第57話「虜囚兵団」
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【トルネ要塞守備隊視点】
物見の兵がトルネ要塞の指揮所に駆け込んでくる。
「申し上げます! 王女軍が旧街道を北上し、トルネ要塞に接近中! 数およそ七千!」
指揮所の騎士たちは顔を見合わせるが、守備隊長のピュレットは落ち着いていた。彼はツバイネル公三女の婿、一門衆だ。
「皆、取り乱す必要はないぞ。この要塞は建国以前からツバイネル領を守ってきた堅城だ。七千そこらの兵で攻め落とせるようなもんじゃない。まずは義父上に伝令を送れ」
ツバイネル公の本性についてはピュレットも衝撃を受けている。その点では、降将となったジレと同じだ。
しかしピュレットはジレが嫡男ボルゴに見捨てられたことを知らない。要塞に戻ってきたとき、ボルゴが何も言わなかったからだ。
「ボルゴ様の本隊がいれば……」
側近がぼやくが、ピュレットは明るく笑い飛ばす。
「馬鹿を言え、本隊がここにいたら戦に勝てんだろうが。逆に言えば我々は要塞に立てこもって、時間を稼いでいるだけでいいのだ。それでツバイネル家は戦に勝ち、王女殿下は和睦を申し込んでくる」
ピュレットはツバイネル公が国王と王太子を殺したとは思っていない。清従教団の発表にも懐疑的だ。
部下が不安そうな顔をしている。
「本当にそうなりますか?」
「俺はそう信じているよ。国王陛下を殺めたのはおそらくベルカール本人だ。あいつは昔から凶暴だった。見ろこの古傷。あの坊やは逆上すると手がつけられん」
ピュレットの額にある古傷は、剣術の稽古でつけられたものだった。途中からベルカールが興奮して、ほとんど実戦になってしまったせいだ。
もう何年も前だが、刃引きした真剣でやられた傷は予想以上に深く、今でも北テザリアに冬が来ると疼く。
「あんな孫を持った義父上も災難だ。ネルヴィス殿の方が王位を継げば安泰だったんだが、ああなっちまったらな……」
溜息をついて、ピュレットはマグカップからぬるい水を飲み干す。
「さあ仕事の時間だ。後々のことを考えれば、あまり派手にやりすぎるのも考え物だな。俺たちはじっと耐えて、この居心地のいい巣穴を守っていればいい。冬眠する獣たちのようにな」
大貴族の五男として生まれ、苦労に苦労を重ねて政略結婚で今の地位を得たピュレットは、ツバイネル家の一門衆でも特に忍耐強かった。
「総員、持ち場に就け! 主計長は兵糧と矢をもう一度確認しろ! 左右の砦にも伝令と増援を送れ! ここから先は一歩も通すな!」
* * *
トルネ要塞から二キロほど離れたところで、私たちは陣地を作っている。
「ここの領主はリン王女殿下に忠誠を誓ったわ。手伝いの人足も来たことだし、心配しないで物資集積所を作りなさい!」
要塞守備隊からは、私たちが城攻めの後方拠点を作っているように見えているだろう。
「要塞の連中は、今頃張り切ってるんでしょうねえ……」
私は鉄騎団の三十九騎と南テザリア同盟軍の兵士たちを従えて、軽く溜息をついた。
すると鉄騎団のベルゲンが笑う。
「要塞の守備隊が出撃してこなきゃいいんだが」
その可能性はあったが、こちらの見かけの兵力は七千だ。おいそれと出撃はしてこないだろう。私の見立てでは、あの要塞に敵主力一万五千は存在しない。
「大丈夫でしょ。要塞には最低限の守備兵しかいないはずよ」
「断言できるか?」
「ええ。ジレが捕虜になったことで、ツバイネル公は内情が筒抜けになったと判断したはずよ。その情報を元に、南テザリア同盟軍が街道を通って進軍してくるのはほぼ確実。旧街道に主力を配置しても意味がないわ」
私の言葉にベルゲン団長が微笑みながらうなずく。
「よしよし、あんたに命を預けても大丈夫そうだ。安心したぞ」
「失礼な傭兵ね……」
こんなものは軍略や兵法とも呼べない。素人にもできる推測だ。
「あと、居場所がバレてる軍勢、動いていない軍勢はそれだけで弱いわ。でも軍勢を動かし、ジレが私たちに伝えた情報を過去のものにすれば、逆に奇襲ができる。敵は旧街道から街道へ主力を移し、地の利が得られる地点で迎撃してくるはずよ」
「ほう……」
ベルゲンは少し感心したようにうなずき、それから質問してくる。
「居場所がバレてる軍勢や動いていない軍勢が弱いというのは、れっきとした軍学の知識だ。地の利の重要性もな。誰から教わった?」
「強いて言えば、ナポレオンとフラーと秋山真之かしら……」
ベルゲンが仲間たちと顔を見合わせ、それから肩をすくめてみせる。
「知らん将だ」
「ん……まあ、そこはほら、私も一応貴族だから」
前世の戦略ゲームにのめり込んでいたとき、歴史上の実在の将軍たちの理論を少し学んだ。もちろん専門的な知識ではないので、私は戦争の素人だ。
「もちろん、ツバイネル公がその裏をかいて要塞に主力を温存している可能性はあるけどね」
「その場合はどうする?」
ベルゲンの問いに、私は困ったように笑うしかなかった。
「みんなで仲良く戦死しましょ」
「おいおい」
「この旧街道に敵主力がいるのなら、こっちの主力は一気に街道を北上してツバイネル家を滅ぼすわ。私たちはのんびり戦死して、リン女王を支えて散った功臣として歴史に名を残せるわよ」
鉄騎団の騎兵たちは顔を見合わせ、クックックと笑う。
「そりゃ悪くないな」
「二十年前にやり残したことが、こんな異国でできるとはな」
「俺らの雇い主は、まったく悪党だぜ。うまいこと言って俺たちを使い捨てる気だ」
「なんだよ、不満なのか?」
「んな訳ねーだろ」
私は手をパンパンと叩いて、彼らの気を引き締めさせた。
「さあさあ、新兵みたいにくっちゃべってないで仕事しなさい。五千の兵力でここに野戦築城するわよ! しっかり『彼ら』を見張って!」
私が率いる七千の兵力のうち、五千は降将ジレが率いていた非武装の捕虜だ。彼らは戦う為ではなく、故郷に帰る為にここまでついてきた。この後も戦わせる予定はない。
残り二千が本当の兵力で、南テザリア同盟軍から借りてきた。彼らは捕虜の監視役だ。
なお、ジレと幕僚たちは王都で身柄を預かっている。
鉄騎団の傭兵たちは空き地に柵や土塁を作り始めた捕虜たちを見て、不安そうにしている。
「あいつらは本当に反逆しないんだろうな?」
「言うとおりにしてれば故郷に帰れるのに、なんでここで刃向かうのよ。あいつらの大半は農民兵よ? 郷士たちも同じ村の農民を危険に曝すぐらいなら言うことを聞くわ」
近衛騎兵だった鉄騎団の連中には、下っ端兵士のやる気のなさは今ひとつ納得できないらしい。
私は笑いながら、捕虜たちに近づく。
「もうすぐ故郷ね、みんな」
「あ、これはノイエ様」
下士官に相当する郷士たちが私に気づき、軽く頭を下げる。彼らはツバイネル家の家臣だ。
彼らが従順なのには、ちゃんと理由があった。
「ノイエ様、本当にもう戦いは終わりますか?」
「ええ、水面下で交渉が進んでいるわ。だからこそ、あんたたちも故郷に帰すことになったのよ?」
戦いはもうすぐ終わる。リン王女率いる南テザリア同盟軍の圧勝でだ。
あと水面下で誰と誰が交渉しているかは言ってないし、嘘はついてないだろう。
「戦が終わればトルネ要塞も通行可能になるから、それまではここで待機ね。越冬に必要な物資も山ほど運んできたし、集積所を作ってのんびりしましょ」
「ありがとうございます。今年は軍役で思うように農作業できませんでしたし……」
頭を下げる郷士たちに、私は微笑みかける。
「だから故郷に帰ったら、ツバイネル公にはよろしくお伝えしてね? リン殿下はあなたたちを丁重に扱ったって」
「それはもう」
「何から何まで、本当に良くして頂いて」
「こんなに待遇がいいのなら、来年も捕虜になりに来ますよ!」
郷士たちが笑いながら、物資の集積所を作っていく。
私は彼らに軽く手を振って立ち去り、ベルゲンたちの元に戻った。
「どう?」
「なんだかな……」
ベルゲンたちが首を傾げているので、私は説明してあげた。
「あんたたちみたいな戦争の犬と違って、郷士や農民は平和の中で生きてるのよ。戦うのは非常時だけだから、根本的に考え方が違うわ」
「そういうものか?」
かつては職業軍人であり、今は傭兵である鉄騎団の面々には、ちょっと理解しにくいようだ。
「そういうものよ。彼らはもう戦う理由がないと思っている。そして敵である私たちから親切にされ、すっかり平時の気分に戻っているわ。戦争が終わると信じてるし、故郷にも帰れるし、ここで命を懸ける必要がないのよ」
戦士として幼少期から訓練された騎士階級の人間と違い、郷士や農民兵は農村での生活が日常だ。戦闘技術や体力は持っていても、プロの戦争屋とは気持ちのありようが違う。
「普通の人は闘争心を一度失うと戦士ではなくなるわ」
和睦の証に飲食を共にする風習はこちらの世界にも広く存在するが、そうやって「平時の気分」に戻すことで人々は闘争心を失う。
私の説明にベルゲンたちは首をひねっていたが、やがてうなずいた。
「まあ……農民たちはそういうものかもしれんな。商人や農民なんかと話していると、確かに考え方の違いを感じることが多い」
「あいつら、剣を抜くのは最後の手段だと思ってるからな」
「最初の手段だよな」
「相手をぶっ殺してから考えても遅くないんだが」
やっぱり傭兵は傭兵だ。
私は苦笑すると、馬に飛び乗った。
「さ、ここの仕事はおしまい。鉄騎団は私と一緒に、次の戦場に行くわよ」
「ちょっと待ってくれ、やっと戦の支度を始めたところなのにか?」
「ええそうよ。戦場に着いた時点で、戦の七割は終わってるから」
ここは放っておいても大丈夫なので、もっと危ないところを何とかしに行こう。




