第63話「梟雄の滅ぶとき」
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ツバイネル公は六十そこそこに見えるが、足取りはしっかりしている。
その理由はすぐにわかった。こいつは魔術師だ。
一般人とは違う、人為的な魔力の流れを感じる。
エリザのような魔術師を配下に従えていた以上、こいつが魔法を習得しているのは想定内だ。エリザ同様、身体強化の魔法が使えると思っておいた方がいい。
それ以上に謎なのは、あの日本刀だ。
ツバイネル公が刀を構えたまま、スッと一歩踏み込んできた。私は半歩退いて一足一刀の間合いから逃れつつ、探りを入れる。
「その剣はどうしたの?」
「お前の剣と対になる魔剣だ。遥か昔に魔女の子が鍛えたいわくつきでな。魔剣キシオッジの方は王室に回収されてしまっていたが、これでようやく戻ってくる訳だ。お前を殺してな」
私と同じような転生者、それも刀鍛冶の転生者が鍛えた刀なのだろう。魔法の力があるのは、母体となった魔女のせいか。
見た感じ、ツバイネル公は日本刀の扱いに習熟している。動きが剣道に似ていた。おそらく何かの剣術なのだろうが、私には判別できない。
「お前が魔剣キシオッジを手に入れたときは、いささか困ったよ。しかもキシオッジの真名を言い当てるとはな。教えてくれんかね?」
「ここで死ぬ人間に教えてどうすんのよ」
私は挑発するが、「手短に済ませよう」と言った割にツバイネル公がおしゃべりなのが気になった。
おまけに彼の構えは下段。体力を温存しつつ、敵の出足を牽制する防御の構えだ。……だったと思う。ツバイネル公には体の動きがほとんどなく、戦意を感じられないほどに自然体だ。あれなら何十分でも構えていられるだろう。
この男、明らかに時間稼ぎをしている。
私は奇襲を仕掛けた側で、味方は三十九騎しかいない。時間が経てば奇襲の効果は失われ、敵は態勢を立て直して私たちを殲滅してくる。
時間を稼がれるとまずいが、ツバイネル公の下段の構えが完璧すぎて踏み込めない。妖刀キシモジンで加速すれば構えなんか関係ないが、相手が加速したら優位性は失われる。
こちらに勝機があるとすれば、『殺意の赤』で敵の攻撃を察知したときだ。打ち込む瞬間は防御を解くので、必ず隙ができる。
唯一にして最大の問題は、ツバイネル公が全く打ち込んでこないことだろうか。
「どうしたの? 手短に済ませないの?」
「急ぐのなら、いつでも打ち込んできなさい。そうすればどちらの勝利に終わるにせよ、すぐに片がつく」
悔しいが正論だ。しかし私は自分の剣技にあまり自信がない。
もう少し手の内を探ってみるか。
「魔女なんて本当にいるのかしらね? ここらで魔女の噂なんて聞かなかったけど」
「ふむ……」
ツバイネル公は間合いを保ちながら、ふと微笑む。
「確かに北テザリアには魔女が一人もいない。ツバイネル家が長年かけて、彼女たちを捕らえてきたからだ。彼女たちの中には、助命と引き換えに秘術について白状する者もいてね。まあ、助命はしなかったのだが」
「クソ野郎じゃない」
ツバイネル公は微笑んだまま、スッと間合いを詰めてきた。
「南テザリアでは豚を肉に加工するとき、いちいち許可を求めるのかね?」
「正真正銘のクソ野郎ね」
だがこれで、「剣術で勝てないなら魔術で勝負」という私の目算は崩れ去った。相手がどんな魔法を使うのかわからない以上、私の中途半端な魔法で戦うのは危険すぎる。
ツバイネル公の体格や動きを見る限り、強化魔法で全盛期の体力を維持しているのは間違いないだろう。聞こえてくる心音も力強く、そして落ち着いている。
さらにまずいことに、遠くから人の気配がふたつ近づいてきた。
「御前、そちらにおられましたか!」
「御無事ですか!?」
抜き身の剣を手にした衛兵が二人、私とツバイネル公の間に割って入る。敵が二人増えた。
衛兵たちはツバイネル公を背中にして、主君を守るように身構える。
「この狼藉者め!」
「なんだこの妙な男は!」
するとツバイネル公が刀を構えたまま、穏やかに言う。
「案ずるな、それよりもお前たちはそこを守るように」
「もちろんです、御……」
衛兵の一人が返事の途中で崩れ落ちた。血飛沫が飛び散る。
斬ったのは私ではない。ツバイネル公だ。
もう一人の衛兵が慌てて振り返る。
「御前、いったい何……」
こっちもばっさり斬られて、血まみれになって床に倒れた。
「あんた、何やってんの?」
「私の剣にもしっかり血を吸わせておかんとな。お前の魔剣キシオッジはたっぷり血を吸い、意気軒昂なはずだ」
ツバイネル公は血まみれの妖刀を再び下段に構えた。
「この者たちではお前に勝てぬ。キシオッジに血を進呈するだけだ。それでは彼らも無念であろう。我が魔剣の糧となって主君の勝利に貢献すれば、この者たちにとってもこの上ない誉れとなる。そんなこともわからんのか?」
「いい加減にしなさいよ……」
こいつだけは絶対に殺す。
これで判明したのは、あいつの妖刀も『人喰い』だということだ。ここには彼の妖刀に捧げる血肉がいくらでもある。長引かせるのはまずい。
仕方ない。これだけは避けたかったが、私も本気を出すことにしよう。
「はっ!」
私は踏み込んでツバイネル公に一太刀見舞う。牽制の一撃なので、ツバイネル公は受け流しすら必要とせず軽やかにかわした。
だがおかげで、彼の足下にあった新鮮な死体は私のものだ。転がっていた衛兵の剣をツバイネル公に投げつけ、その隙に衛兵たちの鮮血を舐める。
今の私は『吸血公の心臓』で吸血鬼と同じ能力を得ている。血を吸えば強くなり、ツバイネル公の身体強化に匹敵するパワーを得られるだろう。
ツバイネル公は斬り掛かってこない。彼の用心深い性格がこちらに幸いした。
「貴様、吸血鬼であったか!?」
なんか勘違いされたが、吸血鬼なのは今夜だけだ。日光を浴びたら吸血公の力は消え去る。
私は唇についた血を舐め、その匂いにニヤリと笑う。吸血公の力を得た今は、甘く芳しい血の香りだ。
「あんたに切り捨てられた名も無き者たちの血が、あんたを滅ぼすわよ」
「やってみるがいい」
私が自己強化したのを見て、ツバイネル公は短期決戦に切り替えたようだ。構えを下段から脇構えに変化させ、刃を隠しながら静かに踏み込んでくる。スピード感が全くないのに恐ろしく速い上に、間合いが読みづらい。
「むんっ!」
ツバイネル公の斬り込みはとんでもないスピードだった。
どうにか視認でかわせたが、脇構えで刀を隠しているせいで動きが見えにくい。太刀筋も読めない。妖刀キシモジンの加速がなければ、とても回避できなかっただろう。
それにあの太刀筋、剣道やフェンシングの動きに似ている。威力よりも速さと精度を重視した動きだ。
妖刀の異様な切れ味の前では、撫でるような斬撃でもかなりの深手になる。だから威力は重視せず、速さで勝負するのだ。
(妖刀慣れしてるわね……)
どうやらこのジジイ、妖刀を使った斬り合いには相当に習熟しているようだ。
ツバイネル公は冷静な動きで、連続して斬撃を放ってくる。私の眉間、手首、太腿。切っ先が舐めるように体をかすめていく。一呼吸でも遅れたらアウトだ。
反撃したいが、動きを読みづらいのでカウンターを入れづらい。『殺意の赤』では攻撃のタイミングと軌道は読めるが、どんな技までかはわからない。
常人には視認すら不可能な速度で斬り合う私たち。お互いの妖刀が壁や柱をかすめると、石材がスパスパ切断されていく。
双方の加速状態が終わり、私たちは妖刀を構えたまま対峙する。
私が粘るので、ツバイネル公はこんなことを言ってきた。
「ずいぶん粘るが無駄なことだ。リン王女はもうこの世にはおるまい」
「チャチなハッタリねえ」
「そうかな? 暗殺者はどこにでもいる。お前がここにいる今、リン王女を守る者はおらん」
確かにエリザみたいなのをまた送り込まれたら、今のリンには守れる者がいない。
しかし私はフッと笑う。
「どうやらあなた、あんまり頭が良くないようね」
「なに?」
「暗殺者が送り込まれているのが事実だとしても、それはあの子が自分で頑張るところよ」
私はツバイネル公に斬りかかる。フェイントを掛けて太刀筋を変えると、ツバイネル公の髭がスパリと落ちた。あと数センチ深ければ仕留めてた。惜しい。
相手の反応速度は見切った。これならいける。
私はツバイネル公の反撃を待ち受けると、彼の妖刀をわざと妖刀キシモジンで受け止めた。
「何っ!?」
妖刀は鉄すら寸断する。だから妖刀使いは鍔迫り合いをする機会がない。鍔迫り合いになった瞬間、相手の剣は真っ二つになっているからだ。
だが私は鍔迫り合いに慣れている。前世も妖刀を使わない剣術で鍛えてきた。
「むうっ!?」
ツバイネル公が鍔迫り合いを避けようと後退するが、私はそれ以上に前進する。鍔迫り合いのまま、ギリギリと押し合う。筋力を強化したツバイネル公はかなりの力だ。
だが案の定、ツバイネル公は鍔迫り合いでの駆け引きに全く慣れていない。私がひねりを加えてねじ込むと、ツバイネル公は押し負け、姿勢が崩れていく。まるで初心者だ。
「あらあら、まだ若いのにだらしないわね」
「この小僧……」
額に脂汗を浮かべたツバイネル公に、私は問いかける。
「私は小僧じゃなくてよ。あなた、おいくつ?」
「くっ……。少しは年寄りを労ってくれんかね。もう六十四だぞ」
さらにギリギリと押し込みながら、私は笑う。
「なんだ、私より年下じゃない」
「なっ!? さては、貴様!?」
彼の意識が一瞬逸れた瞬間、私は後方に飛び退きながら引き胴を放った。ツバイネル公は咄嗟に防ごうとしたが、私は彼の右腕を切り裂く。浅手だが、これでもう刀は握れない。
「ぐああぁっ!」
刀を取り落としたツバイネル公の頭に、私は踏み込みながら妖刀キシモジンを振り下ろした。
「待っ……」
「おだまり」
こんな下衆の命乞いなど聞く気はない。ツバイネル公の頭が左右に分断される。
妖刀キシモジンは残虐な雄叫びをあげながら血と骨を切り裂き、彼の腰まで断ち割った。冷たい床に脳と臓物がぶちまけられる。
「あら、ちゃんと脳があったのね」
彼の頭に脳喰い虫はいなかった。やはり影武者ではないようだ。
私は妖刀の血を払って鞘に納めてから、ふと重要なミスに気づく。
「あ、ごめん。さすがに年下ってことはなかったわね」
今世ではまだ二十四だった。前世分と足しても六十四にはならない。
そんなことより、さっさとずらかろう。リンのことが心配だ。




