第14話「三つ名」
14
これで紋章官の用件は終わりだったが、もちろんこのまま帰す気はない。我が父ディグリフがすかさず口を開く。
「紋章官殿、大任お疲れさまでした。あちらに一席設けておりますので、都の話でもお聞かせ願えませんかな?」
都から来た王室直属の役人なら、いろいろ知っているはずだ。
紋章官は礼儀として、形式的に辞退してみせる。
「いえ、すぐに帰らねばなりませんので」
「そう仰らずに。紋章官殿をこのまま帰らせたとあっては、他家の者になんたる不作法者と笑われましょう」
父は微笑みつつ、重ねて誘う。
「当家の面目を立てると思って、お付き合いください。せっかく用意させた肉料理と地酒が無駄になります」
「そ、そうですか。では……」
こういう貴族同士のやりとりは驚くほど日本的だ。
父と紋章官が連れ立って退席する。私は庶子だから、こういう席では同席の義務はない。リュナンは同席するようだ。
あまり同席者が増えると裏事情などは語りにくくなるし、遠慮しておいた方がいいだろう。
ということで、リン・ランベル・ノイエ・テザリア様とおしゃべりでもすることにする。
「良かったわね、殿下。これで少しはマシな扱いが期待できるわよ。『四つ名』なら、いずれ領地ぐらいもらえるわ」
領地が無理だとしても、結構な額の仕送りが王室の金庫から得られるだろう。あまり名誉なお金ではないが、捨て扶持というヤツだ。どちらにせよ、その収入で兵を養える。
しかしリン王女は不満そうだった。
「私の恩人であるノイエ殿に、まだ何も報いていない。貴殿も名前をひとつぐらい許されてもいいだろうに」
「そう言われてもねえ」
名前がひとつ増えて『三つ名』になると、当主である父とほぼ同格になる。リュナンより格上だ。
周囲に変な誤解を招きそうで、ちょっと心配だった。
「リュナンに悪いから、私は今のままでいいわ」
「でもノイエ殿は私の後見人として、今後いろいろな政務も引き受けてくれるのだろう?」
そこまでやるとは言ってないけど、彼女を守る以上はそのへんも引き受ける覚悟はある。
「まあ、そうね」
「王女の後見人が『二つ名』ではおかしいだろ? だからひとつ名前を増やしてもらおう」
「別にいいのに」
「いや、私の恩人が他の貴族に軽んじられるのは我慢ならない」
真剣なまなざしで私を見上げるリン王女。王女の癖に王子様っぽさが凄い。
「紋章官殿に掛け合ってくる。父上に貴殿の『三つ名』を許可してもらう。そうでなければお会い致しませんとな」
「ちょっとちょっと」
私が止めるのも聞かず、リン王女は出て行ってしまった。
残された私は頬に手を当て、深々と溜息をつく。
「難しい年頃よねえ……」
翌日には紋章官が都に戻り、何日かが過ぎた。
結局その後、私にも名前の追加が認められたようだ。リン王女が国王からの正式な書類を手に、笑顔で駆け込んでくる。
「勝手に好きな名前をつけておけと言われたので、ノイエ殿に私から名を贈ろう」
「そりゃどうも……」
「今日からノイエ殿は、『ノイエ・ファリナ・カルファード』だ!」
少し考える私。
「ファリナって、女の名前じゃない?」
確かに私はオネエ系の見た目と口調ではあるが、れっきとした男だ。
するとリン王女は力強くうなずく。
「私の母の名前だ。受け取ってくれ」
「なんで……?」
「ノイエ殿に母の名を継いでもらえば、いずれファリナの名は歴史に刻まれるだろう。ノイエ殿は偉大な男だからな」
大変に名誉なお言葉だったが、私は額を押さえる。
「あのね」
「なんだ?」
「それなら自分の名前につければ良かったんじゃないの? あんたの名前は確実に歴史に残るわよ。少なくとも王室史には」
するとリン王女は頭を掻く。
「ほんとだな。そうすれば良かった!」
どうしよう、この子ぜんぜん悪びれてない。細かいことは気にしない王の器を感じるけど、それはそれとして困る。
リン王女は馴れ馴れしく私の肩をぽんぽん叩いてきた。
「私はノイエ殿を第二の母だと敬愛している。感謝と信頼の証だ、第一の母の名を受け取ってくれ」
「う、うーん?」
王女の実母の名を拝領するなんて大変な名誉のはずなのに、不安しか感じられないのが凄い。
「私は男だからね?」
「知っているぞ」
「魔女の秘術を使う為にこんな格好してるし、育ちが悪いから女言葉しか使えないだけで、中身は凄く健全な男だからね?」
「うん。そうか」
ダメだ勝てそうにない。
リン王女が笑顔で右手を差し出す。
「ではこれからもよろしく頼む、ノイエ・ファリナ・カルファード卿」
「うーん……」
ちっこい手でぶんぶんと力強く握手されながら、私は漠然とした不安を打ち消せないでいた。
このまま孤独な王女の母親代わりにされるんじゃないだろうか。
この件を家族に報告すると、父は満面の笑顔でうなずいた。
「でかしたぞ、我が息子よ。王女殿下から拝領した名、それも殿下の実母の名となれば大変な価値がある。私の『アルツ』より遙かに重みがあろう」
「それはまあ、そうかもしれないけど」
私が渋い顔をしているのに、異母弟のリュナンも手放しで喜んでいる。
「やっと兄上が認められる日が来ましたね! 僕も弟として嬉しいです!」
「いやでも、嫡子のあんたより格上になっちゃまずいでしょ?」
きょとんとするリュナン。
「元から兄上の方が格上ですし、別に気にしませんけど……。なあ、ユイ?」
「はい、リュナンお兄様。ノイエお兄様が当家の長子ですから、むしろ当然だと思います」
異母妹のユイまでうなずいている。
父がおかしそうに笑いながら、私の肩に手を置いた。
「もし政変に巻き込まれてカルファードの一族が没落したとしても、王女殿下より名を頂戴した忠臣がいる名誉は消えぬ」
私が王女から名前をもらったことがよほど嬉しいのか、父はしみじみと言葉を続ける。
「子孫たちがどのように生きていくとしても、この名誉は世間での信頼という形で、必ずや子孫たちへの財産となるだろう。そういう一族を過去に何度も見ている。だからその名は大事にしなさい」
「え、ええ。そうしますわ、父上」
確かに名誉なことなんだけど。
こうして私とリン王女はようやく貴族社会の末端から少し這い上がり、いずれ来る王位争奪戦への出場権を獲得したのだった。
まだまだ先は長い。




