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オネエ軍師 ~庶子たちの戦争~  作者: 漂月


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第34話「虜」

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   *   *   *


【捕虜エリザ視点】


 私の全身は今、絶え間なく激痛を訴えていた。全身にヤスリを差し込まれ、筋肉と骨を削られているような痛みだ。

 寝返りを打つだけで悲鳴をあげてしまうほど痛く、下半身にはほとんど感覚がなかった。今は下の世話までノイエにされている。



 いっそ舌でも噛んで死んでやろうかと思ったが、痛みは私から自害の気力まで奪い取っていた。

 もうこれ以上、痛いのは嫌だ。せめて痛みのない方法で死にたい。

 早く殺してくれ。



 ノイエの奸計で右膝をやられたところまでは覚えている。あの女みたいな男、動きが尋常ではなかった。そのせいで私は限界を遥かに越えた魔法の使用を余儀なくされた。

 全身の筋力を強化するだけでなく、敵の動きについていく為に目にも魔法をかけた。



 その反動のせいで、今の私はほとんど何も見えていない。視線をうまく動かせないし、焦点もぼやけている。

 かろうじて自分の居場所ぐらいはわかる。今は昼間で、どこかの屋内だ。

 殺されるとしたら、いつなのだろう。



 視界だけでなく、思考まで痛みでぼやけている。あれから何日経ったのかもわからないし、テザリアの政情がどうなったのかもわからない。

 ただ毎晩、あの忌々しいノイエが私を寝かしつけにくる。

 子守歌を歌われて頭を撫でられると、私は朝まで眠ってしまう。あれは魔法なのだろうか。



 ああ、これ以上の恥辱は嫌だ。早く死にたい。

 ただできれば、痛くない方法で頼む。

 そんなことをぼんやり考えていると、ドアが開く音が聞こえた。足音は二人分。片方は聞き慣れたノイエで、もう片方はかなり小柄な人物だ。



「本当に生きているのか?」

 少女の声だ。侍女だろうか。

 いや、敬語ではないからノイエの異母妹のユイか。ユイは嫡流だからノイエより格上だ。ノイエに対して敬語を使わないのも不自然ではない。



 ノイエの声が聞こえてくる。

「魔法で全身の筋肉を強化しすぎたせいで、筋肉の繊維が断裂してるのよ。治るかどうかはわからないわ。いずれにせよ、その前に処刑することになるでしょうけど」

 そうだ。捕虜になった暗殺者は処刑されるのが常識だ。

 だから早く頼む。



 すると少女が驚いたような声をあげた。

「処刑するのか!? だってまだあんなに若いんだぞ!? ノイエ殿より年下だろう!?」

「そりゃ私だって気の毒だとは思ってるけど、しょうがないじゃない。若者でも老人でも、本職の暗殺者は生かしておけないわ」

 ノイエの声は困惑気味だ。



「でもノイエ殿、彼女は動けないんだろう? 見たところ、目もほとんど見えていないようだ」

「そうね。尋問しようにも視力が回復してくれないとやりづらいわ。いつ動き出すかわからないから、下の世話まで全部私がやってんのよ」

 やめろ、それを言うな。



「ノイエ殿……。それはむしろ……他の誰かにやらせた方が安全じゃないか? 敵とはいえ彼女も女だし……」

「あの子が動き出したら世話係が確実に死ぬわよ。私ならあの子の動きに反応できるし、しょうがないでしょ」

 それ以上、下の世話の話をするな。殺せ。今すぐ殺せ。



 私が動けない体で悶えていると、不意に間近で少女の声がした。

「貴殿は偉いな」

「え……らい……?」

 あまりに予想外の言葉で、思わず声が出てしまった。

 偉いってどういうこと?



 それに答える少女の声は優しい。

「こんなになるまで、命を懸けて主君の為に戦ったのだろう? 暗殺という卑怯な行為ではあっても、主君の為に命を懸けて戦ったのだから良い家臣だ。ツバイネル公が羨ましい」

 良い家臣……羨ましい……。

 痛みと恥辱で弱った私には、その言葉は恐ろしいほど心に入り込んできた。



 どうせ殺されるのだとしても、もう少し讃えられたい。

 そうだ、何か言おう。

 言えば応じてくれる。

「うら……やま……しい?」



「ああ、こんな家臣を持っているのだから、ツバイネル公は敵ながらあっぱれだな。さすがは北テザリア一の大貴族だ」

 少女の声はとても元気に、こう続ける。

「あ、でも私にも命を懸けて戦ってくれている家臣はいる。ノイエ殿がな」

 待って!?



 もしかして、そこにいるのはノイエの異母妹ユイではなく、ノイエの主君リン王女なの!?

 暗殺されかけた王女が暗殺者に会いに来たの!?

 なんで!?

 ちょっと待って、本物!?



 するとノイエの気の毒そうな声がした。

「驚いてるとこ悪いけど、その子は本物のリン・ランベル・ノイエ・ファサノ・テオドール・テザリアよ。これから殺す相手に嘘は言わないわ」

 リン王女……敵の王女から声をかけられた! しかも「良い家臣」だと!

 暗殺者である私は、正式な家臣ではない。

 それなのに褒められた。



「ああ……」

 声が漏れる。私は今、不思議な充実感に満たされていた。

 カラカラに乾いた喉を甘い蜜水で潤したときのような、何とも言えない心地よさが体を包み込む。

 もう処刑されてもいい。今なら笑って死ねる。



 すると少女……リン王女の声が聞こえた。

「この人、泣きながら笑ってるぞ」

「それがあなたの人徳よ。どれだけ経験を積んでも、私には手に入らなかったものだわ。だからあなたのことを尊敬してるのよ」

「えへへ」

 嬉しそうなリン王女の声。



 ノイエは続けてこう言う。

「もう少しお言葉をかけておやりなさいな」

「そうか……」

 リン王女はしばらく沈黙し、それから私に声をかけてくる。



「私は貴殿を正式な捕虜として扱うことにする。ツバイネル公との取引に使えそうならそうするし、その場合は身柄をツバイネル公にお返ししてもいい」

 まさか、帰れるのか!?



 信じられない思いに心が弾んだが、すぐに心は沈み込む。

 こんな役立たずの体では、帰っても意味がない。ツバイネル公は私を処分するだろう。

 そもそも、ノイエ襲撃犯が自分の配下だとは絶対に認めないはずだ。

 私は激痛に耐えつつ、首を横に振る。



「い……けませ……ん……」

 なぜか敬語になってしまった。

 するとリン王女は重ねて言う。

「ならばツバイネル公にはお返しせずとも良い。とにかく勝手に処刑はさせないから安心してくれ。今は養生し、早く目を癒してくれ。そしたら私に拝謁するといいぞ」



 最後はちょっと、冗談っぽい口調。

 私は相手が敵だということも忘れ、彼女に礼を言っていた。

「殿下……あ、あり……がとう……ございます……」

「うん。あと下の世話は私がしてやるからな」

 おやめになって!?


   *   *   *


 別室に戻ったリンが、私が渡した紙片を見ながら溜息をつく。

「こんな方法は気が進まないな……」

 紙片には「甘い言葉で懐柔して」という走り書き。さっき暗殺者の反応を見て、私が手渡したものだ。



 私は苦笑する。

「ごめんなさいね。でも彼女、戦ってるときから様子が変だったの」

 何かトラウマのようなものを抱えていて、それが行動原理の根底にあるような印象だった。



 特に「役立たずじゃない」と叫びながらの自滅的な攻撃は、完全に予想外だった。暗殺者としての恐ろしい戦闘力とは裏腹に、精神の未熟さを感じる。

 だから私は、彼女の飼い主がどんな方法で彼女を飼い慣らしていたのか、何となく想像がついた。



「彼女はたぶん、心の弱い部分をツバイネル公に握られているのよ。おそらく承認欲求。それも幼児的なものだわ」

「承認欲求?」

「自分を認めてもらいたいという、誰でも持ってる欲求よ。ただ、彼女の場合は少し過剰なの。承認欲求の飢餓状態といってもいいけど、普通は家族がある程度満たしてくれるものだから」



 リンは少し考え、ちらっと私を見上げる。

「じゃあ、彼女には家族がいない?」

「たぶんね。幼少期から暗殺者として育て上げられ、ツバイネル公を親のように思ってるんでしょう」

 酷いことをするものだ。



「人間は親から無償の愛情を与えられることで、自信や思いやりの心を育むのよ。でも彼女、そういうのはなかったみたいね」

 彼女にとって、愛情とは「成果の見返りに与えられるもの」でしかない。

 成果を出さないと愛されない。

 誰からも愛してもらえないと、人間は心を保つことができない。



 だから彼女は、自分が「役立たず」になることを病的に恐れた。ツバイネル公はその恐怖心を手綱にして、彼女をコントロールしていたのだろう。

「いつかこいつで斬り刻んでやるわ、ツバイネル公」

 私は妖刀キシモジンの鞘を撫でながら、静かな怒りに満たされていた。


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[一言]  承認欲求からの自由こそ得難きもの
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