第28話「妖刀」
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第二王子ネルヴィスが帰った後、しばらくは王太子側の干渉は何もなかった。
だがこちらの動きは監視されていると思った方がいいだろう。こちら側の誰かが買収されている可能性もある。
「たぶんこの有様も監視されてるわね」
私は領主の城館に新しい木箱が搬入されてくるのを、頬杖をつきながら眺めた。
「今度は何?」
すると異母弟リュナンが元気よく答える。
「はい、兄上! 国王陛下からリン殿下に剣の贈り物だそうです! 王室所蔵の逸品だとか」
「娘に剣?」
「リン殿下が剣術を嗜まれるのを耳になさったのでしょう。あ、そこに置いてください」
リュナンは目録を見ながら、王室からの使者たちに指示を下している。
そこにリン王女がやってきた。
「なんだ、また父上からの贈り物か」
「今度は王室所蔵の剣だそうよ」
「ほほう」
ちょっと興味が湧いたのか、リン王女は木箱を開けて厳重に梱包された包みを取り出す。
「前にもらったドレスはサイズが合わなかったし、その前にもらった軍馬は私には乗れなかったからな……。今度はどうかな」
包みをほどいたリン王女は、すぐに落胆する。
「長すぎる……」
だが私は驚きを隠せなかった。
「日本刀!?」
「なんだ、ニホントーっていうのは? これのことか?」
リン王女が手にしているのは、間違いなく日本刀だ。しかしこの異世界に、日本に似た文化圏があるとは聞いていない。
リュナンが目録を開く。
「これは王室所蔵、魔剣『キシオッジ』だそうです。名を呼べば鬼神のごとき力を授けてくれるという伝説があるとか」
「ふーん……」
リンは鞘から苦労して刀を抜くと、抜き身を天に掲げて叫ぶ。
「キシオッジ!」
何も起きなかった。
「ただの言い伝えか」
露骨にガッカリした表情で刀を鞘に戻すと、リンは溜息をつく。
「こんな長い反り身の両手剣、私には扱えないぞ。私の剣術は片手剣だし、刺突を多用するんだ。向いてない」
私も溜息をつく。
「あんたのお父さん、あんたのこと何にも知らないのよねえ」
「うん。……一緒に暮らしたことが一度もないから、しょうがないけど」
明らかに気落ちしているリンの頭を撫でて、私は笑う。
「ほらほら、落ち込まないで。私はあなたのこと、少しは知ってるつもりよ?」
「例えば?」
リンが気にしている様子で顔を上げたので、私は少し考える。
「そうね……好きな食べ物は豚の脂身と、よく焼いた鳥皮でしょ?」
「何で知ってるの?」
「そりゃわかるわよ。だってあなた、好きなものを食べたときは『うまいな、これ』って何回も言うもの」
「そうかな?」
「そこまで好きじゃないときは『おいしい』って言うだけだし」
「よく見てるな……」
リンは照れくさそうに笑うが、まんざらでもない様子だ。
私は指を折りながら、リンについて知っていることを列挙する。
「好きな色は赤。好きなお菓子は果物の砂糖漬け。最近がんばってることは史学の暗記で、興味が出てきたのは宮廷風のおしゃれ。でしょ?」
「なんでそこまで知ってるの!?」
「そんなもん、あなたを見てりゃわかるわよ」
私はリンが手にした日本刀を見つめながら、そう返す。
「私はいつもあなたのことを見てるの。あなたのことが好きだから」
「えっ!?」
「何よ。嫌いな人間の為に命張るほど、私は人間ができてないわよ?」
するとリンは頭を掻きながら、照れくさそうに笑う。
「いや……面と向かって言われると、ちょっと照れるな」
「好意は積極的に発言することにしてるの。思ってることは口に出さないと伝わらないものね。それはいいから、ちょっとそれ貸してもらえる?」
私は刀をリンから受け取る。
見れば見るほど、立派な日本刀だ。専門的なことはわからないが、よく手入れされている。
「これ、誰が手入れしてたのかしらね?」
「目録の説明書きを見る限り、何十年もほったらかしだったみたいですよ、兄上」
リュナンがそう言うが、私には信じられなかった。
「この手の剣は錆びやすいから、油を塗って保管専用の白鞘に納めておかないと傷むわ。この鞘は携行用の普通の鞘よ」
よく切れる反面、手入れが死ぬほど面倒くさいのが日本刀だ。この刀は刀身に油こそ引いていないものの、よく手入れされているように見える。
「あら?」
私はふと、刀身に変な文字が刻まれていることに気づいた。銘だろうか。
「ん~……?」
どうやら漢字のようだ。こちらの世界で漢字を見るのは初めてなので、ますます興味が湧いてくる。
「あ、これ『鬼子母神』だわ」
私がその言葉を発した瞬間、周囲の様子が一変した。
まるでスローモーションのように、全てがゆっくり動いている。遅いのは人間だけではない。風に翻るカーテンや舞い落ちる木の葉までもが、ゆっくり動いていた。
「あら?」
私が立ち上がってリンに歩み寄った直後、スローモーションの世界は終わった。普段通りの早さで、カーテンが風に翻る。
「わ、わわっ!?」
驚いているのはリンだ。のけぞるようにして私を見上げている。
「ノ、ノイエ殿!? いつの間に!?」
そうか、リンには私が瞬間移動してきたように見えるのか。だとすればやはり、今のは錯覚ではない。
考えられるのは、やはりこの日本刀だろう。
私はふと考え込む。
「この剣、本当の名前は『キシオッジ』じゃないわ」
「でも兄上、目録には確かに『キシオッジ』と」
「たぶんどこかで訛ったのね。正しくは『キシモジン』よ」
私がそう言った瞬間、また周囲がスローモーションの世界に変わる。間違いない。
この刀の名前は『鬼子母神』で、キーワードに反応して使用者が加速状態になる魔法がかかっている。
加速状態が続くのは、使用者である私の主観で二~三秒程度のようだ。周囲の人間にとっては一瞬だろう。
殺し合いのときに二秒もあれば、余裕で致命傷を与えられる。一対一ならほぼ無敵といってもいい。
これは……なかなか凄い魔法の道具かもしれない。
魔女の子として生まれてきたが、使い減りしない魔法の道具を見たのは久しぶりだ。
私は刀身を見つめてうなずく。
「さすが王室所蔵の逸品というべきね」
「そうかな? ノイエ殿は刀剣にも詳しいんだな」
何が起きているのかわかっていないリンは、気楽に笑う。
リュナンが首を傾げる。
「『キシモジン』ってどういう意味ですか、兄上?」
「異教の女神の名前ね。我が子を大事にする反面、人を食っていた悪神よ」
「うわ」
リュナンとリンがそろって嫌そうな顔をしたので、私は苦笑する。
「でも聖者に諭されて、人を食べるのはやめたの。その後は子供と安産を守護する善神として崇拝されているわ」
「ほんとに何でも知ってますね、兄上は」
「たまたまよ」
本当に偶然だから仕方ない。いや、偶然なのだろうか。
するとリンが言った。
「気に入ったのならそれ……キシモジンだっけ、ノイエ殿にあげるよ」
「あら、いいの?」
すると彼女は笑う。
「ノイエ殿の剣、前に一振りダメになっちゃっただろう? ほら、私を守って暗殺団と戦ってくれたときに」
「ああ……」
あのとき私が持っていたのは、一般の兵士が使っているような安物の剣だ。
さすがに折れるほど粗悪ではなかったが、なまくらなので曲がってしまった。あの暗殺者の頭蓋骨、思ったより頑丈だった。
リンは続けてこう言う。
「あのときの褒美をあげてなかったから、それを受け取ってくれ。私はもっと短くて反りのない剣がいい」
「あらそう? ありがとう、殿下」
いいものをもらってしまった。
反りの強い、肉厚の刃。銘は『鬼子母神』の四文字のみ。
刃紋の種類までは私にはわからないが、妖しくうねるように波打っている。どうやって作ったのだろう。
鍔やその他の細工はそっけないもので、専門の職人が作ったものではなさそうだ。刀工がついでに作った感じだろうか。
「ふーん……」
実戦で日本刀が使われていた時代ほど、日本刀の反りは強かったと聞いている。このキシモジンも実戦用の刀だろう。
この刀の秘密については、今はリンにも黙っておこう。漢字の銘が切られていることといい、まだ重大な秘密がありそうだ。




