第25話「父子の連携」
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* * *
【カルファード家当主ディグリフ視点】
「ですから、聖サノー神殿の荘園が行方不明なのです!」
王都から派遣されてきた神官の声は、ほとんど悲鳴だった。
ノイエの父ディグリフは、応接室の椅子に腰掛けたまま微笑む。
「畑が行方不明になるはずがありますまい。私は魔法使いではありませんぞ?」
すると神官は困り果てた様子で、溜息をつく。
「貴家が聖サノー神殿の荘園を接収してしまったことはわかっております。あの神殿はそれなりの農地を有し、利益を上げておりましたからな」
「ほほう?」
ディグリフが不思議そうな顔をしてみせると、神官はうなだれる。
「しかし現地で調査しても、どこが荘園だったのかわからないのです。神官も小作人も、一人も見つかりません。神殿は焼失しており、台帳などの書類も全て灰になっておりました」
「教団本部に問い合わせれば、何かわかるのではありませんか?」
自分たちで荘園を略奪しておいて、あまつさえ証拠も隠滅したというのに、ディグリフはいけしゃあしゃあとそんなことを言う。
だが神官は首を横に振った。
「各神殿の荘園については、それぞれの管理に任せております」
「でしょうな」
地方の神殿で神官たちが私腹を肥やすのは、もはや既得権益の一部として黙認されている。そうでもなければ高位の神官は地方に赴任したがらないからだ。
だから彼らは勝手に農地を増やし、上には過小に報告する。
神官もディグリフも言葉には出さないが、お互いにそこはよくわかっている。
神官はさらにこう言った。
「ベナン村の郷士たちが耕作地の台帳を見せてくれました。神殿の周囲にある農地は記録に残っている限り、ずっとベナン村の農地だそうです。台帳は古いものでしたし、改竄されたとは思えませんでした」
カルファード家には文書偽造用の紙束が極秘に保管されている。樹皮や茶葉の渋で古紙の色を再現し、さらにヤスリをかけて擦り切れた風合いを出したものだ。
インクも古ぼけた色合いになるよう、独自に調合している。どちらもノイエの発案だった。
(あの子があんなことを言い出したときには、恐ろしい六歳児だと思ったが……)
ディグリフはうなずいた。
「もちろんそうでしょう。当家は聖サノー神殿に畏敬の念を抱き、感謝と崇拝を絶やしたことはありません。神殿から奪うなどという行為、想像しただけでも寒気が致します」
「むむう」
神官が唸る。ディグリフが嘘をついているのは明らかだが、どうやってもその嘘を崩せない。
「神殿周辺の農民たちにも一人一人聞き込みをしましたが、全員が昔からベナン村の農民だと申しております。台帳通りだと」
「でしょうな」
裏切った小作人たちに他の選択肢はない。神殿に放火したのがバレれば、命はないからだ。
ベナン村の農民は小作人たちをあまり快くは思っていないだろうが、代官のノイエに逆らって神殿に告発するメリットはない。
だから誰も、本当のことはしゃべらない。
「ううむ……さすがに私も手ぶらでは帰れません。困りました」
調査に来た神官も「こいつらグルだな」というのはわかっているのだが、証拠がなければどうしようもない。
そこでディグリフは事態を進展させる為に、面白いことを思いついた。
「ベナン村のことは息子のノイエに任せております。台帳などで御不審の点あらば、息子に聞いてみましょう」
「それは助かります。御子息は今どちらに?」
神官の問いに、ディグリフは笑う。
「今はリン王女殿下のお供をして、テオドール郡におります」
「それはまた、王都の近くですな……」
その王都から来た神官は、深々と溜息をついた。
「では帰路に私が直接お訪ねいたしましょう。紹介状を書いて頂けますか?」
「ええ、もちろん」
ペン先をインク壷に付けながら、ディグリフは愉快な気持ちで微笑む。
(さて、我が息子よ。次はどんな妙技を見せてくれるのかな?)
「ずいぶん楽しそうですね、ディグリフ殿……」
「いえいえ」
* * *
テオドール郡の領地経営にいそしむ私のところに、清従教渉外局の神官がやってきたのは、父がくれた早馬便の翌々日だった。
事前に連絡が来ていたので、私はバッチリ準備して神官を待ち受ける。
だが異母弟のリュナンは不安そうだ。
「兄上、清従教の渉外局といえば悪名高いところですよね?」
「まあそうね」
「大丈夫ですか?」
「たぶんね」
私は神官を執務室に招くと、さっそく本題に入った。
「聖サノー神殿の荘園? 知らないわね」
「知らないことはないでしょう。あなたはベナン村の代官だ」
見るからにデスクワーク専門っぽい神官が、困ったような顔をしている。
「あなたがどさくさに紛れて、荘園の農地を接収してしまったことは我々もわかっています。ただ証拠がありません」
「あら、証拠もないのに私を背教者扱い? 神様から奪うなんて、怖くてできないわよ」
嘘はついていない。教団は神ではなく人間の組織だ。
私は父からの紹介状を机の上に置き、神官に微笑みかける。
「それより荘園なんかより重大な問題が発生していること、清従教の方々は把握しているかしら?」
「……と仰いますと?」
怪訝そうな顔の神官。演技か本気かはわからない。
私は単刀直入に切り出した。
「リン・ランベル・ノイエ・ファサノ・テオドール・テザリア殿下は、聖サノー神殿で暗殺者の集団に襲撃されたのよ」
「な……なんですと!?」
あの神官の表情、演技なら大したものだ。どうやら渉外担当の末端は何も知らないらしい。
私は重大な機密を打ち明けるかのように声を潜めてみせる。
「これがどれぐらい重大な事件か、清従教団もおわかりよね? だって王女を預かっていた神殿が王女を守りきれず、神官全員が行方不明になってるんだもの」
「ではまさか、神官たちは逃亡……?」
私は首を横に振る。
「こちらで確認した神官の死体は八人。明らかに暗殺者のやり口で殺されていたわ。口封じが徹底してるし、リン殿下によれば殿下を神殿の外に出すよう仕向けたのは副神殿長だそうよ。明らかに無関係じゃないわ」
神官の顔がみるみる青くなる。
「本当ですか!?」
「ええ、清従の教えに誓うわ」
「そんな大事なことを、なんでディグリフ殿も村人も教えてくれなかったのですか!?」
そりゃそうだ。
だがもちろん、それには意味がある。
「暗殺団は当家が全部返り討ちにしたから、暗殺の黒幕が探りを入れてくると思ったのよ。だから箝口令を敷いたわ」
「そんな……」
「仕方ないでしょ? こんな事実が広まったら、教団にも悪いもの」
暗に「お前らの不祥事だぞ」と伝える。
さすがにそれは神官にも伝わっているようで、気まずい顔をしていた。
「い、いやしかし、さすがに清従の徒がそのような大悪事に荷担するはずがありますまい」
「でもほら、陛下とツバイネル公の対立はご存じでしょ? 陛下の第二王子、ツバイネル公の孫であるネルヴィス殿下は教団にとって大事なお方だし。だからリン殿下はあなたがたにとっては邪魔者でしょう?」
すると神官は露骨に嫌そうな顔をする。
「そのような世俗の争い、我が教団は関係ありません。ネルヴィス殿下は敬虔な神のしもべにして、我ら神官たちの模範となるお方。それだけです」
「あらそうだったわね。ごめんなさい」
くすくす笑っておく。
そして静かに恫喝。
「じゃあリン殿下を危険に晒した件、責任取ってもらうわよ」




