第53話「ディアージュ城解放」
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ディアージュ城攻略隊の指揮官、ツバイネル家の娘婿ジレ。
私の送った使者に対して、ジレは書簡で返答してきた。
「味方の退却命令がないので、置き去りにされたことが信じられないようね」
「そりゃまあ、敵が『お前んとこの本隊もう撤退したぞ』って言っても、信じないだろうなー」
リンが腕組みしてうなずいている。同感だ。
私は「確認したければ貴軍の斥候の通行を保証するので、自分で確かめろ。それからでも話し合いには応じる」という趣旨の書簡を送る。
そして何日か過ぎて……つまり本隊が街道をどんどん北上して北テザリアの安全圏に去ってしまった後に、ジレから返事が来た。
「交渉を求めてきたわ」
私はマントを羽織ると、リンに笑顔を向けた。
「じゃ、ちょっと打ち合わせしてくるわね」
「敵との交渉だろ? ノイエ殿が直接行って大丈夫か?」
私は少し考えたが、ここで私を殺してもジレが破滅するだけだ。リン王女は健在だし、清従教団も南テザリア同盟も戦いをやめないだろう。
「ま、大丈夫でしょ。手紙じゃ時間がかかってしょうがないわ」
電話かメールでもあればいいのに。
そして案の定、ディアージュ城攻略軍の陣中は緊迫した雰囲気に包まれていた。
「軍使、ノイエ・ファリナ・レディアージュ・カルファードよ。あなたたちの敗北は自明の理なんだから、さっさと片付けましょ。降伏なさいな」
野戦陣地のテーブルについた私がそう言うと、ジレは苦い顔をして返答する。
「我々は貴殿の主君を人質に取っているのだ。リン王女殿下の解放と引き換えに、我々の退却を認めてもらいたい」
「あら、ずいぶんまともな条件ね」
もっと欲張った条件を突きつけてくるかと思ったが、割と現実味のある内容だ。
ジレもこれ以上欲張ったら、問答無用で袋叩きにされるのを理解しているのだろう。なんせこちらには三倍の兵力がある。
私はクックックと笑ってみせた。こういう演技は得意だ。昔だいぶやったことがある。
「人質って何のことかしら? 王女殿下なら、王都バルザールにおられるわよ?」
「なにっ!?」
ジレは背後の山を振り返り、遥か彼方のディアージュ城を見る。
「ではディアージュ城には王女殿下はおらんと、そう言いたいのだな?」
「ええ、そうよ。あんな山城に籠城しちゃったら、政治的な動きができなくなるじゃない。少しは道理を考えなさいな」
だがジレは額に汗を浮かべながら唸る。
「それはどうかな? 貴殿が王都にいれば、政治工作は十分できる……」
いい読みだ。実際、リン王女がどこにいようが私が全部お膳立てを整えられる。
証明する方法はないので、私は頬杖をついた。
「じゃ、城攻めを続けたら? こっちも山を包囲して森に火を放つぐらいはやるけど」
「待て待て待て」
ジレは慌てる。
「麓の森は領民の里山だろう!? それまで焼き払うのか?」
「戦争ですもの」
戦争って非生産的で嫌だよね。
私が完全に本気の口調と態度だったので、ジレはまた悩んでいる。
「では、どうあっても我々の退却を認めないと?」
「戦わずに敵の優秀な先鋒を五千も奪える好機なのに、そんな虫のいい条件を呑む訳ないでしょ。降伏なさいな」
私は一気に畳みかける。
「ディアージュ城にリン王女がいない以上、ここでの戦闘は無意味よ。ディアージュ城を占領して籠城したところで、味方の援軍は来ない。だから逃げるというジレ殿の判断は正しいわ。でもね」
テーブルに肘をついて、私は含み笑いをする。
「ジレ殿はツバイネル家の嫡男ボルゴの本隊から見捨てられ、敵中に孤立した状態よ。退却しようにも街道は既に敵に封鎖され、戦って突破できる保証もない。そうでしょう?」
「……だとしてもだな」
ジレが言いかけるのを、私は無理矢理黙らせた。
「いいじゃない、降伏しちゃいなさいよ。今なら誰も死なずに済むわ。あなたは身分の高い捕虜として、正当で手厚い待遇を受けられる。戦後には故郷にも帰れるよう、私から王女殿下に口添えしてあげるわよ」
どうせ戦いたくて来てる訳じゃないだろうし、ここでさっさとリタイアして高見の見物を決め込んだ方が得だろう。この男は馬鹿ではなさそうなので、それぐらいの計算はできるはずだ。
「それとも、ツバイネル家に忠義立てしちゃう? あなたを捨て駒にしたツバイネル家に?」
「それは……」
「ツバイネル家が勝ったところで、あなたは娘婿の冷や飯食らいのまま。負ければ逆賊の一味として一族郎党皆殺しよ? あなたの実家もどうなるかしらね?」
「むむう」
実家の話題が出た瞬間、ジレが渋い顔になる。嫌なのだろう。
「それが嫌なら捕虜になって私に情報を提供しなさい。そうすればツバイネル家が倒れた後、いいことがあるかもしれないわよ」
「いいことだと?」
私はここで切り札を出す。
「ツバイネル家が滅びた後に、広大な領地が残されるわよね? もちろん王室が没収するでしょうけど、功績があった者には分配するわよ。あなた、領地をもらって当主になってみたくないの?」
人間を動かすのは欲望だ。買収できない人間など存在しないと、前世で誰かが言っていた。金額の問題に過ぎないのだと。
だから私はジレの欲望が疼くほどの利益をちらつかせた。
完全に沈黙したジレからは、『殺意の赤』の光が見当たらない。勝負あったようだ。
最後にジレは、ぼそりとつぶやいた。
「もちろん私の妻子は助命してくれるのだろうな?」
「当然。あなたが私に協力しなかったとしても、いえ、あなたがもし嘘の情報ばかりを私に教えたとしても、それでもあなたの家族は私が守るわ」
私が倒したいのはツバイネル公ただ一人だ。後の大半は善人でも悪人でもない、ただ成り行きで敵になっているだけの普通の人々だ。倒す必要はない。
ジレは大きく息を吐き、そして私に頭を垂れる。
「ノイエ殿に降伏する。どうか将兵に寛大な配慮を」
「確かに承りましたわ、ジレ殿」
私はにんまり笑った。
こうしてツバイネル家の兵五千は降伏し、捕虜となった。
捕虜といっても相当な人数なので、武装解除だけして後は街道沿いの荒野に居留地を作らせる。近いうちに北テザリアに送り返すことになるだろうが、今はまだダメだ。
私はこの勝利を大きく喧伝し、そこらじゅうに高札を出した。行商人や巡礼たちが、噂を広めてくれることだろう。
テザリア中の有力諸侯にも同じような手紙を出す。
『国王陛下の仇を討つべく、リン王女は清従教団と南テザリア同盟の支援を受け、三度の戦に全て完全勝利した。自軍の兵をほとんど失うことなく、逆賊の軍を王都周辺から完全に駆逐した。ツバイネル家の先鋒五千を捕虜にし、指揮官ジレも王女の軍門に下った』
騙してはいるが、嘘はついていない。
有力諸侯たちは私の送った書状と、街道沿いに流れてくる噂話が一致していることをいずれ知るだろう。複数の情報源から一致した情報が流れてくると、人間というのは割とあっさり信じてしまう。
学生時代、情報リテラシーや心理学の講義で習った。大学の一般教養の講義は国盗りの役に立つ。
こうして私は無事に敵を降伏させたが、私たちに合流したリュナンが呆れている。
「この書状だと、リン王女に軍才があるような印象ですね。あと何だか、親孝行な印象ですけど」
「実際の親子関係がどうだったにせよ、今やってることは親の仇討ちでしょ。嘘じゃないわよ?」
私はリュナンに笑いかける。
「薄幸の王女リン殿下は、父王の仇を討ってテザリアに平和を取り戻す為に戦っているの。悪のツバイネル家を倒す日まで、リン王女の孤独な戦いは続くわ。どう、面白そうでしょう?」
「面白そうって……」
リュナンは困ったような顔をしているが、私はふと真顔になる。
「複雑な事象を強引に単純化して、善悪の二元論に持って行く。そして理性ではなく感情に訴えて味方を増やすのよ」
「兄上の仰ることだから信じたいんですけど、本当にそんなにうまくいきますか?」
今度は私が困った顔になるしかない。
「私も馬鹿馬鹿しいと思ってるんだけど、これでうまくいっちゃった例を何度も知ってるもの。人間って単純な生き物よ」
私は頭の後ろで両手を組んで、天井を見上げた。
「後は『ツバイネル家の持つ広大な領地』と『新女王からの御恩』を練り餌にして、諸侯を釣り上げるだけね。うまくいくといいんだけど」
ツバイネル公も同じようなことはしてくるだろうから、諸侯の取り合いになるだろう。
でもどうせなら、正義のお姫様に味方した方が良くない?




