第17話「謁見」
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私が謁見の間で溜息をつきながら控えていると、やがて国王グレトーが厳かに入室してきた。四十代ぐらいのおっさんだ。どうということのない風貌をしており、黒い髪以外はリン王女にあまり似ていない。
そして思った通り、侍従や官僚をほとんど同伴していない。書記官と衛兵だけだ。
「ええと……」
国王の第一声がこれだ。娘の名前を覚えていないらしい。
すかさず書記官がフォローに入る。
「リン・ランベル・ノイエ・テザリア王女殿下。こちらがテザリア連邦王国国王、グレトー・フォマンジュ・バル・ヴェスカ・ウルグ・バルザール・テザリア陛下におわします」
書記官のさりげないフォローに、国王が重々しくうなずく。
「うむ」
うむじゃないよ。娘の名前ぐらい覚えておきなさいよ。
「リンよ、こうして会えたことを嬉しく思うぞ」
何をしらじらしい。
私はリン王女が逆上しないか不安だったが、もういっそここで怒りをぶつけても良いかもしれないと思っていた。フォローのしようはある。
しかし意外にも、リン王女はまんざらでもなさそうな顔だ。はにかみつつ、膝をついて礼をする。
「お久しゅうございます、父……いえ、陛下。リンにございます」
「うむ」
私はリン王女の小さな背中をじっと見つめ、あっけに取られていた。
怒らなくていいの?
困惑している間にも、謁見は進行していく。
「リン。『四つ名』のそなたに新たな名を授ける。以降は『ファサノ』の名を付け加えるがよい」
テザリア語で「ファサノ」は「機織り職人たちの長」を意味する。古代の官職のひとつだ。
日本にも「刑部」や「神部」などのように律令時代の官職が名字として残っているが、それと全く同じだ。「ファサノ」は「織部」に相当する。
だから今のリン王女は、「リン・ランベルの守・ノイエ・織部・テザリア」といったところか。
織部姓と同様、ファサノも伝統と格式ある名に過ぎず、実際の権限はない。本当に機織り職人たちの長を務めさせるつもりもないだろう。都市ごとに機織り職人の組合がある時代だ。
だからリン王女は「ランベル」という旧国名をもらったときと同じように、また無意味な名前をもらったことになる。
リン・ランベル・ノイエ・ファサノ・テザリアとなったリン王女は、恭しくお辞儀をする。
「ありがとうございます、陛下」
「うむ」
国王は立ち上がると、そのまま退室しようとした。
もう終わり? クソ親父として娘に何か言うべきでしょ? というか、まず詫びろ。土下座しなさい。
いろいろ言ってやりたいが、今の私は王女の従者に過ぎない。身分も低いから、発言も一切許されていない。
ここでの無礼は王女とカルファード家を危険に曝す。
しかしこのままでは、あまりにもリン王女が気の毒だ。それにリン王女を守る為には、領地なり軍権なりの役立つ力が必要だった。何の実権もないお飾りの名前ひとつではどうしようもない。
するとそのとき、リン王女が声を発した。
「あのっ、陛下!」
さすがに国王も立ち止まり、ちらりと振り返る。
「何だ?」
そっけない父親の態度にもめげず、リン王女は一生懸命に言葉を紡ぐ。
「こ、此度の件では、こちらのノイエ・ファリナ・カルファード卿に命を救われ、長らく世話になっております!」
「うん?」
心底どうでも良さそうな顔で、国王がこっちを見た。しょうがないので頭を下げる。心の中では「クソ親父」とつぶやく。
リン王女は必死に私の功績を讃えてくれる。
「ノイエ殿は我が恩人、王室の恩人です! 私には何の権限もありませんので、どうか陛下より恩賞を賜りますようお願いいたします!」
前々からこのことを頼むつもりだったのだろう。リン王女の言葉はスラスラと出てきた。
国王は軽く溜息をつき、こちらに向き直る。書記官がすかさず何か書類を差し出した。
それをチラリと見てから国王はうなずく。
「『三つ名』を許したはずだ」
「たったそれだけでは、テザリア王室は何と酷薄なのかと貴族たちが嘆きましょう」
リン王女が食い下がると、国王は眉をひそめた。
「お前ごときが王室を語るでない」
「しっ、失礼いたしました!」
頭を下げるリン王女。見ていて気の毒で、こうなったらもう無礼を承知で国王に一言言ってやろうかと思う。
だが国王はこう続けた。
「まあよい。リン、そなたにシュベルン家の領地・テオドール郡を与える。『テオドール』の名も与えよう。好きなように切り取って、その者に報いてやればよい」
シュベルン家? テオドール郡? 聞いたことがあるような……。
しかしリン王女は慌てる。
「シュベルン家は母の実家で、すでに伯父上が相続なさっています! その領地を私に与えるというのは!?」
「もう外戚はこりごりなのでな。取り潰す」
国王は視線を前に戻すと、そのまますたすたと歩み去ってしまった。
おいおい。
私は心の中で、もう一度深い溜息をついた。
この王に玉座を預けておくのは確かに良くなさそうだ。引きずり下ろすしかない。
いずれは。
こうして私は王宮の客室で溜息をつくことになったが、新しくもらった領地についてリン王女に聞いておく必要があった。
「殿下、テオドール郡ってのはあなたの故郷よね? どこにあるの?」
「首都から西へ1コーグほどの場所にある。領地は少ないが、西への街道筋にあって軍事的にも経済的にも重要な土地だ」
テザリアでは王都周辺の領地は細かく分割されている。王都に近いだけで政治活動に有利だし、土地の格式も高いとされるからだ。広大な土地を与えなくても家臣は喜ぶ。
それに小領主ばかりにしておけば、単独で謀反を起こされても怖くない。
反面、王都の防衛という点ではまるで頼りにならないので、用心深いのも善し悪しだと思う。
そのシュベルン家の領地であるテオドール郡をもらうことになったリン王女、つまりリン・ランベル・ノイエ・ファサノ・テオドール・テザリアは、困ったような顔をしている。
「こんな形で領地を奪うことになって、伯父上に何と詫びれば良いのか……」
「妹と姪を追い出した外道に相応しい報いが訪れただけよ」
リン王女の伯父には悪いが、領主になればリン王女は格段に力を増すことになる。
領内では領主が一番偉い。領内では国王ですら客人でしかなく、正当な理由なしに処罰することもできない。……ということになっている。一応。
「ただ問題は、自分の領地にいるシュベルン家当主をどうやって追い出すかよね」
なんせ正当な理由なしに処罰することができないのだから、国王の気まぐれで領地没収はできない。王といえども法には縛られている。
「あんたの父親、やっぱクソ野郎だわ」
「父上の悪口はやめてくれ。今日、やっと話ができたのだ。それはまあ、確かにあれはひどいと思ったけど、それでもやっぱりな……」
リン王女の横顔は、少し照れくさそうだった。
あんな父親でも、会えば多少は嬉しいものらしい。私には理解できないが、それが子供というものなのだろうか。
私は国王の悪口はやめにして、シュベルン領をどうやって分捕るかを考えた。国王のお墨付きは得られているから、要するに勝手にやれということなのだろう。
一応、リン王女に聞いておくか。
「殿下、伯父の領地を分捕る算段はついてる?」
「いや、どうするべきなのか全くわからない。自分が正しいと思えないときは、どうにも知恵が働かない」
善良で正直な王女だ。やっぱり嫌いになれない。
「じゃ、私に全部任せてね」
ここは薄汚い大人として、一肌脱ぐことにしよう。
外に出た私は、王宮前の広場で暇そうにしているベルゲンたち鉄騎団の傭兵に声をかける。
「全員私についてきなさい」
「戦か?」
何かを感じ取ったらしく、ベテラン騎兵たちは完全武装のまま愛馬にまたがる。
私も自分の馬に乗ると、腰の剣を確かめながら返事した。
「領地を奪いに行くわよ。綺麗にやるつもりだけど、一応殺される覚悟はしておいて」
「わかった」
殺す覚悟の方は、今さら言うまでもない。
彼らは戦争の犬だ。そして私も。
「鉄騎団、出陣よ」




