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 時は、ダストン侯爵家での会食の夜から少し遡る。


 リーファは、父であるダストン侯爵に時間を割いてもらっていた。


 王城でも宰相という重職に就き、侯爵家の領地運営も行う多忙な父は、娘といえど簡単に面会は出来ない。


 普段は朝食の席で顔を合わせるぐらいで、朝早く出仕することも珍しくないので、1日会えないことも多い。


 そんな父に、大事な相談があると、リーファは父の側近であるダン・ノリスを通じて面談の約束を取り付けた。

 

 壮年の厳つい顔をしたダンは、リーファの珍しい申し出に、目元を緩ませて二つ返事で了承した。


「旦那様も、リーファ様とゆっくりお話し出来ることを、お喜びになるでしょう」などと言われたが、あの堅物の恐しい父が喜ぶとは到底思えなかったので、リーファはそれをダンの冗談だと思うことにした。


「リーファ、お前が儂に相談とは、珍しいな」


 久しぶりに挨拶以外の会話を交わす父は、驚いているようだった。


 面談の場となった父の書斎には、リーファの母のティファと、ダン・ノリスが同席している。


「お忙しいところ申し訳ありません。お母様にご相談したところ、お父様にご相談した方がいいとおっしゃったものですから」


 これまた珍しく、侯爵は妻であるティファに視線を向ける。傍に控える妻は、穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。


 妻女の鑑である妻は、家内の些事を一々夫に相談することはない。つまりリーファの相談とは、侯爵が判断すべき問題であるのだ。


「聞こう」


 己の妻の判断に絶対の信頼を置いている侯爵は、気持ちを引き締め、リーファの言葉に耳を傾けた。


「はい、ご相談というのは、私の婚約者である、カーク様のことなのです」


 リーファはひたりと父を見つめ、続けた。


「お父様、わたくしとカーク様との婚約を、解消させていただきたいのです」


 侯爵は娘の突然の申し出にも顔色一つ変えず、「ふむ」と一言呟いた。


「わたくしの婚姻は、お爺さまの御決めになったことと伺っております」


「そうだ。先代とラガット家の先の当主の縁で、孫のお前たちの縁談が決まった」


 元々、5侯爵家の中でも筆頭であるダストン侯爵家は、これ以上の勢力拡大を求めていない。

 

 下手に力の強い貴族家と縁を結べば、権力が集中しすぎて、貴族間勢力のバランスを欠きかけない。

 

 現在は良好な関係の王家からも、翻意ありと取られる可能性もある。


 だからリーファの結婚相手は、先代侯爵の知己であるだけの格下の伯爵家から選ばれた。


 婚約を解消するのに、余計な柵などはなかった。


「わたくしが、ラガット家に嫁ぐ身であれば、たとえどんな方でもお爺さまとお父様が御決めになったことですので、こんなことは申し上げません」


 貴族の結婚は、家と家の結びつきだ。たとえ本人同士がどれだけ気が合わなくても、そこに感情など入り込む余地はない。


 また、サルニーナ王国は男性優位の国である。女性には貞淑が求められるが、男性は妻を複数持つことも、愛人を持つことも許されている。


 その為、カークがいくら複数の女性と浮名を流そうが、目の前で他の女性とイチャつこうが、リーファは特に何とも思わなかった。

 

 リーファのカークへ対する気持ちは、家の決めた婚約者ということ以外、何もなかったからだ。


 だが、あの下半身に節操のない能無しの婚約者は、リーファの前で言ってはならないことを言ったのだ。


「カーク様は、愛人との間の子を、ダストン侯爵家の後継にすると明言なさいました」


 リーファの言葉に、侯爵は目を見開いた。

 ダン・ノリスが、笑顔のまま固まっている。


「それと、これはお父様に謝罪しなくてはならないことなのですが…」


 先ほどの発言に思考停止していた侯爵は、リーファの言葉に意識を集中させた。国の大事でも冷静に対処する侯爵にとっても、馬鹿馬鹿しすぎて衝撃的なことだった。

 

 普通の常識では、格下の伯爵家から婿入りする男が公言して許される内容ではないからだ。


 しかしながら、リーファの続く発言は、それを上回る衝撃だった。


「お父様がカーク様へ出されていた領地運営の課題ですが、作成したのはわたくしです。カーク様に命じられて」


「ふはっ?」


 いつも冷静沈着なダン・ノリスの口から、変な声が上がった。

 

 侯爵から命じられ、次期領主になるための課題を出していたのはダンだった。

 

 実際に領地で問題となっている事例について、その解決法を考える形式であり、カークの考える解決法はなかなか斬新であったり、詳細に調べられたデータに裏付けられたものであったりと、精査すればそのまま実際の領地の問題解決に使えることもあった。

 

 だから生活面での評判はあまりよろしくないカークであったが、次代のダストン侯爵として、ダンは彼を高く評価していたのだ。


「お、お嬢様。そ、そうすると領内の治水工事について、工夫不足に、メイスラー領の領民を受け入れることで解消出来るとご提示されたのは…」


「わたくしです」


 リーファの通う学園の友人の1人に、メイスラー領の領主の娘がいた。メイスラー領は海に面しており、領民の多くは漁業で生計を立てているが、先年、大嵐により漁師の船が大破する被害を受けた。


 幸いにも領民に死傷者は出なかったのだが、漁師の命ともいうべき船の8割が大嵐で破損した。漁で生計を立てる領民たちは、あっという間に困窮した。


 メイスラー領主も、船の修繕や税の軽減など、私財を投じて領民の救済に努めていたが、漁業以外に取り立てて産業がないメイスラー領では、あぶれた領民が他の仕事に就くことも難しい。

 

 船の修繕も領内の職人が総動員されているが、数が多く修繕材料も高騰しなかなかままならない状況だった。


 そんな話を友人から聞いたリーファは、ダストン侯爵領の治水工事の工夫として、メイスラー領の領民を受け入れることを思いついたのだ。

 

 力仕事が得意な漁師たちが沢山あぶれているのだ。メイスラー領とダストン領は馬車で往復1日ほどの距離にあり、出稼ぎに出るにもさほど苦にならない。


 また、ダストン領内で産出される豊富な木材や鉱山物は船の修繕材料としても使える。

 

 領民の受入、資源の提供をダストン領からメイスラー領への支援として行うことにより、海の守りを担うメイスラー領との良好な関係維持にも繋がる。


 支援にかける費用と、治水工事の費用、メイスラー領との関係維持におけるメリットとの収支バランスを図るのは難しいが、リーファの見込みではダストン領にもたらす益は少なくないと思っている。


「あれはなかなかよいお考えでした。すでにウチのものがメイスラー領へ打診しており、来月からメイスラー領民の受け入れを段階的に始める予定でございます」


「まぁ、それはようございました。ミリア様もご安心なさるでしょう」


 ダンの言葉に、リーファは顔を綻ばせた。ミリア様とは、メイスラー領主の娘のことである。


「いつから、課題を作成していたのだ?」


 呆れ顔の侯爵に、リーファは困ったように告げる。


「わたくしが一番最初に作成したのは、鉱山の鉱石の運搬に関する課題です。それ以降のものは全てわたくしが作成していると思います」


「鉱山の鉱石運搬って…最初からではありませんか。それでは課題の全てをお嬢様にやらせていたのかっ!あんのクソガキっ!」


 リーファの考えたことを、得意気に我がものとしてダンに説明していたカークに、殺意が湧いた。


 それだけでなく、そんな阿呆に仕えるのを楽しみにしていた自分をぶん殴ってやりたい。


 ダンの顔色が怒りのあまりドス黒くなるのを気にしつつ、侯爵はまだ何か言いたげなリーファに視線で促す。


「お父様、わたくし、カーク様の代わりに課題を作成することは特に問題ないと思っておりました。領主の仕事は決断することで、領地の問題を考えるのは、優秀な側近や役人がいれば事足りると思ったからです」


 確かに、リーファの言う通りだった。侯爵もその地位についてから、領地の運営について、側近や役人たちに知恵を借りてきたのだから。


「愛人との子を後継に据えるということも、貴族社会の中ではありえることと理解しております」


 もしリーファに子ができなかった場合、血筋のものから養子を取るか、最悪、カークの言う通り、愛人の子を後継にすることもありえる。

 まあ、結婚前から明言するのは論外ではあるが。


 リーファはダストン侯爵を真っ直ぐに見つめる。


「ですが、結婚前から愛人の子を後継にして侯爵家を乗っ取るような発言をしているにも関わらず、婚約解消される危険性すら予想しない迂闊な方が、当主となることに不安を覚えます」


 リーファがカークを結婚相手として不足と感じるのはただ一点。

 

 迂闊すぎるのだ、自分の立場を分かっていなさすぎて。


 結婚と違い、婚約という不安定な関係性だというのに、格上の婚約者に対する辛辣な態度と素行の悪さ。


 せめて結婚するまで隠しておく狡猾さがあれば、侯爵家の当主として少しは安心できただろうが。


 王宮や貴族間の付き合いというものは、表で笑い、裏で知略謀略を尽くして権勢を保つものだ。


 一つの判断ミスが、家の盛衰を分ける。


「カーク様のように、隠し事の苦手な素直な方には、我家の婿養子は務まらないと思います」


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