第59話「怒涛の進軍」
オネエ59
* * *
【ツバイネル軍司令官ボルゴ視点】
ボルゴはグイム領を目前にしてびくびくしていた。
「ネルヴィス殿は襲ってこないだろうな?」
「噂によると、ネルヴィス殿は帰郷の名目でリン王女軍に同行し、北上中とのことです」
副官がそう答え、やや不安そうに続ける。
「グイム領はネルヴィス殿の代官が大勢おりますが、彼らがどのような命令を受けているのか全くわかりません。グイム領の動員可能兵力は五千ほどと見積もられています」
「五千か……」
現在、ツバイネル軍は一万七千ほどになっている。
最初の遠征で損害や脱落が出て一万四千余りに減っていたが、その間に追加で三千近く集まっていた。これは主に他家からの援軍だ。さらに集まる予定だという。
「地の利を生かされると五千でも油断はできんな。我々にネルヴィス殿と戦う気はないと、グイム領の代官たちに書簡を出せ」
「はっ」
ボルゴにとってネルヴィスは実の甥だし、グイム領はツバイネルの地だという認識がある。戦場になれば領地は荒れ果てる為、戦いは避けたかった。
「こちらに戦意がないとわかれば、代官たちも無謀な戦は挑んで来るまい」
「しかしグイムは今、教団領です。敵地ですぞ?」
副官は心配しているが、ボルゴは真面目な顔で首を横に振る。
「私が彼らなら、ツバイネル軍が領内を通過した後に後背から仕掛ける。それもツバイネル軍が王女軍と戦い始めた後でな」
「確かに……」
郷士や代官たちにとって一番大事なのは、自分たちの村が戦禍に巻き込まれないことだ。
「領内に入ったら、足の遅い部隊を隊列の先にしよう。騎兵は最後尾で良い。後背からの奇襲を受けても逃げきれる。農民兵は歩兵ばかりだ。警戒の為、隊列の周辺に斥候を出せ」
「はっ」
こうして必要な決定を下し、ボルゴは溜息をつく。ここは今日の宿、ツバイネル家に忠誠を誓う小領主の屋敷だ。
(質素な家だ……)
貴族の屋敷なので質素なはずはないのだが、御曹司のボルゴにとっては銀の燭台も毛織物の絨毯も物足りない。自宅にはもっと豪華で良質なものがいくらでもある。
(いつまでこんな生活をせねばならんのだ)
老齢の父を遠征に駆り出す訳にはいかないし、父は当主として本領での執務がある。
一方、北テザリアで軍を率いるのは嫡流の役目だ。総大将は嫡流でなければ示しがつかない。
それはわかるのだが、ボルゴは街道を往復する行軍にいい加減飽きていた。
するとそこに伝令の騎兵が駆け込んでくる。
「申し上げます!」
「なんだ、もう寝るところだぞ?」
「火急の折にて御容赦を! 王女軍がグイム領に接近しております!」
その瞬間、ボルゴのたるんだ気持ちが一気に引き締まった。
「ルーディッシュ城が陥落したのか!?」
「わかりません! 現在、早馬にて確認中です!」
伝令の報告はほとんど悲鳴だった。
ボルゴはすぐさま立ち上がり、机上に地図を広げる。
「ルーディッシュ城を抜ければ、もう王女軍を止められるだけの城や砦はない……。王女軍の正確な位置はわかるか?」
「はっ。昨日の朝に確認されたのが、ここから四コーグ(80km)ほどの距離です」
「近すぎるぞ!? その勢いなら、すでに間近に迫っているはずだ!」
伝令が来たことを知って、幕僚たちも部屋に集まってきた。
「若君、大変な事態ですぞ!?」
「敵の進軍速度が予想を遥かに上回っています。ありえません!」
「わかっている。これが本当なら、ルーディッシュ城が一日足らずで落とされたことになる」
そうつぶやいた後、ボルゴはふと首を傾げる。
「だが待て、そんなことがありえるか?」
「そう言えば……」
幕僚たちが顔を見合わせる。
「ルーディッシュ城は天下の名城。それに三千の精鋭と二千の農民兵が守っております。一日で落城など考えられません」
「それに城代は弟君のギョルド様。寝返りなどありえませんし、ギョルド様は慎重なお方です」
幕僚たちの言葉にボルゴもうなずく。
「私もそう思う。ギョルドなら三万の大軍が攻め寄せても一ヶ月は粘るはずだ。不測の事態があったとしても数日はしのげよう。兵糧や矢も一冬越せるだけの備蓄がある」
ボルゴたちは沈黙し、それから妥当な結論を導き出す。
「敵がよほどの大軍なのか、そうでなければ違う何かを敵軍と見間違えたのではないでしょうか」
「同感だ。確認された敵戦力は三万。攻城兵器も確認されておらんし、ルーディッシュ城を一日で落城させるだけの力はない。ありえるとすれば、他の兵力で城を包囲して王女が進軍してきた可能性ぐらいだ」
すると幕僚の一人が首を横に振る。
「退路が確保されていないのに兵を先に進めるのは危険です。王女自らが陣頭に立って進軍しているようですから、その可能性は低いかと」
別の幕僚が口を挟んだ。
「王女が影武者という可能性もある」
「あまり顔を知られていない王女だから、確認が厄介だぞ。ノイエとかいう軍師はどうした?」
「ノイエはトルネ要塞の攻略中のはずだ」
議論が白熱してくる。
ボルゴは挙手して彼らを制し、こう発言した。
「議論の前にルーディッシュ城の状態を確認するのが先だが、今はその報を待つ余裕すらない。三万の敵が北上してきているのが事実なのか、まずはそちらから確認しよう」
「その後はどうなさいますか?」
「事実であれば迎え撃つしかないが、グイム領で戦うことになればグイムの郷士たちが挙兵しかねん。彼らを刺激して五千も敵を増やすことはない」
ボルゴは溜息をつき、地図を見た。
「南下を中止し、一旦北上する。後退しながら決戦に適した地形を探させろ。先に布陣し、少しでも有利な態勢で待ち受けるのだ。時間との戦いだぞ、急げ。父上に報告するのも忘れるな」
それが一番大事だと、ボルゴは幕僚たちに念を押した。
* * *
時間は少し遡る。街道の守りを一手に引き受けるルーディッシュ城では、城将のギョルドが望遠鏡を覗いていた。彼はツバイネル公の実子、次男だ。
「敵が我が城を無視して北上しているぞ……」
ギョルドの息子であるダパールが勢い込んで叫ぶ。
「父上、このまま敵の北上を許せば故郷が危ういです! すぐに出撃して叩きましょう!」
しかしギョルドは首を横に振った。
「こちらの兵は五千、それも半分近くが臨時徴集の農民兵だ。農民兵は複雑な命令を実行できんし、駆け引きの呼吸がわからん」
城門を開いての出撃と退却は、簡単そうに見えて意外と難しい。内外の連携が不十分だと外に出た兵が死ぬことになるどころか、敵が城内になだれ込んでくることもある。
そのことを改めて息子に教えた後、ギョルドは溜息をついた。
「外で戦えるのは守備隊の三千。だが敵は三万だ。十倍の兵を相手にした会戦では、奇襲も通用せん。軍略は役に立たん」
だが諦めきれないのか、若武者ダパールは悔しそうな顔をしている。
「しかし敵の隊列は細く延びきっています。断ち切って損害を与えることは可能でしょう」
「そう思うのがお前の未熟さだ。あの隊列をよく見ろ」
ギョルドは城門の正面を指さした。
「敵は直線ではなく、大きな弧を描くようにして進軍している。弧の両端には騎兵と弓兵を配してな。三千の歩兵で突進すれば、その後どうなると思う?」
ダパールは少し考え、ハッと何かに気づいた表情をした。
「もしかして、半包囲ですか?」
「そうだ。弧の両端が我らの側面に襲いかかり、包み込むようにして殲滅を開始する。細長いように見える隊列も、よく見るとかなりの厚みがある。易々と突破はできんし、突破してしまえば城に戻れなくなるだろう」
ギョルドは望遠鏡を副官に預け、楼閣の胸壁にもたれかかる。
「我々にできることといえば、敵が去った後に追撃を開始することぐらいだ。だが待ち伏せされていたら壊滅してしまう。後続の敵が都から来ないとも限らん。ツバイネル家代々の城を預かる身として、危ない橋は渡れん」
「じゃあこのツバイネル家代々の城は、何の為にあるんです!?」
ダパールは悔しそうに叫ぶが、ギョルドは苦笑するだけだ。
「ただの軍事拠点だ。ここも昔は深い森に囲まれた土地だったのだが、百年以上にわたって開墾を続けてきたからな。軍勢の往来を食い止める能力を失っているのだ」
そう答えてから、ギョルドは青空を仰ぐ。
「敵はルーディッシュ城を迂回することで、時間と兵力を温存した。そのツケは敵が敗走して王都に逃げ帰るときに払うことになる。この城から我々が出撃し、掃討戦を展開するからな」
するとダパールが不安そうに尋ねる。
「そうなりますか、父上?」
「敵も馬鹿じゃないから、必ず勝つ自信があるんだろう。グイム領まで行けば補給も受けられるだろうから、街道を封鎖されても困るまい。我々にできることは何もないな」
ギョルドは頭を掻き、それから兵に命じた。
「警戒態勢を維持しつつ、交代で休息を取れ。敵の通過後、斥候と伝令を出すぞ! それと一応、街道の封鎖だ! 検問所を設け、王女軍を王都から切り離せ!」
勇ましく命じた後、ギョルドは兵たちに聞こえない声でつぶやく。
「これぐらいやっておけば、父上も文句は言わんだろう。後は父上がやればいい。あんたが始めた戦争なんだからな」
それからギョルドは息子をじっと見る。今年やっと成人したばかりの可愛い我が子だ。
「今のうちに、お前だけでも逃げておくか?」
「御冗談でしょう、父上?」




