第21話「父子の対立」
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【暗殺者エリザ視点】
「ふむ……」
我が主はしばし黙考し、それからこう言った。
「なかなかのやり手ではある。だが野心が感じられん」
我が主は粗悪な紙に安物のインクで、「アパディス産の塩漬け肉」「五号釘七本」などとメモを記していく。全て暗号だ。
紙やインクが劣悪なのも、記した人物の身分を誰かに悟られない為だ。上質な紙やインクを使えば、貴族が書いたものだとすぐに露見する。
今日は発言しても大丈夫そうな雰囲気なので、私は自分の意見を述べる。
「領地経営に力を入れているということは、テオドール郡の小領主で満足ということでしょうか」
「いや」
即座に否定された。
我が主はまた無言になり、メモを取る。あの暗号が何を意味しているのか、私も部分的にしか知らない。もし全て知れば殺されるだろう。
我が主はそういう人物だ。
私は再び黙り、我が主の挙動を見守る。
暖炉で薪がはぜる音だけが室内に響き、私は沈黙のうちにいろいろ考える。
我が主は今、リン王女が国王の手札としてどのように切られるか、様々な状況を検討しているはずだ。
と同時に、リン王女やその側近がどのように動くかも考えている。彼女たちは彼女たちで、自分の人生を生きている。国王の思い通りにはならない。
それだけに考えることは多岐にわたる。
そんなところだろう。
やがて我が主が不意に口を開いた。
「警戒せねばならんな」
「はっ」
どうやら監視を続行するらしい。リン王女の暗殺は……さすがにもう無理だろう。「六つ名」になり、テオドール郡の領主にもなった今、リン王女を殺害すれば大事になる。
我が主が私の思考を見透かしたようにつぶやく。
「証拠を残さずとも、誰が殺したかは皆が気づく。口に出して言う者はおるまいが、血塗れの我が手を皆が見ることになるだろう」
「はっ」
今この状況でリン王女を暗殺する理由があるのは、我が主の勢力だけだ。もし本当に事故や病気でリン王女が死んだとしても、確実に我々が疑われる。
「生者を死者に変換することは、お前の力をもってすれば容易だ。しかし死者を生者に復帰させることは誰にもできぬ。不可逆的な反応を起こすときは、慎重にも慎重を期せねばならん」
「はい、御前」
私への戒めなのだろう。私は頭を下げる。
「では私は当面、リン王女の監視を務めます」
「よろしい。お前には期待している」
「はっ」
あれ? もしかして今、誉められたのだろうか?
だとしたら、今日はとてもいい日ということになる。
私は我が主の顔をチラチラ見てみたが、深い皺が刻まれた横顔からは何の表情も読み取ることはできなかった。
誉められた……のだろうか?
気になる。
だがぐずぐずしていてはお叱りを受ける。今は悩んでいないで仕事をしよう。
ちゃんと誉めてもらう為にも。
* * *
「おい、エバンス、ジョッシュ! そっち行ったぞ、左翼騎兵突撃! 一気に叩け!」
ベルゲン団長の怒声が響くと、騎馬傭兵たちの動きが目に見えて鋭くなる。的確な指示と、それを瞬時に実行する手腕。プロの仕事だ。
今、私たちは街道沿いに出没する盗賊団を討伐している。
治安の悪いこの世界では、都市の城壁から出れば無法地帯だ。
「盗賊と村人の区別が曖昧なのも、ちょっと困ったもんよねえ……」
山菜取りの感覚で山賊行為を働く連中もいるので、遵法精神も何もあったものではない。
とにかく取り締まってやめさせないとダメだ。
旅人の財布から銅貨を貰うのは我々なのだから。
そのうちに森が静かになる。どうやら片づいたらしい。ベルゲンたちが戻ってくる。みんな無傷だ。
「ノイエ殿、命令通り『適当に追い散らして』おいた。こちらの本気を見せつける為に槍でつついたが、死にはしてないはずだ」
「そう、ならいいわ」
全滅させる必要はない。それぐらい叩いておけば、数ヶ月はおとなしくしているだろう。
ベルゲンが簡単な報告をしてくれる。
「ありゃたぶん近所の農民だな。傭兵崩れとかじゃない。武装も動きも素人丸出しだ」
「農民にとっては旅人は客じゃないでしょうけど、小遣い稼ぎに山賊行為ってのは困るのよね。二度とバカな真似をしないように、しっかり痛めつけておかないと」
すると傭兵たちが笑う。
「あいつら泣きながら逃げ回ってたから、懲りたと思いますよ」
「棍棒もナイフも投げ捨ててな!」
「それにどいつもこいつも、背中が血塗れで真っ赤になってましたから
荒っぽい連中だ。
まあでもテザリアの価値観では、かなり丁寧な仕事と言えるだろう。私の前世の価値観では、この世界全体が荒っぽい。
だから私は苦笑する。
「御苦労様、いい仕事ぶりね。お手当を弾まないと」
「おっ、払いがいい旦那は好きだぜ」
ベルゲンがニヤリと笑ったので、私もニヤリと笑う。
「その為にも、街道の安全は守らないとね。引き続き街道の警備をお願いするわ。盗賊もそうだけど、密偵らしいのがいたら教えて」
「了解、代官様」
傭兵たちが馬上で一斉に敬礼した。
そこにリュナンが馬でやってくる。彼はアルツ郡の次期領主なのに、テオドール郡の領地経営を手伝ってくれている。
いいのかなと思うが、当人は領主として経験を積めるからと気にしていない。
「兄上、国王陛下からリン王女殿下に使者です!」
「あら、どういう風の吹き回しかしら」
あのネグレクト親父、娘に領地を投げつけてからは知らん顔をしていた。国王からは父親としての愛情を感じられない。
とはいえ、クソ親父でも国王だ。リン王女は従う義務がある。
「すぐに戻るわ。ベルゲン、後はお願い」
「任せときな、ノイエ殿」
急いで領主の館に戻ると、国王からの使者とリン王女が揉めていた。
「今は父上に会いたくないんです。それに領地経営を始めたばかりで手が空いてません」
「国王陛下のお召しですぞ!?」
「今までずっと放ったらかしにしておいて、今さらお召しも何もないでしょう! そんなに会いたかったら自分で来いと伝えてくれ!」
父親からの使者にあれだけ言えるのなら、リン王女は大丈夫だろう。しっかりした子だ。
ただ、相手が国王だということも忘れてはいけない。
「使者殿、ちょっとよろしいかしら?」
「あなたは?」
不思議そうな顔をしている使者に、私は微笑みかける。
「私はノイエ・ファリナ・カルファード。テオドール郡の代官よ。王女殿下の側近なの」
「ああ、あなたが噂の……」
どんな噂なんだろう。ちょっと気になったが、話を進める。
「王女殿下は初めての領地経営で大変お忙しいの。執務だけでなく、学問もあるし」
「そう仰られても困るんですが」
「だから私が御挨拶に伺うわ。前の謁見では同席しているし、問題ないでしょう?」
だが使者は渋い顔をする。
「陛下のお召しに代官殿では、私の役目が果たせません」
そりゃそうだろうけど、リン王女を説得するより使者を説得する方が楽なので私は畳みかける。
「リン殿下はテオドール郡の領主よ。殿下がここを動けない正当な理由がある以上、国王といえども領主の判断には敬意を払わなくてはならないわ。それは親子であっても同じ。でしょ?」
「それはまあ……確かにそうですが……」
領主が領地を治める為に必要だと判断したことなら、国王もあまり強くは出られない。
ましてやリン王女は国王の数少ない味方だ。領地を没収したりはできないだろう。
交渉の末、とうとう最後に使者は折れた。
「では後日、リン殿下にもお越し頂くことにしましょう。ひとまずノイエ殿はすぐに王宮にお越し頂けますか?」
「ええ、もちろん」
さて、何の用だろう?




