第36話「揺れる金髪」
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【第二王子ネルヴィス視点】
ネルヴィスは狩りから戻った王太子ベルカールに面会していた。
「兄上、大変です。ノイエ・ファリナ・カルファード卿が姿を現しました」
「なに?」
ベルカールは不快そうに眉を寄せる。それだけで彼がノイエ暗殺についていろいろ知っていることを暴露しているのだが、今はそれどころではない。
「ノイエ殿は襲撃を受け、今まで潜伏していたそうです」
「……そうか」
兄ベルカールは難しい考え事をしているとき、返事が一呼吸だけ遅れる。今何か考えているのは明白だった。
ネルヴィスは続ける。
「しかも襲撃犯の一人を捕らえ、尋問の末に名前を聞き出したとか。若い女性で、名前は……『エリザ』だそうです」
「誰だそれは」
本当に知らない様子の兄に、ネルヴィスは言った。
「お祖父様の薬師と同名です」
「そうか。よくある名前だ」
しかしネルヴィスにはもうわかっていた。
ツバイネル公は薬師エリザを各地に派遣していた。密偵、あるいは暗殺者としてだろう。
そして今回、捕らえられて名前を自白させられた。
もしそうだとすれば、背後関係についても洗いざらいしゃべらされている可能性が高い。
これはツバイネル家にとって大変な事態だ。
「今までお祖父様は、父上に対して明確な敵対行為はしてきませんでした。しかし今回、国王派とされるリン王女の腹心を暗殺しようとした。これは明確な敵対行為です」
「お前が何を言っているか、俺にはよくわからんな。推測の域を出ない上に、さらに推測を重ねている」
兄の冷静な指摘はもっともだ。おそらくツバイネル公もそうやって言い逃れするだろう。
だがネルヴィスには事実関係が見えている。
「政敵の排除に暗殺を選ぶことも時には必要でしょうが、お祖父様がそういうことをなさる方だとは思っていませんでした……」
するとベルカールは眉をしかめた。
「お前が知る必要のないことだ。あれこれ詮索するな」
「なぜですか? 僕は今までずっと、ノイエ殿やリン王女をこちら側に引き込もうと工作してきたのですよ?」
やりきれない思いでネルヴィスは訴えかける。
「武力で排除を試みれば、成功しても排除した以上の敵を新たに作ります。失敗すれば反撃を受けます。それよりは味方に引き込み、父の戦力を削ぐ方がいいではありませんか」
だが兄は冷たく返す。
「全ては聖サノー神殿から始まっていたのだ。今さら掌を返しても遅い」
「なんですって!?」
これはネルヴィスにとって、絶対に看過できない一言だった。
「お祖父様は、神殿にいたリン王女を暗殺しようとなさったのですか!?」
世俗に関わらずに地方の神殿で隠遁生活を送っている者を、政治的な理由で暗殺する。
これは貴族社会の道義に反するだけでなく、清従教徒としても大変な背信行為だ。
「そんなことをすれば、政治と宗教の秩序が失われます! 神殿に身を寄せる者を殺すなど、神の御心に背く行いですよ! 貴族としても信用を失います!」
「仕方あるまい。父上がリン王女を担ぎ出そうとしていたのだ。機先を制して排除せねば厄介なことになる」
ネルヴィスがどれだけ訴えても、ベルカールにはまるで通じていなかった。
最後に兄は腕組みして言う。
「父上が廃嫡の流れを加速させるのは明白だ。爺様の刺客どもを借りねばならん」
兄は父の暗殺を企てている。それも祖父の協力を得てだ。
「待ってください! 兄上、それだけはいけません! 仮に父上を王位から引きずりおろすにしても、殺害だけはいけません!」
「訳のわからんことを言うな。死体が一番無害なのだ」
「実父を殺して王位を奪うなど、獣の所業ではありませんか! そんな新王に誰が従うのです!? 心ある者は全て去ってしまいますよ!」
「では心ない者を従え、それ以外を滅ぼすまでだ」
兄は王位簒奪だけでなく、恐怖政治を敷こうとしている。
ネルヴィスはこの国がどん底に沈んでいく未来をはっきりと予感したが、それと同時に彼の感情は思考からスッと切り離される。
しばらく沈黙した後、ネルヴィスはうなずいた。
「わかりました。僕は半分だけですが兄上の弟です。父上とは血も繋がっていませんし、これ以上感傷的になるのはやめます」
「そうだな。それがいい」
ベルカールはうなずき、ネルヴィスの肩に手を置く。
「それよりも飯にしよう。狩りの獲物を薫製にさせてきた。ノヴェンポワートは知っているな?」
「え、ええ。ノヴェンポワート卿といえば、赤背鹿の森を狩猟場にお持ちですね」
するとベルカールは薄く笑う。
「その赤背鹿の背肉の一番旨いところを薫製にしたからな。食って元気を出せ」
「ありがとうございます、兄上」
ネルヴィスは微笑み、ゆっくり立ち上がった。
* * *
私は鹿肉の薫製を食べながら、ネルヴィス王子の突然の訪問に首を傾げていた。
「今この時期に、私に会いにいらしたのはまずいんじゃないの?」
「極秘だからね。巡礼に偽装して少数で来ているよ。テオドール郡の神殿には話を通してある」
やっぱり宗教方面が筒抜けか。宗教勢力は領地の境界線を飛び越えるから厄介だ。
ネルヴィス王子の表情は冴えない。花のような貴公子が、今日はなんだか萎れて見える。
「信じてもらえないと思うけれども、僕は今回の襲撃に一切関与していない。計画の存在すら知らなかった」
それはさすがにないんじゃないのと思ったが、表情が本気すぎる。
ネルヴィス王子は卓上のワインに手を伸ばすと、やけくそ気味にぐいっとあおった。演技にしてはやはり迫真に迫りすぎている。
「僕は間違いなく王太子派ではあるが、だからといって父上やリン殿下の殺害など絶対に企てません」
私はテーブルに両肘をつき、手の甲に頬を預ける。それから流し目でネルヴィス王子を見つめる。
「あら、どうして?」
ネルヴィス王子の視線が真正面から飛んできた。
「社会の秩序が失われるからだよ。邪な手段で王冠を手に入れれば、それは悪しき前例となるでしょう。いずれ同じ手段で王冠を奪われる。それもテザリア王室の血を引かない者たちに」
「なるほど、後々の統治のことを考えて、という訳ね」
被るなら血塗れの王冠よりは、きれいな王冠の方がいい。確かにその方が長持ちするだろう。
ネルヴィス王子はさらに続ける。
「あと、こう言っては失礼だけど、今のままでも兄は王位を手に入れられる。教皇ヨハンスト三世は僕の師であり、支援者だからね。父が離縁を訴えようが通るはずがありません」
そりゃそうだ。
「そして離縁せずに廃嫡するには、兄が王太子として不適格であることを示さねばならないけれど……」
「ベルカール王太子に醜聞はなく、能力や実績にも特に問題はない。どっちかというと陛下の方が問題よね。侍女に手を出して子供産ませるし」
ここの王室、ドロドロすぎてちょっと胸焼けがする。
そして王室で唯一の清涼剤であるネルヴィス王子はといえば、そのドロドロを煮詰めて作った不義の子だ。気の毒すぎる。
「まあ……なんていうか、私は殿下のこと嫌いじゃないわよ? 話の通じる政敵だと思ってるわ」
「ありがとう。僕も君のことは好きだ」
もう酔ってるな、この王子様。
この金髪の坊やがベロベロに酔っぱらう前に、彼の来訪目的を達してもらおう。
「それで、私に何の御用かしら?」
「君は襲撃者を捕らえたそうだね。名前はエリザ」
「ええ。それ以上のこともわかっているけれども、公表は差し控えたわ」
あのポンコツ暗殺者、今ではすっかりリン王女の奴隷だ。愛情と安心に飢えていた彼女は、リンやユイたちの優しい態度に心を溶かされていた。
ツバイネル公への忠義はまだ捨ててはいないようだが、油断しているからポロポロと情報がこぼれ落ちてくる。
ネルヴィス王子はしばらく私の顔を見つめていたが、やがてこう言った。
「会わせて頂けないか、ノイエ殿」
「そう来ると思ったわ。どうぞ」
感動の御対面といこうか。




