第15話「幼少期」
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* * *
【異母弟リュナン視点】
兄上が退出した後、僕は父上の書斎でお話を聞く。
「ノイエは昔から、よくできた子でな。前にも話したことがあるが、コルグ村で流産や幻覚などが頻発する奇妙な疫病が起きたときにも、いち早くそれに気づいた」
「はい、父上。『麦角病』の件ですね。原因が麦の異変だと見抜いた兄上は本当に博識です」
病気になった麦、「麦角」を食べることで村人たちが深刻な病に罹っているのを、兄上はすぐに気づいた。
コルグ村の麦畑をいったん全て焼き払い、領内の他村から小麦粉と種籾を調達するという思い切った方法で、コルグ村に蔓延していた病気は綺麗に消え去った。
「そうだ。私がノイエにいずれベナン村の代官をやらせようと思ったのも、あのときにノイエの知識と決断力、それに実行力を認めたからだ。そしてあの子は私の期待を遥かに超えて、代官として立派にやってくれている」
「はい、父上」
僕も兄上の凄さについて高速でまくし立てたい気持ちを、ぐっと押さえつける。今は父上のお話を聞く時間だ。
父上は僕の心情を察したのか、軽く苦笑した。
「そうだ。そしてお前が知っている以上に、ノイエの功績は他にもいろいろあるのだよ。カルファード領の四村の農業に、それぞれ特色があるのは気づいているな?」
「はい。それぞれの村に独自の作物がありますね。甘芋とか」
城館に一番近いジオ村では、遠方から取り寄せた甘芋を栽培している。砂地でも育つ救荒作物だが、保存食やおやつに大人気だ。市を開くと他村の者たちがまとめ買いをしていくぐらいだ。
他にも貴重な薬草の栽培をする村、珍しい果樹を植えている村、それぞれに特色があった。
「あれはノイエの発案だ。麦角病の件もそうだが、麦ばかり作っていては凶作や疫病に弱い。救荒作物が必要だという話だったのだが、試行錯誤しているうちに脱線した」
「脱線ですか?」
父上がクスクス笑う。
「あいつと仕事をしていると実に楽しくてな。お前もそのうちわかる」
わかりますとも。兄上は本当に凄い人ですから。
「カルファード領で栽培できて、なおかつ需要がありそうな作物をいくつか見つけてな。せっかくなので村ごとに分けようとノイエが言い出した」
普通に考えれば、全ての村に全部の作物を植えさせる方がいいような気がする。
「なぜですか?」
「理由は三つだ。一つ目は効率。土作りや用地確保を考えると、一ヶ所でまとめて栽培する方が効率がいい。栽培技術の秘密も守りやすくなる。二つ目は経済だ。お互いの村の作物を取引するようになり、金の流れが生まれる。金は常に巡らせるのが領地経営のコツだ」
僕はまだまだ勉強中の身なので、新鮮な驚きをもってそれを聞く。
「最後の理由は自尊心だな。村ごとに独自色が生まれて村人たちが自慢の種にする。『こんな珍しい作物を作っているのは俺たちの村だけだ。俺たちの村は素晴らしい』とな」
「それはそんなに大事なことですか?」
すると父上は笑う。
「貴族だって名前の数や一門の歴史で互いに張り合っているではないか。農民も同じだよ。そういったものが心の拠り所になり、困難に立ち向かう力になるのだ。この効能には、いささか危うさもあるがな」
「なるほど……」
納得した僕は、ふと妙なことに気づく。
「でも父上、新しい作物の栽培を軌道に乗せるのは大変ですよね?」
「ああ。定着して十年ほどになるが、どれも何年もかかった」
計算が合わない。
「麦角病の件も僕は直接見てないんですけど、そのとき兄上はお幾つだったんですか?」
すると父上は事も無げに言う。
「どちらもあの子が十歳になる前の話だよ」
「そんな歳でですか!?」
僕が十歳の頃なんて、兄上に甘えて遊んでもらってばかりいた。
あまりの差によろめくと、父上が慰めるように言葉をかけてくれる。
「あの子が傑出しているだけで、私だって十歳の頃は遠乗りばかりしていたものだ。心配しなくていい」
じゃあやっぱり兄上が凄いんだ!
「じゃあやっぱり兄上が凄いんですね!」
「そういうことだよ。まるで生まれる前にどこかで学問でも積んできたかのような……。いや、それだけイザナの養育が素晴らしかったのだろう。麦角病も旅先で見たと言っていた」
父上は兄上の実母の名を挙げ、しみじみとつぶやいた。
「イザナが何か目的があって私に近づいたことは、私も気づいている。だがそれはそれとして、ノイエは素晴らしい息子だ。お前の頼もしい右腕となってくれるだろう」
「そんな、僕が兄上の右腕になりたいのです!」
「ノイエがそれを許すまい。あの子はああ見えて、とても真面目な性格だ。己の栄達の為に家中の序列を乱すなど、決して許さんだろう」
そこがもどかしい。兄上さえ許してくれるのなら、僕が兄上の補佐としてカルファード家を盛り立てていくのに。
そう、僕と兄上の二人で。
そんなことを考えていると、父上が軽く溜息をつく。
「お前はもう少し兄離れして自立しなさい。家督を継ぐのはお前なのだし、ノイエにはノイエの人生がある」
「……はい」
偉大すぎる兄がいると、自分がどうしていいのかときどきわからなくなる。
兄上の子分をやってるのが、一番気楽なんだけど……。
* * *
「リュナンが気持ち悪い?」
私はリン王女の言葉に首を傾げる。
「あの子、とても真面目だし優秀よ?」
「いや、それはわかるんだが」
リン王女は眉間にしわを寄せる。
「ノイエ殿にべったり過ぎないか? あれではまるで……」
「まるで何なのよ。次期当主の悪口は殿下でも許さないわよ」
領主の土地にいる以上、例え王族であっても領主の客分に過ぎない。そしてここはカルファード領であり、リュナンは次期当主だ。
リン王女はすぐに謝った。
「すまない。ただどうにも苦手で」
「殿下もリュナンも良い子なのに、仲が悪いのは困りものねえ」
「いや、信頼はしているし立派な人物だと尊敬もしている。でも生理的に無理」
リン王女の指摘通り、確かにリュナンは私にべったりだ。そうは言っても歳の離れた兄弟だし、リュナンは幼くして母を亡くしている。ついつい兄に頼ってしまうのは仕方ないだろう。
リン王女は溜息をつく。
「ノイエ殿はダメ人間製造機だな」
「どこまでも失礼な子ね……」
肉体的な年齢では七歳差だが、私には前世分の人生経験がある。それを加味すると親子ほど歳が離れてしまうので、やや過保護になるのは否めなかった。
「まあいいわ。それより殿下、身辺には用心なさいな」
「ノイエ殿がそう言うから、城館から一歩も出ないようにしている。城館の周囲は鉄騎団が常に警戒しているしな」
リン王女はやんちゃな男の子みたいな言動をしているが、慎重さという点では申し分なかった。
ただ、それでも安心はできない。
「王太子派が大軍を送り込んで、城館ごと焼き討ちにするかもしれないわ。辺境で何が起きていても、都ではわからないものね」
仮にここでリン王女が殺害されても、その報が届いてから真偽を確認する為に誰かを派遣しないといけない。写真などがないからだ。
この時間的な空白はかなり大きく、王太子派が謀反を起こすつもりならリン王女の殺害を済ませてからでも余裕だった。
「だからとにかく、王太子派を刺激しないように気をつけるのよ?」
「わかった」
そうこうするうちに、王室から呼び出しがかかる。すぐに上洛し、謁見せよとのことだ。
「また父上は勝手なことを言う!」
クッションを叩いてぷんすか怒っているリン王女を、私はなだめる。
「父親が娘に会いたいって言ってるのよ。娘が会いに行くのは義務よ」
テザリアは封建社会だから、とにかく父親が偉い。変なのが父親になると子供は悲惨だ。
そしてその変なのを父に持つリン王女は、クッションを叩きながらまだ怒っている。
「私と母上を厄介者扱いしたくせに!」
「ほんとそうね」
「会いたかったら自分で来ればいい!」
「私もそう思うわ」
溜息をついてから、私はリン王女を説得する。
「でもね、相手は国王なのよ? テザリアで一番偉いの」
「ずるい!」
「ずるいわよねえ」
私がこうやって雑に応じていると、リン王女は自分なりに気持ちに整理をつけたようだ。
「しょうがない。ノイエ殿の策略上、父上には会っておかないといけないのだろう?」
「そうね。国王の呼び出しを無視したら、あんたに兵を預ける人がいなくなるわ」
まとまった軍団とそれを維持できる資金が不可欠だ。国王は両方持っている。おねだりする絶好のチャンスだ。
リン王女は割とあっさり、クッションを置いて立ち上がる。
「ノイエ殿を困らせる訳にはいかないし、少しは王族らしいところを見せるか。すぐに出立する。人選や日程の段取りを頼めるか?」
「ええ、お安い御用よ」
私が笑うと、リン王女もにっこり笑ったのだった。




