他人行儀な振舞いに、カークは怒りが込み上げてきた。


「昨日、侯爵から婚約解消の話をされた!」


「存じております」


「一体どういうつもりだ!侯爵に何を言ったんだ!下らない嫉妬で両家の政略を蔑ろにする気か!」


「嫉妬?政略?」


 リーファは不思議そうに目を瞬かせる。


「わたくしたちの婚約に、政略的な柵はございませんが」


「はぁ?先代当主同士が、俺たちの婚約を決めたんだぞ?」


「確かに、お爺さまと先代のラガット伯爵がお決めになったことですが、年頃が合っていて、知らない者同士よりも多少顔見知りの方が良いだろうと理由でお決めになられたのです」


 小さな頃から何度か、祖父に連れられラガット伯爵家を訪れたことがあり、リーファは伯爵家のオーロフ、カーク兄弟とは顔見知りだったのだ。


「それに嫉妬とは、一体なんのことでしょう。もしかしてわたくしが、貴方様の女遊びに嫉妬したなどと思われているわけではないでしょうね?」


 リーファの冷たい声に、カークは動揺したように目を泳がせる。


「だ、だが、お前は俺が好きだろう?」


 だって何でも言うことを聞いて、俺の望む通りにしてくれたじゃないか!と喚くカークに、リーファの声が氷点下まで下がる。


「それは貴方様がわたくしの夫になる方だったからです。

 例え女性にだらしなく、仕事もできない方で微塵も好意を持てなくても、婚約者として決まったからにはお仕えするのは当然だと思っておりましたので」


「え?()()()()()()()()()()()


「考えてもご覧下さいませ。目の前で他の異性とイチャつきながら仕事を投げつけてくるような方、ラガット様は好意を持てますか?

 そんなことをされても好きだなんて、特殊な性癖を持っているとしか思えません」


 リーファの言葉に、カークは嫌な動悸が止まらず、顔から血の気が引いてくる。

 

 リーファはカークに惚れ込んでいると思っていた。小さな頃はカークの後ろをついて回り、成長してからは何かと彼を気にかけ、世話を焼き続けていた。

 

 邪険に扱っても、暴言を吐いても、リーファは絶対に離れない。カークを愛しているから、そう思い込んでいた。


 それはただ、カークがリーファの婚約者だったからで。

 

 それが今、婚約は解消されようとしており、リーファはあっさりとカークには手の届かない所へ行こうとしている。


「ま、待ってくれ。婚約解消だけは…。俺はお前を、愛しているんだ…」


 か細く震える声で縋るカークに、リーファは不思議そうに首を傾げる。


「まぁ…。今更、そのような戯言を仰っても意味はありませんわ。嘘でも婚約者に甘言を囁くぐらいの知恵があれば、解消まで考えませんでしたのに」


「は?ど、どういう意味だ?」


 心底理解できないといった様子で、カークはオロオロとリーファを見つめる。


 ため息を吐いて、リーファはカークに告げる。


「結婚前から妻に愛想を尽かされるような浅はかな方は、婿養子には向いておりませんわ」


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