第33話「魔女の帰還」
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【第二王子ネルヴィス視点】
ネルヴィスは窓に映った自分の顔を見ていた。苦悩に満ちた表情だ。
だが言わねばならない。
「お祖父様、リン王女の側近のノイエ・ファリナ・カルファード卿が行方不明になっている件ですが」
彼の祖父、ツバイネル公ゼラーンは哀しそうな表情をする。
「私も聞いているよ。ディアージュ城へ向かう途中に消息を絶ったそうだな。何があったかはわからないが、リン王女殿下も心配しておいでだろう」
「そのノイエ殿の失踪に、お祖父様が関係しているという噂が流れております」
ツバイネル公は怪訝そうに眉を寄せる。
「私がかね?」
まるで何も知らないというそぶりだが、ネルヴィスは思い切って言う。
「お祖父様がノイエ殿を暗殺したのではありませんか?」
「騎士物語ではあるまいし、暗殺など考えたこともないよ。第一、そんなことをさせられる家臣もいない」
あくまでも自然体に否定する祖父に、ネルヴィスは言う。
「ですが、すでに王都ではその噂で持ちきりです。私も他の貴族たちから何度も質問され、もうどうして良いのかわかりません」
すると彼の祖父は、優しく諭すように答えた。
「知らぬものは知らぬとしか言えない。他のことは何も言わなくて良いのだ。噂などいずれ消えるだろう。根も葉もないのだからな」
「そう……ですね」
ネルヴィスの心は揺れていた。
祖父は今、嘘をついている。
暗殺という手段は、権力闘争の中ではごくありふれた選択肢だ。実際に選ばれることは少ないものの、暗殺することや暗殺されることは常に貴族の意識にある。
なぜ祖父はそのことを否定したのか。
さらにツバイネル家が古い貴族の名門である以上、汚れ仕事を担う部署は絶対に存在するはずだった。
清従教団の中でさえ、異教徒や背教者を「管理」する部署が複数あるのだ。
だから「暗殺をさせられる家臣がいない」というのも嘘だと、ネルヴィスは感じていた。
しかし祖父……いや、北テザリアの支配者であるツバイネル家当主に対して、異論を挟むことはできない。
だからこう返すのが精一杯だった。
「お祖父様ほどの方が、そのような卑劣な手段を用いられるはずがありません。噂などすぐに消えるでしょう」
「そうとも。皆、興味本位で騒ぎ立てているだけだからね」
祖父はいつもと変わらぬ穏やかな微笑みで、そう言った。
王都にあるツバイネル家の屋敷を出た後、ネルヴィスは馬車の中で考える。
(ノイエ殿がいない今、リン王女の勢いに翳りが出ることは避けられない。それは父上の力を削ぐことにもなる。……お祖父様にとっては非常に有利な状況だ)
不可解な事件が起きたとき、皆は「それで誰が得をしたのか」と考える。得をしたのはツバイネル家。
そして祖父は嘘をついた。
(僕はツバイネル家の血筋である前に王子であり、同時に神に仕える身だ。教団と信徒のこともある。どうすればいい……?)
聡明だがまだ若い王子は、自分の屋敷に戻るまで考え続けた。
* * *
「しくじったようだな、爺様」
王太子ベルカールは低い声で腕組みをする。
可憐といってもいい第二王子ネルヴィスとは違い、骨太の屈強な青年だ。短く刈り込んだ黒髪を乱暴に撫でる。
するとツバイネル公は首を横に振った。
「ノイエの排除には成功したのだ。『妙な噂』もいずれ消える。その為に日頃から外面を良くしているのだからな」
「お気に入りの密偵を失ったそうだが」
「なに、代わりはすぐ育てられる。外に出す以上、この手の人員は消耗品だ」
エリザの件は特に気にも留めていない様子で、ツバイネル公は言葉を続けた。
「それよりも国王が廃嫡を企んでいる。お前はその前に、国王に譲位を迫れるだけの力を持つ必要がある」
ベルカールは眉をひそめる。
「有力貴族に関しては、かなりの数を味方につけたはずだ」
「お前は何もわかっておらん」
祖父は首を振った。
「お前に媚びへつらっている連中は、どうせ国王にも同じように媚びへつらっておる。信用できんぞ」
「では何を信用すればいい? 連中は飴と鞭でしっかり手懐けているのだぞ。他にどうしろというのだ」
すると祖父は困ったような顔をする。
「お前のそういうところは、父親譲りのようだな」
「ああ、認める。俺は人の心がわからん」
ベルカールは溜息をついた。
「世の中の人間は打算で動くかと思えば利害を読み違え、かと思えば感情だのメンツだので動く。訳がわからん」
「そういった混沌とした情勢を見極め、おおむね正しい判断をするのが王というものだ」
「無茶を言う」
「無茶なのは承知だ。その代わり、それができる者は国の頂点に一人いればよい」
祖父の言葉はあくまでも冷静だった。
ベルカールはソファに腰を下ろし、北テザリアのワインをグラスに注ぐ。
「爺様。要するに、裏切ったり日和見を決め込んだりする連中がいるという前提で、計画を練れば良いのだろう?」
「そう考えておけば、それほど間違いではないな。後はその見極めだ。今は私に任せておけ」
祖父の言葉にベルカールはうなずき、ワインをぐっと飲む。
「爺様が健在なうちは、そうしておこう」
「ああ。私が死んだ後はネルヴィスと協力して事に当たりなさい。あれは情理に通じている」
するとベルカールは眉を寄せる。
「あいつは『金髪』だぞ、爺様」
「別に構わんではないか。お前の弟であり、正式な第二王子であることに変わりはない。そしてツバイネル家の男だ」
しばらく無言でグラスを傾けた後、ベルカールは立ち上がった。
「親父がくだらぬ考えを捨てぬ限り、いずれは親父の首をもらうことになる。必要な手駒を用意してくれ」
「わかった。まだ育成途中だが、良い暗殺者を用意しているところだ」
「そいつらは前のヤツより役に立つんだろうな?」
ツバイネル公は穏やかに微笑む。
「エリザは少々情を残し過ぎたからな。反省を踏まえた上で、今度は少しばかり研ぎ澄ましておいた」
* * *
「ノイエ・ファリナ・カルファードは死んだ。とりあえず今はそういうことにしておけば、あなたの本当の味方がわかるのよ」
私はテオドール郡の城館で薬湯を飲みながら、フッと微笑んだ。
「順境のときは誰も彼もがあなたをちやほやするわ。でも逆境のときに傍にいてくれる者が、あなたの本当の味方よ」
するとリンは納得したようにうなずいた。
「確かにな。私が聖サノー神殿の荘園をフラフラ歩いていたとき、傍にいてくれたのはノイエ殿だ」
「んー……まあ、そうね」
否定はできないが、なんだかくすぐったい気分だ。
「それにしてもノイエ殿、なんでディアージュ城からではなくアルツ郡から戻ってきたんだ?」
「魔女の秘術のせいでね」
今回使った切り札は、『魔女ジュナの歪曲儀』という。指定した座標に緊急テレポートする脱出装置だ。
転送先の座標は、私には指定ができない。亡き母イザナにしか設定の儀式ができないし、彼女はカルファード家の城館の一室を指定していたからだ。具体的には父の寝室だ。
これでこっそり会いに行ってたんだろうなと思うと、妙に生々しい。
本体は転移先に置き、使い捨ての専用護符を身につけて使う。ただ危険な座標移動……例えば高所からの落下を感知すると自動的に起動するので、普段から身につけていると面倒なことになる。
妖刀キシモジンで高速移動してたときも、勝手に発動するんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
そして今回、私は暗殺者と一緒に父の寝室にテレポートしてしまったという訳だ。
あの後は大変だった。寝室の花瓶とか割っちゃったし。
もちろん父にも魔女バレした。
幸い私が転生者であることまでは話さずに済んだが、父は「イザナが魔女か……ああ、そう考えると確かにな……」などと、やけに嬉しそうに思い出に浸っていた。
その後は郷士たちを護衛につけてもらい、何日もかけてテオドール郡まで帰ってきたという訳だ。
私は溜息をつき、イスの背もたれに体を預ける。
「で、その暗殺者も連れてきたわ。脚だけじゃなく、全身ボロボロでほとんど動けないみたい。一応拘束してるけど」
さっさと処刑して『死体占い』で情報だけ吸い出すことも考えたが、それはいつでもできる。
『死体占い』で得られる情報は断片的なので、どうせならきちんと尋問してから使いたい。あの子は戦いの最中もおしゃべりだったから、自白を引き出せそうな気がする。
するとリンは真剣な表情で立ち上がる。
「会ってみたい」
「よしなさいって」
でも止めても会うんだろうなと思い、私は妖刀キシモジンを腰に差して立ち上がった。




