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オネエ軍師 ~庶子たちの戦争~  作者: 漂月


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第62話「脳喰い公」

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 古宮殿の警備は厳重で巡回の兵もかなりいる。『欺瞞の香』は屋外だと風に流されて失敗する可能性があるので、そうそう何度も危ない橋は渡れない。風上から巡回の兵が近づいてきたら、ごまかしきれない。

 だが今、古宮殿の衛兵たちは大混乱だった。



「火事だ!」

「賊が入り込んだぞ!」

「違う、あれは消火に駆け付けた騎兵だ!」

「衛兵の恰好をした賊がいるぞ! 怪しい者は斬れ!」

 敵衛兵とこちらの鉄騎団が口々に虚実入り混じった声を張り上げ、状況を混乱させていく。さすがはベテラン傭兵、この手のダーティな仕事は慣れたものだ。



 鉄騎団が宮殿の各所に放火を繰り広げている間に、私は城内に侵入した。『欺瞞の香』は屋内で最大の効果を発揮する。誰も私を敵兵だと思っていない。

 私は夜勤の侍女たちに向かって問いかける。

「火事だ! 私は護衛の騎士だが、御前はどこにおわす!?」



「お、狼の間にいらっしゃいます……」

「そうか、では私が報告に行く。お前たちは貴重品を持って逃げろ!」

「はっ、はい!」

 侍女たちが慌てて逃げていく。鉄騎団は武装した兵士だけを狙っているので、侍女たちは大丈夫だろう。



 さて、狼の間とやらに行くか。

 途中で何回か使用人を捕まえて同様に質問し、私はまんまと宮殿最奥部に侵入した。

 外はだいぶ明るくなっていて、あちこち景気よく燃えているようだ。宮殿自体は石造りだが骨組みには木材も使われているし、内装や調度の類はよく燃える。



 外からは怒号や剣戟の音も聞こえてくる。鉄騎団が敵の衛兵隊と交戦しているのだろう。混乱に乗じている今は鉄騎団が優勢だが、そのうち数の不利で形勢が逆転する。

 急いでツバイネル公を討ち取らないと。



 この手の城には隠し部屋や抜け道があるものだが、抜け道はともかく隠し部屋に籠もる馬鹿はいない。この城は今、火事なのだ。

 抜け道についてはどうしようもないので、なるべく急いでツバイネル公を見つけることにする。



 古宮殿の『狼の間』は、名前に反してとても美しい広間だった。白い石壁に銀レリーフの狼が配されている。天井の中心には大鹿の絵画。どうやらこれは、雪原で大鹿を狩る群狼を表現しているようだ。



 それはさておくとして、ここは敵の懐の中だ。奇襲は『殺意の赤』で防げるはずだが、どうも嫌な予感がする。ひとつの魔法に命を預けるのは危険だと、イザナがよく言っていた。

 私は『欺瞞の香』を消し、次の切り札を準備する。



 城は隠し部屋や抜け道だけでなく、迎撃用の設備も備えている。武者隠しや弓狭間などが一般的だが、吊り天井や落とし穴なんてものもある。

 殺意のない攻撃に対して『殺意の赤』は無力だ。だからそれを補う為、私は懐から小さな紙包みを取り出す。中身は深紅の結晶だ。



 魔女の秘薬、『吸血公の心臓』。かつてこの世界に本当に存在していたとされる、吸血鬼の能力を得られる。効果は一晩だけで、これが最後の一包だ。

 夜襲への備えとしてずっと持ち歩いてきたが、使うなら今だろう。



『吸血公の心臓』を奥歯で噛み砕くと、とたんに周囲が明るく感じられた。燭台しか照明がない時代なので、夜の屋内はほぼ真っ暗だ。それなのに遥か先まで見通せる。

 それと周囲の人間の気配。驚いたことに、周囲にいる人間の心音が聞こえる。落ち着いた心音が周囲の闇に幾つも潜んでいた。どれも非常に若い。



 私は隠れている心音の出方を待つことにして、気づかないふりをして歩いていく。いずれ潜んでいる連中も動くだろう。逃げるなら放置するし、襲ってくるなら容赦はしない。

 すると意外にも、そいつらは隠れている場所から姿を見せた。



「あら、かわいい使用人さんね」

 見習い侍女の格好をした少女たちと、見習い給仕の格好をした少年たち。十代前半といったところだろうか。リンやユイと同年代だ。

 彼らの心音は落ち着いていて、これから戦うといった感じではない。



 私は腰を屈めて目線の高さを合わせ、優しく微笑む。

「ここは危険よ? 後ろの廊下から外に出られるから、早く逃げてね」

 彼らはこっくりうなずくと、私の後ろに続く廊下へと歩き出す。



 次の瞬間、私は妖刀キシモジンで加速した。私の体をかすめるようにして、少年少女がタックルを放ってくる。『殺意の赤』に反応はない。間一髪だった。

「そんな騙し討ちが通用するとでも思ったの?」



 外で火の手が上がり、戦う音が聞こえている。そんな状況で、見慣れぬ変な侵入者と対峙した子供たちが平静でいられるはずがない。緊張で心音が激しくなるのが普通だ。

 それなのに全員が一様に平常時の心拍を刻んでいた。逆に不自然だ。



「ツバイネル公は、子供を犠牲にするのがよっぽどお好きなようね」

 私は迷うことなく、彼らを斬り捨てた。彼らが人間なら、必ず『殺意の赤』に反応する。脳喰い虫に寄生されたベルカールの殺意でさえ感知できたのだ。

 それなのに、この子たちの殺意は読み取れない。ベルカール以上に人間から遠い存在なのは間違いなかった。



「うっ!」

 斬り捨てた侍女見習いの少女が、血飛沫と共に床に倒れる。正視できない光景だ。

 その死体を踏み越えて給仕見習いの少年が突進してくる。間髪入れず妖刀キシモジンを振り下ろし、頭を叩き割る。小さな制服が血に染まり、少年の骸は少女と折り重なるように倒れた。



「ああもう、最悪!」

 私がこの世で一番見たくないものが、子供が殺される場面だ。それを今、自分の手で作り出している。吐きそうだ。



 唯一の救いは、頭を割った少年の骸から脳喰い虫が見えていることだった。彼らは全員、脳を喰われてとっくに死んでいる。

『殺意の赤』が反応しないので、ベルカールのときとは違うタイプの脳喰い虫のようだ。そういえば、動きに殺意が感じられない。



「ふむ、これも通じぬか」

 しわがれた声が聞こえてきて、私は妖刀の血を払いながら振り向いた。

 広間に痩せた老人が一人立っている。テザリア貴族たちが好む戦装束を着ており、腰にはなぜか日本刀を差していた。こいつだけ『殺意の赤』の青い光が輝いていた。



 老人は手に持っていた笛を捨てると、軽く溜息をつく。人間には音が聞こえない笛、いわゆる犬笛だろう。どうやらあれで刺客たちを操っていたらしい。

 道理で当人たちに殺意がない訳だ。



 床に転がる子供たちの骸を見回してから、老人は皮肉っぽい笑みを浮かべる。

「子供は斬れぬ性分だと思っていたが、存外無慈悲なものだな」

「あんたが言う台詞じゃないでしょ。どんだけ『脳喰い虫』が好きなのよ」



「それらは大人の戦士の脳を喰わせた後、子供の体に再び植え直した特別な脳喰い虫だ。再移植で適合するのが一割以下なので苦労したが、手間の割に役に立たんか」

「いったい何人を……」



 まずい、ちょっと動揺してしまった。これがヤツの策だ。全て嘘かも知れないし、こんなヤツの言葉は受け止めなくていい。

 とにかくこれ以上ペースを乱されるとまずい。



 私は哀れな刺客たちが全て絶命していることを確認し、テザリアの戦の作法に則ってこう言う。

「私がノイエ・ファリナ・レディアージュ・カルファードよ。これは尋常の戦、我が軍による夜襲よ。名乗る名があるのなら、あんたも名乗りなさいな」



 すると老人はクックックと笑った。

「新参の『四つ名』ごときに名乗るのも滑稽だが、敢えて名乗ろう。私はツバイネル家当主、ゼラーン・イオフォ・ヨカシュペテ・クアケル・ラカル・ツバイネル。我が名乗りを聞けるのは破格の待遇だ、光栄に思うがいい」

 本人かどうかはまだ確信が持てないが、この強烈な上から目線は本物らしさがある。



 私は敢えて煽ってみる。

「どうも威厳がないわね。影武者じゃないの?」

「そうかね」

 平然と返す自称ツバイネル公。私のような下賎の者に挑発されたのに、大して気に留める様子もない。



 だがそれが逆に本物らしさを感じさせた。

 こういうときに「無礼者め!」などと怒るようでは、まだまだ格が低い。

 私のことを人間だと思っていないから、何を言われようが腹も立たないのだろう。彼にとって、私はその辺の虫や雑草と大差ないのだ。



 ツバイネル公は腰に差した日本刀を抜く。私の妖刀キシモジンに似た刃文だ。

 私が知る限り、この世界に日本風の文化圏はない。だとすれば、あれも転生者かそれに近い存在が鍛えた刀だろう。おそらく妖刀だ。



 ツバイネル公は商談の打ち合わせのような口調で私に言う。

「この後の予定があるのでな。手短に済ませよう」

「ええ、手間は取らせないわ」

 私は床でピクピク痙攣している脳喰い虫を踏み潰し、妖刀キシモジンを構えた。


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