第23話「転生の秘密」
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私はリン王女の興奮を鎮める為に、少し身の上話をすることにした。
「魔女の秘術って、そんなにいいもんじゃないのよ」
「そうなのか? 私には凄くうらやましいんだが」
その気持ちもわからなくはないけど。
「魔術も剣術や馬術同様、習得に時間がかかるの。例えば剣術の場合、基本的な動きを身につけてある程度実戦で使えるようになるには半年ほどかかるわ。魔術も同じよ」
私の場合、脳の発達に伴って前世の記憶と知能がだいたい回復したのが三歳頃。母が亡くなったのが六歳のときなので、三年足らずしか修行していない。
「ひとつの秘術を失敗せずに確実に使いこなすには、何ヶ月もの修行が必要よ。占いの類は間違った予言を引き当ててしまうと致命的だし、護身用の術も実戦で一回失敗すればそのまま死ぬわ」
七割ぐらいの成功率でいいのなら、数日でマスターできる術もある。
しかし七割程度では失敗したときの対応を常に考慮せねばならず、他の手段に頼った方が確実だ。
命を預ける術には百%に近い信頼性が求められる。
リン王女はまじめな顔でうなずく。
「なるほど。軽い気持ちで習得できるものではない、ということか」
「そうね。どうせ真剣に学ぶのなら、数学や語学の方がいいと思うわよ。おおっぴらに使えるし」
同じだけ学習に時間を費やす場合、学問や武術の方が絶対に利益になる。魔女の秘術は個人の自衛を目的としたものなので、応用できる範囲が狭い。
「だから勉強してね、殿下」
「はぁい」
割と素直にリン王女は私の言葉に従った。
と思ったら、また顔を上げて私を見る。
「ねえ、ノイエ殿」
「今度はなに?」
「ノイエ殿の母上は女魔術師……つまり魔女だったのだろう? どんな人だったんだ?」
「あら、興味あるの?」
するとリン王女は少し照れくさそうに、こう答える。
「貴族の嫡男と恋に落ちた魔女なんだから、興味はあるよ」
ははあ、男の子っぽくてもやっぱり年頃の女の子なんだな。少し安心した。
「教えるのは別に構わないんだけどね。ロマンチックな話を期待するとガッカリするわよ?」
「そうなのか?」
「私の母、魔女イザナは父を利用する為に近づいたのよ。父の血筋が大事だったみたい」
リン王女はガッカリするどころか、グイグイくいついてきた。
「貴族の血筋を?」
「えーと……まあ、そう考えてくれてもいいわ」
実際は少し違うが、これは誰にも明かせない秘密に属する。
母が父に求めたのは、異世界から「力ある魂」……要するに転生者を呼び寄せる為に最適な遺伝子。魔女の秘術の中でも最高位に位置する、禁断の秘術だ。
だから母は、魔女イザナは私が転生者だと最初から知っている。知った上で、私を育ててくれた。
リンが恐る恐るといった感じで、私に問いかけてくる。
「ノイエ殿はそんな理由で生まれてきて、母上を恨まなかったのか?」
「別に母を恨む気はないわ。だって母は父を本気で愛してしまって、怖くなって逃げ出したのよ」
「本気で愛して怖くなる?」
リンが首を傾げる。
「よくわからないな……。本気で好きになったのなら、そのまま一緒にいればいいだろう?」
「そう思えるのは、あなたが子供だからかしらね。それとも、あなたがとてつもなく勇敢だからかしら?」
私は微笑み、それから窓の外を眺める。
「自分がそこにいることで、一番大事な何かを壊してしまうかもしれない。そう思ったとき、そこに踏み留まれる人ばかりじゃないわ。母は自分が父を利用していることに耐えられなくなったのよ」
歪な、だが偽りのない愛情だ。
「母は占い師をしてたけど、それは表の顔。実際は旅先で女性の悩み相談に乗っていたの」
「悩み相談?」
リンにはよくわからないらしいので、私は言葉を選んで説明する。
「テザリアは男尊女卑が強いでしょ。貴族や豪商でも、自分の妻や娘を男性の医者には診せないという連中が多いわ。でも女性の医者なんて滅多にいないから、魔女に頼んで診察や治療を受けるのよ」
「なるほど……」
私は溜息をつく。
「母は薬師でもあったから、悲惨な光景を山ほど見てきたみたい」
不義の子を堕胎させようとする男と、それを拒むことのできない女。
夫の暴力に耐えかねて毒殺を計画する妻。
そういった人々が魔女イザナの薬を買い求める。
そんな世の中に嫌気が差したイザナは異世界からの転生者を召喚し、このテザリア社会を変えようとした。異世界の知識を持つ転生者に魔女の秘術を授ければ、一国すら動かす力を持つと思っていたらしい。
「父を利用して、この国を変えようと思ったんでしょうけど……」
もちろん無理な話だ。召喚できたのは二十一世紀の日本に生きていた、ごくごく平凡な一般人の魂。
魔女の秘術も十分に授ける期間がなく、魔女イザナはあっけなく死んだ。秘術の副作用、転生者の魂を召喚した代償だという。
「結局最後は野心を捨て、私の養育に人生を捧げて亡くなったわ」
彼女は幸せだったのだろうか。私にはわからない。
私は小さく溜息をつき、それからリンに微笑みかけた。
「魔女の秘術を使う者はみんな、どこかしら不幸を背負っているのよ。というよりも、心に傷や欠落がある者だけが秘術の適性を持つの」
だから強力な魔女はだいたい心の病を抱えていたり、深いトラウマに苦しんでいたりする。
私の場合は転生そのものが強いストレスになっているようで、秘術の行使には何の問題もなかった。
リンの適性はわからないが、ひとつだけ言えることがある。
「あなたも不幸を背負っているけど、魔女の秘術は必要ないと思うわ。あなたには魔法より強い力があるもの」
「そうか、確かにそうだな」
リンは力強くうなずき、笑顔で応じる。
「私にはノイエ殿という、強い味方がいる。ノイエ殿の言葉を信じて、これからも励むことにしよう」
純粋でまっすぐな瞳に射抜かれ、私は一瞬言葉を失う。
なんて目で私を見るんだろう、この子は。そんなに信用されたら、応えるしかないじゃない。
「そうしましょう。あなたにはまず、政治家や軍司令官としての知識が必要だわ。十万の兵を手に入れても、それを養って戦場でうまく使いこなすには相応の才覚が必要よ。それこそ十万人に一人ぐらいのね」
「なるほどな。わかった」
十万人に一人レベルの水準を求められて、全く物怖じせずにうなずくリン。
もしかすると、我が王女様は凄いのかもしれない。期待しよう。
こうして再び、テオドール郡での領地経営の日々が始まった。
そして予定通り、暗示にかかった国王グレトーが動き出す。
「国王陛下の行幸ですと!?」
宿場町の顔役たちが目をまんまるにしているので、私は笑ってごまかす。
「ここの領主のリン殿下は陛下の実子だもの、娘の顔を見に来ることもあるわ。特に今回は、新しい領地の経営がうまくいっているかを視察なさるおつもりじゃない?」
「で、ではこの宿場町にも……?」
「もちろん」
我々が今一番力を入れているのが、街道の整備だ。旅人たちを呼び寄せて収益を上げ、農業収入との二本柱で稼ぎまくる。
「陛下はリン殿下にとても期待しておられるわ。そのリン殿下の領地で、もし何か不都合があれば……」
私は流し目で一同を見て、それから剣の柄頭をトントンと指先で叩く。顔役たちがゴクリと唾を呑んだ。私は本気だ。
一転して、私は明るく笑ってみせる。
「普段通りの姿を陛下にお見せすればいいわ。あなたたちのおかげで、テオドール郡は今や旅人たちの憩いの地になりつつあるもの。全てあなたたちの功績よ」
「ど、どうも」
「もったいないお言葉で……」
世話役たちは軽く頭を下げ、それからチラチラとお互いに目配せしてから一斉に声を上げた。
「陛下のお泊まりはぜひ、テオドール最大の我が『麦穂館』に!」
「何を言う、一番由緒ある『銀月屋』に決まってるだろう!」
「バカ言え、郷士の流れを汲む『双剣亭』でないと失礼だ!」
私が口を開く前に、顔役たちは互いに睨み合う。
「お前んところは飯がマズいんだよ! パンぐらい本職の職人に焼かせろ! それにいかんぞ、あの酸っぱいワインは!」
「大きなお世話だ! ベッドにシラミが湧くような宿よりマシだろうが!」
「それよりお前ら、従業員の教育ぐらいきちんとしろ! なんだあの口のききかたは!」
他の顔役たちも黙ってはいない。
「ノイエ様! 私んとこは若い娘を何人も雇っております! 陛下のお疲れを癒すにはうってつけですよ!」
「うるせえ、お前んとこはもう娼館同然だろうが! 私の宿は元宮廷料理人を雇っておりますので……」
「嘘つけ、あいつのは北テザリアの田舎料理ばっかりだろうが!」
もうグダグダだ。
私は少し考えてから、用意しておいたリストを一同に見せた。
「陛下の行幸は随行員が多いから、分散して各宿に泊まってもらうわ。侍従長や近衛隊長、それに侍医長や侍女長なんかもいるから、この機会にコネをしっかり作っておくのね」
彼らは国王に直接仕えている人々だ。領地こそ持っていないものの、下手な貴族より偉い。
「その代わり、国王陛下はリン殿下の館に泊まっていただくわね。警備上の理由だから文句言わないのよ。いいわね?」
「わかりました」
彼らは素直にうなずくと、リストを囲んでわいわい言い始めた。
「わしんとこは侍医たちか……」
「不満なら侍女たちと交換せんか? うちの婆さんの具合が悪いんで、ついでに診てもらいたいんだ」
「待て待て、俺んとこに来る護衛の連中も入れて三角交換しよう。上の娘が宮廷に奉公したいと言っててな、侍女たちとコネを作っておきたい」
なんか勝手な相談してる……。




