第49話「軍監」
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街道を進軍するツバイネル家の軍勢五千は、こちらの予想通り進路を南西に転じた。目指すはリン王女が籠城しているとされるディアージュ城だ。
もっともディアージュ城にいるのは影武者、私の異母妹のユイ。本物は私と共に王都にいる。
「なんで五千なんだろうな? ツバイネル公はもっと兵を動かせるだろう?」
リン王女(本物)が不思議そうにしているので、私は簡単に説明した。
「ツバイネル家が動員できる兵力は一万から二万ぐらいと推測されてるけど、兵ってのは集めるのも動かすのも大変なのよ」
兵の多くは郷士や農民だから、地元での生活がある。普段から軍務に就いている常備兵だって、遠征の支度は必要だ。
「今回はベルカール王太子が突然国王を殺しちゃったから、ツバイネル公にとっても予定外の出兵なのよ」
脳喰い虫に操られていたベルカールは、国王を殺した次はネルヴィスを殺そうとした。結果、私に返り討ちにされてしまい、操り人形として使えなくなっている。
近衛兵団の造反分子などで構成される王太子軍も、首魁を失って散り散りになった。王太子が国王になれば甘い汁を吸えると期待していた連中だから、王太子がいなくなれば戦う理由がなくなる。
「ぐずぐずしているとリン王女側が態勢を整えて、兵を集めて北伐を開始するかもしれないものね。だからとにかく急いで兵を送って、王都周辺での戦いに持ち込みたい。そんなところでしょうね」
「だからとりあえず五千か」
リンは腕組みして、うーんと唸る。
「とりあえずで五千送ってくるって、やっぱりツバイネル公は凄まじいな」
「わかる?」
「うん、よくわかった」
人口密度が低く、兵站も未発達なこの世界では、兵を集めるのは容易ではない。
テザリアの騎士物語では何十万もの大軍がポンポン出てくるが、山陰地方の県がそのまま動いてくるようなものだ。住民全員が兵士になれる訳ではないし、テザリア程度の国ではありえない。
それに食料や野営地の問題が出てくる。維持も移動もままならない。
「もちろん五千の兵じゃ長期間戦うことはできないから、追加で兵を送ってくるでしょうね。それに北テザリアの他家からも兵を借りられるから、これからどんどん敵は増えるわよ」
「五千の敵だけでも大変なのに、もっと増えるのか……」
こちらの兵力は聖モンテール騎士団の三千五百と、ディアージュ城守備隊の三百だけ。歴戦の傭兵隊・鉄騎団は頼りになるが、戦略規模では存在しないのと同じだ。
でも私は気楽に笑って、リンの肩をポンと叩く。
「心配しなくても、ディアージュ城も王都バルザールも五千の兵には動じないわ。追加の敵が現れるまでは、こちらも兵を集めることができるわよ」
「ノイエ殿は本当に豪胆だな……」
実際は私だって初めての戦争にドキドキしているのだが、それはツバイネル家も同じだ。天下泰平のテザリアでは、大規模な戦争経験者は極めて少ない。
私は集めてきた情報をメモにまとめる。
「敵の主力は歩兵で、本格的な攻城兵器は未確認。指揮官の名はジレ。ツバイネル公の次女の婿で、ツバイネル家の一門衆よ」
「強いかな?」
「どうかしらね。先鋒を任されるぐらいだからそこそこだとは思うけど、娘婿を送ってきた辺り、微妙にやる気を感じないのよね」
裏切る可能性は極めて低いだろうが、ツバイネル公との血縁はない。
また女系になるので、ジレの子たちにもツバイネル家の相続権はない。血縁重視のツバイネル公にしてみれば、切り捨てても惜しくはないはずだ。
その後、みんなで手分けしてテザリア各地に挙兵の手紙を送っていると、聖モンテール騎士団のカシュオーンがやってくる。
「ノイエ殿、ツバイネル家の増援一万五千が街道を南下中だ。王都に向かっていると思われるので、我が騎士団はこのまま王都に籠城する。よろしいか?」
「しょうがないわよねえ」
借りた兵だし無理強いはできない。
しかしリンは不安そうな顔だ。
「一万五千って、かなりの兵力じゃないか」
「ツバイネル家の総兵力でしょうね。自前で二万用意できるのはさすがだわ」
ただ、少し気になることがあった。
「カシュオーン殿、敵勢に他家の軍旗は?」
「ない。指揮官はボルゴ。ツバイネル公の嫡子だ。紋章を確認している」
規模といい指揮官といい、こちらが本命で間違いなさそうだ。
もともと顔色が悪いカシュオーンはともかく、リンもさすがに顔色が悪い。
「一万五千……」
「心配しなくても、その程度の兵じゃ王都を包囲できないわ。敵のいない城門から人や物を出入りさせられるから、どうってことないわよ」
王都は長大な城壁に囲まれている為、それを包囲しようとすると数万の軍勢が必要になる。もっとも数万もの兵力があれば力押しで城門を突破できるだろう。
「ただし敵がディアージュ城に向かってたら、さすがにお手上げなんだけど……」
私が一番恐れているのはそれだ。
二万もの兵で攻められたら、ディアージュ城が堅牢な山城とはいえ守りきれない。守備隊はわずか三百だ。
敵の包囲にも厚みが出るので、聖モンテール騎士団が救援に向かっても敵の後方部隊に蹴散らされて終わりだろう。
しかしカシュオーンが首を横に振り、淡々と答える。
「その心配はない。敵は間違いなく王都に来る。聖モンテール騎士団の特性を理解し、我々を王都に釘付けにするつもりだ」
「あら、気づいてた?」
「清従騎士団が教皇猊下を守らんはずがないからな。聖モンテール騎士団の手の内は読まれているとみていい。そういう比較的安全な任務だからこそ、嫡子に任せたのだろう。戦わずとも嫡子の手柄になる」
「ふーん」
前々から思っていたが、カシュオーンは清従教団のかなり上層部にいる気がする。田舎で山賊退治ばかりやっているようなことを言っていたが、彼の目線がときどき戦略レベルになるからだ。
カシュオーンはおそらく、リン王女一派がどれぐらい戦えるのかを見極める為に派遣された監視役、つまり『軍監』というヤツだろう。
気づいていないふりをしても良かったが、仏頂面のカシュオーンを困らせてみたくなったので私は笑いかける。
「的確な情勢判断、さすがは教皇直属の軍監というところかしら?」
カシュオーンは一瞬強張った表情になり、眼だけ動かしてゆっくり私を見た。
「いつ……気づいた?」
「あなた、聖モンテール騎士団の団長じゃないんでしょ? 団長代行で若手の騎士だから最初は騙されたけど、そこまでの戦略眼を持っているのなら団長より高い地位のはずだわ」
するとカシュオーンは仏頂面のまま腕組みをした。
「敵にも味方にも手の内を読まれているとはな。やりづらくてかなわん」
「まあいいじゃない、仲良くやりましょ」
「それは断る」
私がニヤニヤ笑っているのを、リンは不思議そうに首を傾げていた。
後で聞いたが、カシュオーンは教皇直属の軍事顧問であり、「神の剣」と呼ばれる秀才だった。
政治や権力闘争に全く興味がないことと、田舎で治安維持に従事していたのは本当らしい。生粋の軍人ということだろう。
軍監は戦に長けた者でないと務まらない。カシュオーン軍監が聖モンテール騎士団を動かしている限り、王都の陥落はなさそうだ。
彼の顔色はますます悪くなるだろうが、頑張ってもらおう。
さて、後はディアージュ城がどれぐらい持ちこたえられるかだ。私はカレンダーを眺めつつ、ここからどう勝つかを考え始めた。




