第18話「意趣返し」
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リン王女の母方の実家、シュベルン家。この一族が治めるテオドール郡は、王都から一コーグ……つまり二十キロほど西にあった。
歩くには少し面倒な距離だが、馬なら並足で半日ほどだ。
そしてテオドール郡に着くなり、私の奮闘が始まった。
「私はリン・ランベル・ノイエ・ファサノ・テオドール・テザリア王女の代理人、ノイエ・ファリナ・カルファードよ。テオドール郡における全ての不動産と権限は、本日をもってリン王女のものとなったわ。退去なさい」
屋敷の門前で高圧的に宣言すると、もちろん領主はカンカンになって怒った。
「この卑しいオカマめ、どの口でほざくか! このテオドール郡はグルガン・イーツ・テオドール・シュベルンの土地だ! 失せろ!」
カルファード領のアルツ郡と同じぐらいの領地なのに、ここの領主は「四つ名」だ。立派な中堅貴族ということになる。
だが我がリン王女は、今や堂々たる「六つ名」の王族だ。こちらも思いっきり強気に出てやる。周囲はベテランの重騎兵たちが守っているし、怖いものなんかない。
王室発行の正式な書状を見せ、一気に畳みかける。
「あんたの姪が偉くなって帰ってきたのよ。邪魔だから出て行きなさい。命までは取らないわ」
「何だと……」
リン王女の伯父であるグルガンは、顔を真っ赤にして腰の剣に手をかける。額に光る「殺意の赤」は、赤紫色だ。
殺し合いなら望むところだが、私は一応警告した。
「領地召し上げは国王陛下直々の決定よ。楯突くなら一族皆殺しにされる覚悟はあるんでしょうね?」
「くっ……」
さすがに冷静になったようで、赤紫色だった光がスッと青くなる。
「だがノイエとやら、領地の没収には正当な根拠が必要だ。そんなものがどこにある?」
バカだわ。こいつ特上のバカ。
「あんたが『六つ名』の姫君を辺境の神殿に追いやったせいで、神殿ごと焼かれて死ぬとこだったのよ。暗殺者の集団に狙われてね。陛下はお怒りよ」
最後のは嘘だけど、娘を殺されかけて怒らない国王というのもどうかと思うので取り繕っておいてあげよう。国王の名誉の為だ。
グルガンから殺意が消えた。敵意の光だけでなく、顔色まで青くしてうめく。
「と、当時は『二つ名』に過ぎなかったのだぞ。シュベルン姓も名乗っておらんし、俺に保護の義務はない」
貴族というのはかなりのバカでも、弁だけは立つヤツが多い。弁論術が基礎教養だからだ。
とりあえず一蹴しておく。
「テザリア姓を名乗ってる時点で王族でしょ? 王族はテザリア貴族全員が忠誠を誓う相手よ。知らないの?」
「うっ……」
「形ばかりの『二つ名』のお姫様だと思ってたんでしょうけど、それが今は『六つ名』になってるのよ。六つ名を名乗れるのがどんな御方か、わかってるわよね?」
王妃や王子たち、王室の姻戚であり北テザリア最大の貴族でもあるツバイネル公など、国王の代理人を務められる者だけが「六つ名」を許される。
ただしリン王女の場合、六つの名のうち三つが単なるお飾りだ。残る三つのうち、二つがテザリア姓とファーストネーム。
実権を伴う名は、テオドール郡の支配者であることを証明する「テオドール」だけ。
実権を伴う名前は他の貴族が使用していることが多く、新設するにも時間がかかる。だから急いで名前を増やそうとすれば、こうなるのは当たり前だった。
だからこそ、この領地は絶対に奪い取る。兵を養うには領地が必要だ。
私は背後の鉄騎団に命令する。
「こいつは王族に対する不敬罪を犯した罪人よ。ここから追い出しなさい。抵抗するなら殺しても構わないわ」
リン王女が「テオドール」の名を賜った以上、これぐらいしても許される。国王の決定により、テオドール郡の支配者は交代したのだ。
重騎兵たちが軽やかにグルガンの背後に回り込み、騎兵槍の穂先で彼を取り囲む。グルガンが剣を抜いた瞬間、重騎兵たちは躊躇なく串刺しにするだろう。
私はもう一度、彼に選択の機会を与えた。
「今すぐ荷物をまとめて出て行くのなら、手荒な真似はしないわ。リン王女殿下は慈悲深いから、家財一式持ち出すのも許可してくれてるわよ?」
さすがに無一文で貴族を放り出すのは封建社会のルールに反する。貴族の威厳を傷つけていると、いずれ平民たちが貴族を軽んじて牙を剥くようになる。体面を傷つけない配慮は必要だ。
まあそれも、こいつが素直に言うことを聞けばの話だが。
私は最後に笑顔で問いかける。
「それともやっぱり、一族皆殺しの方がいいのかしらね?」
「くっ……」
四十騎近い騎兵を連れている私に対して、グルガンには数人の衛士しかいない。おまけに平時だから軽装だ。本格的な戦闘準備をしている傭兵たちが相手では、全く勝負にならなかった。
とうとう最後に、グルガンはうなだれる。
「わかった……明後日の昼に出ていく」
「明後日ね。いいわ」
本音を言えば、もう少し早く出ていって欲しい。二日あれば郷士隊を組織してこちらに対抗することもできてしまう。
しかし貴族の家財道具を運び出すのは大仕事だし、二日は欲しいだろう。認めない訳にはいかない。
「行くあてはあるの?」
「妻の実家に身を寄せるしかないだろう。もう放っておいてくれ」
苦々しげに言うと、グルガンは衛士たちに付き添われて屋敷に戻っていった。
私は近くの宿場町に鉄騎団と共に滞在し、軽騎兵を伝令としてリン王女に送る。残りの軽騎兵は警戒と監視に充てた。
リン王女とは直接対面させない方がいいので、屋敷の接収までは私が全て指揮することにする。
「まずは近隣の村々を回って、有力者たちにリン王女の凱旋を伝えないとね」
「情報をばらまくのか、ノイエ殿?」
ベルゲン団長の問いに私はうなずいた。
「リン王女殿下はここの出身だから、領民たちは殿下の素直な人柄を知ってるわ。その彼女が国王陛下の後ろ盾を得て、『六つ名』の堂々たる領主として帰還するのよ。当代のグルガンに忠義立てして王女殿下に反抗する理由はないでしょ? グルガンは実妹と姪を追い出すような冷酷な男だし」
「なるほど。そう言って説得して回る気か」
ベルゲン団長は深くうなずき、ニヤリと笑った。
「よし、あんたの演出に一役買おう。重騎兵の中でもとびきり威圧感のある連中を連れていってくれ」
「あら、ありがと。またお給金弾まなくっちゃ」
私とベルゲン団長は笑い合う。
そして二日後。
「潔く出て行ったわね」
ガラガラと馬車が去っていく。使用人の一部も屋敷を去るようで、馬車の前後を歩いていた。
馬車を見送った後、私は背後を振り返る。
「で、なんであんたがここにいるのよ?」
シュベルン家当主グルガンが、ガックリと地面に座り込んでいた。
「離縁された……」
どうやら妻子に見放されたらしい。
リン王女から聞いた話では、グルガンの妻子はリン王女とそこそこ良好な関係だったと聞く。しかしグルガンだけがリン王女の追放を強硬に主張し、当主の権限でリン王女を辺境の神殿に追い払ってしまった。
そして今回このような事態を招いたので、奥さんと子供たちが怒ったらしい。
奥さんにしてみれば、子供たちが領主になる未来が奪われたのだ。原因は夫のやらかしたことにあるので、矛先は当然そちらに向かう。たぶん夫婦仲も今ひとつだったのだろうなと勝手に想像する。
私は肩をすくめるしかない。
「自業自得ね」
グルガンは畑の柵にもたれたまま、空を見上げている。
「もういっそ殺せ……」
「自分でおやりなさいな。私は暇じゃないの」
私は懐をごそごそやって、金貨の入った小袋を放り投げた。
「どこかの神殿にそれを寄付して、住まわせてもらいなさいな」
清従教の神殿に全財産を寄付すれば、神殿の住み込み雑用係として生活させてもらえる。
寄付額が高ければ待遇も良くなり、お客様扱いになる。サノー神殿にいた頃のリン王女も要するにこれだ。
グルガンは金貨袋を手に取り、よろよろと立ち上がる。
「意趣返しという訳か」
「あんたに興味はないし、そんなつまらないことしてるほど暇じゃないのよ。領地を没収された上に王室から睨まれてる貴族なんて、世俗の者は相手にしてくれないでしょ」
世間から弾き出された者を拾ってくれるのは、神殿か犯罪組織ぐらいなものだ。どちらも「世間」の枠の外にある。
グルガンは私をじっと見て、ぼそりとつぶやいた。
「後悔するぞ」
私は笑う。
「楽しみにしてるわ」
リン王女には私の心を動かすだけの器があった。しかしこの男には何もない。妻子に見捨てられるような男だ。
それに利用価値もない。リン王女を狙う連中にとっても、こいつに利用価値はほとんどないだろう。返り咲くのは無理だ。
こうして領地を奪われたグルガンは、ひっそりとテオドール郡を去った。
後に私が調べたところ、辺境の神殿で静かに隠居生活を送っているようだ。
貴族のこんな末路も、このテザリアではよくある話だった。
もちろん他人事ではないので、せいぜい私も気をつけるとしよう。




