第42話「心を蝕むもの」
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魔女の秘術『死体占い』は、死亡直後の新鮮な脳から情報を読み取る術だ。死亡すると脳の霊的な防御がゼロになってハッキングが容易になるが、同時に脳組織が壊死し始める。
ほんの数分で読み取り精度はガタ落ちになる。急いで読み取らないと。
だが精神集中しても、ベルカールの脳記憶をうまく読み取れない。読み取りにくいどころではなく、全く読み取れないのだ。何らかのエラーが起きている。
そういえば戦っているときに『殺意の赤』が妙な反応をしていた。敵意を示す青から殺意を示す赤への変わり方が異様に早く、良く言えば歴戦の戦士や暗殺者の雰囲気、悪く言えば動物的だった。
それに『死体占い』を妨害するには脳に何らかの魔法をかけておく必要があるはずだが、王太子の脳に魔法をかけるなんてことは国の安全保障上ありえないだろう。
だとすれば、残る可能性はひとつだ。
「ネルヴィス殿、これを見て」
私は妖刀キシモジンを一振りし、ベルカールの頭蓋を断ち割る。少々気の毒だが仕方がない。
断面からこぼれ落ちてきたのは脳ではなく、ナメクジのような不気味な軟体生物だった。全身から細い触手が無数に生えているが、脳の外ではまともに動けないのかぐったりしている。
「うわっ!?」
さすがにショックだったのだろう、ネルヴィスが半歩退く。
「ノイエ殿、これは何だ!?」
「わからないわ。ただ、ベルカール殿下が『こいつ』に脳味噌を食われたことは間違いなさそうね」
私は人間だから人間の脳記憶は読み取れるが、こんなよくわからない生き物の脳だか神経索だかはうまく読み取れない。フォーマットが違う。
ベルカールの頭蓋骨ごと斬られたので、この気持ち悪い生き物は既に瀕死だ。みるみるうちにピンクから紫へと変色し、どす黒い色になって体液が流れ出す。死んだようだ。
私は気持ち悪いクリーチャーにとどめを刺してからネルヴィスに向き直る。彼に『殺意の赤』の青い光や赤い光は見当たらない。敵意はないようだ。
「ごめんなさいね。あなたの兄上を救うことはできなかったわ」
「いや、今のを見れば兄が既に兄でなくなっていたことはわかるよ。襲われる直前の会話でも、僕は兄が偽者だという確信を抱いていた」
ネルヴィスは深々と溜息をつき、兄の骸をじっと見つめる。
「兄上……とうとう最後まで、兄上の気持ちはわかりませんでしたよ」
ここの王室は気持ちの分かり合えない人間関係が多すぎる。余計なお世話かもしれないが、ずいぶん悲しい家族だ。
かなり憔悴した様子ではあったが、ネルヴィスは私に視線を戻した。
その表情にもう悲嘆はない。思ったよりも気持ちの切り替えが早い。王子としてずっと生きてきただけあって、感情と思考を切り離す訓練ができているようだ。
「兄の骸は縁者の僕に預けてくれないか。僕が弔ってあげたい。それに兄に寄生していた不気味な怪物のことも、教団で正式に調査したい」
「教団ならわかりそう?」
「異端や異教と抗争を続けてきた組織だからね。何かわかっても全ては話せないだろうけど、話せる範囲で正確に、そして誠実に伝えるよ」
味方でもないのに情報をくれるとは、ずいぶん太っ腹だ。
「あら、ありがとう」
「命を救われたからね」
ネルヴィスは返り血を浴びた法衣を脱ぎ、シャツ一枚で私の前に立つ。
「こちらこそありがとう、ノイエ殿。君は僕の命の恩人だ。教団ではなく僕個人としてお礼をしたいが、今の僕は王族でもなければ貴族でもない。領地も財産も全て教団に寄進してしまった。この自宅も今は教団のものだ」
「あら、じゃあ教団としてのお礼でもいいのよ? もっとも、あなたの性格じゃ無理でしょうけどね」
私がクスクス笑うと、ネルヴィスは寂しげに笑う。
「そうだね。それは公私混同だ。だから何もお礼ができないんだが……」
「別にお礼なんかいいのよ。前に言ったでしょ、あなたのことは嫌いじゃないって」
見返りは別に求めていないが、こう言えば律儀な彼はたぶん何かお礼をしてくれるだろうという期待はある。私は薄汚い人間だ。
私は妖刀キシモジンの血脂を拭い……実際はこいつが全部吸ってしまうから刀身はいつもピカピカなのだが、とにかく拭って鞘に納めた。
「王太子が王を殺した。でもその王太子はそれよりもずっと前に亡くなり、誰かに操られて動く抜け殻だった。そう考えれば、この事態は説明がつきそうね」
「ということは、全ての黒幕はツバイネル公だと言いたいんだね」
「そうよ。ただし、ツバイネル公にとっても予定外の事態だったのは間違いないでしょうね。だって北テザリアの兵力が全く動いてないんだもの」
ネルヴィスはうつむいて少し沈黙し、それからちらりと私を見る。
「確証となるものは?」
「あら、それは秘密よ。少なくとも私が集めた情報はそう示しているわ。手の内が明かせないのはお互い様。だから信じるかどうかはあなたの自由よ」
どういう情報をどうやって集めているか、彼に教える訳にはいかない。
ネルヴィスは穏やかにうなずき、それから私に言った。
「もし君の言う通りだとするなら、僕は兄を祖父に殺されたことになるな」
「ええ、そうなるわね」
気の毒だが否定はできない。
「僕の母は北テザリア貴族の誰かとの間に僕を作り、父とは血がつながっていない。兄は父殺しの汚名を着て死んだ。全く……なんていう家族だ。他家の者が羨ましいよ」
「確かに私はあなたよりだいぶ幸せね。父も弟も妹も、みんな仲良しだもの」
私は苦笑するしかなく、ネルヴィスの肩を抱いた。
「親は選べないわ。兄弟とも対立することがある。でもそれは仕方のないことよ。家族はまた作ればいいの」
「作る?」
「そうよ。血がつながっていなくても、心が通じ合っていれば家族だわ」
私はリンの屈託のない笑顔を思い出して笑った。
「私、リン殿下に母親代わりにされてるのよ。独身男なのにね。酷いと思わない?」
「それは……まあ、納得できると言うか……。でも大変だろうね」
何か言いたげな顔のネルヴィスに、私は肩をすくめてみせた。
「そうね。でも確かに今、私とリンは家族だわ。私はあの子が王族じゃなくなったとしても、あの子を守ることに何の利益がなくなったとしても、やっぱりあの子を守るわよ。利害なんか関係ないわ。なんかちょっと、家族っぽいのよね」
孤独な姫君との家族ごっこと言えばそれまでだが、私にはもうリンを見捨てるという選択肢は存在していない。私が死ぬことでリンが守れるのなら、私は命を投げ出す覚悟ができている。
あの子を失うぐらいなら、この世界に別れを告げた方がましだ。
ネルヴィスは私の顔をまじまじと見つめていたが、やがて少し寂しそうに微笑んだ。
「ずるいな、リンは。……僕もそれぐらい、誰かに愛されてみたかった」
「あら、あなたには清従教団があるでしょ? あなたの王室からの離脱を許可するなんて、利害だけの関係じゃありえないことよ」
ネルヴィスは第二王子だから教団にとって大きな価値があったのだ。王室から離脱してしまえば、北テザリア地方の一領主に過ぎない。
それでも教団は王室からの離脱を認めてくれた。教皇か誰かはわからないが、最高幹部の中にネルヴィスを深く愛している者がいるのは間違いなかった。
ネルヴィスは私をじっと見る。
「君は不思議な人だな」
「確かに、変な人だとはよく言われるけれど……」
「いや、変というか……。清従教の教えとはかなり違うし、型破りではあるけど、聖者のような厳かなものを感じるよ」
褒められてると解釈していいのだろうか。よくわからない。
「褒め言葉と受け取っておくわ」
「もちろんだよ」
私が彼の肩から手を離すと、ネルヴィスはまた寂しそうな顔をした。
「行くのか?」
「ええ、テオドール郡を空っぽにはしておけないものね」
外の連中は既に始末しているが、ベルカールが戻らなければ配下が動き始めるだろう。ここは敵地だし、早く引き上げた方がいい。
「じゃ、またね」
私は窓枠からひらりと飛び降りると、待たせておいたサーベニア産の軍馬にまたがる。
さっさと帰ろう。




