第10話「荘園収奪」
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それから私はサノー神殿の後片づけに専念した。私はベナン村の代官だから、隣接する荘園を放置もできない。
リン王女とリュナンを連れて、あちこち飛び回る。
「神官は全員殺害されているようだから、この神殿は当面は機能しないわ。となると、この荘園も誰のものでもないわよねえ」
「兄上は本当に悪辣ですね!」
傍らのリュナンが目を輝かせている。誉めてるのかな、それ。
うーん……。弟には綺麗な心のままでいて欲しいけど、次期領主としては確かに不安だ。少しあくどいやり方を教えておくか。
「荘園の小作人を集めるわ」
私はサノー神殿に雇われていた小作人たちを集める。彼らは農地のあちこちに家を建てて住んでおり、襲撃では難を逃れた。
不安そうな顔をしている小作人たちに、私はたっぷり脅しをかける。
「サノー神殿の神官たちが皆殺しにされて、今のあなたたちは誰からの庇護も受けられない状態よ。後任の神官が来るという話も聞いていないわ」
これは嘘ではない。神殿の人事など、清従教団の神官にしかわからないからだ。だから私は何も聞いていない。
しかし小作人たちはもちろん、そういう風には解釈しなかった。
「じゃ、じゃあわしらは見捨てられたんですか……?」
「お代官様、俺たちはどうなるんだ?」
私はそっけなく肩をすくめてみせる。
「さあね。ベナン村の住人はカルファード家が全力で守るけど……。あんたたちはベナン村の住人じゃないし」
こんな辺境では他国の軍勢がいきなり攻めてくることもあるし、盗賊団が襲撃をかけてくることもある。熊や狼だって怖い。疫病も起きる。
そういうときに権力と武力による庇護がないと、待っているのは悲惨な末路だ。小作人たちはそれをよく理解している。
だから後は簡単だった。
「お代官様! どうかお慈悲を!」
「わしらをベナン村の住人に!」
すがりついてくる小作人たちに、私は悩むそぶりを見せる。
「それはいいけど、ベナン村にはもう空いてる農地はないわよ? 生活はどうするの?」
すると彼らは互いに目配せし、何やら無言で相談している。
最後に小作人たちの長老格らしい老人が、静かに言った。
「あそこにある『ベナン村の畑』を耕して、カルファード家に税を納めます」
彼が指さしたのは荘園の農地だ。
小作人たちはベナン村への帰属と引き替えに、荘園の土地を不法に収奪したことになる。
清従教団が知ったら逆上するだろうが、それは教団と小作人たちの問題だ。苦情が出てもカルファード家は建前を貫き、知らぬ存ぜぬで押し切る。
前世なら信じられないような暴挙だが、この世界だと辺境では割とやりたい放題だ。教団側に同じようなことをされた経験もある。
ただ、今のままでは彼らがいずれまた清従教団につく可能性があった。サノー神殿に新しい神官たちが来れば、今裏切ったように小作人はまた裏切るだろう。
だからそれを封じる為に、私はひとつの条件を出す。
「サノー神殿は失火で焼失したのよ。ね?」
「え?」
小作人たちの顔に戸惑いが広がるが、私は笑顔で重ねて言った。
「サノー神殿は燃え落ちた。何があったかは誰も知らない。神官たちは全員行方不明だし、耕作地を記録した台帳も焼失したわ。あんたたちは元々ベナン村の村人だから、詳しい事情は何も知らない。そうよね?」
我ながらえげつない脅迫をしていると思う。なんせ神殿を焼き払うのは寺や神社を焼き払うのと同じだ。教団にバレたら破門宣告と死刑の合わせ技で地獄に直行することになる。
完全にびびりまくっている小作人たちに、私は真面目な表情を作る。
「ベナン村の代官は、ベナンの村人を絶対に見捨てないわ。税も他の村人と同じ。荘園よりずっと軽いはずよ。余った作物は自由に売り払ってもいいし、市や祭りでもベナン村の者として平等に扱うと約束しましょう。結婚も自由にしていいわ」
隣接する農民同士でありながら、小作人とベナン村の農民とでは待遇にかなりの差がある。ベナン村の者たちの方が圧倒的に豊かな暮らしをしていた。
「これは好機よ。それもおそらく、たった一度きりの。さあ、どうするの?」
小作人たちはもう迷わなかった。
「神殿を焼きます」
私はにっこり微笑む。
「あんたたちの覚悟、必ず報いるわ。ベナン村にようこそ。あ、くれぐれも裏手の墓地には被害を出さないようにね。リン殿下の母上の墓があるから」
こうして私たちは、村の隣にあった荘園をごっそりいただいた。今年の税収は例年の倍ぐらいになるだろう。ベナン村の農地台帳も書き換えておく。
このやり取りの後、リン王女が呆れた顔をしていた。
「ノイエ殿はやることがいつもメチャクチャだな」
「サノー神殿の連中よりはマシでしょ。王女殿下の暗殺に関わってたみたいだし、相応の報いは受けてもらわないとね」
私は改竄した農地台帳を郷士に預けると、フッと笑った。
「旧荘園からの収益で、傭兵を継続的に雇いましょう。装備と練度と規律がしっかりした、本職の傭兵がいいわ。大した数は雇えないでしょうけど、いないよりはマシだものね」
「兄上、まさか……」
リュナンが不安そうな顔をしたので、私はリン王女を示す。
「サノー神殿に預けられていた王女殿下の護衛を、サノー神殿の収益で雇うのよ。これなら筋は通るでしょ? 私の懐には入れてないわ」
「そう言われてみれば、そんな気もしますけど」
首をひねっているリュナンに、私は笑いかける。
「緊急避難的な措置だし、問題ないわよ」
「でも兄上、その緊急避難的な措置をそのまま恒久化しようとしてますよね?」
聡明な弟だ。これならすぐに、父の望むような悪辣さも身につけられるだろう。
さて、さっそく傭兵を探さないと。これも父に頼もう。
こうして敵襲に怯えながら二日が過ぎたが、なんせネットも電話もない世界だ。情報の伝達が遅いので、二日ではほとんど何も進展しない。
ついでに言えば自動車も飛行機もないので、人の移動も極めて遅い。
かろうじて「国王と王太子の仲が険悪になっている」という噂が行商人経由で入ってきた程度だ。
やはり廃嫡が起きて、王太子たち嫡流の継承権が失われたのだろうか。だとすれば、リン王女に暗殺者を差し向けてきたことも理解できる。リン王女が嫡子になっている可能性があるからだ。
だがもう少し待たないと、詳細な情報は入ってこないだろう。
「ダルいわねえ……」
情報が全然届かないので、私は城館の三階で溜息をつく。
あれから敵の襲撃はない。暗殺隊全滅の報告を黒幕がつかんでいるのかどうかも怪しいので、下手をするとまだ敵側が動き出していない可能性すらあった。
暇なのでリン王女に勉強を教えたりする。この王女様、神殿では聖句の暗唱ぐらいしか教えてもらっていなかったらしい。それでは困るのだ。
弟たちを教えるときに使った算術の本を開きながら、私はまた溜息をつく。
「都までは早馬を使っても何日もかかるし、やってらんないわよねえ……。あ、そうだ。殿下、五コーグは何アルロかしら?」
「え? え?」
テザリアの貴族階級には九九のような暗記法があるから、まともな教育を受けていれば暗算できるはずだ。
テザリアでは約二十キロを旅程の単位にしており、「一コーグ」と呼ぶ。街道一コーグおきに宿場町を整備するのが領主たちの義務だった。カルファード領では街道筋のジオ村に宿がある。
これがまた絶妙に使いにくい単位で、普通の旅人は一日に一コーグ半歩ける。
だがそれだと宿に着く前に日が暮れてしまうので、だいたいの者は一コーグで我慢することになる。盗賊に襲われたらたまらない。頑張っても二コーグが限度だ。
これは旅人をなるべくゆっくり歩かせて安全に旅をさせつつ、道中で金を使わせる方策らしい。街道の整備には金がかかる。
一方で軍の伝令などは担当区間の三コーグを一日で移動する義務があり、貴族は庶民よりも早く情報を得られる仕組みになっていた。庶民に噂が広まる前に対策を立てられるので、反乱やデマの拡散を抑止できる。
もう一方の「アルロ」という単位はテザリア式長弓の曲射有効射程で、約百メートルだ。農地の測量にも使う。
貴族の男子はこの間合いを叩き込まれるので、私も目測でほぼ正確に判断できた。
「ええと、アルロの二百倍がコーグだから、五コーグで千倍だな」
「お見事ね。軍を率いるなら、こういう算術は必須よ」
「ふふふ。おじいさまのところにいたときは、結構勉強してたからな」
生まれたときから神殿に預けられていたら、さすがにどうしようもなかっただろう。やはり教育は大事だ。
「じゃあ次の問題ね。この計算を解いてみて」
「うわ、二箱算か……」
前世で言う二次方程式のことだ。王女が問題を解いている間に、私は素早く考えを巡らせる。
馬を乗り換える早馬なら、三日あれば都に着くだろう。まだ三日経っていないので、敵の首謀者が都にいるならまだ動き出していないはずだ。
「自由に動かせる軍勢でもあれば、さっさと上洛して国王に会うところだけど……」
「郷士隊はダメなのか?」
問題を解き終わったリン王女が顔を上げる。
私は首を横に振った。
「郷士は村の防衛や徴税とかが任務だから、遠征能力を持たないわ。農民兵にしても農作業があるもの」
「ああ、そうか……。やはり常備兵が必要だな。あ、だから傭兵を雇うのか」
「ええ、その通りよ」
聡明な王女殿下で助かる。
計算は間違ってるけど。
そのとき、リュナンが慌てて入室してきた。
「あ、兄上! どこかの軍隊がやってきました! 騎兵ばかり、およそ四十! 軍旗を見ても所属がわかりません!」
「敵か!?」
リン王女がガタッと椅子を蹴って立ち上がるが、私は窓の外をちらりと見て笑う。
「たぶん違うわよ。やっと来たわね」
さて、父の手配した傭兵たちに会ってみるか。




