第41話「ネルヴィスの窮地」
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【ネルヴィス大神官視点】
「兄上、こんな夜分にどうされました?」
僕は深夜の訪問に戸惑いつつも、兄を出迎えた。さすがに遅い時間なので、警護の者たちも大半が眠っている。
本来、こんな時間に貴族の家を訪問することはありえないのだが、相手が実の兄とくれば断る理由もない。
それも国王である父を殺し、王都を武力で支配している兄だ。会わなければ敵対していると見なされる。
兄であり謀反人であるベルカールは新王を名乗り、この数日は王都周辺で勢力固めに動いている。兵力はおよそ千。王都を支配するには物足りない兵力だ。
しかし王都周辺の弱小領主たちは動かない。ベルカールやその背後にいるツバイネル家を恐れ、黙って様子を見ている有様だ。
清従教団も似たようなもので、王都周辺には清従騎士団がいないので打つ手がない。王室への敬意を示し、余計な兵力を置かないようにしていたのが裏目に出た。
だから今、兄に逆らう者はいない。
今のところは、だが。
「兄上。父上のことは……」
僕が控えめに話題を切り出すと、兄はゆっくりうなずく。
「その件で来た。お前はすぐにお祖父様の下に行け」
「お祖父様ですか?」
「そうだ。お前は清従教勢力の立場からお祖父様に助力し、ツバイネル家を王室の正式な後見人とするのだ。テザリア王室は今後、ツバイネル家を後ろ盾として国内外に睨みをきかせる」
僕は警戒する。
兄は祖父ツバイネル公のことを「爺様」と呼ぶ。「お祖父様」は僕が祖父を呼ぶときの呼称だ。
この兄、本物ではない。
ただ、影武者にしては妙だった。兄の仕草や表情をまるで模倣しようとしていない。
試しに兄を呼んでみる。
「お兄様?」
「なんだ?」
兄は「お兄様」という呼び方を女々しいと嫌っていた。だが今、目の前の人物はそのことに全く頓着していない。
見た目は本当にそっくりだが、これは明らかに偽者だ。
「兄貴は父上を殺害したことを、恥じてはおられないのですか?」
今度は思い切って「兄貴」と呼んでみたが、目の前の男は気づいていない。
「ツバイネル家にとって有害となったので排除した。この国はツバイネル家の協力なしには立ち行かんのだ。仕方あるまい」
やっぱりこの男、ベルカールではない。本物の兄はそこまでツバイネル家に義理立てしていない。
この者はもしかして、リン王女の立てた偽者なのだろうか。いや、彼女はそんなことはしない。それにリン王女の手の者なら、ツバイネル家に協力するよう要請するはずがない。
外を見たところ、この男には少数の護衛しかいないようだ。これなら僕の手勢でもどうにかなるだろう。この男の主については、捕まえた後に問いただせばいい。
僕はそう判断し、彼を捕まえる為にこう言った。
「わかりました。僕は兄上に従います。すぐに準備しましょう」
すぐに衛兵を呼ばなくては。
だが僕が呼び鈴を取ったとき、兄そっくりの男は突然襲いかかってきた。
「この裏切り者め!」
「うわぁっ!?」
動きにくい法衣のせいで、避けるのが間に合わなかった。両手で首を絞められ、僕の意識がみるみるうちに遠のいていく。
「裏切り者め!」
「違……僕は……裏切り……」
反論している場合じゃないと気づいたときには、手足が動かなくなっていた。僕はどうやら、ここで死ぬらしい。
もう少し、誰かの役に立ってから死にたかった。こんな有様では神の御前に笑顔で立てない。
「ま……だ……僕、は……」
身をよじって抵抗しようとしたとき。
「ああもう、間に合って良かったわ」
聞き覚えのある声がした。
この声はノイエ殿!?
次の瞬間、兄そっくりの男がうめく。視界の端に赤い血飛沫。
「ぐおあぁっ!?」
「あら、あなた……もう人間じゃないわね?」
名剣キシオッジを構えたノイエ殿が、ペロリと唇を舐めて身構えていた。
「助かるわ。気楽に斬れるから」
* * *
私は妖刀キシモジンを構えつつ、ベルカールとの間合いを慎重に測る。
さっきベルカールの護衛を撫で斬りにしたので、キシモジンは絶好調のはずだ。それなのに先制の一太刀を避けられた。加速状態で背後からの急襲だったのに。
こいつは人間じゃない。
反応速度も瞬発力も尋常ではないので、筋力も相当なものだろう。素早さには筋力が必要だ。私は素早いだけで打たれ強くはないので、ベルカールの斬撃を一発受ければアウトだ。
ネルヴィスの武勇はあまりあてにはならないし、私が何とかするしかない。
「うがああぁ!」
ベルカールは獣のように吼えながら、幅広の剣を抜いてやみくもに薙ぎ払う。一応は剣術の動きだが、太刀筋は今ひとつだ。速いが無駄が多い。
せっかくの力を有効活用できていないので、ベルカールの脅威度は低い。
私は妖刀キシモジンで加速し、動きの止まった場所を狙って斬りつける。甲冑すら薄紙のように切り裂く妖刀だけあって、ベルカールの左手首がすっぱりと切断された。
しかしベルカールは全く動じることなく、左手首を拾うと切断面をくっつける。
「ふん!」
驚いたことに、あっという間にくっついてしまった。
さすがに神経接続まではすぐに回復しないようだが、くっついたばかりの左拳で殴りかかってくる。避けると石壁に穴が空いた。化け物だ。
「ノイエ殿、僕が助太刀する!」
ネルヴィスがサーベルを抜いて駆け寄ってきたが、私は彼を制止する。
「危険よ、離れてて! 今のあなたまで守りきれないわ!」
「わ、わかった」
ベルカールはネルヴィスではなく、私を優先して攻撃してくる。私の動きがそれだけ脅威なのだろう。いい傾向だ。
こちらには『殺意の赤』があるので、動きが速くても大した脅威ではない。
「ああもう、鬱陶しいわね」
私はあちこち斬りつけてみるが、動きが素早いのでなかなか深手を与えられない。浅手はすぐに塞がってしまうので意味がなさそうだ。
こんな無限回復モンスターとちまちまやり合ってても仕方がないので、私は手っ取り早く片付けることにした。
狙いはヤツの剣だ。
幅広で肉厚の剣。おそらく相当な業物だろうが、妖刀の前では爪楊枝みたいなものだ。切断しようと思えば簡単だ。
だがあれを握らせておけば、相手は右手の剣で戦う。
左手のパンチは剣の戦いには間合いが遠すぎて当たらない。
キックを使えば動きが止まるし、片足立ちの間はまともに剣を振り回せない。
それに突き出した手足を斬られると戦いが一気に不利になるので、ベルカールはパンチやキックをほとんど放ってこない。
敵の攻撃パターンを減らす為に敢えて剣を持たせておいたのだが、それを活用するときが来たようだ。
私はほんの一瞬、構えに隙を作る。誘いの構えだ。
「うおおおぉっ!」
ベルカールは剣を高々と振り上げ、大きく踏み込む。かなり速い動きだ。
「ノイエ殿!?」
ネルヴィスの悲鳴が聞こえたが、応じる余裕はない。私は加速すると、大上段から振り下ろされる剣を妖刀キシモジンで受け止めた。
「ふっ!」
ベルカールの幅広剣をスッパリと切断し、そのまま剣速を落とさずに横一文字に薙ぎ払う。
ベルカールの腕の上を滑るように妖刀が奔り、波打つ刃文が王太子の首を捉えた。
「んがっ!?」
喉笛から頸骨までを一瞬で切断し、首を斬り飛ばす。ベルカールの首が床に転がると、首を失った胴体はでたらめな動きで大暴れを始めた。まるで鶏だ。
「ああもう、狭いんだから暴れないでよね」
スパスパと手足を切り落としてコンパクトに分割すると、王太子だった怪物はようやく無害になった。
「手首を繋いだときに神経の再接続に時間がかかってたから、神経の電気信号で動いてるのは『生前』と同じだったみたいね」
「ノイエ殿が何を言っているのか、僕にはよくわからないんだが……」
ネルヴィスはサーベルを鞘に収め、兄の無残な亡骸を見下ろす。
「兄上……どうしてこんなことに」
「悪いんだけど、それを今すぐ調べさせてもらうわね」
私はネルヴィスのサーベルを少し警戒しつつも、ベルカールの首を拾い上げる。魔女の秘儀『死体占い』の時間だ。




