第24話「無貌の王」
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国王グレトーの一行がリン王女の治めるテオドール郡に到着したのは、それから数日後のことだった。
警備や歓迎の準備をしないといけないので、予定を立ててから実行に移すまでに時間がかかる。
そのせいで国王の移動範囲は狭くなっており、辺境には目が行き届かないのが実状だった。
「ここは王都から近いから、来ようと思えばいつでも来られるのよね。その割にはぜんぜん来なかったけど」
国王と王女が対面のセレモニーをやっている間、私は代官としてあれやこれやを取り仕切って走り回っていた。
その補佐をやってくれている異母弟リュナンが嬉しそうに言う。
「でも兄上の説得が効いたのか、ついにお越しになられましたね。やはり兄上の影響力は絶大です」
「そんなんじゃないわよ」
魔法で暗示をかけただけなので、父子の問題は何ひとつ進展していない。魔女の秘術なんて言っても、魔法の力なんてこんなものだ。
ズルで何かを成し遂げようとしても、なかなかうまくはいかない。
「人の心って単純明快で複雑怪奇よね」
「え? どっちですか?」
リュナンが困惑しているので、私は苦笑してみせた。
「ごめんね、何でもないわ。それより会食の準備よ。席が二十も足りないって、ここの顔役どもは何をやってたの」
「侍従と侍女と侍医がゴッチャになってたみたいで……」
日本語でも「侍」が重複してややこしいが、同様の理由からテザリア語でも響きが似ている。普段目にしない単語だから無理もない。
「随行員の歓迎はついでみたいなもんだし、庭の藤棚の辺りにテーブルと椅子を出して野外席ってことにしましょ。それだけだと寂しいから、楽器弾ける連中集めてきて」
「わかりました。酒と料理はどうします?」
「顔役たちもバカじゃないから、多めに準備させてるわ」
なんで忘年会の幹事みたいなことやってるんだろう。
* * *
【リン王女視点】
父上は宴の席でもほとんど口を開かなかったが、私は決して嫌な気分ではなかった。父上とこうして食事を共にするのは、生まれて初めてだ。
ノイエ殿が宴席に同伴していないのが少し不安だが、ノイエ殿はさっきから出たり入ったりして忙しくしているので我慢する。小さな領地だし、国王をもてなすのは大変なのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、不意に父上が口を開いた。
「テオドール郡の経営は、うまくやっているようだな」
「はっ、はい!」
私は緊張して背筋を伸ばす。予想していたような親子の会話ではなかったけれども、これも大事な会話だ。
「代官のノイエ殿が全てを仕切って、街道の整備に努めてくれました。おかげで旅人がよく訪れるようになり、宿場町を中心として活気が出ています」
「そうか。良い家臣を持ったな」
小さくうなずき、沈黙する父上。食事にもほとんど手をつけず、私の方も見てはいない。
私は沈黙に耐えかね、自分から発言する。
「ノ、ノイエ殿はアルツ郡ベルン村の代官にも関わらず、ここまで私を支えてくれました。今はテオドール郡全体の代官として働いてくれて、とても……」
だが父上は私の言葉に興味を示さなかった。無言で杯を傾ける。
気まずい空気が流れた。
「その、これも……父上……陛下のおかげです」
やはり父上は無言だった。
それっきり、私と父上の会話は途切れてしまう。
やがて父上は侍従長に向かい、小さく手を振る。
「余がおってはそなたたちはくつろげまい。余は休むゆえ、そなたたちは楽しめ」
すかさず侍従長たちが一礼した。
「我らへのお心配り、誠に恐悦至極にございます」
父上は数名の護衛を伴って退出し、今まで広間の端に控えていた随行員たちは村人たちに案内されて宴席に座る。
ここからは無礼講、随行員たちの宴だ。
彼らにとっては王女の私も鬱陶しいだろう。私も立ち上がり、村人たちに料理を何皿か別室に運ぶよう頼む。
「手数をかけてすまないが、ノイエ殿にもゆっくり食事していただきたいからな」
「いえいえ、私らもノイエ様にはお世話になってますから」
「それに殿下のお優しいこと」
村のおばさんたちが笑顔で皿を運んでいく。
私は正装用の額冠を外すと、小さく溜息をついた。
父と子という関係は、どういう形が正しいのだろう?
* * *
国王歓迎の宴の途中だというのに、私は国王グレトーと二人きりで城館の一室にいた。
「そなたの忠告通り来てやったぞ」
王は笑うでもなく、かといって怒っている様子もなく、淡々と言葉を続ける。
「謁見におけるそなたの熱弁に、余も心を動かされた」
「それはどうも」
どうやら国王の記憶では、私が謁見の場で国王を熱心に説得したことになっているらしい。
人間の記憶というのはもともと非常にあやふやで、頻繁に書き換えが起きる。魔法を使えばそれを人為的に起こせる。それだけだ。
ただしどんな具合に記憶が書き換えられているかはわからないので、整合性を壊さないように慎重に会話を進めていく必要がある。
しばらく黙って様子を見ていると、国王はまた言った。
「これでリンは余を尊敬するであろうか?」
んな訳ないでしょ。何言ってるんだろう、このバカ。
私が困惑していると、王は重ねて言う。
「これでもまだ足りぬか」
「ええと……。少なくとも、少しはリン殿下も心を開いてくれたと思いますわ。この調子で……」
「心を開く?」
まだ話している途中だというのに、王は煩わしげに首を横に振る。
「余が求めておるのは、父と子のあるべき姿だ。心を開くなどという話はしておらぬ」
どうしよう。この人とは言葉が通じるけど意志が通じない。バカなんじゃないのこいつ。
いや待て。実務面で国王の能力に問題があったという話は聞いていない。名君というほどではないが、暗君とも呼べない。
おそらくこの男は、数字や法文を相手にしている限りは問題ないのだ。しかし人事……もっと言えば人の心と向き合ったときに問題が起きる。人の心の微妙な機微を理解できない。
ある意味、最も危険なタイプの王だった。
王は深々と溜息をつく。
「これだけ譲歩したのだ、リンも譲歩してくれねば困る」
たぶん、グレトーは他人に恩を着せることでしか人間関係を築けないのだろう。それは主従の関係なら何の問題もない。
しかし家族関係、特に親子関係では致命的だった。
一応、ちょっと確認しておこう。
「陛下はその……リン王女殿下の尊敬と感謝を得たいとお思いなのね?」
「無論だ。そなたらも知るように、余には王室内部に味方がおらぬ。リンには余の後継者として信頼できるところを見せてもらわねばならん。その為にはもっと色々くれてやっても良い」
どうやら私の推測は悪い方向に的中していたようだ。
私は心の中で少し深呼吸し、罪悪感を封印する。
私がどれだけ言葉を尽くしても、この人はわかってくれない。わかりあうことができない。
だからもうしょうがない。
私は笑顔の仮面で本心を隠しつつ、彼に言う。
「陛下。今まで全く何もしてこなかったのですから、リン王女殿下にしてみればまだまだ不足でしょう。恵まれた生活をしてきた王太子殿下たちに比べれば、今の生活など質素極まりないわ」
「ふむ……」
あまり立派とは言えない城館の内装を見回して、王がうなずく。
「確かにな。ベルカールやネルヴィスの家臣たちでさえ、もっと良い屋敷に住んでおる」
「でしょう? それに次期国王にしては警護の者も少ないですし、資金や権力も足りていませんわ。陛下への尊敬や感謝が芽生えるのは、それからよ」
何かをあげることでしか人間関係を構築できないのなら、好きなだけ渡してもらおう。そして偽りの親子愛に満足してもらうしかない。
私が深い失望を押し隠していると、国王は深くうなずいた。
「道理であるな。名前だけでなく、権力や武力でも王太子と同格にしてやらねばなるまい。この近くの王室直轄領に本格的な山城がある。領地と守備隊ごとリン王女にやろう」
太っ腹の提案に、私は深々とお辞儀をする。
「素晴らしい御配慮だと思いますわ。有事の際には必ずお役に立つでしょう」
「他には何が必要だ。そなたはリンの腹心ゆえ、足らぬものは承知しておろう?」
「兵を養う軍資金が不足しております」
「余が支払おう。リンに伝えておくがよい」
「それはもう」
うまく歯車が噛み合った。
父は娘に金や権力を与え、娘に愛されていると思いこむ。
娘は父の金や権力を受け取り、生き残る為の力を蓄える。
全員が幸せになれる選択肢だ。……私がとても罪悪感を覚えるという、ただ一点を除けば。
しかし他に方法がない。リン王女が生き残る為には、ツバイネル公に匹敵する軍事力が必要だ。なりふり構っていられるか。
「では陛下、これからもリン殿下には目をかけてくださいませ」
「ああ、わかっておる」
国王はようやく、少しだけ笑顔を見せたのだった。




