第31話「瀑布の斬劇」
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「それじゃ行ってくるわね」
私は六騎の騎兵を伴い、リン王女に挨拶した。
リンは不安そうな顔をしている。
「道中は山道だ。ノイエ殿、くれぐれも気をつけて」
リンの気持ちに同意するように、彼女の背後で異母弟妹のリュナンとユイもうなずいている。
「兄上、本当に用心してください。最近は街道沿いに妙な噂が絶えません」
「『北テザリア訛り』の連中ね。監視されているのは間違いないわ」
だがそれは承知の上だ。領内に閉じこもっていたら、どんどん差をつけられる。動かないと。
「それよりリュナン、リン王女殿下の身辺をしっかり警護するのよ。鉄騎団のベルゲン団長は信頼できる傭兵だわ。よく相談してね」
「は、はい。でも本当に僕も同行しなくて大丈夫ですか?」
「私がもし刺客に狙われてるんだとしたら、カルファード家の跡取りを同行させる訳にはいかないでしょ。私たち二人が死ねば、ユイが一人で残されるわ」
私の言葉にユイが兄に寄り添い、リュナンは唇を噛む。
「……そうですね。僕はここに残ります。昨夜の不審火もありますし」
テオドール郡で宿屋の納屋に放火される事件が二件あり、郷士や顔役たちは放火犯探しに奔走していた。
いずれも小火で済んだからいいが、宿のサービスで荷物を預かっている手前、焼失させたら信用問題になる。
するとベルゲン団長がやってきて、心配そうに言う。
「おいノイエ殿、本当に六騎でいいのか? うちの連中はだいたい警備と巡回に出してるが、もう少し回しても大丈夫だぞ」
「狭い山道だもの、これ以上は身動きが取れなくなるわ。前後に二騎ずつ、左右に一騎ずついれば十分よ」
みんなには秘密だが、私には魔女の秘術「殺意の赤」がある。私を狙った奇襲は困難だ。
一方、同行者を狙われると私の秘術は反応しない。だから少人数の方が都合が良かった。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ。向こうには王室直属の守備隊もいるから大丈夫よ」
もし守備隊が買収されていたらかなり厳しいが、それでも何とかなるだろう。魔女の秘術は自衛には長けている。切り札を使う数が増えるだけだ。
私はサーベニア産のたくましい軍馬にまたがり、軽やかに出発した。
街道を東に進み、途中で街道を外れて山道に入る。山賊や獣の類は事前に鉄騎団がチェックしてくれたので、そう心配することはない。問題は刺客だ。
そして私やリュナンたちの危惧は、残念ながら当たっていたことになる。
「ノイエ殿」
先導する騎兵が小さく言う。ベテランだけに戦いの空気を嗅ぎ取る能力は大したものだ。
「地面に蹄の跡が多数ある。重騎兵だ」
「断言できる?」
すると騎兵はうなずいた。
「かなり深く沈み込んでるから重騎兵か荷馬だが、荷馬にしちゃ轡を取ってるヤツの足跡がない」
「ふーん」
かなり危ない雰囲気だが、一応確認しておこう。
「守備隊のものという可能性は?」
すると騎兵は地面を示す。
「守備隊なら、わざわざ隠そうとはせんですよ」
おそらく葉のついた小枝で地面を擦ったのだろう、蹄の跡を消そうとした痕跡があった。
私は少し考える。
この先は切り立った崖だ。左手は絶壁で、右手は見上げるような斜面。右手から岩でも落とされるとかなり厄介だ。
しかも具合の悪いことに滝まである。瀑布の轟きが邪魔だ。声が十分に届かないと『イプティオムの霊酒』が使えない。
「じゃ、待ち伏せがあったら事前の手はず通りにするのよ」
「承知した」
全員がうなずく。
私もうなずき、馬を慎重に進めた。
絶壁に沿った山道を進んでいると、前方に小規模な騎兵部隊が現れる。ディアージュ城守備隊の軍旗を掲げていた。
「お出迎えとはありがたいな」
鉄騎団の傭兵がつぶやいたが、私は守備隊に警戒していた。
次の瞬間、守備隊から青い光を見つけて即座に叫ぶ。
「『鷹』!」
私の符丁を聞いた瞬間、騎兵は全員馬首を転じて元来た道を疾走し始めた。ベテランの彼らは、命令にいちいち疑問を挟んだりはしない。
私も同時に腰の妖刀を抜く。
「キシモジン!」
加速状態に入ったとき、右上の斜面から赤い光を感じた。振り向くと無数の矢、そして岩も転がってくる。
「遅いのよ!」
私は鞍を蹴って飛んだ。馬は加速状態にならないので、今は徒歩で駆けた方が速い。
断続的に加速し、斜面を駆け上がる。矢はばらばらと飛んでくるが、加速して照準を外すので見当違いの方向に飛んでいく。
背後を振り返ると、敵の騎兵たちは落石に阻まれて立ち往生していた。上の刺客が放り投げた岩が裏目に出たらしい。
鉄騎団の騎兵たちはというと、落石など物ともせずに悠々と山道を駆け下りていくところだった。さすがはベテラン。場数を踏んでいる。
敵はびっくりしているところだろう。襲撃をかけたら護衛が全部逃げてしまい、標的が徒歩で突っ込んできたのだから。
先に射手を片づけてしまおう。幸い、矢の方向は常に一定だ。おそらく私を確実に仕留めようと、斉射する為に密集しているのだろう。
ほらいた。斜面の中腹に整列している。隠密行動の為に防具を身につけていない、軽装の弓兵たちだ。
私は再加速の為、キーワードを口にする。
「キシモジン」
それは彼らにとって、死の宣告だった。
加速状態の私は射手の密集地帯に飛び込み、片っ端から彼らを斬り捨てる。
妖刀キシモジンの切れ味は尋常ではなく、まるで包丁で豆腐を切るようだ。通常、人間を斬るときは衣服や皮下脂肪で刃が滑り、筋肉と骨が刃を阻む。一人斬るのも大変だ。
だが今こうして敵を斬っても、手応えは軽やかとしか言いようがない。心地良いぐらいだ。
そして私が驚いたのは、切れ味だけではなかった。一人斬る度に、加速時間がほんの少しずつ延びていく。加速時のスピードも増しているようだ。
この刀、人を斬る度に力を増している。
「『人喰い』ね……」
魔法の道具の中には、人間の血や命を力の糧とするものがある。この世界の魔法理論によると人間は魔力の塊だから、動力源としては最適らしい。
加速した世界では、斬られて死ぬ射手たちの悲鳴もよく聞こえない。飛び散る血飛沫さえスローモーションだ。
一人斬って加速し、二人斬ってまた加速する。
どんどんパワーアップしていく妖刀にうっすらと恐怖を覚えつつも、私は全ての射手を斬り捨てていた。
得意の『死体占い』で、射手たちの記憶をざっと読み取る。まだ下に重騎兵が待ち構えているので、あくまでも軽くだ。
やはりツバイネル公の兵だった。王太子ベルカールや第二王子ネルヴィスの兵ではない。兵力はここにいるだけで、リン王女を狙う別働隊などはいないようだ。
全部の記憶を読む時間はないので、すぐに立ち上がる。
転がる骸はざっと二十人。これだけの射手に斜面の上から狙われたら、普通はどうあがいても助からない。
そして眼下には完全武装の重騎兵。十騎余りか。
私は妖刀を携え、彼らの為に祈る。
「ごめんなさいね、誰も生かして帰せないの。……キシモジン」
今度の加速は、今までとは桁違いだった。
右往左往している重騎兵の中に、私は一直線に舞い降りる。着地したときには、甲冑ごと騎兵を二人斬り倒していた。
狭い山道で、槍を構えて密集している騎兵。背後や側面からの急襲には全く対応できないスタイルだ。頼みの機動力も生かせない。
そして本来なら最後の砦となる騎兵用の重甲冑も、妖刀の前では薄紙と大差なかった。
「これ、あんまり斬り過ぎない方がいいわね……」
十騎余りの騎兵を全員討ち取るまでに、加速したのがたった三回。自分でも何がなんだかわからない。でたらめな強さだ。
魔法の道具は相性による違いも大きいので、たぶん私と相性がいいのだろう。それにしても強すぎる。
こういう一見便利な魔法の道具は、実はとても危険なのだと魔女イザナが言っていた。調子に乗って血を吸わせていると、後で恐ろしい目に遭うという。
だいたいオーバーフローして暴走するらしい。
周囲にはもう、『殺意の赤』に反応する敵は残っていない。
たったひとつを除いては。
「あなたで最後よ」
私が言うと、真っ赤な輝きと共に何者かが背後から飛びかかってきた。




