第19話「領地経営」
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鉄騎団の半分を迎えに出して待っていると、リュナンがリン王女を護衛してやってきた。
私は馬を並べ、リン王女を案内する。
「故郷にお帰りなさい、殿下。ここから見える全ての土地は殿下のものよ」
「何から何まですまないな、ノイエ殿。いつも本当にありがとう」
「どういたしまして」
自分でも「長靴を履いた猫」みたいだなと思う。
カラバ公爵……ではなくリン王女は、こうして無事に領主になった。
それはいいのだが、このお姫様はまた妙なことを言い出す。
「ノイエ殿に、領地の経営を全て委任する。テオドール郡全体の代官として思うがままにやってくれ」
「丸投げじゃない。まあいいけど」
リン王女は困ったように笑って、軽く頭を下げた。
「領地経営なら、ノイエ殿には確かな実績がある。ここは私の生まれ故郷、おじいさまたちが代々守ってきた大事な領地だ。大事な領地だからこそ、ノイエ殿にお願いしたいんだ」
「あら、そう言われちゃうと張り切っちゃうわね」
彼女は人をおだてるのがなかなか上手だ。意外と良い女王になれるかもしれない。
「どのみち領地の経営なんて雑用は王の仕事じゃないわね。殿下はまず歴史や神学や兵法を学びなさいな。モノを知らない王じゃ、正しい判断はできないものね」
「わかった」
それぞれに役割がある。私の仕事は領地から利益を得て、それで兵を養うことだ。
リン王女の付き添いは異母妹のユイに任せ、私は異母弟のリュナンと実務に取り掛かる。
そのリュナンが帳簿を調べながら、こんなことを言う。
「農業収入が少ないですね、兄上。アルツ郡よりだいぶ見劣りがします」
「小麦ばっかり作ってたら、そりゃそうでしょうよ」
テオドール郡は近くに王都という巨大な胃袋があるので、小麦さえ作っていればだぶつくことはない。
しかし小麦粉の相場は安定しているので、そこまで儲からない。農法も現時点の技術レベルの限界まで改良されている。技術革新が起きない限り、大きな飛躍は望めなかった。
「化学肥料でも作れたらいいんだけどねえ」
「何ですかそれ」
「調合で作る肥料よ。私には作れないけど、できる人がいたの」
前世の世界にね。
ないものねだりをしても始まらない。化学は無理でも、農学や経済学なら多少わかる。そっちで何とかしよう。
「カルファード領から何か作物を持ってこようかしらね」
「定着させるまでに何年もかかったんですよね?」
「そうなのよ。作物ごとに好きな土が違うから」
土壌の性質がテオドール郡とアルツ郡ではたぶん違う。それに気候も違う。こっちは寒い。
土壌の改良と生育方法の微調整が必要だが、あの面倒な作業をもう一度やっている時間はない。さっさと兵を整えて、王太子に対抗する軍事力を持たなくては。
「まあ農民たちの説得も大変だし、農業は現状維持でいいわ。今年の税も免除ね」
「いいんですか?」
リュナンが顔を上げたので、私は肩をすくめてみせる。
「農民たちは領主が代わったことで多少は不安を感じているのよ。リン王女がかつてのイメージ通りに良い人物だってことを、手っ取り早く理解してもらわないと」
それにこのテオドール郡、王都近くの街道筋に位置している。もっといい収入があった。
「前領主のシュベルン家が、街道に関所を作って徴税しているのよ」
「ああ、通行税で稼ぐんですね」
リュナンが納得したように手を叩いたので、私は首を横に振る。
「関所は廃止するわ」
「なんで!?」
「関所を避けた旅人が森で盗賊の餌食になったり、他の街道を通って旅をしたり、とにかく税逃れってのはみんな頑張るのよ」
帳簿を見る限り通行税の徴収額はそこそこだが、これは別のところでもっと払ってもらおう。
「それより領内の宿場を整備するわ。そうね、まずは洗濯場を増築しましょう」
「そんなお金にならないことして大丈夫ですか!?」
「大丈夫、お金になるのよ」
庶民の財布を気持ちよく開かせる方法なら、そこらの貴族よりは詳しい自信がある。
私は宿場町の顔役たちを呼び出し、次のように指示をした。
「今後、あんたたちの宿に泊まるお客には無料で洗濯のサービスをしてあげなさい。それと荷物の長期預かりもね」
「そんなことしてどうするんです?」
宿を経営する顔役たちが不安そうな顔をしているので、私は説明する。
「通行税の徴収をやめたから、今後はこの街道を通る人が増えるわ。無料の街道があるのに、迂回して山道を歩く馬鹿はいないでしょ。ただ、人が通るだけじゃお金は落ちてこないわよね」
「ええ、それは確かに」
「泊まってもらわないといけませんからな」
顔役たちがうなずいたので、私もうなずく。
「そうなのよ。そこで足止めのための洗濯サービスね。客は服が乾くまで出発できないから、滞在日数が延びるわ」
「あー、なるほど……」
「しかしそんなにみんな、洗濯しますか?」
顔役の一人が首を傾げる。
私の前世と違い、この世界ではあまり洗濯をしない。理由はいろいろある。洗い替えの衣類が足りない、衣類が傷む、水が貴重……。
だが私には勝算があった。
「テオドール郡は都に近いでしょう? 都に行く旅人は商人や役人に会う用事が多いから、汚れたままじゃ具合が悪いと思うのよね」
都に入る前に身綺麗にしておきたいと思うのは人情だ。薄汚れた格好だと都の富裕層に馬鹿にされるし、追い剥ぎや詐欺にも遭いやすい。
「で、洗濯ついでに預かり物もしてあげるのよ。身軽になりたいのが旅人の常だわ。ここに荷物を預けた旅人は必ずここに戻ってくるでしょ?」
「帰りも泊まってくれる、ということですか」
「ええ。ここならまた洗濯してくれるしね」
私も前世で長期の出張をしたとき、コインランドリーとコインロッカーにはずいぶんお世話になった。
「宿場町の発展に尽力して、前の領主のときよりも儲けさせてあげるわ。だからあんたたちも税金は納めなさいよ。その税収は宿場の発展にも使って、もっと儲けさせてあげる」
「そりゃいいですな」
「きちんとお納めしますので、ぜひよしなに……」
顔役たちが頭を下げる。
通行人から税を取るより、地元で商売をやっている連中から税を取った方が確実だろう。彼らにとって、脱税のリターンはリスクに合わない。領主に睨まれたら確実に破滅するからだ。
だから彼らを儲けさせてやって、その利益を彼らと分かち合おう。
宿場町の顔役たちが帰った後、リュナンが私に話しかけてきた。
「兄上、今度は宿場の税収で軍資金稼ぎですか?」
「ええ。農業で稼ぐには年単位で時間がかかるから間に合わないわ。付加価値のない作物は作りすぎても値下がりするだけだし」
私は窓辺に歩み寄り、館の外に広がる景色を見つめた。
「戦争は金がかかるわ。まともに戦える軍隊を買うには、まだまだ資金が足りてないの」
「戦争ですか……」
リュナンの心配そうな声に、私は苦笑してみせる。
「まだその気配はないし、そうならないに越したことはないけどね。ただ、今のうちに準備しておかないと悔いることになるわ。首が胴体から飛んで行く瞬間に悔いても遅いのよ」
そう言って、私は自分の首筋にトントンと手刀を当てた。
「避けられない死に直面したとき、誰もが人生をやり直したいと思うでしょう? でも今なら、いくらでもやり直すことができるわ。だったら今、手を尽くすべきよ」
リュナンは感心したようにうなずく。
「兄上のお言葉は妙に説得力ありますね」
「でしょ?」
避けられない死に直面した経験がありますから。




