赤ん坊を拾う僕達
僕も徳川さんや奈々子さんに負けていられないぞ。
光さんが出したテストの用紙を見てみると、今日は球に関する数学だった。
球を求める公式はと。
そう頭で考えながら、球の公式が分かってきた。
これなら奈々子さんに勝てるかもしれない。
光さんが作ってくれたテストの点に勝つと奈々子さんから一つだけ、お願い事を聞いてくれるのだ。
今日は新聞配達で負けているから、僕の大好きなハチミツレモンをおごってもらうことにしよう。
そして僕と奈々子さんは同時にテストを終えたのだった。
「奈々子さんも同じようにできたの!?」
「あんな問題簡単よ」
そしてしばらくすると、光さんが僕達の答案用紙を返しに来る。
「二人とも頑張っているわね、二人とも百点よ」
「まさかの同点?しかも百点だなんて」
「勝負は引き分けみたいだね」
と奈々子さんがニヤリとした笑顔で僕を見る。
「でもこの次は負けないよ」
そんな僕達のやり取りを見て徳川さんは「二人ともいつもそうやって勉強を競い合っているのか?」
「はい。そうです。奈々子さんは僕の恋人でもありライバルでもあるんですから」
「良い関係じゃないかよ。俺も君達に負けないくらいに頑張ってやるからよ」
「その意気ですよ徳川さん。勉強に年齢なんて関係ないですよ」
「でも、俺は若い時よりも覚えが悪くなっているんだ」
「・・・そうなんですか?」
こんな時なんて言えば良いのか分からなくなって、横目で奈々子さんに助け舟をくれと合図した。
すると奈々子さんは光さんにも負けないくらいのまぶしい笑顔で「何歳になろうと私は勉強はできると思いますよ。勉強はスポーツと違ってやれば出来るようになりますから」
「本当にそう思うか?」
「はい。人間やろうと思えば何だって出来ますよ」
「ありがとよ。奈々子ちゃんだっけ?」
「はい。あたしの事は奈々子ちゃんと呼んでくださって結構ですよ」
そこで光さんが勉強室から出てきて、「三人共勉強ははかどっているかな?」
「はい。徳川さんにやる気のエネルギーを渡したところです」
と奈々子さんが言う。
「それは良い関係になれたわね。三人共そろそろお昼だけれども、今日は塾のみんなでナポリタンを作ったのよ。多く作りすぎちゃって余っているから三人共食べる?」
僕達三人は食べることを選択した。
調理室に三人で入ると、友達の笹森君と麻美ちゃんが僕達を出迎えてくれた。
「奈々子さんにアツジ君に徳川さん。一緒にナポリタンを食べましょう。いっぱいありますから、じゃんじゃん食べてくださいね」
調理室から、ナポリタンをそれぞれナポリタンとツナサラダをお皿に盛って食堂まで運んだ。食堂と言ってもこの塾は食堂などないので、いつもお昼になったら勉強室で食べることになっている。
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「はぁ、お腹いっぱいに食べちゃったよ」
「それはアツジが三杯もお替りするからでしょ」
と奈々子さんに窘められる。
そこで徳川さんが「なるほど、お前達は良い時代に生まれたものだな」と僕達をねたんでいるのか?徳川さんは言った。
「今日はお昼から雨が降るみたいだな。俺達の時代は雨のように爆弾が降ってきた」
としみじみ徳川さんは言った。
徳川さんのセリフを聞いて何か嫌な予感がしたけれど、聞いてみたいと思った。
徳川さんが生まれたのは戦前間もない頃の事だった。
食料が不足して、芋ではなく芋の茎を食べていたと言う。
徳川さんのお母さんは徳川さんが物心つく前に亡くなったと言っている。
父親は戦争に生き残ったが、敗戦した日本の東京は何もなかったと言っていた。
徳川さんは一人っ子で、大工をしながら生計をしていた父親を見習って大工になろうとしたみたいだ。
でも十代の頃勉強がしたいと父親に言ったら半殺しにあったと言っている。
徳川さんの家は勉強どころではなく、学校も行かせてもらえず、いつも父親から大工の下済みの練習などをさせられていた。
『良いか家康、勉学よりも一つの職業を持っていれば困ることはないからな』
と父親に釘を刺されるように言われてきたと言う。
そして徳川さんは大人になり、相手の女性の顔も知らずに結婚させられたと言っている。
さらに三人の子供が出来て徳川さんは大工一筋で子供を大学まで行かせて、子供達は三人共結婚して徳川さんには九人の孫がいると言っている。
定年になり、徳川さんはやっと自由の身になって勉強を始めたと言っている。
その事については子供達も応援してくれて、この英名塾を紹介されたそうだ。
でも徳川さんは三人の子供を養っているときはすごく幸せだったと言っている。
その事を聞いて僕はなぜかホッとした。
だって徳川さんは三人の子供を育てながら、苦労はしてきたけれど、それは幸せの香辛料だったんだなと僕はそう思えた。
それに今になっていつかやりたかった勉強が出来るようになったのだから。
徳川さんの話を聞いて僕はこれは小説の題材になるんじゃないかと思えて、何かが僕の中でときめいた。
徳川さんの話を聞いて僕と奈々子さんは共にそれぞれの小説に没頭した。
「何だ?お前さん方は、勉強だけじゃなく、小説も書くのか?」
「はい。これも僕達の夢であって、今こうして僕と奈々子さんは小説を書いたり、絵を描いたりと懸命に毎日を過ごしています」
「何だったら、小説が出来上がったら俺にも読ませてくれよ」
「もちろん大歓迎ですよ」
「ありがとよ」
小説を書いている最中に時計を見るともう二時半を超えて居た。
「奈々子さんそろそろ時間だね」
「あら本当だわ」
そこで徳川さんは「どうしたんだいお前さん方?」
「そろそろ新聞配達の仕事に行かなきゃ行けないんですよ」
「何だ。お前さん方は、働きながらさらに勉強して小説も書いているなんて見上げたもんだな!」
「そんな事はないですよ」
何て僕と奈々子さんは照れてしまった。
そんなこんなで外に出ると、もう寒くて、そろそろ冬の季節の到来だと思った。
僕と奈々子さんが配達所に到着したのは午後三時五分前だった。
いつものように新聞にチラシを一枚ずつ新聞の中に入れて、用意が出来たら、奈々子さんと僕との勝負の始まりだ。
今日は何とか僕の勝ちだった。
ジュースを貰うよりも僕は奈々子さんに勝てたことに嬉しさが止まない。
実を言うと今日は徳川さんの話を聞いて徳川さんの事を考えていた。
戦時中勉強どころではなく生き抜くために大工一筋で家族を養ってきた徳川さん。本当に立派な人だと思った。
それなのに僕なんか、学校でいじめられて不登校となり、親と絶縁してしまった。
徳川さんの時代にそんな事をしたら、どこかで野垂れ死んでいただろう。
僕と奈々子さんは共にまだ中学生だが、これからの時代は将来何になるかは正しい方じゃなく楽しい方を探して歩んでいけば良いと光さんや豊川先生は言っていた。
徳川さんの事を思うと職も自分で選べない時代に生まれてきたのは災難かもしれないが、家族を幸せにして徳川さん自身も幸せだから良かったのではないかと思った。
それにちょっと無謀かもしれないけれど、東大合格と言う目標を持って生きている。
徳川さんは幸せな人生を送っている事を知って偉いと僕は思った。
その事を僕は小説の題材にしたいと思っている。
今日も仕事が終わり、奈々子さんと自転車で帰る途中、もう空は真っ暗な状態だった。
そんな時、何か鳴き声が聞こえてきた。
「奈々子さん何か赤ん坊が泣いているような声が聞こえなかった?」
奈々子さんは耳をそばだてる。
それは今は誰も使われていないロッカーの中からだった。
僕と奈々子さんはロッカーを一つずつ開けると、中から、籠の中に白い布に巻かれた赤ん坊だった。
「どうしてこんな所に赤ん坊が・・・しかもすごい熱」
「救急車を呼んだ方が良くない?」
「いや間に合わないわ、今すぐにアツジはコンビニでオムツを買ってきて」
「そんな物を買ってどうするの?」
すると奈々子さんは僕を威圧的な目で見て「早く!」と急かした。
僕は言われた通り、近くのスーパーでオムツを買いに行った。
なぜ、あの誰も使っていないロッカーの中に赤ん坊が入っていたんだ?




