第27話「甘い誘い」
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次の瞬間、ネルヴィス王子は予想外の行動に出る。
深々と頭を下げたのだ。
「今回の聖サノー神殿の件、清従教団を代表して深くお詫び申し上げます。教皇ヨハンスト三世猊下も大変心を痛めておられます。二度とこのようなことが起きぬよう、清従教団はリン殿下の安全の為に全力を尽くすことを誓いましょう」
随分ストレートな、まっすぐな謝罪だ。
だがそれだけに私も心を動かされる。
もちろん周到な計算をした上での謝罪なのだろうが、それでも大したものだ。変にごまかしたり、逃げ道を作ったりしていない。前世の偉い人たちに聞かせてやりたい。
さすがにここまで率直に謝罪されてしまうと、リンもそれ以上は文句を言えない。慌てたように立ち上がり、手をわたわたとうろつかせる。
「ネ、ネルヴィス殿下の責任ではありませんから! そのように頭を下げないでください!」
だがネルヴィス王子は頭を下げたまま、悔しそうに言う。
「いや、これは清従教徒としての責任だ。それに君の兄としても、僕は自分を許せない」
演技とは思えないけど、演技なんだよね? 心がグラグラしてきそうだ。
いや、やっぱり本物の王子様は大したものだ。感心した。
でも父親よりだいぶ優秀そうなので、これは国王派にとってつらい状況だと言えるだろう。王太子派の分厚い布陣に比べて、こっちはまともな人材が少ない。
王太子ベルカールが優秀な人物なのは予想しているが、第二王子まで優秀そうだ。
「と、とにかくネルヴィス殿下」
「そこは兄上と呼んでほしいかな」
「兄上! 頭を上げてください!」
「いいのかい?」
「私はノイエ殿のおかげで無事でしたし、何も問題ありませんから!」
「そう、それなら良かった」
ネルヴィス王子はにっこり笑った。
謝罪が済んだ後、リンとネルヴィスはしばらく私的な雑談を続ける。
「でね、父上は僕に言ったんだよ。『ベルカールには内緒だぞ』って」
「ふふっ」
リンはすっかり打ち解けた様子で、ネルヴィスの雑談に笑顔を見せている。相手の心を開かせることに長けているのは、さすが聖職者というべきだろうか。警戒が必要だ。
そして雑談が終わって帰る直前になると、なぜかネルヴィス王子は私に向き直った。
「君が妹の腹心だね? 綺麗な見た目にかかわらず、文武両道の猛者だと聞いているよ。名前はノイエ・ファリナ・カルファード」
「え、ええ……」
するとネルヴィス王子はニコッと笑う。
「君に興味があるな。二人きりで話をしないか?」
どういうこと?
私はネルヴィス王子に別室へと誘われ、そこで二人きりの話をすることになった。
ネルヴィス王子はリン王女と面会したとき同様、まずは雑談から入る。
「ノイエ殿は旧ランベル地方のアルツ郡の出身だと聞いているが」
「ええ。カルファード家当主ディグリフの長子よ。庶子ですけど」
「あの辺りは甘芋の産地だったね。家臣が出張の折、干し芋を土産に持ち帰ってくれた。実に美味だったよ。それに珍しい香草もあるね。痛み止めによく効くと祖父も喜んでいるよ」
「あら、それは光栄ね。領民たちが聞いたら喜ぶわ」
こちらの手の内はだいぶ調べ尽くしているようだ。
すると不意にネルヴィス王子が笑う。
「すっかり嫌われてしまったようですね。表情が沈んでいるよ。僕を警戒しているのかな?」
私は軽く溜息をつく。
「とんでもありませんわ。殿下のような身分の高い方を前にして、ちょっと緊張しているだけですの」
私の言葉にネルヴィス王子は苦笑しながらうなずく。
「ははは、そういうことにしておきましょうか。それにしてもノイエ殿の手腕はお見事です」
彼は私にスッと近づいてくる。敵意は感じられないが、どうも不気味だ。
「君は僕と大して歳が変わらない。政治の世界では若造だ。おまけに何の後ろ盾もない」
「あら、リン殿下がいらっしゃるわよ?」
「ふふ、そうだね」
実際にはリン王女には後ろ盾と呼べるほどの力はない。カルファード家が彼女の後ろ盾になっているぐらいだ。
ネルヴィス王子はさらに私に近づく。顔が近い。
「いずれにせよ、リンがここまでたどり着けたのは君の助力あればこそだ。君の実力は本物だよ」
「過分なお褒め、光栄だわ」
政敵から褒められている状況というのは、どうも居心地が悪い。
そして彼は私の間近に顔を近づけると、真剣な表情で言った。
「僕は君の価値を認めている。僕の家臣にならないか、ノイエ殿?」
予想外の申し出に一瞬戸惑ったが、返事はひとつだ。
「お断りしますわ。私はリン殿下をお守りすると決めたから」
するとネルヴィス王子は顔を近づけたまま、さらに言う。
「僕の家臣になってリンを守ってもいいんだよ?」
「できるかしら?」
「そうだね……。少し難しいかもしれない」
ネルヴィス王子はあっさり認め、顔を離した。
「僕は君が欲しいから嘘はつかない。神に仕える身として正直な話をしよう。祖父と兄はリンを邪魔者だと思っている。だが僕は違う」
本当かな? しかし聖職者が「神」という言葉を出した以上、そこに疑問を挟むのは大変な非礼になる。私は黙って拝聴する。
「祖父たちと父の争いは、僕には関係のない話だ。僕は第二王子だから、王位は継げないしね。僕の名前、おかしいと思わないか?」
「ええ。比重が宗教界に偏りすぎね」
ネルヴィス王子の六つの名前のうち、世俗の力を示すものはグイム地方の領主を示す「グイム」だけだ。
もちろんこれだけでも相当なものだが、国王グレトーや王太子ベルカール、それにツバイネル公たちと比較すると弱い。
私は率直に感想を述べる。
「畏れながら申し上げるけど、第二王子なら王太子の『予備』でしょう? なのに清従教団に関連する名前が三つも入ってる。次期教皇にでも据えるつもりにしか見えないわね」
「さすがはノイエ殿だ。そう、その通りなんだよ」
ネルヴィス王子は自らの金髪を弄びながら微笑む。
「僕に王冠は回ってこない。もちろん王位を継ぐのは兄の方が好ましいけれども、別にリンが王冠を戴いても僕は困らない。最初から王位継承の闘争に参加していないからね」
どうも胡散臭い。
ネルヴィス王子がリン王女に肩入れしても失うものが多すぎる。
一方、得られるものはほとんどない。父王はネルヴィス王子のツバイネル家の血筋を警戒するだろうから、国王派が勝利しても跡継ぎはリン王女だ。
そう考えると、この接近は明らかに不自然だった。
だとすれば、決断を下す前に確認しておきたいことがある。
「殿下が乗っている馬の手綱を握っているのは、殿下御自身?」
「どういう意味かな?」
何もかもお見通しの表情で、ネルヴィス王子は微笑む。
私は単刀直入に言った。
「殿下と何かしらの約束を取り付けても、その上の人間がそれを反古にすることがあるわ。そのとき、殿下は自らの立場を捨ててでも私たちを守ってくださる?」
前世で私がネクタイを締め、スーツを着ていた頃。
取引先の人間と仕事上の口約束をして反古にされたことが何度もあった。理由はいつも「上の人間が認めなかったから」だ。
それが本当なのか口実なのかはわからないが、同じことは異世界でも起こり得る。異世界だろうが人間は人間だからだ。
私の言葉に、ネルヴィス王子はあっさり引き下がった。
「君の言う通りだ。僕は兄上やお祖父様の使い走りにすぎない。二人が反対すれば、僕は君たちを守りきれない」
「あら、びっくりするぐらい正直ね」
「君たちに嫌われたくないからだよ。僕の正直な気持ちはそこにある。信じてくれ」
信じてあげたいのはやまやまだが、政敵同士だからどうにもならない。
私は本心を隠して微笑む。
「お気持ち、とても嬉しいわ。私も殿下のことは好きよ」
「ありがとう」
フッと微笑み、ネルヴィス王子は私に背を向ける。
「君さえ良ければ、僕はいつでも君を家臣にするよ。そのときはリンについても可能な限り口添えすると約束しよう。神に誓う。じゃあね」
少し名残惜しそうに私を見つめた後、ネルヴィス王子は部屋を出ていった。
うーん……。敵か味方か、判断に苦しむ王子様だ。




