第26話「聖なる王子」
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神官は私の態度に驚いたのか、思わず一歩退いた。
「責任……と言いますと?」
私は冷たい口調で答えてやる。
「清従教団はリン王女暗殺計画には荷担していない。そう主張するのなら、それでいいでしょう。ただ、そうなると別の問題が生じるわ」
私は立ち上がると神官に詰め寄る。
「清従教団は聖サノー神殿でリン王女殿下を保護する義務があった。それを果たせず、近隣のカルファード家が殿下を保護しているの。これって教団の大失態よねえ?」
「うぐぐ」
神官は言葉を返せない。当たり前だ。
聖サノー神殿の神官たちが本気でリン王女を守るつもりなら、各地に駐屯している神官騎士団を呼ぶこともできた。カルファード家や近隣の領主に救援を求めてもいいだろう。傭兵だって雇える。
できることはいくらでもある。
だが彼らはそうしなかった。暗殺者側に荷担しているのでなければ、襲撃を全く予測できなかったことになる。国王の実子を預かっているというのに、間抜けもいいところだ。
私は教典を開き、その一節を示す。昨日調べておいたところだ。
「『清従の教えに救いを求める者に、門は常に開かれている。門の内に在る者を、神と神のしもべは決して見捨てない』……いい言葉よね。あなたなら暗誦できるでしょ」
「ええ……まあ……」
私の推測だが、聖サノー神殿の神殿長たちはこの聖句に一抹の後ろめたさを感じたのだろう。
だから暗殺者たちに「門の外で王女を殺してくれ」と頼み、王女を神殿の門から外に出した。
その結果、彼女は私と出会って今も無事な訳で、清従教の神様も案外いい仕事をするもんだと思う。及第点をくれてやってもいい。
私はそんなことを考えながら、神官の顔を見つめる。
「で、どう落とし前つけてくれんの? 教義に背いた行いだし、下手すりゃネルヴィス殿下にも国王陛下から疑いがかかるわ。ネルヴィス殿下は神官である前に世俗の王子。陛下の裁量でどうなるかわからないのよ」
実際には王子たちにはツバイネル公の後ろ盾があるので実行は困難だろうが、それでも国王は国王だ。国で一番偉い。
神官はしどろもどろになっている。
「わ、私に言われても困るのです。私は聖サノー神殿の荘園問題の為に派遣されてきたのですから」
「じゃあ誰に言えばいいのかしら? 教皇猊下? それともネルヴィス殿下?」
「いっ、いけません! それだけは絶対にいけません!」
神官の顔がますます青くなる。
予想より楽に交渉が進んでいるので逆に少し不安になるが、ここは一気にケリをつけよう。総攻撃の好機だ。
するとちょうどいいタイミングで、リン王女が隣室から姿を見せた。
「ノイエ殿の言う通りだ。私は自分が殺されかけたことについて、知る権利がある。清従教団には問いただしたいことがいくつもある」
「でで殿下!? これはとんだ御無礼を……」
とんでもないタイミングでリン王女本人が出てきたので、神官は必要以上に畏まって頭を垂れる。
床に膝をついて頭を垂れている神官を見て、私はリン王女とアイコンタクトを取る。
(いいタイミングねえ)
(これで良かったか?)
(ええ、ばっちり。助かるわ)
(えへへ)
後できちんと誉めてあげよう。
しかしこれではまるでマフィアのやり方だ。この世界に合わせて生きていると、自分がどんどん汚れていくのを感じる。
いや、だからこそリン王女を守らなくては。子供を見殺しにするようになったら、私はもう私でなくなってしまう。
私は決意を秘めて、神官に言う。
「清従教団にリン殿下への敵意がないのであれば、今回の失態について責任ある方から説明を頂きたいのよ。偉い人なら誰でもいいけど、相手はリン王女殿下よ。そこを忘れないでね」
「わ……わかりました。いったん持ち帰って上の者に伝えます。よろしいでしょうか?」
「ええ、よろしくね」
下っ端の神官をいじめてもしょうがない。この神官も被害者のようなものだ。
神官が帰った後、リンが笑う。
「相変わらずノイエ殿は凄腕だな! 荘園の問題をうやむやにした挙げ句、神官を這いつくばらせて上層部との面会まで要請したんだから!」
「それ、あんたも一枚噛んでるでしょ」
いいタイミングで出てきて。
この子は直情径行に見えて、案外やり手なのかもしれない。
そして数日後。
なんとネルヴィス第二王子がテオドール郡に来ることが伝えられた。
「予想外の大物だわ」
「やったな、ノイエ殿」
相手が偉すぎて不安しかない……。
なかなかやってこなかった父王とは違い、リン王女の異母兄・第二王子ネルヴィスはすぐにやってきた。
外見も父親とは全く似ておらず、爽やかな好青年だった。年は二十だという。王太子ベルカールとは六歳差だ。
「はじめまして、リン。僕がネルヴィス・モンテール・ゼッツ・グイム・ヨハンスト・テザリアだ」
「はじめまして。リン・ランベル・ノイエ・ファサノ・テオドール・テザリアです」
リンは緊張しつつも、なんとか挨拶した。
二人はどちらも国王の実子で、「六つ名」の王族だ。
しかし実態は天と地ほども違う。
ネルヴィス王子の「ゼッツ」は首都バルザールの地区名で、彼が名誉教区神官を務めている教区だ。大貴族の屋敷が密集している。
そして「グイム」は北テザリアのグイム地方。かなり広大な領地だ。
「ヨハンスト」は清従教の現教皇の名前だし、「モンテール」は清従神学のモンテール学派のことだろう。教皇ヨハンスト三世もモンテール学派の出身だ。
要するに無駄な名前がひとつもなく、全てが権威と財産を示している。
小さなテオドール郡以外に何も持っていないリン王女とは、力の差が歴然としていた。
このように、テザリア貴族社会では名乗った瞬間に双方の力関係がはっきりと示される。
だが圧倒的な力の差を見せつけられても、リン王女に怯んだ様子はない。まだまだ闘志を燃やしている。さっそく口を開いた。
「お会いできて嬉しいです、ネルヴィス殿下。その……庶子ではありますが、私も陛下を父に持っていますので」
「わかっています、リン殿下。僕たちは兄妹ですよ。これから仲良くしていきましょう」
意外にもネルヴィス王子はフレンドリーだ。
(ふーん)
私はリンの傍らに控えながら、ネルヴィス王子をじっと見つめる。
さらさらの金髪に、甘く整った顔立ち。言葉遣いは丁寧で、仕草は礼儀正しい。まさに王子様オブ王子様だ。
だがそこに気になることがひとつだけあり、私はその疑問を心の中に刻んでおく。
異母兄と妹のぎこちない会話は続く。展開はネルヴィス王子優勢だ。
「父上もお人が悪いですね。こんなに可愛らしい妹がいるなら、早く教えてくれれば良かったのに」
(リン王女のことは何も知らなかった、と言いたい訳か)
私は半ば無意識のうちに、彼の言葉に隠された意味を探る。
「ですがこうしてお会いできて、僕はとても嬉しいですよ。嬉しくてつい、大勢で押し掛けてしまいました。許して頂けますか?」
ネルヴィス王子は重騎兵三十騎と歩兵六十人を連れてきている。王子の護衛だからこれぐらいは普通だが、庭先に整列されると相当な威圧感があった。
リン王女はというと、おずおずうなずくことしかできない。
「ま、まあ……はい。街道の治安はしっかり守っています……けど……、護衛は必要ですし……」
「ありがとう、リン。これからもこんな感じで遊びに来てもいいかな?」
にこっと笑うネルヴィス。まずい。
しかしリンはうなずきかけて、慌ててこう返す。
「そ、そんなに護衛をお連れにならなくとも、街道の治安は私が守っていますから! どうか、身軽な供回りでお越しください!」
おっと、これは意外だ。雰囲気に呑まれず、きちんと自分の意見を言った。やはり彼女は私が思っている以上にしっかりしている。
ネルヴィス王子はそれに対して、あっさりうなずいた。
「そうだね。あまり護衛が多いと君も受け入れが大変だ。次からは最低限の護衛だけ連れてくるよ」
そしてなぜか、彼はチラッと私を見た。
「いい先生に恵まれているようだね」
「え?」
「いや、何でもないよ。さて、まずは清従教幹部としての責任を果たしておこう」
王子はフッと微笑んだ。




