第38話「粛清」
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* * *
「えらいことになったわね……」
私はデイアージュ城の修繕工事を視察しながら、今届いたばかりの急報にクラクラしていた。
修繕工事の監督をしている鉄騎団のベルゲン団長が豪快に笑う。
「あの金髪王子様、なかなかの役者だな。テザリアで今一番輝いてるのはあいつだぞ」
「輝きまくってるわよ、やりすぎなぐらいにね」
王太子派は大打撃だ。信じられないほどの痛手を受けた。
「ネルヴィス王子……いえネルヴィス大神官と清従教団がいろいろ認めちゃったから、国王は王妃との婚姻解消を一気に進められるわね。王太子派は継承権を持つ手駒を片方失うし、もう壊滅的よ」
「めでたいな、ノイエ殿」
「そうとも言えないわ」
私は溜息をつく。
「予想外の動きが起きたから、王太子派と国王がどう動くか読めなくなっちゃったわね。いつ謀反や暗殺が起きるかわからないわよ。気を引き締めて」
「任せておきな。気を緩めたことはない」
ベルゲンは笑う。彼はいつも肩の力を抜いているが、気を緩めたことは確かに一度もない。
ちょっと確認しておくか。
「ところであんたの軍馬、あんたが世話してるのよね? サーベニア産?」
「ああ。前にも言ったが、鉄騎団は自分の馬を自分で世話するのが軍律だ。馬の世話ができんヤツは団から叩き出す」
やはり間違いなさそうだ。
私は彼と馬を並べて歩きながら、ぼそりと言う。
「二十年前のサーベニア王国、例の『継承戦争』では王弟側についたのね?」
ベルゲンは私を見て、しばし無言になる。それからやや凄みをきかせた声で言った。
「……ディグリフ殿からどこまで聞いた?」
「何も聞いてないわよ。だから父は約束を破ってないわ。なんかわかんないけど、そういう約束でもしてたんでしょ?」
「参ったな、剣気だけでなく過去までお見通しか。いつ気づいた?」
私は苦笑する。
「こないだ、サーベニア産の軍馬に乗ったときね。馬の質がこんなにも違うのかと驚かされたわ。そして鉄騎団が全員、サーベニア産の高価な軍馬に乗っていることにも気づいたのよ」
馬には詳しくないのだが、テザリアの南に位置するサーベニア王国は馬の名産地だ。騎兵が恐ろしく強いことでも有名である。
サーべニア産の軍馬は貴重で、金を積めば買えるというものではない。サーべニアは国防上の理由から軍馬の輸出を禁じている。
だが密輸や戦利品という形で、テザリアにも少数が流入していた。サーべニア人なら入手ルートがあってもおかしくない。
「テザリア騎兵は馬の世話を従者にさせてるけど、サーベニア騎兵は馬の世話を自分でするわ」
前世の平家物語で描かれる『板東武者』と同じだ。馬の体調や性能をよく知り、人馬の絆も強い。だから戦でも強い。
「それとあんたたち、大半が三十代と四十代よね。一人前の騎兵になったのが二十年ぐらい前の世代よ。そこから人員の補充をあまりしていないと考えれば納得できるわ」
そして二十年前のサーベニアといえば、政争で廃嫡された王太子が王弟と戦って王位を奪い取った「サーベニア継承戦争」があった時期だ。
負けた王弟側の貴族や軍人は散り散りになり、どこかに姿を隠した。
ベルゲンは遠い目をすると、頬の古傷を撫でた。
「ここにいるのはサーべニア第四近衛騎兵団にいた死にぞこない、それと見習い従者だった悪ガキどもだよ。ワレンティップ会戦で王弟軍が壊滅した後、生き残った七十騎余りで国境を越えてな。後はまあ、御覧の通りだ」
道理で練度が高い訳だ。
鉄騎団はとっさに儀仗兵の真似事もできるし、山賊化した農民を適当にあしらって鎮圧することもできる。
「それにあんた、初対面のときに老眼鏡掛けてたでしょ」
「ああ、ありゃ第四近衛騎兵団の団長が王弟殿下から頂戴した高級品でな。団長が戦死したときに形見分けで俺んとこに来た。老眼鏡が必要になる歳まで生きられるとは思わなかったから、当時は苦笑したもんさ」
老眼鏡は高価で、手に持つ虫眼鏡タイプが一般的だ。現代と同じような耳に掛ける老眼鏡を持つ傭兵隊長は異彩を放っていた。
「あんたは老眼鏡を使い慣れてたし、かろうじて字が読めるって感じじゃなかった。趣味で読書しているような教養人だとわかったわ」
となれば亡命貴族かそれに近い存在だ。
「これだけ判断材料があれば、気づかない方が馬鹿でしょ」
「やれやれ、かなわんな」
ベルゲンは馬を進めながら、ぽつりと言った。
「我が名はベルゲネス。選抜騎兵どもを率いる騎兵将校だった」
「あら、サーべニア貴族?」
「貴族といっても、俺は当主の庶子だよ。あんたと同じさ。それに家は取り潰されて、親父も兄貴も生きてるかどうかさえわからん。……だから誰か一人ぐらいは王太子側についとけって言ったんだがな」
敗残の将という訳か。
私は彼に笑いかける。
「じゃ、今度は勝ちましょうね」
「ん?……あ、うん。おう。そうだな」
ちょっと驚いたような顔をしたが、ベルゲネス……ベルゲン団長はそう言って笑い返したのだった。
ベルゲン団長の出自が予想通りだったので、私は彼にディアージュ城守備隊を増強するように命じる。
ディアージュ城は周囲に防御用の砦まである立派な城なのに、守備隊が二百人ぐらいしかいない。昔は重要な城だったのだが、平和な今は完全に箱モノ公共事業の失敗例みたいになっている。
「こんな閑職の守備隊に間者を潜ませてるほどツバイネル公も暇じゃなかったはずだし、今は今でツバイネル公も大慌てのはずよ。間者が入り込まないうちに、出所が綺麗な兵を集めて」
「承知した。近くの村を回って徴募だな。余所者は取らん。その代わり兵の質はだいぶ落ちるぞ。能力ではなく出身重視になるんだからな」
「別に質なんかなんでもいいわ。戦は数でするものよ。最低限の教練はお願いね」
個々の質なんか敵にはわかりっこないし、大局に影響はしない。精鋭の鉄騎団が二十年前の継承戦争であっけなく敗れたようにだ。
今はとにかく数だ。質は戦っているうちに向上する……こともあるだろう。あまり期待はできないが。
「とにかく急がなくちゃ」
もうすぐ戦争が始まる。
最初に死ぬのは誰だろうか。
* * *
【王太子ベルカール視点】
ベルカールが手勢を率いてツバイネル公の別荘に踏み込んだとき、彼の祖父は部屋着でホールに現れた。
「北テザリアまで何をしに来たのだ、ベルカール。お前は今、王都におらねばならん立場だろう」
ベルカールは甲冑を着た兵たちに散開するよう命じる。
「しくじったな、爺様。ネルヴィスが裏切るとは聞いていないぞ」
「確かに予想外だった。それは認めよう」
ツバイネル公はガウンの裾を整えながらうなずく。
「まあそう焦るな、ベルカールよ。廃嫡されたところでリン王女が死ねば国王も手詰まりになる」
「御自慢の配下でまた暗殺か? ノイエがついている限り、リン王女を暗殺などできまい」
ベルカールの言葉に、ツバイネル公はまたしてもうなずいた。
「そうだな。エリザに兵を与えて周到に計画を練らせたが、それを退けたとなるともはや達人の域を越えている。尋常の人間ではあるまい」
「そうか。……老いたな、ツバイネル公よ」
ベルカールは剣を抜き、散開した兵に命令を下す。
「ツバイネル公を拘束しろ。抵抗するようなら殺しても構わん。使用人は全員始末しろ」
ツバイネル公は穏やかに諭す。
「よしなさい。今は私とお前で争っている場合ではないのだ。そんなこともわからんのか」
「わからんな。俺は人の心がわからん男だ」
ベルカールは吐き捨てるように言い、こう続けた。
「だからこそ人心掌握に長けた人材として、爺様を用い続けてきた。だがネルヴィスの裏切りすら予見できんのなら使う理由はない。ツバイネル家の当主は交代だ。ベゼーに任せる」
ベルカールが従兄の名を出したとき、ツバイネル公は頬を歪めた。
「あのような庶子に、ツバイネル家の家督を継がせるだと?」
「王室で庶子が家督を継ごうとしているのだ。同じようなことはツバイネル家でも起きよう」
ベルカールは剣を振りかざした。
「爺様、今さら命乞いは聞けんぞ」
「よしなさい、ベルカール。愛しい孫よ」
「俺は人の心がわからん男だと言ったはずだ。愛しいなどという感情はわきまえぬ」
ツバイネル公は溜息をついた。
「もう一度だけ言おう。馬鹿なことはやめなさい」
「馬鹿はお前だ、ツバイネル公。もういい、あの老いぼれを斬れ」
王太子の命令に、居並ぶ重装兵が剣を抜く。
そして一斉に、王太子を剣の背で打ち据えた。
「ぐあっ!?」
刃で斬られていないとはいえ、鉄の棒で殴られてることに変わりはない。激痛によろめいたところを、組み討ちの要領で押さえつけられる。
組み伏せられたままかろうじて顔を上げると、王太子の兵たちはツバイネル公を守るように立っていた。
「なん……だと!?」
ツバイネル公は哀しげに首を振る。
「愚かなベルカールよ。力ある存在には力を御する装具を取り付けるものだ。剣には鞘を、軍馬には手綱をな。ならば王太子に何も取り付けぬはずはあるまい」
「貴様……俺の兵を……」
「お前の兵ではない。最初からずっと私の兵だった。それだけだ」
ツバイネル公はゆっくりと階段を下り、床に押さえつけられている孫を見下ろす。
「王太子などといっても、しょせんはツバイネル家の傍流に過ぎん」
ふとツバイネル公は手を叩く。
「おおそうだ、誰かベゼーを探して参れ。庶子の分際で家督相続を望むとは愚かにも程がある。見つけ次第くびり殺せ。自害は許さぬ」
すぐに数名の兵が駆け出していく。
それを見送った後、ツバイネル公はベルカールを振り返った。
「傍流の子、卑しきグレトーの子よ。お前のような役立たずは用済みだが、せめてもう少しばかり役目を果たしてもらうぞ」
ツバイネル公は懐から小さな瓶を取り出すと、薄く笑った。
夜が明ける頃、ベルカールは徒歩で別荘を出る。来たとき同様、近衛の兵を引き連れていた。
怪我をしたのか、ベルカールの右耳から血が一筋流れている。
別荘の庭木には腹心である従兄のベゼーの骸が首を吊され、夜風に揺れていた。だがそれには目も向けずに馬にまたがる。
そして道中一言も発さず、ベルカールは兵たちと共に王都に戻った。




