第66話「戴冠式」
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私が南テザリア同盟の新規加入部隊一万と一緒に北テザリアに戻ったのは、ゲルニガルテの会戦から十日以上過ぎた後だった。
ツバイネル家は当主が死亡、嫡男が降伏してしまったので、もう戦の指揮を執れる人間がいない。おまけに相手は清従教団と王室だ。内心はどうあれ、表向きは逆らう者などいなかった。
「ここに来る途中、ルーディッシュ城のギョルドを降伏させてきたわ。早馬で知らせた通り、息子のダパールともども穏便な処置をお願いね」
私がリンに言うと、彼女はにっこり笑った。
「ああ、ノイエ殿がそう約束してきたのならそれでいいぞ! でもツバイネル領は取り上げるけどな」
「そうね。でもツバイネル公の娘婿たちには、北テザリアで領主として存続を認めた方がいいわよ。領地は『三つ名』程度でいいから」
するとリンが首を傾げる。
「なんで?」
「ツバイネル領を南テザリアの領主たちに分け与えるのはいいけど、領地経営で苦労するわよ? 文化も風習も違う土地だし、自領から離れ過ぎてて目が届かないでしょ」
「あ-、そうか。顧問みたいな立場で置いておくのか」
「ええ。その方がツバイネル領の郷士や領民たちも安心するわ」
謀反を起こしたツバイネル家はもちろん取り潰しとなったが、実子のボルゴとギョルドには分家としてツバイネルの家名を相続させた。
敢えて複数に分けたのは、正統性を曖昧にして謀反を起こしにくくする為だ。領地も北テザリアではなく、南テザリアの王室直轄地を割譲して移封する。
新しい領地はごくわずかで『三つ名』レベルだが、家格はどちらも『六つ名』のままとした。
謀反人の息子たちへの処遇としては温情にも程があるが、実権を剥奪する以上、名誉ぐらいは残しておかないとまずい。両方奪われた貴族は自暴自棄になって何をしでかすかわからないし、これ以上のトラブルは今は困る。
「ノイエ殿は本当に悪党だな」
「おかげで誰も処刑されずに済んでるのよ。こんなに穏便に処置してるのに、悪党なんて呼ばれるのは心外ねえ」
私はニヤニヤ笑う。
「それにね、こうして実力とは無関係な『六つ名』が増えていくと、名前の数で偉さがわからなくなっていくでしょ? いずれは形骸化していくでしょうね」
私はこの国の身分制度を、ゆっくり消滅させていくつもりだ。私が存命のうちには終わらないだろうが、それでもいい。私は私のやりたいように、この世界を変えていくだけの話だ。
「ま、これで文句があるようなら、次は容赦なく皆殺しにしなきゃね」
「そうだな。いつまでも内戦ばかりしていたら、国の力がどんどん衰えていく」
リンはまじめな顔でうなずくと、私を見上げた。
「ところでノイエ殿」
「何かしら」
「私は聖サノー神殿にいたとき、ノイエ殿に助けを求めたよな?」
懐かしい話題だ。
「そうね。あのときの約束だけで、ここまで来たのよねえ」
我ながらバカだと思うが、よくやったものだ。
するとリンは困ったように溜息をつく。
「助けてくれとは言ったけど、王にしてくれなんて頼んでないぞ」
「しょうがないじゃない。他に方法がなかったんだから」
ツバイネル公がリンを狙っている以上、彼を打倒するまで戦いは終わらない。そしてそれを果たすには、国内有数の武力と権力を手に入れる必要があった。それだけだ。
私は大事な姫君に向かって、明るく笑いかける。
「戴冠式、いつにする?」
「他人事だと思って……。こうなったらノイエ殿には宰相として、とことん付き合ってもらうからな」
それはまあ、しょうがないだろう。私にはここまで引っかき回した責任がある。
「とりあえず、旧ツバイネル領の平定と論功行賞ね。南テザリア同盟の領主たち、北テザリアの領地をもらわない限り納得しないでしょうから」
不満が出ないように切り分けるのが一苦労だ。想像するだけでげんなりする。
「あと、ツバイネル家の残党が謀反を起こさないよう、しっかり監視しないといけないし……。隣国への通達も慎重にしないとね。それに清従教も何か言ってきそうだわ」
他にも分裂してしまった近衛兵団の再建や、テザリア初となる女王の扱いについて王室典範の解釈をねじ曲げるなど、やるべきことが山積みだ。
「ま、何とかするわ。この国はあなたのものよ。あなたの思うがままに生きて、一緒に笑いましょ」
リンは驚いたような顔をしたが、やがてにっこり笑った。
「全く、ノイエ殿は無茶苦茶だ。……ありがとう、これからもよろしく頼む」
「ええ、頑張るわ」
* * *
【カシュオーン軍監視点】
王都に帰還した聖モンテール騎士団のカシュオーン軍監は、教皇ヨハンスト三世に恭しく一礼した。
「全て猊下の仰る通りになりました。特に報告すべきことはございません」
「神の思し召しは、まことに奥深いものです」
教皇は微笑み、カシュオーン軍監は溜息をつく。
「世俗の領主たちの強欲ぶりと節操のなさに呆れ果てましたが、だからこそ清従教が必要なのでしょうな」
「そうですね。皆が皆、清廉で謙虚であるならば、神の教えなど必要ありません。薬は病人に、水は渇いた者に、そして神の教えは道に迷う者にこそ意味があるものです」
カシュオーン軍監は教皇をじっと見つめる。
「猊下はリン王女……いえ、ノイエがここまでやると確信なさっていたのですか?」
テザリア全土を縦横に駆け巡り、味方を集めて強大な敵を打ち倒す。ノイエ・ファリナ・レディアージュ・カルファードの人間離れした活躍は、既にテザリア全土に広まりつつあった。
教皇は目を細め、策士としての片鱗を覗かせる。
「確信とまではいきませんが、予想はしていました。彼はおそらく、この世の理から半ばはみ出した者でしょう。彼の言葉と態度からは、何か途方もない力を感じました。ツバイネル公程度に太刀打ちできるはずがありません」
ギョッとするカシュオーン。
「それはつまり……異端者なのではありませんか?」
「そうかも知れませんが彼は清従教の信徒であり、教団を尊重しています。ならば特に詮索する必要もないでしょう」
カシュオーンはチラリと鏡を見る。自分の顔色が悪いのはいつものことだが、今日は特に悪い気がした。
しばらく黙った後、カシュオーンは頭を下げる。
「猊下の仰せのままに」
「ではしばらく、ノイエ殿に協力してください。王室とノイエ殿に貸しを作れば作るほど、神の御代は近づきましょう」
「できれば山賊討伐の件を早く処理したいのですが……猊下の仰せとあらば仕方ありません。山賊討伐は部下に任せ、引き続き王都にて任務を続行します」
カシュオーンは敬礼すると、また溜息をついた。
* * *
戴冠式の日、リン王女……いやリン女王はテザリア王室に伝わる王冠を戴いた。
王冠を授けたのは、ネルヴィス大神官だ。彼は既に次期教皇となることが正式決定しており、今日は教皇の正式な代理として出席していた。
リンの頭にそっと王冠を被せた後、ネルヴィスは微笑む。
「いかがですか、王冠の被り心地は?」
「ネルヴィス殿に問われると、どうお答えして良いものやら見当もつきません」
リンは苦笑したが、こう続ける。
「この王冠が私の頭からどこかに飛んでいかないよう、しっかりと言い聞かせておきます。王として恥じぬ働きを見せるから、どうか私の頭に載っててくれと」
悪戯っぽく笑うリンに、ネルヴィスも穏やかにうなずく。
「そのお言葉、頼もしく思います。私もかつては王室に在籍した身ですから、政務でお困りの際は何なりと御相談ください。王冠はとこしえに陛下の頭上に輝くことでしょう」
居並ぶ諸侯や聖職者がその会話を聞いている。私は傍らで澄まし顔をしつつ、内心でにんまり笑っていた。
華々しい戦歴とは裏腹に政治経験が乏しいリン女王だが、清従教との強い結びつきがあれば内政については何とかなるだろう。諸侯も安心するはずだ。
(問題は外交よね)
火種はそこらじゅうにある。そのひとつが元王妃であり、ツバイネル公の長女であるベルニナ。彼女は愛人の北テザリア貴族と共に行方不明のままだ。愛人の人脈を使い、北のノルデンティス王国に亡命したとの噂もある。
南のサーベニア王国も油断はできない。あそこの王冠も血まみれだ。
戴冠式の後は盛大な祝宴が開かれ、私とリンが落ち着いて話をできたのは夜遅くになってからだった。
「ふいー……疲れた。もうちょっと御馳走を堪能したかったな」
「意地汚く食べて、誰かに毒殺されても知らないわよ。後で何か運ばせるわ」
私も礼装の上着を脱ぎ、ソファに放り投げる。女王になってもリンはリン、私の大事な家族だ。
リンは礼装の小さな額冠を撫でる。王冠を被るのは戴冠式のときだけだ。
「ノイエ殿は本当に不思議なヤツだな。殺されかけていた『二つ名』の庶子を、女王にしてしまったんだから」
私は紅茶を淹れつつ、肩をすくめる。
「そうかしら?」
「そうだぞ。策謀で負けることなし、剣を取ったら無敵、博覧強記で大胆不敵で常識破りで……まさか神や悪魔の類じゃないだろうな?」
「やあねえ、普通の人間よ」
苦笑してみせた私だったが、そういえばリンにはまだ私の秘密を教えていなかった。
隠し事をする必要もないだろうし、教えてあげてもいい頃合いだ。
「でもひとつだけ、普通じゃないことがあったわ。まだ話してないことなんだけど」
疲れたような表情をしていたリンが、急に興味を持ったようにこちらを振り向く。
「なになに? 普通じゃないことって何だ?」
「ええと、実はね。私には前世の記憶があるんだけど、それが全然別の世界なのよ。こことは常識も社会制度も何もかもが違う異世界」
リンが目をまんまるにして、口をバカみたいに開いている。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!? なにその話!? えっ、本当に!?」
「ええ、あなたに嘘は言わないわ。それでね……」
転生者の秘密について語り始めながら、私は窓の外の月を見る。
今夜は長くなりそうだ。




