第20話「密偵」
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【密偵エリザ視点】
私は再び、カルファード領のサノー神殿に足を踏み入れていた。
神殿の建物は焼け落ち、石柱や石壁は非常に脆くなっている。建物はすっかり焼けているが、庭園や畑、それに裏手の墓地には被害はなさそうだ。
(随分『綺麗に』燃えているな……)
まるで建物の全焼を待ってから素早く鎮火したかのようだ。
建物の崩落に用心しつつ、私はフードの奥から焼け跡をじっと見つめた。
(やはりな)
私は焦げた床や壁を何度も確かめ、スッと目を細める。
(火元は祭具倉庫か。火の気のない場所が一番激しく燃えているということは、おそらく放火だな)
神殿で火災が起きるのは通常、台所や祭壇だ。日常的に火を扱う場所は火災が起こりやすい。
もちろん例外もあるので、私はもう少し検証を進める。
火の燃え広がり方がおかしい。火元が複数ある上に、壁が外側から燃えている。
やはり放火で間違いない。
それも偽装工作を知らない、素人の放火だ。プロの暗殺者ならもっとうまくやる。
私が確信を抱いたところで、背後からおずおずと声がかかる。
「あ、あの……神官様」
近くの村人たちだ。ここを案内してくれた。
私は自分の喉にそっと触れ、意識を集中させた。
(低く濁れ、我が声)
祈りと共に喉が熱くなり、私は低い男の声でしゃべり出す。
「うむ。これだけ燃えてしまっていては、当面使い物にならんだろう」
南テザリアの訛りを交えた、中年男性の声。清従教神官のフードを目深に被っているので、村人たちに私の顔は見えていないはずだ。
私はそのまま、中年男性の声でしゃべり続けた。
「サノー神殿に関しては、再建の見通しが立つまでこのままになるだろう。小作人どもも逃げ出してしまったようだしな」
その言葉に村人たちが微かに動揺している。曖昧な笑みでうなずいていた。
(逃げた小作人は、おそらくこいつらだな)
神官たちがいなくなったから、領主側に鞍替えしたのだろう。強い庇護者がいなければ農民は生きていけない。
神殿の件なら、私の主君がうまくやっているはずだ。清従教が困ろうが知ったことではない。
私はそのまま、中年の男性神官のふりを続ける。
「私が今日ここに来たことは領主殿には報告しても構わん。ただ、今回は内々の調査なのでな。挨拶はまた次の機会にとお伝えしてくれ」
「へ、へい」
さて、彼らがどう出るか。
元小作人たちが口封じに襲ってくるようなら、全員殺すしかない。たかだか四人程度の農民、殺すのに大した手間はない。
だが無駄な殺しは避けたかった。気の毒だし、死体を作ると後片付けが必要になる。
幸い、元小作人たちはおとなしかった。襲ってくる気配はない。
(教団を裏切った割におとなしいのは、彼らが追い詰められていないからかな?)
もし領主が元小作人たちをガッチリ庇護しているのだとしたら、彼らの態度も納得がいく。何かあっても領主が守ってくれると信じているから、よけいな争いを起こさないのだろう。
(だとすれば、カルファード家の手腕はなかなかだな……。警戒が必要か)
報告すべきことがひとつ増えたので、ちょっと嬉しい。
(しかしそうなると、御前の計画には少々不都合かもしれない)
最終的に決めるのは私の主君だが、主君が私に求めている役割は「目」ではない。「考える目」だ。
見たままを報告するだけなら誰でもできるが、重要な情報を見逃さず、さらに分析して報告する高度な任務を求められている。
(御前の厚遇に報いる為にも、ここは私が頑張らねば)
フードを深く被ったまま、私はサノー神殿の廃墟を後にした。
* * *
「サノー神殿に清従教の神官が来たらしいわ」
私は故郷からの手紙をリン王女に見せた。
リン王女は史学の教本から顔を上げ、手紙を読む。
「荘園を返せと言ってきたのか?」
「いえ、それが焼け跡だけ確かめて帰ったそうよ。妙だわ」
「そうかな? ただの調査だったんだろう?」
リン王女がのんきなことを言っているので、私は首を横に振る。
「教団にとって荘園は大事な収入源よ。信者の寄付だけでまかなえるほど、教団の財政は楽じゃないわ」
貴族からの大口の寄進もあるし、蓄えた金や土地を貸し付けて利益を得たりもしているが、農地からの収益は教団の財政にとって重要な柱だ。
「もともと自分たちのものだったのに、あっさり手放したりはしないわよ。土地は富、富は力だから」
今の我々には、不自然に見えるものは全て警戒する必要がある。知らないところで何かの陰謀が動いているかもしれないからだ。
「だから本物の神官たちは、もっとがめついわよ。土地を返せと言って、ベナン村の農地まで持っていきかねないわ」
「神に仕える身とは思えないな……」
「しょうがないわ。貧しい信者の救済にも、布教活動にも、財力はどうしても必要よ。貧乏で頼りない教団じゃ、信じる教義も実践できないもの」
清従教団が腐敗しているのは事実だが、やむを得ない部分もあった。
この世界には本物の魔法が存在するが、神官たちは魔法を使えない。私の前世と同じだ。
神の力の及ばない世界で神の威光を知らしめるのは楽ではない。世俗に介入する力が必要だ。どうしても金と権力が必要になる。場合によっては武力も。
私は腕組みして考える。
「その神官、最初はこそこそしてたらしいし、領主である父上にも挨拶していかなかったそうよ。どうも偽者っぽいわね」
偽者だとすれば、正体は何者なのか。さすがにそこまではわからない。
可能性として最も高いのはツバイネル公の手先だが、断定はできなかった。
ただ、神官に偽装した何者かがサノー神殿の焼け跡を調べていたのは事実だ。それだけで十分に警戒する必要がある。
「ツバイネル公の配下だとしたら、あなたはツバイネル公に相当警戒されてることになるわ。用心なさいな」
「用心って、具体的にはどうすればいいんだ?」
いい質問だ。どうしようもない。
「身辺警護は鉄騎団にやらせてるけど、着替えや清拭はユイと二人きりでしょ? そのとき暗殺者に襲われたら危ないわ。配下に女性の兵士がいないから仕方ないけど、なるべく手早くね」
「わかった。何ならノイエ殿が同席してくれてもいいぞ」
真顔でリンがそんなことを言うので、私は呆れる。
「私、これでも男よ?」
「ノイエ殿なら信用できる」
「う、うーん……」
そんなにきっぱりと断言されても困る。信頼されるのは嬉しいが、人として節度は守りたい。
それにリンが暗殺される可能性は以前より低くなっている。
以前は王族とはいえ、「二つ名」の補欠扱いだった。いや、補欠ですらない。テザリア姓を認められているだけの完全な部外者だった。
社会的な影響力はゼロに等しいし、あのときなら殺されても誰も気にしなかっただろう。
しかし今の彼女は、テザリア貴族でも最高クラスの「六つ名」。王女に相応しい格式を身につけている。徐々にその名も知られるようになった……はずだ。
形だけなのは相変わらずだが、彼女を暗殺すれば大事件になってしまう。世間の注目度が違うのだ。
リン王女が笑いながら上着を脱いでいる。
「ノイエ殿は男性なのに、妙な安心感があるな」
「言葉遣いと長い髪のせいでしょ……」
「いや。ノイエ殿には私を安心させる人徳があるんだと思う。ノイエ殿は他の人とは何かが違う。だから好きだ」
真顔で彼女にそう言われると、なんだか照れくさくなってしまう。
私はそそくさと彼女の靴下やシャツを拾った。
「嬉しいこと言ってくれるけど、あんまり心を許しちゃダメよ? 私は私、あなたはあなたなんだから」
「そういうところが信用できるんだ」
「そ、そう?」
だから真顔で言わないでってば。




