第39話「王殺し」
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* * *
【国王グレトー視点】
王宮の一室。
グレトーは久しぶりに会う息子を、じっと見つめていた。今となっては唯一の息子だ。
今日はベルカール側の強い希望で、二人だけの密談となっている。
グレトーは息子が帯剣していないのを確認してから、重要な用件を切り出す。
「ネルヴィスは余の息子ではなかった。不義の子だ。テザリアの血を引かぬ子がテザリアの王位継承権を持っていたことになる。これは大罪だ。ベルニナを許す訳にはいかぬ」
王太子ベルカールは無言のまま、ゆっくりうなずく。
王は続けた。
「お前に非はないが、ベルニナとの婚姻解消に伴い、お前の王位継承権は第二位になる。第一位はもちろん、ファ……ファサノ……いや違うな、ファリナか。ファリナの子、リンだ」
ベルカールはやはり無言のままだ。ゆっくりうなずく。
それを特に不思議に思うことなく、グレトーは言う。
「ベルニナは王室より除籍とするが、お前は今後も王室の一員として残ることを許そう。余とリンに忠誠を誓うがよい。いずれリンの補佐として役に立ってもらう」
普通に考えればベルカールにとって屈辱的な言葉のはずだが、ベルカールはゆっくりうなずいただけだ。
グレトーもうなずき返す。
「お前が王太子として持っていた権限については、ほぼ全てリンに移る。引き渡しの準備……」
ベルカールが立ち上がる。
そして次の瞬間、グレトーに襲いかかった。
「がおああぁ!」
帯剣を許されていなかったベルカールは、素手で父親につかみかかる。
「むぅっ!?」
グレトーは意外にも機敏に退き、腰の宝剣を抜き放った。
「錯乱したか、ベルカール! 余を誰と心得る!?」
だがベルカールは吼えながら飛びかかってくるだけだ。
「ええい、よさぬか!」
グレトーは剣術の体捌きでステップを踏み、我が子の猛突進をかわした。
大柄なベルカールは勢い余って窓際まで突っ込み、厚手のカーテンにつかまって立ち止まる。振り向きざま、カーテンがちぎれて床に落ちた。
再びベルカールが立ち向かってきたとき、酷薄なグレトーはもはや迷わなかった。
「愚かなり、我が息子よ」
機先を制して踏み込むと同時に、我が子の胸を狙って鋭く刺突。
儀礼用の装飾だらけの剣は刀身が細く造りも華奢だ。にもかかわらず、王の一撃は肋骨の隙間を突いて臓腑を深々と貫いた。練達の技だ。
「ぐおぉ……!」
うめくベルカールを後目に、グレトーはスッと素早く剣を引き抜く。いつまでも刺したままだと抜けなくなるし、抜いた方が流血を加速させるからだ。
「父の情けだ。せめて苦しまぬよう介錯してやる」
ヒュッと剣を振って身構えたとき、グレトーは驚いたように叫ぶ。
「ベルカール、お前!?」
胸を突かれて瀕死のはずの息子は、礼装の胸を血で汚したまま平然と立っていた。
「何か仕込んでおるな!」
次の刺突は素肌を狙う。喉元だ。
だが王の雷光のような突きを、王太子は無造作につかんだ。素手で刀身を握ると、血が噴き出すのも構わずに怪力でひねる。
武器というよりは工芸品に近い細身の宝剣は、ぐにゃりと折れ曲がってしまった。
「おのれ!」
グレトーは剣術だけでなく、レスリングも達者だ。
甲冑を着た騎士たちを戦場で討ち取るには、胴当てと鎖帷子をめくって鎧通しの短剣を突き刺す必要がある。組み討ちの技術は必須だ。グレトーはこのレスリングの技には絶対の自信があった。
しかし剛力を誇るグレトーの手首を、ベルカールが握り込む。たったそれだけで、王の右手首の関節はごきごきと破砕された。
「ぐあああぁっ!?」
さすがに悲鳴をあげたグレトーだったが、その頭をベルカールが恐ろしい力でつかんだ。
「や……やめぬか! 誰かおらぬのか!」
そのときようやく、異変に気づいた衛兵たちが室内に飛び込んでくる。
「陛下!?」
相手が王太子であることに躊躇の表情を浮かべた彼らだが、状況は緊迫している。すぐに抜剣してベルカールに斬りかかる。
しかしベルカールは床に転がっていた父の剣を拾い上げると、折れ曲がった刀身で衛兵を殴りつけた。
刀身がさらに折れ曲がり、衛兵の兜がぐしゃりと潰れる。
「うわぁっ!?」
残った衛兵たちが驚いたときには、ベルカールは素手で彼らを次々に殴り殺していた。それも格闘術の動きからはかけ離れた、力任せの動物的な動きでだ。
衛兵たちを瞬く間に始末すると、ベルカールは再びグレトーに向き直った。万力のような力で頭をつかまれる国王。
「ベルカール……もしやお前、人の身をやめ……」
ベルカールは無表情のまま、父王の頚をねじり切るように一回転させる。
テザリア国王グレトーは、頸骨を粉々に砕かれて絶命した。
* * *
国王が王太子によって白昼堂々と殺害された。
この一報は瞬く間に王都周辺に広まった。すぐにテザリア全土に広まり、いずれ国外にも広まっていくだろう。
「えらいことしてくれたわね……」
私は執務机に肘をつき、前髪をくしゃくしゃにして溜息をつく。
王太子の廃嫡後に謀反が起きるのは想像していたが、廃嫡申し渡しの席で王太子が国王を殺すとは思っていなかった。
「なんで一対一で王太子と面会してんのよ、あのおっさんは」
あっさり殺害されてるし、ボディチェックもせずに面会したんだろうか。詳しい状況が不明なのでよくわからないが、とにかく間抜けな死に方だ。
私はすぐに傭兵隊の鉄騎団に命じて、街道をいつも以上にしっかり監視させた。最近は王太子の軍勢に何の動きもなかったので、全くの予想外だ。
今のところ、街道にも異変はない。おかげで異変に気付くのが遅れた。
しかし普通なら、国王殺害と同時にリン王女にも軍勢を向けるはずだ。
王太子本人による国王殺しなんて無茶苦茶なルール破りをしておいて、なんでここに攻めてこないんだろう?
どうも王太子の動きがちぐはぐな気がするが、とにかく今は一刻も早く臨戦態勢を整えなければならない。
しかし案の定、リンは父を失ったことに激しく落ち込んでいた。
「父上が……もう会えぬのだな……」
あんなクソ親父だったのに、リンは意外と慕ってたのだろうか?
するとリンは悔しそうに唇を噛む。
「母上の件、とうとう最後まで謝罪させることができなかった……」
そっちか。
「あと十年ぐらいあれば何とかなったでしょうけどね」
リンはリンなりに、薄情で女癖の悪いクソ親父と向き合おうとしていた。尊敬はできない。愛する気にもなれない。信用できない。
まあでもそれはそれとして、歪ではあるが親子の関係を築きつつあったような気がする。
あのまま父親が存命であれば、いつか何らかの形で和解できたかもしれない。
だがその機会は永遠に失われた。
これでもうリンと父親の物語は終わることになる。とても不本意で、報われない結末だ。
「ベルカール……」
私は気持ちを切り替え、これからの戦いに集中することにした。
王都は現在、王太子の私兵が制圧している。規模は千か二千ぐらいで大したことはないらしいが、こっちのディアージュ城守備隊は徴募しまくってもまだ三百にも達していない。
ディアージュ城は堅牢な山城なので籠城すれば大丈夫だが、山城に閉じ込められると政治的な動きができない。
頼みの綱は国王側の兵だが、いずれも混乱の極致にある。
もともと兵力の大半は国境地帯に置かれ、残りは動きの怪しい領主の監視に充てられている。王都に駐留する近衛兵団はおそらく数千。王太子側につく連中もいるだろうし、敵なのか味方なのか判然としない。
そして王都周辺の領主は弱小貴族ばかりで、こういうときには全く役に立たない。個々の動員兵力は百かそれ以下だし、一致団結して戦う準備をしていないので共闘できないだろう。
今のところ、王太子に公然と叛旗を翻す勢力は存在していない。
せいぜいリン王女の勢力ぐらいなものだ。
「せめて廃嫡の布告ぐらい済ませてから死になさいよね。最後の最後まで娘に迷惑かけまくってもう……」
ベルカール王太子はまだ王太子だ。廃嫡の正式な手続きが終わっておらず、未だに王位継承権は第一位だった。
しかしベルカールは謀反人でもある。父殺し、王殺しの大罪人だ。
この男をどう扱うか。
貴族たちの多くは、王太子を次期国王と認めるか、それとも謀反人として討伐するか、悩みまくっているはずだ。国王派にはまだリン王女がいる。
情勢は流動的で、今は一刻を争う。今日明日にどう動くかが、歴史を大きく変えることになるだろう。もちろん、私たちの運命もだ。




